ep5. それぞれの思惑
「なんてことだ…」
父は魔法帝国の元皇女、エステルの記憶を共有して深い後悔を覚えているようだった。
「…あの子、どんな思いでここに来たのかしら…」
「……本当に申し訳ない提案をしてしまったね」
母も兄上も、同じような状態。
俺もまたその一員だった。
言葉で聞いただけでは信じ難いものばかりだった。 だからこそ半信半疑で感情も移入出来なかった。
だが今回の裁判で、実際にエステルの魔法を使って記憶の共有をしてみて、実際に体験したような気持ちになった。
本当に体験したのは彼女だけだと言うのに。
「しかもあの魔法…見たことがない魔法だ…。あの皇女をどうするべきか…」
「…提案があるのですが……」
「言ってみろ」
「彼女は今、貴族としての【普通】を知りません。そして彼女は、本来であれば多国で恨みの対象となる国の皇女です。彼女には衣食住を提供する代わりに、国の強化に携わってもらうのはどうでしょう」
「ほう…もう少し詳しく聞かせてみよ」
幸いにも父が興味を示してくれた。
「彼女は魔法の知識が豊富と見ました。その知識と先程体験した実力を、今我が国で問題になっている魔物の討伐に使ってもらうのです。彼女には申し訳ないですが、知識を授けたり討伐に協力してもらって実績を積むことが彼女がこの国で生きていける唯一の方法かと」
「確かにそうだが、皇女は生を望んでいるわけではないのだろう?」
「仮に望んでいなくとも、彼女の知識と実力には価値があります。生かしておいて得こそあれど、損はありません」
先の裁判で初めて知った。
エステルがまだ俺より2つも下の13という年齢であることを。
その年齢で、エステルは人に生死を預けてしまえるくらいに、何に対しても無頓着になってしまった。
同情せざるを得ない境遇だった。
だがエステルはきっと同情を望んでいない。
切に願っていたのはあの一度だけ。
あの牢屋という場所、そして魔法帝国の皇族という存在、あるいは国自体からの【解放】
今まさに、その【解放】が叶ったエステルには、生に執着する理由も死に拘る理由もないのだろう。
「まあそうだろうな。一先ず明日、魔法師たちの元へ皇女を連れて行かせる。トユク帝国の魔法師たちは魔法帝国の魔法師たちと比べて力の差は歴然だからな」
「私が皇女を連れて行きましょう」
間髪入れずに言ったのは、一番何を考えているかが読み取れない兄上だった。
「…いえ、ここは連れ帰った責任を持って俺が「いや」」
俺の言葉を遮ったのは皇帝で、少し考える素振りをしてから言った。
「皇女の人となりを知る良い機会だろう。もしかするとアイザックの前でだけ殺されないよう演じているだけかもしれんしな」
「ですが…!「アイザック」」
「っ!」
「ここは私に任せてくれないかな。私にもあの子を知る機会が欲しいんだ」
「っ…」
何を考えているか分からない、思考の読めない男だからこそエステルを視界に入れるのはなるべく避けていたと言うのに。
昨日の裁判のせいでその努力も水の泡になってしまった。
物珍しいものを見つけた時の兄上は何をしようとするか分からない。
良い意味でも悪い意味でも時期皇帝に向いている性格だ。
それに、別に嫌いではない。
むしろ尊敬の念さえ抱く兄上に、これ以上反論など出来なかった。
「よしっ、決まりだね。父上、母上、それでは明日は私が皇女をお迎えにあがりますね」
「ああ、頼んだぞ」
◇◇◇
「エステル、おはようございます。気分はどうですか?」
「もう大丈夫です。ありがとうございます。エミリー」
「良かったです」
「……私が魔法を使えることについて、何も聞かないのですか…?」
あまりにもエミリーがいつも通りに話してくれるものだから、つい聞いてしまった。
重たい目を擦りながら返事を待っていると、エミリーは慈悲の目を向けて微笑んだ。
「エステルが聞いて欲しくないのであれば無理に聞くことはしませんよ。だからそんなに不安そうにしないでください」
