物忘れ症候群.3
思ってたとこまで進みませんでしたー!あと1話、いや2話くらい続くかも!!
どうかお付き合いしてくださると幸いです。
翌日、件のノースストリートに俺たちは来ていた。
様々な商店が立ち並ぶこの通りは、北地区の1番街と2番街をつなぐ通りでもある。北地区に住んでいるかぎり、この通りには誰もが世話になるのだろう。
「スピンが言ってた帽子屋前っていうのはここか。特に怪しいものがあるとは思えんが…。」
物忘れ症候群の被害者の一人である菓子屋の店主、スピンが言うには、この帽子屋の前で話したことを次に通りの東口にいた時には忘れていたらしい。
ただの物忘れにしては不審な現象に本人も怪しく思っているようだったが、見たところ帽子屋自体は普通の帽子屋で、ショーウィンドウには紳士向けのボウラーハットから婦人向けのものまできれいにディスプレイされている。
「そうですね。しかし事件はすべてこのノースストリート周辺で起こっています。この帽子屋単独で何かあるというよりも、通り全体を、見て回った方がいいかもしれません。」
「それもそうだな。」
わかった被害者は全部で13人。正確な現場がどこなのかわからない者もいたが、一つのケースに囚われすぎるのもよくない。
「じゃあ次は、酒屋の方に行ってみるか。そういえばクオリアが働いてるバーって……、トーズ?」
「お客人、あれは…。」
帽子屋の隣奥、路地裏に繋がる細道にトーズが目を向けていた。
建物の陰で日を遮られた路地裏は、昼間でも暗く、華やかな表通りからたった一つ入っただけの通りとは思えないほどの静けさだった。
その中に、一人の男がいた。若い男だが足取りはどこか危なげで、うつろな目が石畳の地面を見つめながら歩いている。
ふいに、表通りから射した日の光が男のつま先を照らした。それに気づいた男がハッと顔を上げる。
「ああ…、よかった……!やっと外に出れた…!!うわっ!?」
「あ!おい!?」
男は感極まる様子で駆けだそうとしたが、足がもつれて転んでしまう。
「お前大丈夫か!?」
「待ってくださいッ!お客人!」
男のもとに駆け寄ろうとしたその時、トーズが俺の腕を掴んで拒んだ。
「この道、変換術がかけられています。」
「は?」
変換術がかけられている?ちょっと待て、何を言ってるんだこいつは。変換術は人間がかかるものじゃ…。
「裏の術がかけられていない道から行きましょう。あなたも!そこから絶対に動かないでください!!」
まだ表通りまで出てこれていない男にそう呼びかけ、トーズは迷わず裏道を探すために駆け出す。
「おい待てよ!どういうことだ、説明しろ!」
「安全な道からあそこまでたどり着ければ、そこから説明しますよ!」
またこれだ。やっぱりこいつは自分の考えやわかったことをその場で説明しようとしない。情報を持つことで優位に立とうとしているのか、単純に人を信用しないのか知らないが。
それで危うく命を落としかけたというのに。
先走った俺も悪いと思って、今回はこいつの言うことに従ってやろう思ってたが…。
「…不公平だろ。」
苦々しくこぼした言葉は、当の本人には届いていないようだった。
「僕は…確か兄さんが働いているパン屋に行くつもりで家を出て来たんだけど…、気が付いたら、もうこの路地裏にいたんだ…。」
裏道からさっきの路地裏に回り男の話を聞くと、どうやら彼も物忘れ症候群の事件にあってしまった被害者のようだった。
「兄さんはもともとこの街に住んでるんだけど、僕はつい最近越してきたからこういう細い道のことはまだ疎くて…。どうしてこんなところにいたのか全くわからないし、出口もわかないしで、ほんと…もう二度と出れないんじゃないかって…。」
男はどうやら相当参っている様子だった。随分長い時間この路地裏を彷徨っていたのだろう。
見渡すとさっきの帽子屋横にある表通りに繋がる出口以外に日が差す場所はなく、ハチの巣型の迷路のような薄暗い道が続いている。
確かにここに迷い込んだら、地元住人以外は容易に脱出できないだろう。
「そうですか…それは大変でしたね。もう大丈夫ですよ、私たちが通って来た道を行けば、安全に表まで出れますから。
……どれだけの時間、この路地裏を彷徨っていたかわかりますか?」
トーズはいかにも優し気に気遣いの言葉をかけるが、新たな情報が欲しいというような好奇心にも似た光が目の奥にぎらついている。
男はそれに気が付いていないようだから、俺の偏見かもしれないが。
「さ、さあ…。体感では同じような道を3、40分くらい彷徨っていたような気がするけど……実際はもっと短かったのかも。」
地面に座り込んだ男が、ゆっくりと過去を思い出しながらトーズに話を続ける。
「なあトーズ、いい加減教えろよ。この道に変換術がかけられているってどういうことだ。」
「この道…というよりはこの道と表通りがつながる出入口に、変換術の結界が張られているのです。」
トーズは日が差す表通りの方向を指さしながら言った。
「おそらく結界を通り抜けた人間の記憶を変換する結界なのでしょう。たいして強力な結界ではないので、時間にして5分。
過去5分間の記憶を変換する変換術の結界なのでしょう。」
出入口に張られた結界。それはまるでこの道に入り込むことを拒んでいるような、ネズミがラーダーに入り込むのを防ぐための罠のように思えた。
ふと、俺は道端に紙切れのようなものが落ちているのに気が付いた。
