【後日談5-1】しば吉
夜中、ムニエルは安らかに閉じた瞼を小さな光に攻撃されて、目を覚ました。
ぼやけぎみの視界の先には、クローゼットの前に立つ関原がいる。
彼は、薄い暗闇の中で何かを抱え、じっと見つめていた。
『あれは……しば吉?』
小さな光に反射してキュルンと光るつぶらな瞳は、まさにしば吉の物だ。
モフモフとした毛並みを確かめるように触れる関原の手つきは優しげで、ほんの少し、寂しそうに見える。
『あんな風に見つめて、大丈夫なんでしょうか?』
以前、ムニエルに、しば吉の存在を引っ掻き回された時、酷く泣いて心を傷つけていた関原だ。
見るだけでも苦しかったソレを手に取ってしまって平気なのか、ムニエルは不安で仕方がなかった。
『大体、普段は宝物だけど見たくないって仕舞い込んでいるしば吉を、どうして急に? まさか、捨てる気なんじゃ……』
この日の昼、ムニエルは断捨離をしていた。
それを見守る関原は、テキパキと掃除をするムニエルに感心しながら、
「俺も、いらないものは捨てちまおうかな」
と、小さく呟いていたのだ。
『涼君、元々、あまり物を持たない主義なのに、これ以上ものを減らしてどうするんだろうって思いましたが、まさか、しば吉を……?』
しば吉は関原の心をかき乱すトラウマの塊だ。
だが、それでも、ノート同様、高校生のある時点まで関原の宝物で親友だった、しば吉だけは、どうしても、捨ててほしくなかった。
『捨てちゃ駄目ですよ、涼君。それだけは、自分の意志で、持っていて。お願いですから』
祈ったって、関原の意志は変えられない。
もう、彼の心を記したノートは読めないから、思考を知ることはできない。
それでも、関原がしば吉をゴミ袋に放り込んでしまう姿を見たくなくて、ムニエルはギュッと目を閉じた。
数分後、ゴソゴソと物音が聞こえ、自分の隣が少し冷たくなる。
涼しい人肌は、布団の外で冷えた人間のものだ。
チラリと隣を確認すれば、しば吉をギュッと抱きしめる関原がいた。
しば吉をシッカリと胸に抱きながら自分に引っ付いてくる関原が可愛くて堪らない。
ムニエルは、シュッと手を伸ばして、ぬいぐるみを抱く関原を胸の中に閉じ込めた。
「ムニエル、起きてたのか?」
少しの沈黙の後、関原が小さくムニエルに問いかける。
ムニエルは、小さく頷くと彼の頭を撫でた。
「ついさっき、何となく、目が覚めたんです。涼君が抱っこしているの、それ、しば吉ですよね。もう、平気なんですか?」
常夜灯の下、不安そうな表情のムニエルが関原の顔を覗き込む。
関原の腕や素足に触れる体は、どこも酷く冷えて汗をかいていないことを確認して、むしろホクホクと温まっていく肌に、少し安心をしている。
今度は関原が小さく頷いた。
「ああ。何となくな、ムニエルが断捨離してたから、何となく、俺もって、ほとんど持ってない昔の物を引っ張り出してたんだ。んで、何となくとっておいてた、昔の数枚の写真とか、そういうのは、やっぱ俺にとって、どうでもいいものになってた。でも、そんな風にしてたら、なんか急に、しば吉の顔が見たくなって、それで、多分十分くらい、物置のとこで、しば吉の顔を見てた」
「どう、でしたか?」
相変わらず不安そうなムニエルに、関原がニッと快活に口角を上げる。
「そんなに心配すんな、ムニエル。大丈夫だ。しば吉はさ、俺にとって、かわいくて仕方がない、アホな柴犬に戻ってたから。もう、大丈夫みたいだ」
関原の大きな手のひらが、優しくムニエルの頭を包み込む。
ポフンと犬を撫でるみたいに撫でられて、ムニエルは、ホッと笑みを浮かべた。