皇帝の石.2
セントラルの骨董市でも思ったが、トーズは逃げ足が速い。
パーティー会場に足を踏み入れると「甘いものがないとやってられない」と言うが早いか、次に振り向いたときにはもう姿は見えなかった。
後に続くようにクオリアもスイーツコーナーに意気揚々と行ってしまうし、結局前回と同じく俺とアディマンが取り残されてしまった。といっても、今回はアディマンも料理の方に興味津々のようだから、実質この場で時間を持て余してるのは俺だけか…。
「それにしても、すごい規模のパーティーだよなぁ。これで主催者は”小規模”とか言ってるんだから、貴族の世界は分かんねぇな」
アディマンが料理に手を付けながら周りを見渡す。
パーティー会場はエントランスホールと同じように赤いカーペットが敷き詰められており、前方にステージのようなものがある。
大きいステージではないが、グランドピアノが一台備え付けられており、その脇に人ひとりくらいが立てるほどのスペースはある。
普段はピアニストを招いて、歌手が歌っているのだろうか。晩餐一つ取っても貴族の考えることってカンジだな…。
そんなことを考えていると、ステージ上に一人、ワインレッドのドレスの裾を引きずってピアノに近づく者が現れた。
さっき当主サフィーレの隣で静かに佇んでいたご令嬢、ロージーだ。
挨拶の時には人形のように無感情な目をしていた彼女だが、ピアノ椅子に座った途端、無機質だった表情に若干の熱が灯る。
「……」
物言わぬ彼女が鍵盤の上に指を置く。
ステージ上の様子に気づいて、談笑をしていた貴族たちも静かになる。
一呼吸置いて、彼女の指が音を奏で始める。
ゆったりとしたテンポの、ノスタルジックな曲だ。
煌びやかなこの場の雰囲気に対して、少し意外なくらいに落ち着いた演奏だった。
音数は多くはなく、超絶技巧が光るわけでもない。
しかし、聞く人の心に自然と浸み込んでくるような優雅な音運び。
周りの貴族もすっかり彼女の演奏に夢中になっていた。
俺も音楽には特別詳しいわけではないが、彼女、ロージーがピアノを弾くことを本当に好んでいることが演奏から伝わってきた。
一音一音を丁寧に、味わうように鍵盤を叩く彼女は、さっきまでの無機質な人形のご令嬢ではなく、熱を帯びた人間の表情をしていた。
(確かもともと舞踏の曲だったか?なら多少テンポに揺れがあるのは楽譜通りなのだろう。
……しかし何というか…)
丁寧な、一音一音、味わうような音運び。
しかし、あまりに一音に感情をこめているせいでフレーズごとのエネルギーの頂点を見失っているような…。
(”自分に酔ってる”みたいだな………)
やがて最初の主題の変換部を終え、彼女の演奏はゆっくりと幕を下ろした。
次第に沸き上がり大きくなる拍手。幻想の世界から一気に意識を連れ戻されたように、視界が鮮明になる。
「ブラボー!!素晴らしい!」
ひときわ響く拍手と共に彼女のもとへ駆け寄ったのは、新当主であり婚約者、
サフィーレだ。
「やはりきみのピアノは変わらず素晴らしいよ、ロージー。きみに今夜の演奏を頼んだのは間違いではなかった…!」
「…!…あ、ありがとう…」
挨拶の時と変わらない爽やかな笑顔。しかし、彼の語る言葉が世間体を重視したお世辞ではなく本心からの言葉であろうことは容易に判別がつくくらいには、
サフィーレの微笑みは有能な若社長の笑みではく、単純に一人の女が愛しくてたまらないというような温度のある笑みだった。
そしてそれに対して礼を言うロージーも、少し気まずそうではあるが、今この瞬間の幸せを受け入れているようだ。
(思ってたよりも夫婦仲はいいのか?
…従順な奥方なら、若社長のサフィーレにとってメモリアルジュエリーの変換元として有用かと思ったんだが……。
…さすがにこの考えは性格が悪いか…?)
俺は自分の偏屈な性格に少し苦笑いをしながら、あたたかな拍手に包まれる二人に、同じように拍手を送ることにした。
アイラが好みそうな料理はないかとスイーツコーナーをうろついていた時、突然始まったナイト家令嬢ロージーによるピアノ演奏。
この場にいる誰よりも、今この瞬間が楽しくてたまらないというかんじのロージーと、そんな彼女が愛しくてたまらないサフィーレ。
ステージから随分離れたところにいるあたしも、その幸せムードははっきりと感じることができた。
「いいなぁ~、あたしだって久しぶりにアイラと素敵な夜を過ごしたかったのに。
あんなの見せつけられたら余計に嫉妬しちゃうじゃない」
自分の皿にイチゴタルトを乗せながら愚痴を吐く。
ナパージュの光沢がシャンデリアの光を反射していて、イチゴがより瑞々しく見える。
美味しそうだけど、アイラは甘すぎるスイーツはあまり好まない。タルトのカスタードクリームは彼女の口に合うかしら?
