ep51.溢れそうな愛の行先は
◇◇◇
「エステルはどうだった?」
訓練場に戻ると、エステルの代わりに魔法の指導をしている兄上が聞いてきた。
俺が訓練場を抜け出して駆け出す用事といえばエステルのことしかないため兄上も分かるのだろう。
「問題無さそうです。ただエステルは、まだ自分には魔法しか価値が無いと思っていそうな様子でした。俺に聞いてきたんです。『魔法が使えなかったら私は捨てられるか』と」
「…っ、そう思わせてしまったのは私たちの責任だから、もっとエステルに自分がどれだけ凄いことをしてるか分かってもらわないとね」
「ええ、俺も同感です。なので、エステルに外出の許可が降りたら街の人たちの前に顔を出してもらおうかと思っています」
「ああ、そうだね。自分で見聞きするのが1番だ」
今はこうして【エステル】という共通の話題で普通に話しているが、エステルが来るまでは、あまり会話を交わすことはなかった。
そもそも、俺は剣、兄上は魔法を極め、他にも出来ることが多かった。
その時点で俺は次期皇帝になる気など毛頭無かったし、何をしようと兄上に敵わないことは、はなから分かっていた。
嫉妬と尊敬の念を同時に抱いている兄上に、年を重ねるにつれて、どう話せば良いのか分からなくなっていた。
だが、そんな時にエステルが来た。
エステルはよく俺たちの会話の中に出てきた。
【心配】だったり【尊敬】だったり、時には自分の身を犠牲にしてでも人を守ろうとするその姿に【恐ろしさ】や【残酷さ】さえ覚えた時もあった。
エステルが亡くなったら悲しむ人がどれだけいるのか、エステルは本当に分かっていない。
…いや、頭では分かっているのかもしれない。
それでも自分のことが二の次になるのは、俺たちがエステル自身を犠牲にせざるを得ない状況に追い込んだことや、祖国での境遇もあるのだろう。
(俺は、初めて会った頃エステルに【戦利品】と言ってしまったこと、一生後悔して生きていくんだろうな…今まで自分の感情さえも捨ててしまったエステルを、これから幸せという気持ちで満たしてやれるように、俺は人生を賭ける)
「エステルには身の程を知ってもらいましょう。自分がどれだけのことをしてきたのか。どれだけ国民や俺たちに愛されるべき存在なのか」
「そうだね。…さあ、休憩もそろそろ終わりだ。訓練を再開しよう」
「はい」
こうして俺たちは、今日もいざという時にいつでもエステルを守れるよう訓練を重ねた。
国のために何かをするのが皇族なのに、1人の女性のために努力をするのは、少し滑稽に思えた。
だが、それ以上に、彼女1人守れなくては、国を守ることなど当然無理だから。
だから、俺たちは今日も剣を振るった。
その日の夜、思ったより仕事やらが長引き、エステルの部屋に行く時間が遅い時間となってしまった。
小さくノックを鳴らすが案の定反応はなく、もし体調が悪くなっていてはいけないからと、音を立てないよう入室した。
騎士として暗闇の戦闘も慣れているため、すぐに夜目が効いた。
エステルはスゥスゥと気持ちよさそうに眠っており、ホッと胸を撫で下ろす。
今でも時折り体調が悪くなる時があり、そんな時は大体布団の中で丸まって胸を抑える仕草をするのだが、今日はその気配はない。
すると、エステルは仰向けの状態から俺がいる方へと寝返りを打った。
雅な髪色なことが夜でも分かる。
鼻筋が通っていてまつ毛の長い彼女は眠っている姿も綺麗で美しい。
色白な肌にそっと添えるようなピンクを載せている彼女の頬に優しく触れると、それはとても柔らかかった。
同時に、エステルは良い夢を見ているのか、目を瞑りながら笑みを浮かべて、頬をすりすりと俺の手に当てている。
(…っ、可愛すぎるな…)
無防備な愛らしい姿のエステルの表情は、いつもよりずっと柔らかい。
この表情をこの先ずっと守っていきたい。
(そのために俺は騎士になったのかもしれない)と、本気で思った。
以前の俺なら、強くなる理由は存在しなかった。
自分に才能があったのが剣技だったから行ったまでのこと。
だが今では、守りたいものが出来た今は、そのために強くなろうと思える。
これもまた、エステルのおかげだった。
「愛してるよエステル。心の底から…。溢れ出すこの愛をどうあなたに伝えたら良いのか」
以前の熱すぎる頬ではなく、人が快適に過ごせる体温で安心する。
エステルが気持ちよく眠れる日が来て本当に良かったと思う。
目覚めた次の日の夜、エステルは魔力回路が雑多になった影響で来る激痛に必死に耐えていたあの日。
俺はまだ心配でエステルの側で眠っていたため、エステルの異変に気がつく事が出来た。
すぐにメイハムを呼ぼうと思ったが、エステルが閉じられている瞳の間からポロポロと雫を溢し、俺の名前を呼んでいたのだ。
『エステル、どうした?俺ならここにいる』と、エステルの手を包み込んで言う。するとエステルは『つか、れた…』と口から溢した。
その時初めて、エステルから【疲れた】と聞いた。
エステルは常日頃から、負の感情を表に出さず、大抵が人を励ます側に周り、自分の感情も巧みにコントロールしてしまう。
勿論のことそれが悪いわけではない。
貴族社会を生きる上で必要なものではあるし、その力はきっと大きなメリットになる。
ただ、家族の前でも負の感情を出さないことが問題だった。
そんなエステルが、意識の朦朧としている中で初めて溢した言葉。
おそらく夢だと思っていることだろう。
現実だと知れば、エステルの言わない言葉だ。
だがここは現実で、【疲れた】という言葉を聞いたのも事実。
エステルは疲れている。
やっと、エステルの口から聞けた。
『ヒュー、ヒューッ』と呼吸のしづらそうな様子で、必死に伝えてくれた一言を、俺は噛み締めた。
『ああ、大丈夫。大丈夫だ、エステル。頑張ってくれてありがとう。すぐ楽になるから、身体を俺に預けて。…そう、上手だね。寝てていいよ。大丈夫。ここに貴女を害する人間はいない。だから安心して、エステル。もう1人で頑張らなくていいんだ』
瞬間、エステルの強張っていた身体から少し力が抜けるのを感じた俺は、隣の部屋で待機していたメイハムを呼びすぐに痛み止めを処方してもらった。
するとエステルの身体から完全に力が抜け、先より少し楽そうな呼吸で眠りに着いた。
これまで俺は、エステルの色んな姿を見てきた。
可愛い姿、かっこいい姿、愛しい姿、すぐに消えてしまいそうな、怖く残酷な姿、全てをひっくるめて、俺はエステルが好きだ。
俺の溢れんばかりの愛を伝えられるように、俺はエステルが悲しまないよう、エステルのことも俺自身も大事にしていくことが、重要になっていくだろう。
エステルの頬にキスを落として、俺は静かに部屋を出た。
◇◇◇