ep40.トリステッツァ・シェラード《トリステッツァ視点》
ずっとわたくしの世界は、お父様やお兄様、家族を中心に回っていました。
『私から妻を奪っておいて、呑気に生きられると思うなよ、小娘』
物心着いた時に初めて言われた言葉はこの言葉だったのを覚えています。
お母様は、わたくしを産んで程なくした後に、亡くなってしまいました。
わたくしを庇ってくれる乳母は、『元々お母様はお身体の弱い方でしたから』と説明をしてくれます。
それでも、お父様やお兄様から言われる、『お前が殺した』と言う言葉が、わたくしを呪う言葉となっていました。
だからわたくしは、お父様やお兄様の大切な人を奪ってしまった【償い】をしなければいけないのです。
お父様のために、お兄様のために、わたくしは学べることは全て学びました。
魔法、座学、勉学、全てにおいての【完璧】を求め、無事にわたくしは、国1番の教養を手にすることが出来ました。
そうして、その知識を国や社交界で発揮し、発展を手助けしていたある日、父上にお呼び出しを貰いました。
わたくしは内心、褒めてくださるのではと、淡い期待を抱いていました。
ですが、言われた言葉は思ってもみない言葉でした。
「呪術を習え」
「えっ…」
「一度で聞けないのか、愚図な…。呪術を学べと言ったのだ。これ以上は言わせるな」
もちろん、わたくしは全てにおいて完璧を目指しました。
なので勿論のことながら知っているのです。
呪術がこの国、ましてや、世界全体で共通の禁忌とされていることを。
「ですが、呪術は禁忌とされて…「黙れ!」」
ビクリと身体を震わせ、お父様の目を見た時、わたくしは悟りました。
(ああ…、そうなのですね…。わたくしがどれだけ頑張ろうとも、お父様はわたくしを見ないのね)
わたくしがどれだけお父様の瞳を真っ直ぐ見ようとも、お父様がわたくしの方に目をやることありませんでした。
けれど、これもわたくしがお母様を死なせてしまったせい。
だから償わなければいけませんわ。
それがお父様を助けることによって、少しでも償えるのであれば、わたくしは…
「…申し訳ありません。独自で調べ、必ず呪術を我が物にしてみせます」
お父様はそれ以上何も言わず、書類に目を向けました。
わたくしは「失礼致します」と頭を下げて、お父様のいる書斎から出ました。
そんな時、偶然、わたくしの唯一の支えとなっている、ウィルが通りかかりました。
「王女殿下、…?お元気がないように見えます。お茶をご用意しましょうか?」
奴隷として生涯働かされそうになっていた、わたくしの幼馴染。
最初で最後の我儘で、どうにか専属の執事として雇用してもらいました。
代わりに、わたくしは物置部屋で数日閉じ込められましたけど、それでも、救わなければいけないと思ってしまったのです。
初めは幼馴染としての態度が中々抜けなかったウィルですが、今ではこの通り、主従関係になりました。
それが少し寂しいと思ってしまうのは、まだまだ、わたくしが償わなければいけないという心が足りないのでしょう。
(けれど、今だけ、明日からまた頑張るから、今だけは、どうか…)
「ええ、お願いするわ。ウィル」
ウィルがいてくれなければ、今頃、わたくしは壊れていたかもしれません。
ウィルには、ずっと感謝しています。
そして、わたくしの全てを分かってくれている。
「今日、陛下と何をお話しされたのですか…?あまりに浮かないお顔でしたので。お聞きしてもよろしいのでしたら、この私めに、お聞かせください」
これを言ったのが普通の執事や侍女だったなら、わたくしが話すことはなかったと思います。
けれど、わたくしの専属の執事で、唯一の幼馴染である彼には、話す以外の選択肢はありませんでした。
話の一部始終を聞き終えたウィルは、必ずわたくしに優しい言葉をかけます。
「王女殿下は、既に多くのことを学び、日々精進を重ねておいでです。…それでも、陛下の御心に従うのならば、私もお供いたします。私の命は既に、救って頂いたあの日から殿下と共にあります。学ぶのであれば、私も一緒です」
「…!」
ウィルのくれる言葉がくすぐったくて、思わずいつも笑ってしまいます。
ウィルと話す時間だけが、わたくしが本当の笑顔を浮かべられる、唯一の時間でした。
「ふふっ、重すぎる忠誠心だわ。けれどそうね…、あなたがいれば不安に思うことはないわね。お父様にバレないように、手伝ってくれるかしら?」
「もちろんです、殿下」
