恋
『せっかく話をしたいと思ったのなら、そのまま声をかければいいと思うのですが、向こうへ行ってしまいましたか。でも、だからこそ、私の出番なのかもしれません』
ムニエルは再び関原の方へ歩き出すと、今度は一切より道をせず彼の元へとたどり着いた。
クイッと関原のトングを持つ方の手を引く。
「ねえ、涼君、そろそろ食材も少なくなってきましたね。涼君もお肉や野菜を焼くのは止めにして、少し花見でもしませんか? あっちの方に行きましょう。満開の桜がね、綺麗なんですよ」
優しく笑うムニエルが、高山たちの向かった方角を指さす。
関原は少し考えてから簡易テーブルに肉の乗った皿とトングを置くと、それからこっそり、ムニエルの服の裾を一度だけ軽く引っ張った。
ムニエルに表立って声をかけることが許されない関原なりの、彼女への返事だ。
「じゃあ、行きましょうか。涼君、私について来てくださいね」
ニコリと頬を引きつらせるムニエルが、足取りだけを軽くして関原の前を歩く。
天使は恋愛が好きだ。
恋に燃えている人間が可愛いから、というのもあるが、何よりも恋愛は人間を成長させてくれる。
これまで他者に触れようとしてこなかった人間も、恋心を抱いている人間にだけは興味を持って、積極的に関わろうと試みる。
相手の心を知ろうとして、言葉を交わす。
好かれようとして自身の言動、立ち振る舞いを変化させる。
他者への理解を通して己を知る。
他人と時を過ごす術を学ぶ。
人間と共に過ごす苦痛を知ると同時にかけがえのない喜びも学ぶことができたなら、その時に抱いている恋が成就する、しないに関わらず、対象者はこれからも親しい人や恋人をつくるように変化していくだろう。
一人きりでも、本人なりに努力して生きていくことができるようになるだろう。
それが、ムニエルたち天使共通の見解だった。
そして、天使は人間と親しくなることはできても恋をすることはできないから、対象者の恋愛相手は、誰かほかの人間に。
これもまた、天使たち共通の理解だった。
だからこそ、ムニエルは関原と高山を恋愛関係に発展させるため、彼をバーベキュー会場から連れ出した。
高山の存在は、本来、ムニエルにとって何よりも有り難いもののはずだった。
『どうして、こんなにワクワクしないんでしょうか。もしかしたら、高山さんが涼君にとって何よりも大切な人になってくれるかもしれないのに』
本来ならば、鼻歌でも歌うように弾む心臓がギュッと握り潰されたまま、音だけを強く鳴らしている。
関原の隣でニコニコ笑い、彼と手を繋ぐ高山を想像すると呼吸が止まって、背中にダラダラと冷たい汗が流れた。
冷たい涙まで、大きな瞳からボロボロとこぼれ落ちそうだった。
『体も、感情も、感覚も。全部おかしくなってます。どうして、本当に、どうしてなんでしょう。明君の時も、花ちゃんの時も、いつでも私、微笑ましいって、そればっかりだったのに』
今までの対象者を思い出す。
幼いなりに誰かに恋心を抱いて、その相手をコッソリ教えてくれる対象者のはにかみがムニエルは大好きだった。
愛おしくて堪らなかった。
反対に、対象者が他者に恋愛感情を抱かれると、誇らしくて、嬉しくて仕方がなかった。
心がポカポカと温まって、幸福だった。
それが、今は身体がちぎれてバラバラになってしまいそうなほど苦痛にさいなまれていて、普段は笑顔を浮かべている表情だって酷くこわばっていた。




