9.疑い
魔女への疑いが街を包む一方で、ユリスの心には釈然としないものが残っていた。
魔女――本当にそうだろうか?
あの変身の瞬間を見てしまったから、確かに「人ならざるもの」だとは思った。けれど、それ以上のことは何も知らない。ただ、知っているのは彼女がエルヴィンに近づいていたということ。そして、エルヴィンが彼女に特別な感情を抱いていたこと。それだけだった。
そんなとき、団の仲間との雑談の中で、ある言葉が耳に留まった。
「例の老婆な、定期的に薬草を卸してたみたいなんだよ。いつも決まって同じ店、東の市場の角にある薬屋さ」
ユリスは思わず聞き返した。
「薬草を…卸してた?」
その薬屋に立ち寄っていたことは知っていた。以前、偶然見かけたことがあったのだ。
薬を処方してもらっていたのかと、特に気にも留めなかった。
だが、「薬草を卸していた」となれば話は違う。
ただの買い手ではない。扱う側だ。
その事実に、ユリスの中で何かがわずかに軋んだ。
彼はすぐにその薬屋を訪ねた。
小さな古びた木の看板が下がる、こぢんまりとした薬屋。軋む扉を開けると、薬草のほのかな香りが漂い、店主が一人、棚の整理をしていた。50代に届かないかという風貌。エプロンの裾に乾いた薬草の葉が絡んでいる。
「いらっしゃい。…おや、衛兵団の方?」
「はい、少し聞きたいことがありまして。ここに、老婆が薬草を持ってきていたと聞いたのですが。」
「ええ、あの方ですね。数年は付き合いがありますよ。最初に来たときは、腰の低いおばあさんだと思ったら――薬の目利きがすごくてね。何度か話していくうちに、卸す側として取引するようになったんです」
ユリスは意外な気持ちで頷いた。
「薬を…卸していたのですか」
「ええ。定期的に。それも、いつもタイミングが絶妙なんですよ」
店主は笑いながら、棚の一つを軽く叩いた。
「薬草の在庫が少なくなって、ああそろそろ注文しなきゃと思った頃に、ふっと現れてね。こちらの在庫の様子でも見えてるんじゃないかと思うくらい」
「在庫の様子が――見えてる?」
ユリスの眉がわずかに動いた。
「あはは、冗談ですよ。でもほんとにそんな感じで。こっちが発注する前に、ちょうどいい量を持ってきてくれるんです。まるで…裏で誰かが覗いてるみたいにね」
その言葉に、ユリスの中で一つの像が浮かんだ。
――あの黒猫。
あの猫が、まさか店の様子を…。
ユリスは視線を棚に移す。乾いた薬草の束がいくつか積まれている。
そのどれもが、丁寧に選ばれ、しっかり乾燥されていた。
「腕の立つ人です。うちの常連の年配の方々にも評判よくて。ちょっと擦りむいたって子どもにも、手当てをしてくれていたみたいですよ」
「……その子たち、今も彼女のことを覚えていますでしょうか。」
「ええ、多分。あの人は、名前よりも笑顔と匂いが先に記憶に残るような人でしたよ。草の匂いと、少し古い紅茶みたいな」
ユリスは、静かに店をあとにした。
誰かが魔女と呼ぼうとも、彼女がしていたことは、薬を届け、人を助けていた。それは、魔女がすることなのか――それとも、ただの善人がすることなのか。
ユリスの中で、またひとつ、判断が揺らいでいった。
ユリスは、胸の奥にずっと重い石を抱えているような気持ちでいた。
――その数日後。
東の森に棲む魔獣の動きが、突然活発になり始めた。
夜の巡回報告では、魔獣を見かけたという目撃情報が倍増し、実際に畑を荒らされたという報告も相次いでいた。
いつからだろう。
『魔獣がこんなに活発になったの、やっぱり魔女が関係してるんじゃないか』
そんな声が衛兵団内だけでなく、街のあちこちから聞こえるようになったのは。
魔女の話と魔獣の異変が、まるで一本の線で結ばれているかのように、人々は語り始めていた。