ep38.アイザック・ブランドン《アイザック視点》
初めに王女に抱いたのは、微かな違和感だった。
特に何かをしてくる気配もなく、ただただ毎日が過ぎていった。
「おはようございます、アイザック殿下。とても良いお天気ですわね」
頭が、考えることをやめてくる。
働かせなければいけない脳が、上手く機能しない。
俺の頭の中は、【王女の側にいなければいけない】と、その思考でいっぱいだった。
「ああ、おはよう。トリステッツァ王女。良い天気だな」
(いつのまに、こんなに親しい間柄になっていたのだろうか)
(互いに、下の名前で呼ぶほど、仲が良かっただろうか)
それ以上考えようとすると、酷い頭痛が、考えることを遮った。
度々、疑問には思う。
(俺は、こんな表情をエステル以外に見せても良かったのだろうか…)
(エステル以外の部屋へは、入って良かったのだろうか)
(このガゼボには、もっと連れてくるべき人がいなかっただろうか)
少しでも疑問に思うと、来るのは酷い頭痛だけ。
次第に、考えることをやめた。
…やめてしまった。
王女に関することしか考えられなくなっていったある日、俺はエステルに出会った。
(いつもは魔塔にいる時間じゃないか?)
この疑問は、何故か頭痛は起きなかった。
名前を呼ばれたので返事をすると、お茶をしないかと誘われた。
咄嗟に「何故?俺がお前といる理由はないが」と、言葉にした。
だがすぐに、疑問に思う。
(俺はエステルに、こんな態度を取る人間だったか?エステルに対してこんな悪態を突く理由は…)
__刹那、またもや酷い頭痛に襲われ、俺の思考を遮った。
度重なる頭痛に、俺は嫌気が差してきていた、そんな時。
エステルは言った。
「アイザック様は、私のことがお好きですか……?」
(ああ…考えるのも面倒くさい…。どうせ考えて、また頭が痛くなるなら、もうずっと、王女のことを考えておけば良い。王女のことを考えている時は、頭痛が起きないから…)
だから、心にもないことを言った。
その時の俺は、適当に流せばいいと、思っていた。
その言葉が、どれだけエステルの心を抉っているのかも考えず、俺は言ってしまった。
後からどれだけ後悔しても、言ったことを取り消すことも出来なければ、傷ついた心だって、簡単に治せるものでもないのに。
「…さあな。どうでも良いだろう、そんなこと。それより、俺はこれからトリステッツァとお茶なんだ。邪魔をするなよ」
これ以上エステルのことを考えたくなかった俺は、王女のことだけを考えることにした。
取り返しのつかない事を言ったと、その時の俺は露知らず。
エステルの顔さえも、見れなかったのだから。
それからは、王女のこと以外に考えるのをやめてしまった。
1日をずっと王女と過ごし、剣の訓練もやめていた。
訓練よりも、王女との時間の方が大事だと、思考が判断していた。
「『命令よ、ずっとわたくしと一緒にいるの。余計なことを言ってはダメよ?』分かった?」
「もちろん。俺はトリステッツァのことだけを考えている」
しばらく、何も疑問に思わない生活を過ごした。
そんな時、謁見の間に行くことになった。
着くと、父上と母上、そして、王女がいた。
当たり前のように着席し、トリステッツァと目を合わせる。
どうして彼女が座っているかなど、疑問に思うはずもなかった。
しばらくすると、謁見の間の扉が開いた。
そこから入ってきたのは、兄上、王女の執事、そしてエステルだった。
ぼーっとした頭で、話を聞いていたが、何も内容が入って来ない。
王女のことさえ考えておけば、俺が酷い頭痛に悩まされることはない。
だから何か別のことを考えなくとも、王女のことさえ考えていれば良い。
俺の頭の中に入ってくるのは、王女の声だけ。
その王女が、話を開始してしばらくした頃、取り乱し始めた。
そして、突如として、俺の思考は1つのことしか考えられなくなる。
《この国の第一皇子とウィル・ブロワを殺しなさい》
この言葉を、そのまま自分の思考と認識した。
王女が言った順番通りに殺そうと、俺は始めに第一皇子に襲いかかる。