「へっ…?」
エミリーが持ってきてくれた顔を洗うために洗面器に汲んでくれた水の中を覗くと、そこにぼやぼやと映るのは、エミリーの言った通り不安そうな顔をしている私だった。
確かに、不安を見せた顔で聞いてしまうと、『聞かない』と言わざるを得ない。
なんだか強制してしまったようで申し訳ないと少し反省した。
「顔を洗い終えたら朝食にしましょうか」
「はい」
顔を洗っていつものように胃に優しい朝食を頂いた後は本を読んで時間を潰した。
私にとって、本を読む行為は贅沢だった。
今は命令がない限り皇宮の外はもちろん、部屋からも出てはいけないことになっているので本を読むくらいしかすることはない。
とはいえ、牢屋の中にいたときはもっと暇だった。 本なんて贅沢なものは勿論なく、暇を潰せるのは自身の魔法の練習のみ。
衛兵にバレるのも嫌だったので、それこそ魔法で衛兵を眠らせ、その隙によく魔法の練習をしていたものだ。
本は一度読めばずっと集中して読んでいられる。
次に意識が時計の方へ向いたのはエミリーに声をかけられてからだった。
昼食も牢屋にいた時とは比べ物にならないほど美味しいものばかりだ。
腐っていないだけでも有難いのに、美味しくて胃に優しいものをと気を遣ってくれ、1日に3食も食べられる。
味わいながら食べて完食するとエミリーに喜ばれるのは、初日に完食出来なかったからだろう。
昼食を食べてからはエミリーに魔法を見せてほしいとお願いされたので言霊の魔法を使って天井に星空を映し出した。
「とっても綺麗です…、どうしてこんに綺麗な魔法を使えるエステルが酷い扱いを受けなければ…」
「仕方がありません。祖国の人にとっては私は無能な人間で、彼ら…トユク帝国の皇族の方々からすると、価値が無くなったら捨てる使い捨ての戦利品でしかありませんから」
今ならどうして私が魔法を使えない人間だと判断されたのか分かる気がした。
おそらく魔法の素質が高かったのだ。
私の魔力属性は無属性なので魔力の色は透明だった。
しかも、魔力の素質が高ければ高いほどそれは純度を増す。
その純度が私の場合高く、少しも濁ることなく色がつかないように見えたのではないかというのが、私の仮説だった。
けれど結局、どこに行っても私自身を必要としていないのは明白だった。
そこは弁えているし、悲しむことも全くない。
だがエミリーはどうやら違うようで、まだ出会って間もない私のために怒りを滲ませてくれている。
「…エステルは幸せになるべきですよ……」
「エミリー、私は今のままで十分です。部屋も服も用意されていて3食必ず出してくださる。本も読めてお風呂にも入ることが出来て体を清めることも出来ます。これほど良い環境なんてありません。それに、今はエミリーがいます」
例え私を探るためだとしても、監視役だとしても、目を合わせて会話をする必要もなかったエミリーが、私とこうして話してくれている事自体、感謝するべきことだった。
あからさまな態度を取っても良かった。
私に情報を吐けと手を上げても良かった。
侍女の真似事なんてやめて、餓死寸前まで食べ物を持ってこなくても良かった。
物置とは言えど綺麗で清潔感のある部屋も
毎日洗濯されてあるどこからともなく来る新しい服も
冷水じゃなく温水を浴びることの出来るお風呂も
全て無くても不思議ではなかった。
何故なら、私が魔法帝国の人間だから。
なのに、その全ての可能性を無視して、エミリーは歩み寄ってくれて、そんなエミリーを私は悲しませたくないから。
「エステル…、…っ、私は…!「エステル皇女」」
悲痛な表情でエミリーが何かを言おうとした時、聞き覚えのない男の声がした。
しかし、その男の人の正体はすぐに分かった。
私が聞いたことのある声は第二皇子と皇帝陛下の2人。
つまり、私が聞いたことのない男の声は第一皇子殿下と国を支える主要貴族たちしかいない。
そして私という存在がこの部屋にいることを知っている人。
そんなの1人しかいない。