ep31.イリーガル王国
「ああ、その通りだ。エステルにも話しておこう。イリーガル王国は、ここ、トユク帝国と同盟を結んでいるため、本来ならば危害が加わることは決してない」
「はい」
相槌を打ちながら、目を合わせてみると、皇帝陛下は少し憂いを帯びた顔をしていた。
パチッと目が合うと、その瞳は少し和らいだ気がした。
皇帝陛下は話を続ける。
「だが最近、イリーガル王国の動きが怪しくてな。何かを企んでいると言う噂が絶えない。そんな国が今年の交流国となる。もしかすると、危害を加えられる可能性が出てくるかもしれない」
「断ることは不可能なのですか」
アイザック様が皇帝陛下に質問をすると、皇帝陛下は目を瞑り、静かに首を左右に振った。
「私も断りたかったのだが、今断れば相手国がどう出てくるか分からない。今回来るのはイリーガル王国の第三王女だ。そのため剣で切り掛かってくることはないだろうが、念の為注意しておいてほしい」
「「分かりました」」
皇帝陛下がこうして直々に伝えに来てくれたということは、それだけ警戒を緩めてはいけないということだ。
話を聞いて思い出したが、イリーガル王国も、私の祖国と似ていて、あまり良い噂は聞かない。
違法なことばかりに手を出しているという噂がありながら、その証拠は一切残さないため、王国を追い詰めることが出来ないでいるらしい。
そのことを懸念しているであろう皇帝陛下は、アイザック様の書斎に来てから、ずっと憂いた顔をしている。
皇帝陛下には、出来ればずっと笑顔であってほしい。
陛下もまた、私を受け入れてくれた方のうちの1人なのだから。
私を娘のように思っていると、言ってくれた御方だから。
「皇帝陛下、私は勝手ながら、陛下を本当のお父様だと思ってしまう時があるのです」
「…!」
皇帝陛下は目を丸くする。
真夜中に一つだけ群を抜いて光りを帯びている星のような、そんな瞳だと思った。
「それはずっと、陛下が今のように私に優しさを与えてくださるからです。私にこのような、心の芯から温まる気持ちをくださった陛下には、ずっと幸せでいてほしいのです。もちろん、皇后陛下も、第一皇子殿下も、レイモンド魔塔主様も、魔法士たちも、そして、アイザック様も。ですので、一緒に考えませんか?」
皇帝陛下はかなり驚いたようで、面食らった顔をして、ボソッと私の名前を呼んだ。
それは本当に、耳を澄ませないと聞こえないくらい小さな声で、皇后陛下が体調を崩された時以来に見る、陛下の弱った姿だった。
「皇帝陛下のお立場上、1人で抱えないといけないことも多いかと思います。そのお気持ちを全てお察しすることは、きっと私たちには出来ません。その分、頼ってほしいのです。私でなくとも、アイザック様や、第一皇子殿下、皇后陛下とご一緒に、解決策を見つけ出すのは如何でしょう。他の貴族は信頼出来なくとも、家族への信頼は、陛下が誰よりもしていると思うのです」
皇帝陛下は、皇后陛下の一件以来、ずっと私を気遣ってくれている。
皇后陛下の件は、一人の女性を愛する人間として、少し取り乱してしまっただけのこと。
大切な人が危険に晒されるというのは、それだけ心が乱れてしまうのだ。
思ってもいない言葉を吐くのも、人目も気にならないほどにその人しか目に入らなくなるのも、それだけその人を大切にしている証拠だ。
だから謝る必要なんてありませんと、いつもそう言うのだけど、『やってはいけない失態だった』と、必ず苦い顔をする。
そんな皇帝陛下はいつもどこか孤独だ。
家族に優しく、民を思う皇帝陛下は、その立場故に人に見せない孤独が隠れている気がする。
それは何とも言えない私の立場だからこそ気付けたことだと思う。
忠誠を誓っている貴族だったとしても分からないだろう。
皇帝陛下の孤独は、負の感情を表立って出さないところだ。
唯一見せられるならば、皇后陛下くらいだろう。
あの御方は、皇帝陛下さえも越えられる唯一の人だと勝手ながら感じている。
だからこそ、その感情を少しでも他の人に見せられるようになってくれたら、多少なりとも楽になるのではないだろうかと思って言ってみたのだけど、余計なお世話だっただろうか。
少しの間沈黙が続いたので、謝ろうとした直後、皇帝陛下がゆっくりと私の方を見た。
