天使にあるまじき欲求
最近のムニエルは様子がおかしい。
彼女は孤独対策課の天使として、対象者のために家事を行ったり、健康を管理したりと必要最低限の仕事は行っているものの、肝心の関原のこととなると著しくポンコツ化し、駄目になっていた。
『涼君が帰ってくるまで、あと十時間近くもあるんですか。うぅ……長いです』
朝食後の食器洗いを終えたムニエルが時計を眺め、重い溜息を吐く。
カチカチと音を鳴らす秒針が通常の二分の一以下の速度で動いているような気がして、もどかしくて堪らなかった。
『涼君、早く会いたいです』
つい、二十分ほど前に、ふわりとムニエルに抱き着いてから家を出た関原の存在が恋しくて堪らない。
『このままボーッとしていても寂しいだけ。それに、天使としてのお仕事もあります。大人しく家事でもして、時間を潰しますか』
ムニエルは気合を入れ直すため、自身の両頬を軽く叩くと、それから午前中に洗濯物を済ませてしまうため、脱衣所へと向かった。
今日の洗濯物に慎重に取り扱わなければならない衣類はない。
ムニエルが汚れた衣服の溜まったカゴの中身を、そのまま洗濯機にうつしていると、不意に関原の白いTシャツが一枚、彼女の手から滑り落ちて床の上に転がった。
『あらあら、ちゃんと拾って洗わなくちゃですね~』
呑気に笑って洗濯物を拾い上げる。
それから、ムニエルは拾ったシャツを洗濯機に入れ直す……と見せかけて、おもむろに汚れた柔い布を鼻先に押し当て、思い切り嗅いだ。
熱心に鼻を動かし、ポリエステルの布越しに空気を取り込むムニエルは安らいだ表情をしていて、非常に幸せそうだ。
『ちょっと汗っぽくて刺激的な涼君の匂い。良い匂い……って、私はいったい何を!?』
三分ほど、さんざん関原の衣服を堪能した後、ようやく正気に戻ったムニエルが大慌てでシャツを顔面から離す。
激しく嗅いだせいで過呼吸気味になっているムニエルの顔色は興奮も相まって真っ赤になっており、しっかりと熱をはらんでいる関係で、鏡を確認するまでもなく自身の様子が分かるほどになっていた。
『ま、まさか、この天使たる私が、ちょっとした欲求すら抑えられずに他人様の衣服を嗅ぐなどという、変態的行為に及ぶなんて! というか、天使様たる私が、衝動的に他人様のお洋服を嗅ぎたくなるなんて!! どうして!?』
関原の衣服を嗅ぎたいと思ってしまったことから、実際に嗅いでしまった一連まで、その全ての事実を天使ムニエルは受け入れられない。
しかし、そうだというのに、いまだに洗濯機に入れられた関原の衣服の数々がムニエルの目には宝の山のように映り、心惹かれてならなかった。
『あ! 涼君の、下着……欲し……駄目です、天使ムニエル! そこに手を出したら天使として、というか、知的生命体として持つべき尊厳とか理性とか、そういうのがバッキバキに壊れちゃいます! 駄目! 駄目!!』
思わず関原の灰色いトランクスの方へ伸びそうになった手を、もう片方の手でつかみあげ、愚行を食い止める。
自身に恐怖を感じたムニエルは、急いで持っていたシャツを洗濯機に投げ入れると、それから、洗剤と柔軟仕上げ剤も放り込んで機械のスイッチを入れた。
大量の水の中で掻き回され、洗われ始めたことで触れられなくなった宝の山を見て、やっとムニエルは安心を覚えることができた。




