ただいま!
午前七時ちょうど。
関原の自宅では一度だけアラームが鳴って、それから二度、スヌーズが早く起きろと騒いでいた。
三度目の正直でスヌーズを止め、起床した関原は布団の中でモゾモゾと蠢いて、それから大きく伸びをする。
温かい布団の中と比べると室内は少し冷えるが、ベランダのカーテンを全開にし、朝から激しく光り輝く太陽の光を取り込めば、あっという間に室温は上がることだろう。
関原は重い体を引きずって、分厚い布の塊を中央から二つに割ると、視界に飛び込む強い光に目を細めた。
そして、すぐに光に慣れさせた瞳で分厚い硝子越しの人影を捉え、ギョッと目を丸くした。
「ムニエル!!」
関原は、急いでベランダの戸を開けると、大慌てで外へ飛び出した。
「涼君?」
クルリと振り返るムニエルの瞳は闇のような黒で、ふわりと風にたなびく艶やかな髪も漆黒だ。
彼女の背には、人間界へ向かうために天界から与えられていた小さな翼が生えていたが、それも、関原のベランダに降り立つと同時に太陽の光に溶けて消滅していた。
今のムニエルの背中には、何も無い。
相変わらず美しいが、生命力を持ち、人間の美しさを持つようになった彼女は少し俗っぽい。
柔らかで豊満な肢体は色っぽくて、関原を捉えた瞬間、ニコニコと笑顔になる顔は美少女と評するのにピッタリだった。
「私が分かるんですか? 良かった! 涼君!」
姿かたちそのものは変化していないが、髪や瞳の色が大きく変化し、雰囲気も随分と変わってしまった彼女だ。
人間界に戻ってくる前、ムニエルは、今の姿が関原に受け入れてもらえなかったらどうしよう! と、内心ハラハラしていたから、すぐに彼に名を呼ばれたのが嬉しくて堪らなかった。
「んへへ~。涼君! 涼君!!」
だらしなく表情を緩めて、バフッと関原に抱き着く。
それから、ムニエルは透明な尻尾をブンブンと振り、関原の胸にホコホコと上気する頬を押しつけた。
「んふふ~! んふふ~!」
口元を関原に押し付けるムニエルが鼻歌を歌うように笑みを溢し、一生懸命に彼を嗅ぐ。
関原の柔らかい匂いが胸に満ちる度、ムニエルは安心感で堪らなくなり、何度も心地良いため息をついた。
腕には、二度と放さない! とでも言わんばかりの力が込められていて、ピタリと密着するムニエルは関原から温かさを享受している。
彼女は五感を駆使して可能な限り関原を感じ、甘えていた。
今のムニエルの行動、態度は、天使だった頃と比べ、大きく変わらないようで、実際には激しく変化している。
関原は、そんな彼女に面食らって目を丸くしていたが、やがて、ムニエルに笑みを溢すと、優しく抱き返して頭を撫でた。
「おかえり、ムニエル」
関原の姿は、三か月前と何ら変わらない。
懐かしくて優しい彼の声に惹かれて、ムニエルがパッと顔を上げる。
じわりと両の瞳には涙が浮かんだ。
「ただいま! 涼君!!」
明るく返事をするムニエルは、ちょっぴり泣きながら、花のような満面の笑みを浮かべていた。




