物忘れ症候群.4
物忘れ症候群、やっと犯人がわかります(ネタバレ)
多分あと一話で終わるので、もう少し、もう少しだけお付き合いください!
その日の午後、天気のいい昼下がりにもかかわらず冷たい北風が吹く中、記憶屋アルバムを訪れる者がいた。
「よお、アニータ……。」
「あ、アディマン。どうした、今日は配達はないはずだろ?」
入り口の扉を開けたのはアディマンだった。
見たところ手ぶらで、配達の荷物のようなものはない。
「まあ……、そうなんだけどよ…。あれ、トーズは今日はいないのか?」
「ああ、二階の自室にいると思うぞ。呼んでくるか?」
「いや、いいよ…。」
「じゃあホントに何しに来たんだお前…。」
昨日の昼間会ったときには穏やかで謙虚な青年に見えたが、今日の彼は不安や恐怖のようなものが憑りついているようで、しきりに目線が泳いでいる。
「あ、のさ…、今日ってクオリアは来てるか?」
「クオリア?いや、来てないが。」
昨日二人が来た時には、トーズはクオリアに対して「店に来るなんて珍しい」と言っていた。
日ごろから配達業務で通っているアディマンがそれを知らないはずないだろう。
「クオリアのバーには行ってみたのか?」
「い、いやっ…まだ…。」
バーの話を出した途端、アディマンはあからさまに驚いて、また口を噤む。
トーズから聞いてた話ではアディマンは以前からクオリアの勤めているバーに行っていたらしい。
それなら場所は知っているんだろうが…、なにか訪ねられない理由でもあるのか?
「そういえば例の噂調査は進んだのか?」
「…いーやまだなにも。お前が言ってた菓子屋のスピンにも話を聞きに行ったが、めぼしい情報はなにもなかった。」
彼が突然話の舵を切ったことには触れず、俺は嘘も交えつつ自分たちの調査結果を話した。
それは午前中のノースストリートの調査が終わったときにトーズと話し合って決めたことだった。
『これ以降の調査結果は安易に他人に話すべきではないでしょう。もちろん、店に来てくれるあのお二人にも。
路地裏に意図的に張られた結界が見つかった以上、犯人と呼べる人物がこの街にいることは確定です。
このまま感づかれて逃げられれば、事件の真相の解明はおろか、あなたの事件に繋がる情報を聞き出すことも叶わなくなってしまいますから。』
「そうか…。まあそんな簡単にはいかないよなぁ。
それに言い出したオレ自身半信半疑なんだよ。だってクオリアが言ってたとおり、過去10分のことを忘れるなんてまぁまぁよくあることだろ?
お前たちがやけに真剣に調査してるようだったから言いづらかったけどよ…。」
アディマンはさっきよりは少し落ち着いた風に、半笑いで言葉を紡ぐ。昨日はいかにも怪しげな噂話に真剣だったくせに。
その態度や意見の移り変わりの速さが気になったが、無理に突っ込んでこちらの真意に気づかれても困る。
テキトーに流そうとしたそのとき、彼が今もっとも会いたいであろうその人物がカランカランとドアベルを鳴らした。
「あらアディマン、あんたも来てたのね。」
「クオリア!?あ、ああそうなんだ…。ほ、ほら、この前の物忘れ症候群の噂、アニータたちが調査するって言ってただろう?」
アディマンが気にしていたクオリア本人の登場に、彼はわかりやすく狼狽えるが、クオリアは特に昨日と変わった様子はない。
「ああ、あの噂調査…、あんたたち本気だったのね。
アニータはまだわからないかもしれないけど、この街の噂話なんてほとんどが火のない所に立った煙よ?