「エステル。其方には全て見透かされているようで不思議な気分だ。そうか…一緒に、な。ありがとう、エステル。少し気持ちが軽くなったよ。やはりエステルは、私たち家族に神様がくれた光だな」
「…!光栄です、皇帝陛下…」
私が励ますつもりが、皇帝陛下がくれた言葉が堪らなく嬉しくなってしまう。
人の役に、私を救ってくれた人たちの役に立てていることが嬉しくて。
「『光栄』は家族には見合わないな」
「…!ふふ、…では、ありがとうございます。とても嬉しいです。皇帝陛下」
「…ああ、こちらこそ。それと、息子と結婚したら、私のことは父上と呼ぶのだぞ?」
「っ__!!よろしいのですか…、?」
「もちろんだ。私たちは家族なのだろう?だったら、【父】と呼ぶのは当たり前だ」
(実の父親でさえ許してくれなかったその呼び方を、皇帝陛下は許してくれるんだ…。本当に、生きることを選んで良かったなぁ…)
「【お父様】と呼べる日を、楽しみにしております」
「ああ、私もだ。…それでは、そろそろ失礼しよう。でないと息子に怒られてしまいそうだ」
「へっ?」
退出する理由が息子に怒られるとはどう言うことだろうかと思いながらも、皇帝陛下を見送った。
すると、隣でじっと私と皇帝陛下の会話を聞いていたアイザック様は私の肩に顔を埋めた。
「…!どうされたのですか?」
「いや…ライバルが多いなと…」
そんなことをしみじみとした声で言うものだから、私は声を押し殺して笑う。
それでもアイザック様にはバレてしまったようだ。
堪えていたら、肩が震えてしまった。
「…笑い事ではないんだ。エステルは人を垂らしこむ才能があるから、エステルの魅力に気付く人間が、きっとこれからも増えていく…嫉妬しないなんて無理な話だ…」
縋り付くように私に話すアイザック様のその様子は、どこか皇帝陛下と重なった。
顔を埋めているアイザック様を包み込むように抱きしめる。
背中をトントンと優しく叩きながら言い聞かせるよう言った。
「先ほど言ったことを忘れたのですか?私にとってアイザック様は、唯一無二の宝物みたいな人なんです。私が他の人に目移りするなど、後にも先にもありませんよ」
もちろん慰めのつもりで言ったわけではない。
全て本心であり、心からの言葉だ。
まだ不安なようだったので、私は言葉を続ける。
「不安になるのなら、何度だって言います。愛しています、アイザック様。家族思いなところも、仲間思いなところも、本当は甘いものが好きなところも、兄を心から尊敬しているところも、…一途に私を愛してくれるところも、全てが愛おしいのですよ。…これで少しは伝わりました?」
返事の代わりとでも言うかのように、アイザック様の私を抱きしめる力が強くなった。
そして、私の耳元で呟いた。
「…俺も。愛してる…、俺の光、俺の希望、俺の、愛おしい人…」
「ふふ、両想いですね、アイザック様。大丈夫ですよ。私はアイザック様の前でも後ろでもなく、隣に立つと決めたのですから」
「…!ははっ、流石だな。エステル。…エステルはいつも、俺を救ってくれるな」
(そんなの…私の方が救われてる…。ずっと、アイザック様がいてくれたから、私はここまで生きて来れたのだから…)
けど、今欲しいのはそんな言葉じゃないと思うから。
「お互い様です。明日から、また頑張りましょう。アイザック様。不安な時は、私がいます。嬉しい時は、一緒に喜びます。一緒に何かを共有すれば、楽しいことはより楽しく、嬉しくなります。辛いことは、半分ずつ背負って、一緒に痛み分けしましょう。これらは全て、アイザック様が教えてくれたのですよ」
誰にだって、心が弱くなる時はある。
それは第二皇子であり、騎士団をまとめているアイザック様も同じことで、どれだけ貴い血を受け継いでいようが、皆等しく人なのだ。
身分が高い人間は弱らないなんて、そんなことはない。
「ありがとう、エステル。これだから俺は、エステルが好きなんだ」
アイザック様のその温かな言葉は、やっぱり心臓まで染み渡る。
アイザック様のくれた言葉を噛み締めて、私はイリーガル王国の王女から、彼ら…私の家族と呼べるような人たちを守ってみせると、心に誓った。
◇◇◇