「すみません、そのタルト、どこに置いてありましたか?」
一口口に運ぼうとしたその時、声をかけられた。
振り向くと、さっきまで会場の視線を一身に受けていた張本人、ロージーが立っていた。
「あっあなた、ロージーさん!?えっと、このタルトなら、あそこの左側のテーブルに置いてあったわ」
「そう、どうもありがとう」
彼女は静かに微笑んで礼儀正しくお辞儀をした。
落ち着いた、大人の女性の声色だ。
「あの、さっきの演奏、あなたですよね?とても素晴らしい演奏だったわ」
「え?あ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。サフィーレに頼まれて急にやることになったから、練習不足が心配だったのだけれど…気にならなかった……?」
「まさか!本当にいい演奏だったもの!」
気まずそうに微笑んで眉を下げる彼女は、言っちゃなんだけど、とてもじゃないけど良家のご令嬢には見えないくらいに慎ましやかだった。
「もっと自信を持てばいいのに。あなたのフィアンセだってあんなに褒めてたじゃない」
「ふふ、そうね。彼はいつも私のピアノを褒めてくれるの。初めて出会ったときからずっとそう」
「初めて出会ったとき?」
舞台上の、今はもう誰もいないステージに佇むグランドピアノに目をやって、彼女は懐かしそうに微笑んだ。
「ええ。彼とはこの街のピアノ教室で出会ったの。
……領主の娘だから、教室の子供たちも先生も、みんな私のことを気遣って怯えるように接してきたのに、彼だけは私に友達として声をかけてくれたの。
『どうしたらそんな音が出るの?』って」
「素敵な婚約者ね。あなたをあなたの周りの環境じゃなくて、”あなた自身”として見てくれたってことじゃない」
「そう!!そうなの!!」
サフィーレのことを褒めると、彼女はピアノを弾いていた時以上に歓喜に満ちた目をして、頬を赤らめながら食いついてきた。
「彼、貧しい生まれだから、教室に一緒に通えたのはわずかな期間だったの。
でも次に出会ったときには一流の自動車会社の役人になってて…。
驚いたわ。彼がそんな地位についていたこともだけど、父が紹介してきた婚約者が彼だってわかったときは、もう心臓が飛びあがりそうだった…!
だってずっと私は、彼ともう一度会えはしないかと常々考えていたんですもの!
それにね、彼も私のことを覚えてくれていたのよ!こんなに幸せなことってあるかしら!?」
この時まであたしは、ナイト家令嬢、ロージーは無口で無感情なよくわからない人だと思ってた。
でもそんなことなかった。
恋人のことを嬉々として少し早口に話す彼女は、あたしと何ら変わらない。
ただの”恋する少女”だった。
そのあと、彼女に教えてもらって食べたブルーベリーのタルトはカスタードクリームが甘すぎず、程よい甘みの美味しいケーキだった。
恋人の話とスイーツの話で夢中になっていたあたしたちをようやく現実に連れ戻したのは、彼女を呼びに来た使用人だ。
「ご談笑中申し訳ございません。奥様、間もなくお時間です。
ご移動の方をお願いします」
「あら、もうそんな時間?
