関原涼
関原は、虐待を受けて育った。
虐待の内容はネグレクト。
両親は幼い関原に興味がなく、数日に一回、小さな子どもに与えるには随分と多い食料を冷蔵庫に詰め込んでおくことと、たった一度、誕生日に犬のぬいぐるみを買い与えたことを育児と呼んでいた。
シャワーは使用できたものの、小学生未満の子供に浴槽の掃除は難しかったため、湯に浸かるということはできず、洗い残しの多く残る体を洗濯されていない衣服で包み込んでいた。
埃と虫の死骸が散乱する部屋で飲食し、おねしょ跡の残る布団で寝起きする関原は、酷く不衛生だった。
コミュニケーションも欠落していると言っていいまでに不足しており、関原が同年代の子供と初めて会話をしたのは小学校一年生の入学式だ。
しかし、明るく話しかけてくれた子どもにうまく返事ができず、加えて、相手の親に無遠慮に見られ、睨まれたために心に傷が生じる。
関原は、無意識に他人との接触を怖がるようになった。
彼の生活は小学校に入学してからも変わらず、常に不衛生なままだ。
学校でも、関原の状態が他の子供と比べて「おかしい」ことが問題になっていたのだろう。
おそらく、学校側が何らかの働きかけを行ったことで、関原の家には児童相談所の人間と思われる者たちが訪れるようになる。
だが、指導を受ける関原の両親は常に上の空で、効果は全くと言っていいほどなかった。
加えて、関原には一応、食事等が用意されており、暴力等も与えられていなかったから緊急性が低いと判断されたらしい。
関原が、小さくて、冷たくて、寂しい家から救い出されることはなかった。
両親は頼ることができない。
担当教員、養護教員らには栄養、衛生状態の悪い姿と「かわいくない」態度が原因で嫌われた。
家庭訪問だけを繰り返し、関原の頭を撫でることも無かった施設の人間にも、信頼がない。
大人はもちろん信用ならなかったが、子供だって敵だ。
関原は同級生にも仲間外れにされてしまい、いじめを受けた。
他学年、他クラスの生徒らにも嫌な目でジロジロ見られ、避けられた。
関原は誰とも信頼関係を築くことができないままで、身長だけを大きく膨らませていった。
そんな、寂しくて苦しいばかりの子供時代の救いが、しば吉だった。