ep20.これがしあわせ…
私は押し上げる名前の分からない感情を必死に堪えて、首を縦に振った。
私がずっと感情が分からなくて、分かっても顔に出なかったのはおそらく、心を守るために防衛本能が無意識で働いていたのだと思う。
ここでも、隣国の…敵国だった私が居ても良い場所なんて、ないと思ってた。
だから、恩を返せたらどこかに行って死のうと思っていた。
本当は、裁判の時に繋がれた鎖を簡単に壊せる力も、門前にいた騎士たちを倒せる力も持っていた。
何せ、私の魔法は言霊なのだから。
代償はあれど、人の動きを止めることなんて容易いこと。
それでもあの時、私が従ったのは、私自身生かされようが殺されようがどちらでも良かったというのも、もちろんある。
もう一つは、私を救ってくれた人が、私を助けたことによって理不尽な目に遭わないようにするため。
私が逃げた責任を彼に負わせたくなかったから。
(…私という存在で迷惑をかけたくなかった)
なのに、もし私と婚約を結べば、この国は反対の声で溢れるだろう。
どんな過去を持っていても、私は国民からすれば結局のところ敵国の皇女。
それ以上でもそれ以下でもない。
そんな私を、一国の皇子が、本当に好きになってしまってもいい人間なのか。
(そんなの…言い訳が…ない…のに…)
__コツン__
私の思考を遮るように、第二皇子は私の額に彼自身の額を優しく当てた。
「俺はエステルがいい。エステルじゃないとダメなんだ。どれだけ宝石で着飾ってる令嬢より、愛嬌を振り撒いて裏では企んでいる令嬢より、肌をこれでもかと見せつけてくる令嬢より、あなたがいい」
(『私がいい』…?私なんかでいいわけが、ない…)
「殿下…私は、誰にも必要とされなかった、存在を無かったことにされるほどの人間なのです。だから、殿下の側にいる身として相応しく「エステル」」
「もう一度言う。…俺は、エステルと一緒に生きていきたい。相応しいことが、エステルの言うほど絶対的に重要だとしても、お前は既に相応しいだろ。皇女としての教育も6歳までの間に受けていたと聞いてるし、流行病の原因も特定し治療薬まで作って見せた。これ以上に立派な功績がいるか?」
「えっ、治療薬…ということは…」
「ああ、エステルが魔力水を使っていたんだろう?あれを病にかかった人間に飲ませて治療出来たのも実証済みだ。ちゃんと同属性というのも分かっているから、安心していい」
自信満々に言う第二皇子は、とても輝いて見えた。 私には、まだとても眩しく映った。
雲で覆われて星も月も見えない夜空に、一つだけ存在する確かな光のような。
「第二皇子殿下は、ずるいです。私は皇后陛下を治療しただけです。なのに…」
「…っ!?…はぁ、だけじゃないけどな。まあ、それは追々だ。それより、その、名前で呼んでくれないか…?アイザックと、あなたには名前で呼ばれたい」
「私が名前を呼んでもいいような御方では…」
「俺の名前だ。その名前を持つ俺が良いと言っている。だから好きに呼べば良い」
それは、第二皇子からすると、当たり前のことなのかもしれない。
でも魔法帝国で、私に名前を呼ぶことを、【お母様】【お父様】と呼ばせてくれる、血の繋がった人間は、誰一人としていなかった。
今までのことが、全て第二皇子の言葉で報われていくような気がする。
初めて会った時も今も、変わらず崖から手を差し伸べてくれるのは第二皇子だった。
(温かい…この人と話していると、ずっと温かい…。この気持ちは…)
「あ…」
「ん?」
「しあわせ…」
「幸せ…?」
私がボソッと独り言のように言った言葉に反応した第二皇子が、疑問を持った。
これだけを聞くと、確かに疑問符が残るだろう。
「はい。私、レイモンド様が頭を撫でてくださった時や、第一皇子殿下が抱きしめてくださった時…」
刹那、第二皇子の肩がピクッと反応した気がしたが、それを気にすることなく、話した。
「第二…あっ…、アイザック様が、その、お気持ちを伝えてくださったり、私のために言葉を紡いでくださった時、幸せだったんです」
「…!ほんとう、か?」
「はい。ずっと、この温かさは何だろうって思っていたのですが、…え、っと、アイザック様のおかげで、これが【幸せ】という気持ちなのだと分かりました」
「…すまない、もう一度、抱きしめてもいいか…?」
第二皇子…アイザック様の問いに、私は承諾して、しばらくずっと抱きしめられることにした。
それが嫌ではなく、むしろとても温かくて、私は改めて【幸せ】を感じていた。
抱きしめながら、アイザック様は言った.
「婚約は、エステルが同じ気持ちになった時にしよう。婚約という形で、エステルの自由を縛るのは嫌なんだ」
「…!本当に、ありがとうございます」
皇族らしからぬ考え方に少し驚いたものの、アイザック様は、そういえばずっと皇族らしい考え方をあまり持ち合わせていなかったなと思い出した。
しばらくすると、アイザック様はみんなに知らせてくると言い、少しの間部屋を出た後、続々と皇族の人たちや、医者のメイハムさん、魔塔主レイモンド様に、毎日欠かさず教えていた魔法士たちも来てくれた。
「エステル…良かった、君が生きていてくれて」
「心配してくださってありがとうございます」
「当たり前だよ。私の恩人が父上のせいで倒れることになるなんて、本当にごめんね」
皇帝陛下への嫌味をたっぷりと含んで、第一皇子は怖い笑みを浮かべた。
このやりとりすらも、幸せの一部だと捉えてしまうのは、もうこの国の中心部の人たちに絆されてしまっているいい証拠だ。
「謝らないでください。第一皇子殿下は何もしていないではありませんか」
ふとすると、柔らかい雰囲気を纏った皇后陛下が私の前に立っていた。
「エステル、あなたが私を助けてくれたのね。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人よ」
「いえ、そんな大したことはしておりません。皇后陛下がお元気になられて、本当に良かったです」
罪悪感を感じてほしくなくて、出来るだけ声を和らげて優しく言うことを心がけると、突然皇后陛下の瞳が輝き出した。
「〜〜〜っ!!何この謙虚で可愛い子…!魔法帝国にこんなに可愛い子がいたのね…!…ねぇ、テオ様?」
「…っ!はい…」
私に対してとても優しい眼差しを向けてくれる一方、夫である皇帝陛下には絶対零度である声色で物申した。
皇后陛下のその豹変ぶりに、少しびっくりした…。
「…あなた、こんなに愛おしい子を脅して、加えて罵倒までしていたんですか?」
「………はい……」
「可哀想に。鬼気迫った時の陛下は怖かったでしょう…。まだ13なのに。私を救ってくれて本当にありがとう」
改めて私に向き直ると、皇后陛下は優しく私を抱きしめた。
初めて感じる新しい温かさは、どこか甘えたくなるようなものだった。
「また皇后陛下のお美しい姿が見られて嬉しいです」
「あ〜〜…!本当にいい子!早くうちの娘においで、エステル。私が誰よりも愛してみせるわ」
皇后陛下が私の頬に擦り寄せていると、さっきまで我関せずだったアイザック様がずいっと出てきた。
「…俺が1番、エステルを愛しています」
「あら?まさか自分の息子がライバルになるだなんて思ってもなかったわね」
「お戯を、母上。俺の気持ちを分かった上で言われるのは」
「…んん"ん…!エステル…」