たとえ火元があったとしても、尾ひれ蛇足が付きまくった与太話なんだから。」
「そうだな。確かに昨日一日と今日で調べてみたが、大した情報は出てこなかったし進展もない。
お前たちの言う通り、そろそろ切り上げるべきかもしれないな。」
クオリアがあきれたように俺と話すのを、アディマンはただ黙って見つめるだけ…。
しかし突然、何かを決心したように彼が口を開いた。
「あッ、あのさ…!クオリア!」
「え?なに?」
クオリアが純粋な疑問からアディマンを見つめる。
アディマンは口を開き、何かを言いかけたが…。
「…………いや…その…。う、噂だからっていっても、まあ、気をつけろよ、アニータも。変換術だけじゃなくて、夜道とか、酔ったやつらが何するかわかんないからな。
それにクオリアは女の子なんだから。あんまり一人で行動しない方がいいんじゃないか?」
「あらそれはどうも。紳士ぶってるつもり?似合わないわよ?」
怪訝そうに眉間にしわを寄せながら辛辣に返すクオリアに、アディマンは苦笑いを浮かべるだけ。
「心配されなくても、夜じゃなくたってあんな暗いところ一人で行かないわよ。
それよりあたし、明日の大晦日は用事があって店にいないから、はいこれ。」
差し出されたのは小さめの紙袋。中を見てみると缶が二つ入っている。
「紅茶の茶葉よ。あんたとは昨日会ったばかりだけど、まぁみんなと飲んで。年明けもしばらくいないと思うから、早めのご挨拶ってことで。じゃあ、もう行くわね。」
そう言って彼女は店を後にした。
終始ドギマギしてたアディマンと比べてクオリアは一切昨日と様子が変わらなかったが、茶葉を渡してきたときに一瞬だけ、少し寂しそうな眼差しをしていたことが、なぜかひどく俺の中で印象に残った。
それから間もなくして、店の仕事を終えたトーズが下りて来ると今後の予定について話し合うこととなった。
「明日の調査はどうします?正直、大晦日ということもあって街の人はいつも以上に外に出てお祭り騒ぎになるでしょうから、被害者は今まで以上に出るでしょうし収拾がつかなくなると思うので、後日にした方が…。お客人?」
クオリアとアディマンが帰った後、俺はさっきの二人の会話を思い出していた。
しきりに挙動不審だったアディマンも気になるが…。
「トーズ、昨日調べた被害者への聞き込みメモ持ってるか?」
「?ええありますけど。」
昨日と同じくテーブルの上に手帳を広げる。
被害者が出たのは、12月の3日、7日、9日、10日、11日、13日、15日、17日、20日、22日、25日、そして今日30日。
犯行日にばらつきはなく、偶数日や奇数日だけというわけでもない。
特に規則性は無いのかと思っていたが…。
気になることはもう一つ。アディマンは最初にこの噂話を持ってきたとき、「過去10分の記憶がなくなる」と言っていた。実際さっきも10分と彼は言った。
でも張られていた結界の強度は「過去5分の記憶を変換する」程度。
被害者たちが失った記憶には個人差があり、5分以上は確定だが、10分以上の者もいる。
そして10分以上の記憶がない者は、失った記憶の間に”路地裏を彷徨っていた記憶”が挟まる。
「そういえばお客人、アディマンさんに例の切符のことは話したんですか?」
「いや、何も話さなかったさ。お前がそうしろって言ったんだろ。」
「そりゃあ、セントラルステーションの切符なんてバズファクトで出てくる方がおかしいですし、セントラルと頻繁に行き来する人間なんてそれこそなかなかいませんしね。」
トーズが訝しげに午前中に拾った切符を見つめる。こいつが考えていることは察しがつくが、あえてそれには指摘しないでおく。
因果応報ってやつだ。少しはこいつもそっち側の気分を味わった方がいい。
「しかし決定的な証拠が出てこない以上、犯人を追い詰めるのは難しいですね…。このまま年が明けても尻尾をつかめず泣き寝入り、なんてことになったら…。」
「そうだな、せめてこの事件の謎を解いてから清々しく新年を迎えるとしよう。
トーズ、明日の朝一で行くから準備しとけ。」
「え?ど、どちらに?」
広げた手帳を閉じて話を切り上げると、トーズはきょとんとした顔で俺に問う。
久しぶりに見るようなその表情に、少しばかり胸がスカッとする。
「犯人に会いに行くぞ。」
翌日、日中ですら暗い例の路地裏に俺たちは日が昇る前に来ていた。
「この先に犯人がいるはずだ。目的地までの道中で説明するから、そこに目当ての人物がいたら俺の考えは正解だったってことになるなぁ。」
ガス灯のオレンジの灯りの下、少しばかり煽るように話してやるとトーズはわかりやすくムッとする。
「そんなに自信満々なら早く話してください。どうして今日、この時間に犯人がここにいると思うんです?」
「じゃあまず、その答え合わせをするか。トーズ、ここは昨日は確かに結界が張られていた場所だ。間違いないな?」
「ええ、そうですけど…、!」
ノースストリート、帽子屋横の路地裏に繋がる入り口。そこを指さして促すと、細道を覗き込んだトーズの顔色が変わった。
「結界が…、無い!?」
「やっぱりそうか。」
こればかりは変換術師であるトーズじゃないとわからないので、もし推理が外れていたらこの時点でハズレだなと思っていた。逆に言えば、今この場所に結界が無いならアタリということだ。
結界が無いことをいいことに、昨日のように遠回りはせずズンズンと路地裏の奥に進んでいく。
「どういうことです?昨日までは確かに…。」
「トーズ、被害者が出た日付覚えてるか?」
歩きながらトーズに調査の結果が書かれた手帳を見せる。
「被害者が出たのは、12月の3日、7日、9日、10日、11日、13日、15日、17日、20日、22日、25日、そして30日。
メモしたのがスケジュール帳じゃなかったからわかりづらかったが、規則性が無いように見えて、その日付にはちゃんと法則がある。
菓子屋のスピンが、被害にあったのは”12月13日の木曜日だ”って言ってたの覚えてるか?
