3カラルの林檎.3
濃紫の瞳の老人に言われるまま、俺たちは骨董市のストリート入り口付近の店、例の3カラルの黄金の林檎を売っていた店に戻ってきた。
「ええ、確かに私がそちらの旦那に林檎を売りました。ちゃんとお代もいただきましたよ」
店の店主は中年のやせ細った男で、生い茂った髭と長い前髪が特徴的な根暗そうな人だった。
「それ見ろ!おれはちゃんと林檎を買ったとき代金として2カラル支払ったんだ!この店主とおれの間に怪しいことなんて何もない!やっぱりお前たちが盗んだんだろ!」
小太りの男が唾を飛ばしながら糾弾する。
老人は顎に手を当てて考える素振りをしながら、男に問う。
「あなたが盗まれたという金はいくらだったんです?」
「0.5カラルだ。1カラル札で持ち歩いていた3カラルの金をこの店で崩して、残ったのが銀貨1カラルだったんだ。その1カラルの銀貨のうちの半分、0.5カラルがなくなってたんだよ!」
男が財布の中身を見せびらかすようにして話す。確かにその中には銀貨が入っているようだった。
それにしても、1カラルを札として、それも普通の財布に入れて持ち歩くなんて、やっぱりボンボンは違う。この男の危機管理能力の問題かもしれないが。
「あれ?でもオレたちがこの店の林檎を見たとき、確か“3カラル”の値札がついてたような…」
「言われてみればそうだな…なんで2カラルになってたんだ?」
アディマンの言う通り、俺たちが小太りの男に追い出される前、黄金の林檎には“3カラル”の値札がつけられていた。
「私の方から言ったんですよ。旦那が2個の林檎を両方買いたいが、今は持ち合わせがないから銀行で金を下ろして来ると言うので、では2個で2カラルに負けてやってもいいと」
店主がそう話すと、小太りの男は少し申し訳なさそうに言った。
「…ああ、そうだ。おれははじめ、2個の林檎どちらも買うつもりだったんだが、手持ちが1.6カラルしかなくてよ。
1個の林檎を買うための1.5カラルはあるが、もう1個は買えねぇ。
それで1個目の林檎を買った後、0.1カラルを置いて銀行に金を下ろしに行ったんだ。『絶対に買いに戻るから誰にも売るなよ』って店主に言ってな」
「それで約束通り戻られたんで、旦那の誠実さにお答えしようと2カラルに負けたんです。」
「ああ、おれは残りの0.9カラルを支払って、2カラルで2個の林檎を買ったんだ。
おれが持ってた金は全部で3カラルなはずだから、1カラル余るはず。なのに財布には0.5カラルしか入ってねぇ!
それで誰かが盗んだんに違いねぇって思ったんだ!」
俺たちがこの店で見たあの黄金の林檎、どうやらあれは2個セットで3カラルという意味だったらしい。
それを2カラルに負けた…と。
男たちの話を聞いてアディマンはうんうん唸っているが、今の話で俺たちが完全に巻き込まれただけであることがわかった。
結局のところ、この小太りの男が馬鹿で、店主が愚かだったというだけの話だ。
それを指摘しようと思ったところで、一足先に老人が口を開いた。
「なるほど、解けましたよ旦那さん。あなたの金を盗んだのはこの方です」
知的な濃紫の瞳をぎらつかせて穏やかに笑いながら、老人はなんて事のないように店の店主を指さした。
「はあ!?何言ってやがる!この店主は金を盗むどころか金額を負けてくれたんだぞ!!?」
「……。」
小太りの男が狼狽える横で、当の店主は何も話さない。
「いや、その爺さんの言ってることは間違ってないぞ」
俺が老人の意見に同調すると、老人は何やら面白いものでも見つけた子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「ほう、君もわかったのですか。では君の方から話してもらいましょうか」
「は?」
「いつまでもこんな老人が出しゃばるのもなんでしょう。ここからは若者に託すとしましょう」
一通り話して勝手に満足したのか、老人は本当にこちらに投げるつもりらしい。完全に聞き手側に回ってしまった。
この爺さん、頭が切れるのか自分勝手なのかどっちなんだ?
