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メロス、もう怒った!

作者: 雉白書屋

「えっ!? は? い、いらっしゃいませー……」


 おれはぎょっとした。

 深夜のコンビニバイト中、レジで突っ立ってぼんやりしていたら、突然、メロスが自動ドアをぶち破って入ってきたのだ。

 砕け散ったガラス片が床にパラパラと転がり、夜の冷たい外気が鋭く店内に流れ込んできた。

 思わずマニュアル通りの挨拶が口を突いて出たものの、足は床に貼りついたように動かなかった。メロスは肩を上下させ、獣のように荒い息を吐いている。

 それにしても、なぜおれは一目であの男を『メロス』だと確信したのだろうか。腰に巻いたぼろ布、原形を留めていないサンダル。彫りの深い顔と精悍な目つき。古代ギリシャの人間としか思えない姿だが――。


「メロスは激怒した!」


 やはり、メロスらしい。あれだけ堂々と言い放ったのだ、間違いないだろう。腹の底に響くような大声に、店内が一瞬震えた。おれがメロスだと直感したのも、本物の風格というやつのせいだろう。

 どうやら、過去からタイムスリップしてきたようだ。……いや、待てよ。『走れメロス』は小説だったはず。ということは、創作の世界から現実の壁をぶち破ってやってきたのだろうか。まあ、実際に破ったのは自動ドアだが。

 おれはとりあえずレジを出て、おそるおそるメロスに近づいた。 

 だがメロスはおれに目もくれず、おにぎりコーナーへ向かった。棚の前で立ち止まると、睨みつけるように商品を見回し、一つを勢いよく掴み上げた。


「このおにぎり……海苔が巻いてあると思ったら、ただの黒いパッケージだ! 嘘つき! 嘘つき!」


「……いや、それは炭火焼きの炭をイメージしたデザインでして。ほら、ちゃんと書いてあるでしょ、『炭火焼き鳥』って」


 前にも似たようなクレームがあったので、おれはついそう説明してしまった。


「メロス、納得いかない!」


「一人称がメロスなんですか……?」


「許せぬ! このような卑劣な行いがまかり通っているとは!」


 メロスは棚全体を見渡し、わなわなと拳を震わせた。


「これ、美味しくなってリニューアルと称し、値上げしたうえに量まで減ってる!」


「味は、たぶん美味しくなったんじゃないですかね……」


「これも! このラーメン、値段は据え置きだけど量が減ってる! 実質、値上げ!」


「元々の量を知ってたんですか?」


「この弁当、底上げしてる!」


「企業努力なんですよ……」


 なぜ、バイトのおれが企業の肩を持たねばならないのか。まあ、怒っている相手を前にすると、つい宥める側に回ってしまうものだ。ましてや、その相手がメロスならなおさらだ。


「このジュースも! 透明カップに赤い模様を印刷して、果肉がたっぷり入っているように見せかけてる! 誤認! 誤認!」


「それは手に取ってもらえるよう工夫しただけで、騙すつもりはない……はず」


「自然環境に配慮すると言いながら、食品廃棄が多い!」


「頑張ってる途中なんですよ……」


「メロス……悲しい!」


 突如、メロスはわんわん泣き始めた。なんて感情の振れ幅なんだ。だが圧倒されつつも、妙に胸に迫るものがある。さすがは文学史に名を残す男。その涙には説得力があり、深い悲哀を感じた。おれまで目頭が熱くなり、気づけば二人しておいおい泣いていた。

 もしかすると、このメロスは現代社会の理不尽や鬱屈が形を得た存在――いわば妖怪のようなものなのかもしれない。

「そういうものなんです」「物価高なんです」「仕方ないんです」そんな慰めを口にするうちに、だんだんそれが相手にではなく自分自身に言い聞かせているような気がして、おれはなんともやりきれない気分になった。

 やがて泣き止んだメロスは、腕で涙をごしごしと拭い、深く息を吐いた。

 どうやら納得してくれたらしい。そう、我々のような庶民は結局耐えるしかないのだ……。


「……いや、許せぬ」


「え?」


「メロスは誓った! この悪しき商習慣を正すと! 呆れた王は生かしておけぬ!」


 メロスは棚をなぎ倒し、窓ガラスを突き破って駆けていった。尻が半分はみ出した後ろ姿が、あっという間に闇に吸い込まれていった。


 翌日のニュースで、おれはメロスが逮捕されたことを知った。国会議事堂に突入したらしい。

 記者会見で総理は顔を紅潮させ、『誠に遺憾』と怒りを露わにした。そしてなぜか『メロスを一時的に釈放し、その間、彼の友人を身代わりに立てる』と発表した。


 その友の名前とは――おれだった。

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