第一皇子は国の中でも1.2を争う魔法師の実力者。
それなりに距離がある今、俺の攻撃が届くことはない。
それでも徐々に距離を縮めていたその時、俺の思考は少し変化する。
それは、またもや頭の中に直接響いてくるようだった。
《アイザック・ブランドンに命令する。ウィル・ブロワを先に殺しなさい》
頭の中に直接の響いたものを、自分の思考と認識した俺は、鍛えた瞬発力を発揮し、消えるように第一皇子の前から退き、ウィル・ブロワの前に立った。
そして、剣を刺す。
生々しい音が鳴り、目的は達成されたかのように思えた。
だが、俺が身体を貫いた人物は、男では……なかった。
確かに俺は、ウィル・ブロワを目掛けて剣を突き刺した。
なのに、目の前で口から血を出し、それでも尚立って見せるのは、少年ではなく、少女だった…。
違う人間…少女を刺してしまったことによるこの気持ちは、何故だか酷く苦しくて、頭痛による苦しさよりも、遥かに重かいように感じた。
この重たい気持ちの正体を探している間に、俺は言霊を唱えられ、手から剣を離していた。
彼女が俺の前から離れてようやく我に帰った俺は、剣を取り返そうと動こうとする。
が、数人の手だれの騎士が俺を完全に捉えており、もはやどう動こうにも騎士から逃れることは無理な状況だった。
だが俺は、頭の中に響いているウィル・ブロワを先に殺すということをまだ達成出来ていない。
どうにか脱せる方法はないかと、しばらく踠いていると、目の前に、先ほど剣を刺した少女が、フラフラとした足取りでこちらへ来た。
口から出た血の痕はドレスにかかっており、銀色に光る剣からも、血が滴っている。
それは少女の道筋を示していた。
刺されても尚近づいてくる少女は、虚な目をしている。
おそらく、長くは持たない。
早く剣を抜いて、ウィル・ブロワと第一皇子を殺さなければと、また思考にモヤがかかってきた時、不意に騎士たちが俺を放した。
と、同時に、俺が剣を突き刺した少女…………エステルに、よって、抱きしめられていた。
(……?ぁぁ………エステル…?何故俺を抱きしめている…?)
「剣が邪魔ですね。私が眠ったら、ちゃんと抜いてくださいよ?それと、私に何があっても、王女殿下を殺してはなりませんよ」
(エステル?何を…、……待て…。待ってくれ……もしかして、俺が刺したのは………)
「アイザック様、私、幸せでした。ここに来てからの一年、温かいことばかりで。それは全て、アイザック様が、この国へ、連れてきてくださった…ことが。始まり、なんですよ」
(エステル…、何故別れの言葉みたいに言うんだ?…なあ、俺の杞憂であってくれよ…。エステル…、顔を、見せてくれ……)
誰が見ても、誰の身体に剣が突き刺さっているのか、誰が話しているのか、全て明白だった。
どうしても信じたくなくて、酷く痛む頭を抑えてでも、俺が考えなければいけないことのような気がした。
「温かい、幸せを教えてくれて…、心配、してくれて、…愛してくれて…。救ってくれて、…私に、家族という…存在を、くれて…。ありがとう、ございます」
(エステル…!俺はまだ、何も与えることが出来てない…!ダメだ…ダメだ、エステル…)
「ゴフッ……っ、もう、時間が経つの…早いなぁっ…」
抱きしめられているため見えないが、【ビチャ】っという、床に何かが零れ落ちる音だけが、鮮明に聞こえる。
「そろそろ、お別れですね。ここにいるみなさんも、本当に、ありがとうございました…」
(…!お別れ…?何故だ…!お前は生きて、これからの生を楽しむ権利のある人間ではなかったか…?)
今までたくさん苦しい思いをした分だけ
たくさん辛いことを経験した分だけ
他人のためにしか動けない心の優しさの分だけ
幸せになる権利が、あったのではなかったか…
(いや…違う…俺が、奪った……。俺が…!)
考えることが出来るのに、なのに…!、頭の片隅に、まだ残っている。
《ウィルブロワを殺せ》
《第一皇子を殺せ》
(どうすれば、この思考が消える…!俺は…俺は…)
_エステルを第一に考えなければいけないのに!_