「……はじめに言っとくが、俺たちは何にもしてないのに巻き込まれた被害者だからな。俺はわかったことを話すだけだから、これ以上この件に巻き込まれるのは勘弁してもらいたいね。
んじゃまず、おっさん。あんたははじめ、3カラルの値札が張られていた2個の林檎を買おうとしたが、手持ちが1.6カラルしかないから、1個目の林檎だけを買って銀行に残りの金を下ろしに行った。そうだな?」
「っ…ああそうだ」
おっさんと呼ばれたのが不服らしい小太りの男が答える。こっちは本当に巻き込まれただけなんだから、これくらいの悪態は許してほしい。
「だが店に戻ったとき、店主は2個で2カラルに負けてやってもいいと言った。だからあんたは前もって店に置いてきた0.1カラルと合わせて林檎1個分の、残り0.9カラルを支払った。」
「……ええ、確かに受け取りました」
店主が静かに答える。言い訳をするつもりもないのか?
「問題なのは、はじめ2個で3カラルだった林檎を、おっさんが1個目の林檎を買った後に2個で2カラルに値下げしたことだ。
あんた、銀行で金を下ろす前に払った金額覚えてるか?」
「さっきも言ったろ!おれは手持ちが1.6カラルしかなかったから、1個目の林檎を買って、余った0.1カラルを……あ…」
そこでようやく男は自分の失態に気づいたらしい。
額に冷や汗が滲んでいる。
「そうだ。つまりあんたは1個目の林檎は、定価の2個で3カラルの値段、1.5カラルで買ったんだ。
んで、2個目を買うときには値下げした2個で2カラルの値段、1カラルで買った。
だからあんたが実際に支払ったのは全部で2.5カラル。店主が提示した2カラルより、0.5カラルも多かったのさ。
あんたの財布から消えた0.5カラルは、そこの店主のポケットの中にでも入ってるよ」
みんなの視線が店主へと集まる。長い前髪と髭の間から覗いた目が、冷たく無感情にこちらを見ていた。
「そういえば、こちらの店に売っている品物、随分破格な値段で売っているのですね。こちらのネックレスだって2カラルですか。確かにこのマーケットの中で高価なものでしょうが、ジュエリーの値段としては安すぎる。
よく見ると宝石の輝きも、金細工の造りも粗いように見える。
黄金の林檎にしたって同じことです。
果たしてその林檎、本当に3カラルの価値があるものだったのでしょうか?」
老人が店の品物を物色しながら店主に言う。じゃあ俺がはじめに見た時、そんな高価なものに見えないと思ったカンはあってたのか。
「お前が…お前がやったのか……!?
だってお前は…お、おれがちゃんと買いに戻ったから、おれの誠実さに答えようって…」
小太りの男が信じがたいというような様子で店主に問う。
しかし店主は何も言わない。
途端、言い訳をするのも面倒になったのか、店主はストリートの奥へと走り出した。
「!?おい待て!!」
逃げられる!
そう思い、とっさに駆け出そうとしたそのとき
「アニータ君!」
ふいに名前で呼び止められた。
振り向くと老人が、自分のステッキを何も言わずに差し出している。
変わらず穏やかな笑みを浮かべて、濃紫の瞳をウインクさせる。
「っ!」
意図を察して無言でステッキを受け取り走りだす。あの爺さん、最後まで人任せかよ。
「どけ!どけぇ!!!」
店主の男は今まで聞いたことがないような怒声を上げてストリートの人込みをかき分けて逃げていく。
委縮したほかの客がストリートの両側に捌けているため、逃げやすいだろうがこちらとしても追いやすい。
だが思いのほか相手の足が速い。このままストリートを抜けられてしまえば、セントラルの広い街中じゃ捜索するのは困難だろう。
「逃がすかよ!!!」
咄嗟に持っていた老人のステッキを店主に向けて投げる。当たったところで大したダメージにはならないだろうから、足元を狙う。
「!?ッうわ!!!」
予想通り、ステッキは店主の足に絡みつき、バランスを崩して倒れこんだ。
「ったく…面倒なことにしやがって」
店主の手を後ろに拘束して馬乗りになって動けないようにする。
ふと顔を上げると、道の端にさっき投げたステッキが転がっているのが目に入った。
(あれ、そういえば俺、名前言ったっけ?)