次の日から、わたくしたちは呪術の勉強に勤しみましたわ。
そして数ヶ月の時を経て、ようやく学び終えることができた時、トユク帝国に向かえとの指示が、お父様とお兄様から出されました。
その日の夜、久しぶりに、わたくしはお父様とお兄様と、お食事をご一緒しました。
何か良いことが起こるのではないかと、そんな当たりもしない予感がしたのです。
「トリステッツァ」
「はい、お父様」
お父様がわたくしの名前を呼ぶのはいつぶりだろうかと、ひそかな喜びに浸っていた時、思わぬことを言われました。
「トユク帝国で、皇子のどちらかを、学んだ呪術で虜にしろ。そして我が国に服従を誓わせるのだ」
「…!どうしてですか…!我が国と帝国は同盟を結んでいるのでは…、まさか、この時のために……」
「はあ、それも何百年も前の話だ。私の代で結んだわけではない。それを破ろうが知ったことではないだろう。それに、トユク帝国は、魔法帝国の皇女がやってきてからより豊かになっている。対してここはどうだ?作物の不作のせいで税金を満足に回収することも出来ん。このままでは衰退の道を辿るしかなくなる。お前にかかっているんだ。出来るな?」
有無を言わさない質問に、わたくしは首を静かに縦へ動かすことしか出来ませんでした。
夕食を食べ終えた後、自室へ戻ろうと思い、重たい足を運んでいたとき、「おい」と低い圧の効いた声が廊下に響きました。
「…はい、お兄様」
「お前、この任務に失敗したら、殺すからな」
「っ!?どうしてですか…!」
思っても見ない、ある意味余命宣告のようなものに、わたくしは強い疑念を覚えました。
お兄様は腹立たしい気持ちを隠しもせず、わたくしに言いました。
「はあ?分からないのか?お前が全ての罪を背負うからだろうが。【トユク帝国へ向かい、相手国の皇子に呪いをかけたのはトリステッツァ単独の行動】これなら、ヘイトはお前にしか向かないだろ?我ながら良い案だとは思わないか?トリステッツァ」
わたくしは、自分の気持ちを押し殺して、微笑を浮かべました。
「…とても、良い案だと思いますわ。お兄様」
「だろう?ということで、任務は絶対成功させろ。…まあ、成功させたところでお前に何が待っているかは分からんがな」
それだけ言い残し、お兄様は踵を返して去っていきました。
さきよりも重たい足をどうにか動かして、自室へ辿り着きました。
それからどう過ごしたのかは、よく覚えていません。
次にわたくし意識がはっきりしたのは、トユク帝国へと出向く日でした。
見送りには、乳母だけが、来てくれました。
わたくしは最後になるかもしれないと思い、久しぶりに乳母にハグをして、馬車へと乗りました。
成功させなければ【死】、成功しても、この先、今までと同じような生活が続くかもしれない。
(だったら、わたくしが生きている意味は、一体どこにある、……いえ、違うわ…だってこれは…)
【償い】なのですから。
わたくしが、お母様を死に追いやった償いをするために、お父様とお兄様の命に従うのです。
根本を間違えていては、この先生きるのを諦めてしまいたくなります…だから、ちゃんと覚えておかないといけないのです。
馬車は従者と一緒に乗ることは出来ないので、わたくし1人。
ウィルがいなくて少し寂しいけれど、それ以上に、周りからの、…特に、お父様やお兄様からの、冷たい視線がないことへの安心感の方が大きかったです。
国同士を跨がなければいけませんから、到着するまでに十数日かかりました。
その間に、呪術に必要な陣を少しずつ描きました。 もちろんバレないように。
そうして着いたトユク帝国は噂通り、平民街も豊かで、活気ある国でした。
ですがその光景は、わたくしには眩しすぎて、直視出来ませんでした。
皇宮から出迎えてくれた皇族の方々は皆お優しそうな人たちでした。
その中でも一際目立つ端正な顔立ちの女性。
すぐに分かりました。
彼女が、魔法帝国生き残りの皇女様だと。
そしてもう一つ、わたくしの中に、黒い感情が芽生えました。
それは、おそらく嫉妬というものでしょう。
亡国の皇女でありながら処刑されず、それどころか幸せそうな姿を描いている皇女を見て、酷い嫉妬心を抱きました。
(何故…どうして、…血の繋がっていない貴女と皇族の人たちの方が、わたくしよりも家族の形を描けるんですの……?)
そんな醜い私情から、わたくしはターゲットを決めたのです。
「お招き頂きありがとう存じますわ!皇帝陛下、皇后陛下、第一皇子殿下、第二皇子殿下。エステル様」