ep28.走馬灯《アイザック視点》
“(俺は…死んだのか…?ここはどこなんだ…?)
覚えているのは、団員を庇って傷を受けたことだけ。
そこからは全くと言っていいほど覚えていない。
ということは、やはり死んでしまったのだろうか。
暗闇の中を、何の感覚もなく歩くのは不思議な気分で、しばらく歩いていると何かの光景が俺の目の前に現れた。
それは、俺の記憶だった。
これが、走馬灯というものなのかもしれない。
受け入れてはいけないのに、体が重たくて、思考も働かない。
走馬灯なら、これ以上進んではいけない、立ち止まらないといけないのに、足は拒否することをしない。
足が、足だけが、前に進む。
小さい頃、兄といろんなことで勝負した。
勉学、座学、魔法、剣、遊戯も、事あるごとに競ったな…。
今考えてみれば、三年という年齢の差も経験の差もあるのだから、勉学や遊戯などなど、まあ何でも、負けても当然だったなと、今なら思える。
小さい頃はそれが分からなくて、唯一同等で、今は誰にも負けない強さを持つ剣術を除けば、何をしても負けて。
特に魔法では、圧倒的な差を見せつけられた。
殆ど全てが兄上に劣るのだと自分の才能の無さを呪った。
どうして兄のようになれないのかと。
親は同じなのに、どうしてこれほどまでに差が出るのかと。
だが、その小さい時の記憶に対して、救われるような言葉をくれたのが、エステルだった。
エステルは俺に『第二皇子殿下のしてきた努力とその過程は唯一無二』なのだと言ってくれた。
初めて、報われた気がしたっけな。
何をしても勝てないと分かっていても、それでも勝負を挑み続けていた小さい頃の俺にとって、エステルが発した言葉は、小さな俺を深い海から救い出し、呼吸をさせてくれたかのようだった。
それでいて、俺の、兄上を慕っている気持ちを否定しないでいてくれたのも嬉しかった。
周りからすれば強がっていると思われそうなものを、エステルは否定せずに、それも本心なのだろうと肯定してくれた。
そして、幼少の頃の俺だけではなく、今の俺も、エステルは救ってくれた。
立場上、心配をさせないことが当たり前だった。
全て完璧に出来ることは大前提であった。
皇子だから、皇子ならばと、常に完璧以上を求められるのが俺にとっての当たり前だった。
当然頭も良くなければいけないし、魔法も一応、皇族の中では下の方に当たるが、そこらの貴族以上には出来る。
剣に関しては右に出るものはいないと思う。
怪我も病気も、どれだけ痛かろうがそれを他人に悟らせない。
でないと弱みを握られてしまう。
それが第二皇子という人間の生き方だった。
それをエステルは、俺が魔塔に着いていくと言っただけで、『忙しいのではないか』『無理をすれば身体にさわる』と、心配の声をかけた。
今まで俺に心配の声をかける人間など1人もいなかった。
辛い様子を見せたことはなかったし、何に対しても余裕綽々としているふうに見せていたから。
エステルにも同様に見せていたはずなのに。
エステルは。
エステルだけは、俺のことを心配した。
仮に他に心配した人間がいたとしても、それは下心を持ち合わせている奴らばかりで、心に響かなければ耳にすら届かなかった。
貴族も、貴族令嬢も、みんな同じ顔に見えた。
打算でいっぱいの笑みだ。
その中、唯一純粋に【心配】という感情を向けて来たのがエステルだった。
俺が見た記憶の一部だけでも辛い目にあっていることは明白だ。
そんな中でも、エステルの優しい心は、耐えて、耐え抜いて、残ってくれていた。
自分の負の感情を犠牲に、優しい心ばかり残すから、エステルは酷い目にあってばかりだ。
…だが、酷い目に遭わせたのは、俺も同じ。
【戦利品】だと言ってエステルのただでさえ弱っていた心を、一度【無】にしてしまっていた。
ようやく最近感情を露わにしてくれるようになったのに、それが見れなくなるのは嫌だ。
いつのまにか俺は、エステルのことしか考えられなくなっていた。