ごめんなさいねクオリアさん、私はもう失礼するわ。貴女さえよければ、またお話し相手になってくださらない?」
「もちろんよ。あたしも久しぶりにこういう話ができて楽しかったわ。
また会いましょう、ロージーさん」
名残惜しそうに使用人に連れていかれる彼女は、最初に会ったときと同じように眉を下げて微笑んだ。
「なぁあれって…」
「ああ、やっぱりそうだよな…」
「噂の記憶屋の…?」
トーズが散々愚痴ってたから、貴族連中から向けられる偏屈な視線には警戒していたが…。
まぁそうだよな…。そもそも招待された貴族たちは街の外から来ているわけだし、俺のことなんて知るはずがない。
むしろ警戒すべきは、バズファクトの噂を耳にする機会があるナイト家の使用人の方だったようだ。
「北地区の奴らなんだろ?」
「あんな所に住んでたら、犯罪に巻き込まれるのは日常なんだろうなぁ」
「記憶喪失って聞いたけど本当なのか?嘘ついてこっちの警戒心を解こうとしてる、別の街のスパイとかじゃないだろうな?」
(本人の聞こえるところでそういう話をするなよ…。その治安が最悪な街を管理してるのはお前らの主人だし、嘘だったらこんな苦労してない。
まったく人の気も知らないで…)
俺も自分が素直な性格をしているとは思っていないから、真っ向から受け止めるつもりはそもそもない。だがそれでも、こうもはっきりと悪意を向けられてはいい気はしない。
(面倒ごと起こすなって言われちまったしなぁ…。
会場中心に行っても話す相手はいないし、壁際にいたらこれだし。
どうしたもんか…)
いやがおうにも耳に流れ込んでくる棘のある言葉にうんざりしてた、その時。
「あのーすみませーん」
耳になじみのある、あののんきで間延びした声が不意に鼓膜を突いた。
「あそこのテーブルの料理なくなっちゃったみたいなんで、新しいの運んできてもらえますか?」
「え、ああ…承知しました」
「それと」
使用人の言葉を遮るように、静かな怒気を孕んだその声が話を続ける。
「彼は私の客人です。文句があるなら私にどうぞ?」
…はたから見ていてもやりすぎだろっと思うくらいには、使用人たちはビビってたし、場の空気は最悪だ。
面倒ごと起こすなって言ったのは自分だろがよ…。
逃げるように退散した使用人たちがいなくなったところで声をかける。
「何やってんだ?お前」
感情のわかりやすいトーズはまだ怒ってるのか、しかめっ面で壁に寄りかかりながらケーキを頬張っていた。
「あなたこそ何をやっていたんですか?その様子だと全部聞こえていたんでしょう?」
「ああそうだよ。でも面倒ごと起こすなって言ったのはお前だろ?だからなんもしなかったのに」
「ああ……そういえばそんなこといいましたっけ」
こいつ、自分の言ったこと忘れてたのか?じゃあ俺が泣き寝入りしようとしてたのは何だったんだよ。
「私は貴族連中との争いごとは避けたいだけで、使用人相手なら問題ありませんよ。
まったく…失念してました。主人が平民差別主義者なら、使用人もそうだと考えるべきでした」
やっぱりいつもよりも言葉に棘があるような…。
「まぁ済んじまったもんは仕方ねーな。
何はともあれ助かった。ありがとな」
「……」
礼を言ってもなお、何なら余計に眉を顰めるトーズ。
これは…、もしかして…。
「……俺に対して怒ってるのか?お前」
「そうですが?」
間髪入れずに返ってくる返答。
どうしよう、今日一機嫌が悪いかもしれない…。
「あなたは私の客人なんです。あなたが悪く言われれば、必然と私にも矛先が行くんです」
「わ、悪かった…」
「それに…」
一方的に話し続けるトーズがまた話を遮る。
ひとつため息をついて手元のフォークをくるくると回す。
「……私が嫌なんですよ。ああいうの」
ずっと不貞腐れていた目がようやくまっすぐこっちを見た。
なんだよ、はじめからそう言えよ。
「心配してくれてありがとな」
商人としては一丁前に大人びているのに、こういう変なところで不器用な面があると、こいつも同年代なんだなと少し安心する。
そんな気持ちで素直に礼を伝えると、トーズはぎょっとしたような顔をした。
「はあ!?話聞いてました?私が嫌なんですよ!!あなたのためとかじゃなく!!」
「ははっ!そうかよ!!」
数十分前まではお互いこんなパーティーうんざりしてたのに、こうして茶化し合えるのは想定外だ。
(これだけでも来た甲斐があったかもしれないな)
事件を早く解決したいのは山々だが、そうは言ってもこいつとは長い付き合いになりそうなんだ。
互いのことを知っていくのは悪いことじゃないはずだ。
「皆さん、お待たせしました。間もなく20時となります。オークションの準備が整いましたので、どうぞ地下の会場までお進みください」
馬鹿みたいな言い合いをしていると、ハウスキーパーとみられる使用人が呼びかけた。
「ほら!行きますよ!ここからが本題でしょう?」
「そうだな、ウワサのジュエリーを拝みに行くとするか」
早口で照れ隠しをするトーズに続いてオークション会場に向かう。
20時、いよいよオークションが始まる。
ただの一つの手がかりも逃すものかと、決意をもう一度確かなものにして。
ずっと行きたいと思ってた本屋さんに行ったら、1万円も散財してしまいました。
本には魔力があるんです。人の財布のひもをゆるゆるにする魔力が。
いいんです、これが目的で行ってきたんだから…。(悲しいやら嬉しいやら)




