戦略的幼児退行
宣戦布告から数日後。
ムニエルは関原に酷く困らされる日々を送っていた。
「俺は決して成長しない」
その言葉を象徴するかのように、関原がわざと幼児退行的な態度をとるようになったのだ。
「ほら、ムニエル、早くしろよ。俺だって恥ずかしいんだからな」
真っ赤な両耳を黒髪の隙間から覗かせる関原が、偉そうに言って催促する。
彼の目の前には、いつも通り、非常に美味しそうな夕食が並んでいる。
いつもと違うのは、箸を持って食事を進めるべき関原が両腕を組んだままジッとムニエルを見つめていることだ。
「ねえ、涼君。やっぱりやめましょう。変ですよ。私にご飯食べさせてもらいたい、なんて!」
「別に変じゃねぇだろ。お前だって、初めて家に来た時、俺にメシ食わせようとしてたじゃねえか。良かったな、俺の世話を焼くことができて。あ~んしたかったんだろ? ほら、しろよ」
「別に、したかったわけじゃありませんよ! 食べ方が分からないなら、食べさせてあげなきゃいけないって思っただけです! でも、涼君はちゃんとご飯食べられる子だったでしょう。数日前まで、一人で普通にご飯食べてたじゃないですか!」
「じゃあ、急に食えなくなったんだよ」
「そんなわけないでしょう! あれ? そ、そんなわけないですよね!?」
ムキになって争って、それから、本当に関原が箸を使えなくなったのではないのかと心配したムニエルが取り乱す。
関原がガシャガシャと面倒くさそうに頭を掻いた。
「うるせえな。食わせてもらいたいものは食わせてもらいたいんだよ! 言っとくけど、俺はムニエルが飯を運んでくれるまで、何も食わねえからな」
腕を組み直す関原の態度は傲慢だ。
ムニエルは余計に狼狽えた。
「どういう反抗なんですか! それ、困るのは涼君ですよね!」
「でも、ムニエルだって困るだろ。お前は心優しい天使様だから、救済対象がやせ細ってく姿を見てられねえもんな」
勝ち誇ったように関原が笑う。
彼の言う通り、ムニエルは弱りゆく関原を見捨てられない。
ムニエルの手からしか食事をとらないというのならば、ムニエルは関原の天使として「彼の望む形」で、彼にご飯を食べさせなければならない。
それを分かっているからこそ、ムニエルは何回も文句を言って、けれど毎日、彼に直接食事を食べさせていた。
今日もニヤニヤと笑う関原を前に、ムニエルは悔しそうに唇をかみしめながら迷って、スプーンを持つ手を彷徨わせている。
関原は、そんな彼女の左手をおもむろに掴むと、持ち上げて柔い指先をパクッと食んだ。
「キャッ! 涼君!? 何をして……本当に何をしてるんですか!」
加えた指をカプリと甘噛みしたり、軽く吸ったりし始める関原を見て、ムニエルがギョッと身を引く。
しかし、関原はムニエルの手をギュッと握ったまま、決して放さなかった。
ムニエルの赤く染まりゆく顔面をゆっくり眺める関原が、ニタリと悪戯っぽく口角を上げる。
「いや、いつまで経ってもメシくれねえから、代替物をつまもうかと思って。ちょっと空腹紛れるな、コレ。甘い」
「そんなわけないでしょう! 天使の指に味はありますんよ! お腹がすき過ぎて、おかしくなっちゃったんですか!? わ、分かりました! あげます! ご飯をあげますから、落ち着いて! 指は食べないでください!!」
嬉しそうに笑って真っ白な指先をカプカプと噛む関原に、困惑の極まったムニエルがちょっぴり涙を浮かべた。
観念したムニエルが大人しく食事をスプーンで掬うと、それを見た関原が満足そうに彼女の左手を放す。
そして、少々くすぐったそうにしながらムニエルから食事をもらった。