こうして死ぬ瀬戸際にいる時でさえ、エステルがいるから、俺の世界は明るくなったと思える。
血濡れた俺の手さえも、容易に受け入れるあの寛容さが。
憎んでも恨んでもいいようなことを言ったのに、それを許してしまうその優しさが。
自分の身を投げうってでも他人を救おうとする、その変に勇敢なところも、全てが愛おしい。
…ここまで走馬灯を見て、考えて、思い出して…
俺は、足を止めた。
(ああ…死んではいけないな…。エステルに怒られる…。…いや、無傷で帰るって約束したのに致命傷を負っているから、怒られるのは確定か。なら俺は、せめて帰りたい…怒られてもいい、どんな罰でも受けるから、エステルの元へ)”
刹那、記憶を写していた暗闇の中にいくつもある白いモヤが神々しく光り、思わず目を閉じた。
それから少しして目を開けると、次に目に入ったのは見覚えある天井だった。
「うっ……」
起き上がろうとすると、頭が重いし身体も固い。
意思に反して声が出てしまう。
と、その時、横からむくりと起き上がって来た女性がいた。
それは俺にとって、とても愛おしい人で…
ベッドでうつ伏せになるように眠っていた女性…エステルは、眠たそうな目を擦り、それから目を大きく開けた。
目の下には少し影が出来ていた。
それだけで、優しいエステルのことだから、きっと俺を心配して、側にいてくれたのだろうと、容易に想像出来る。
「えっ…、これは…夢ですか…?それとも、本当に…」
今にも消えてしまいそうな声だった。
「エステル…、すまん。心配をかけたな」
そう言って、エステルの頭を撫でる。
すると、エステルの頬には、不思議にも綺麗だと思えるものがつたっていた。
それは透き通っていて、目から次々と溢れていた。
「…っ、ぁ…」
「エステル…!泣いてるのか…!?」
この数ヶ月、トユク帝国に来てからも、エステルに見せてもらった記憶の中でも、エステルの泣いているところを見たことはなかった。
感情をよく表現するようになった今までも、泣くことだけはなかった。
母上を治すため、自分の器以上の魔力を体内に宿した時の激痛でさえも、エステルは泣かなかった。
だから、やはり泣くことは難しいのだろうかと、そう思っていた。
そんなエステルが今、俺のために泣いている。
それがとても愛おしくて、けれど申し訳ない気持ちが大きくて。
俺はエステルを抱きしめることしか出来なかった。
「ごめん…!本当にすまなかった…!」
ただただ謝ることしか出来ない自分が情けなくて、それでも謝る以外の方法が思いつかないから、謝るしかない。
「いや…、いやです…!…。怪我をしないと言ったではないですか…!私には無理をするなと言っておきながら、アイザック様だって、仲間を庇って傷を負って…!本当に…、危なかったんですから…」
「すまない、エステル。許してくれ。俺はエステルがいなければもう生きていけない。どうか側にいさせてくれないか」
エステルが自分の気持ちを真っ直ぐに俺に伝えてくれたことは嬉しい、が、流石にエステルの側にいれないのは寂しすぎる。
エステルは俺を抱きしめながら顔を見せずに言ってくる。
「…っ、ぅ…、離れたのは、アイザック様…です…!私は、離れ、て…ない…」
余程怖かったのか、泣くような声が止まる気配はない。
嗚咽混じりに伝えてくれるその声があまひにも痛々しくて、抱きしめる腕に力を込める。
もちろん俺が怪我を負ったのも理由の1つだろうが、今まで抱えて来たものが、全て涙となって溢れているのもあると思う。
抱きしめていた片方の手を頭に乗せて、髪の流れに沿ってゆっくり撫でながら話す。
「うん。そうだな、俺が離れてしまった。もうエステルを傷つけないようにと行動していたのに、結局泣かせてしまったな…」
「…………アイザック様……、私、アイザック様が、目を覚ました、ら。伝えたいことが、あったのです…」
(これは…振られてしまうのか……。だが、甘んじて受け入れなければな…)
「ああ。何でも聞こう」
そう覚悟を決めて、エステルの言葉に耳を傾けた。