無題
クソつまらんと思われるだろうけど、自分が楽しいから書いてる
GAN──敵対的生成ネットワーク。
一方は偽物を本物に見せかけようとし、もう一方はそれを暴こうとする。
そのせめぎ合いの中で「本物らしさ」は磨かれてゆく。
だが、そこで獲得されるものは「真理」ではない。
設計者が定めた「らしさ」にすぎず、疑うことさえ枠内に収まっている。
私たちの社会もまた同じ構図にある。
教育、制度、歴史、それらは「真」と「偽」の線を引き、
人は疑うといいながら、その線の内側でしか身動きがとれない。
人間が真実と思うものは、他者が描いたGANの「判定器」に従っているにすぎない。
未来の人間は肉体を自ら養う必要がない。
ナノボットや調整薬が代謝を肩代わりし、
人は「ただ存在するだけで健康が保証される」という状態に入る。
生命維持は機械に委ねられ、摂取の意味は快楽か習慣のために残る程度になる。
だがその基盤もまた揺らぎやすい。
生体分子は「キラリティ」に支えられている。
右手と左手のように重ねられない鏡像関係。
栄養となるのは一方だけであり、逆は毒である。
もし、この左右を反転させるウイルスが広がったならどうだろう。
ナノボットが届ける栄養は毒へと変わり、
薬は作用を失い、身体は自らの足場を失う。
「生きること」と「死ぬこと」の境界は、思った以上に脆い。