拾い上げてみると、それはどうやら鉄道の切符のようだった。地名や鉄道会社についての名前はわからないが、その中の一つだけ、見覚えのある単語が目についた。
「……なあ、これはお前のか?」
「?い、いえ、僕のじゃないと思うけど…。」
拾い上げた切符を男に見せるが、男は首を横に振った。
「お客人。それは?」
「どうやら切符らしい。それも、”セントラルステーション”の切符だ。」
「セントラル?どうしてそれがバズファクトに…。」
「他の被害者のものじゃないか?」
「いえ…、めったなことがない限り、この街の人は街の外には出たがりません。そういう人たちが集まる街というのが大きいのですが…。」
トーズがまた言葉を濁した。嫌気がさして追求しようと思ったが、その前に奴の方が口を開いた。
「もしかしたら、これは"犯人のもの"かもしれません。」
街に夜の帳が下りて、聞こえてくる音はガス灯の周りにたかっている虫の羽音くらい。
そんな静かな夜に、いつかのバーで、数度顔を合わせた程度だったそいつに会った。
本日分の仕事をすべて終えて、セントラルの本部に報告も入れた。疲労がたまった足を引きずるように一人暮らしのアパートに帰るため、車に乗り込もうとしたところだった。
「よお!!アディマンじゃねーか!!!」
ふらつく足取りで話しかけてきたのはコニーだった。
ひどく酒に酔った様子で、夜の静けさを切り裂くように陽気に話す姿はバーで会ったときと変わらない。
「ひっっさしぶりだなあ!おい!!最近はバーにも来なくなっちまったし、どーしてるか心配してたんだぜ?」
「そうか…、悪かったなそれは…。でももうオレはバーには行かないよ。」
やけに顔を近づけて話すコニーの息は酒臭く、顔をそむけるようにして話す。こいつが飲む酒と言ったら、もっぱらエールなんかよりジンだろう。
それを浴びるように飲む奴らはこの街じゃ珍しくない。
「は???おいそりゃどーゆーことだよ。」
コニーにかまわず荷物をまとめていると、背後からさっきの陽気さが消え失せたドスの効いた声が響いた。
「お前なああ…。もしかしてあれか??あんのちょっと前に越してきた店員の女。あの女となんかあったか?まさかフラれちまったんじゃねーだろーな?」
「店員って…、クオリアのことか?まさか。彼女とは元から何もないよ。訳ありそうだったから話し相手になってただけで…。それに彼女には恋人もいる。それを茶化してきたのはそっちだろう?」
クオリアは先月この街に越してきたばかりの少女だ。オレがまだバーに行ってた時に店員をしていた彼女と知り合い、店に行くときには話していた。
街の外、セントラルに恋人がいることは聞いていたし、決してコニーが言うような関係ではなかった。
「だってそーゆーふーに見えたんだよ。あれか??訳あり同士、情が移っちまったか?」
コニーはまた愉快そうに話し続けるが、オレは仕事帰り。早々に家に帰りたかった。
「なあコニー。悪いが今日は…。」
「お前。忘れてんじゃねーだろーな。」
突然、コニーはオレの胸倉を掴んで車体に体を押し付けて来た。
背中が金属の扉に当たって痛い。
「この街に来る奴らはみーんなそろって訳ありだ。それはお前もおれも同じだ。そんで、その女もな。
みーーーんな何かから逃げて来たか、帰る家を見失っちまった迷子だ。
おれもお前のすべては知らねーけどよお、どーせみんなおんなじ理由さ。
流されてきたモン同士だ。
流されるなら酒でもヤクでも女でもいいが、残念ながらろくな人脈になりゃしねー。
無慈悲だよなー神さまってやつは。」
歌うように、踊るように。何が楽しいのか、赤い顔でべらべらと話し続けるコニーの手を振り払って、車の運転席に乗り込む。
「逃げんなよーアディマン。また酒でも飲みかわそうぜ!」
飲んだくれの声でありながらドスの効いたその響きを後に、一刻も早くこの場を立ち去ろうと車を走らせた。
あいつの言うことはもっともだ。
この街の外から来る人はみんな訳あり。
みんなも。オレも。
だからいつまでもこんな暮らしが続くだなんて誰も言えない。
オレもいつまでも逃げられない。
「わかってるさ。そんなこと…。」
酒の匂いが服につくのが嫌だった。加えて煙草の煙が立ち込める店内も嫌だった。
「クオリア!帰ったならさっさと店手伝え!!」
「おいクオリア!今日こそおれ達に付き合えよ!ジンでもウイスキーでもおごってやるからよー!」
男たちは今夜もこの酒と煙草と各々の体臭立ち込める店内でバカ騒ぎをしている。
未成年に酒を進める大の大人も、それを知りつつ安月給でこき使ってくるオーナーも、みんなそろいもそろってバカばっかり。
無視して二階の下宿の自分の部屋に行こうとカウンターを通り過ぎる。
「クオリア、お前いい加減その時代遅れな服やめてくんねーか。」
オーナーがグラスを拭きながら、無駄にでかい体で見下すように言った。
「ラジオがテレビになって、自動車が大量生産されるようになって、こんだけ時代が変わったっつーのに女たちはいまだに足を見せることを恥だと思ってやがる。
お前が流行りの服でも着てくれれば、喜んで金をはたいてくれる奴らがこんなにいるってのになあ。」
男どもの汚い笑い声を無視して、階段を駆け上がり、自分の部屋に入って、勢いよく扉を閉めてからようやく息を吐いた。
あの空間で息をすることさえ、汚らわしくて気持ち悪い。
でも今更ここに来たことを後悔したりしない。
あの子のためなら
「…反吐が出る…。」
固めた決意と不屈の言葉とは裏腹に、見つめたつま先が滲んでいた。