「…何やってるんですか?」
頭に浮かんだ疑問を打ち消すように、聞き覚えぼある声が頭上から降ってきた。
どうやら事件に巻き込まれる一番の原因を作った人物がやっとお出ましらしい。
「…どこ行ってたんだよ、トーズ」
「質問に質問で返さないでくださいよ。
追いかけっこならこんな狭い道じゃなく他所でやっていただけませんかねぇ?」
トーズがあきれ顔で見下ろしてくる。すごい不服だ。
「言っとくが、これに関しては俺たちは完全に巻き込まれた被害者だからな?…おいなんだその目は。
人をトラブルメーカーを見るような目で見るな」
「自分で問題を作っていないなら、とんでもないトラブルバキューマーですよね、あなた」
「好きでやってると思うかよ。あ、それよりお前が勧めたあの店、売ってた品物ほとんどが偽物だったぞ」
上から目線なこいつに自分の失態を気づかせてやろうと言い放つと、奴からは予想外の返答が返ってきた。
「ええ、知ってましたよ?」
トーズはさも当然化のような口ぶりで小首を傾げた。
「は?」
「はじめに言ったではありませんか。『本当に買う価値のあるものを見定めるのはプロの技』だって。
もちろん、あの店に売っていたものが偽物であることは分かってましたよ。
だからこそ、私はあの店をあなた方に勧めたのですから」
「でもお前、あの金細工は相当腕の立つ職人のものだって…」
「ついている宝石はガラスによるイミテーションでしょうが、あの金細工が素晴らしかったのは本当ですよ?
本当に金でできていればの話ですが。
なんにせよ、その様子だとどうやらこの骨董市がどういった場所なのかよく分かったようですね。
自分が騙される前でよかったですね!」
意気揚々と満面の笑みでトーズは語る。
つまりこいつははじめから全てわかってて、俺たちにこの骨董市の腹黒さをわからせるために仕組んだのだ。
何がトラブルバキューマーだ。こいつが本当のトラブルメーカーじゃないか。
「最低だな。お前ほんっとに最低だ」
ケラケラと笑うトーズに眉をひそめて軽蔑しているとアディマンたちが追いかけて来た。
どうやら警察も連れてきてくれたようなので、このまま詐欺師の店主と被害者の男は引き渡すことにしよう。
ひと段落ついてようやくこの巻き込まれ事件から解放されると息をついたとき、パチパチという軽快な拍手が聞こえて来た。
「お見事です。私の意図を察しただけでなく、これほどまでに鮮やかに捕えてしまうとは。いやはや、思ってもみませんでした」
振り向くと例の老人が優雅に歩み寄りながら手をたたいている。
この爺さん…ほんとに何にもしなかったな…。
事件も解決したことだし一言文句を言ってやろうとしたが、先にトーズの方が口をついた。
「スギラさん!?どうしてここに!?」
「お久しぶりですね、トーズ君」
完全に思考が止まった俺とアディマンを横に二人は挨拶を交わす。
「は?ちょっと待て、トーズ、この爺さん知り合いなのか?」
「ええもちろん!スギラさんには私がバズファクトに来た頃からよくしてもらいましたから!」
もちろんじゃねぇよ、何にも聞いてないぞ。
改めて老人の方を見る。目が合うとそいつはさっきステッキを差し出したときと同じように、愛嬌のある笑みを浮かべてウインクをする。
こいつが…スギラがどうして咄嗟に俺のことを『アニータ君』と呼んだのか。
さっきの疑問の答え合わせがそのままその表情に表れていた。
3話じゃ終わんなかったぁ!
あともう1話、林檎の話つづきます!