曜日まで覚えてたのはスピンだけだったから見逃してたが、この日付をカレンダーに当てはめると、水曜日には絶対に被害者が出ていないことがわかる。」
手帳をトーズに押し付けて、俺は路地裏の地図を見ながら進む。路地裏に繋がる入り口はたくさんあるが、その中でも被害者が出た場所、つまり結界が張られていた場所は限られていた。
そのことをふまえて、犯人がいるはずの目的地に向かう。
「そんでもう一つヒントになったのが、被害者たちが失っていた記憶の時間だ。お前は結界は過去5分の記憶を変換するものだと言っていたが、噂で回ってきたのは過去10分の記憶がなくなるというものだった。
んで、10分以上の記憶を失ってた被害者は、失った記憶の間にこの路地裏を彷徨っていた記憶が挟まると。
どうやったらそんなことになるのか考えてみたんだが、おそらく、結界が張られていた場所は複数あると思うんだ。
その目的は、記憶を変換することそのものではなく、部外者をこの路地裏に入れないためのバリケード。」
「バリケード?」
暗い路地裏を手元のランタンで照らしつつ、昨日は行かなかった奥深くまで進む。
「犯人はおそらく、この路地裏の奥に人に立ちってほしくない場所があるんだろう。だから変換術の結界を張り、人為的に道に迷わせるようにした。
失った記憶の時間に個人差があったのは、結界をくぐった後の行動によって差が出るのだと思う。そしてそれは大きく二つのグループに分けられる。
10分程度の記憶を失った者と、10分以上の記憶を失い、失った記憶の間に路地裏を彷徨っていた記憶がある者だ。
前者は路地裏に入る際に結界をくぐり過去5分の記憶を失ったあと、すぐに来た道を引き返して同じ結界をくぐった者。
この場合、2回目に結界をくぐったことで変換されるはずの記憶は1回目の変換で失った5分よりもさらに前の5分の記憶+路地裏に入った後の記憶だ。
だから路地裏に入ったこと自体覚えていないし、これで忘れる記憶は過去10分。噂と同じだ。
問題なのは後者、路地裏を彷徨っていた記憶がある者。
この場合はおそらく、路地裏に入ってそのまま路地裏の奥へ迷い込み、入ってきた入り口とはまた別の結界が張られた出口から出て来たんだろう。
5分以上路地裏の中で迷っていたのなら、出口で過去5分の記憶を変換されてもあまりがでる。前者と同じく路地裏に入ったときの記憶はないんだから、これでいつ入ったのか出て来たのかさえ分からないけれど、路地裏を彷徨っていたという記憶だけがあるという話に説明がつく。
結界がバリケードなんだとしたら、被害者が出いない水曜日はバリケードが張られていないってことだ。
なんでそんな日があるのか…。それはおそらく、その日だけは人除けのバリケードを張る必要がない、
つまり犯人自ら現場で監視している日だからだ。」
曲がりくねった細道を進んでいくと、灯りが見えて来た。
こんな早朝に灯りをともしている店はない。ならあの光は…。
「……、そんで、ここからはお前がいない間にあった話なんだが、俺はお前に言われた通り誰にも調査の結果を話さなかった。もちろん、現場がこの路地裏であることも。
でもあいつは言ったんだ。
『心配されなくても、夜じゃなくたってあんな暗いところ一人で行かない』ってな。
いるんだろ、クオリア。」
路地裏の最奥、もはやごみ溜めとしか言いようがないそこに、そいつはいた。
いつもつけている赤いケープのフードをかぶり、薄桃色の長い髪を肩に下して小さな木箱を抱えている。
「せっかくお別れのご挨拶に行ったんだから、それっきりにしておいてくれればいいのに。あんた情緒って知らないの?アニータ。」
朝焼け色の瞳が、いつになく冷たく、嫌悪と殺意に満ちた光を帯びていた。