ep1. 皇女の非日常
今日も今日とて、私はひんやりとした薄暗い地下牢の中で座っていた。
門前で地下牢を見張っているサボり癖のある衛兵が、1日1回の腐ったパンを持ってくるのを待ちながら。
大事なことなので2回、【サボり癖】のある衛兵だ。
つまり、私の命綱である食料を持ってこないことはザラにある。
私は特段変わっていないけれど、今日はなんだか普段と様子が違っていた。
いつもなら、貴族の談笑や足音が聞こえてくるのが、やけに静かである。
かと思えば、たまに【ごとん】と重たいものが落ちたような音がする。
また貴族たちが新しい娯楽でも思いついたのだろうかと耳を澄ませて聞いていると、突然いつもこの時間には開かない地下牢への入り口が開いた。
逆光で見えないが、誰か屈強な男の影があることだけは分かった。
「ここに誰かいるか。いるなら声を上げろ」
低い声で脅すように言う男の声は聞き覚えのない声だった。
私をいないものとして扱う魔法帝国の皇帝でも皇后でもなく、ストレス解消のためによく玩具扱いで暴力を振るってきた皇子でも皇女でもない。
いつも笑い声が聞こえてくる、政治を行わない貴族のおじさんでもない。
ならば一体誰なのか。
疑問は募ったが、どうせ声をあげれば明らかになるだろうと、私は素直に従うことにする。
「ここに1人おります。私以外は、誰もおりません」
しばらく水を飲んでいない私の声は心なしか掠れていたが、お構いなしに声を出した。
すると逆光の中立っていた屈強な男が一歩、また一歩と歩みを進める音が聞こえる。
コツコツと地下を歩く足音から、貴族なのだとすぐに分かった。
貴族は歩き方もマナーとして勉強する。
なので、一見適当に歩いていても、癖というものは無意識に出てしまうもの。
地上の扉から離れて、光に目が慣れて来た時、ようやく声の正体を目視した。
その正体は、興味本位で鉄格子と鉄格子の間から顔を覗かせていた私の眼前まで、睨みを聞かせながら顔を近づけて来た。
「お前、どうしてここにいる?」
明らかに話してはいけない人だった。
右手に赤黒い色が付いている剣を持って、怪我をしたのか、それとも返り血なのかは分からないが、服や顔の数箇所に付いていたから。
なのに私は、気が付けば彼からすれば訳もわからないであろう単語を並べてつらつらと話していた。
『“全て話せ”』という圧があった。
「私は、この国の皇帝陛下に存在を消された人間です」
魔法が扱えない認定なので
「何故だ?お前はこの国で何か犯罪を犯したのか?」
「いいえ。そうではありませんが、この国からすれば、ある意味そうなのかもしれません」
魔法を使えないことはこの国ではある意味罪に等しいだろうから。
「まどろっこしい会話は嫌いだ。直結に言え」
男にそう言われて、私は端的に話すことにする。
言う理由もないけれど、隠す理由も、私には無かった。
「私は、魔法が使えない皇女としてここに幽閉されていました」
素直に言った瞬間、この選択は間違いだったかもしれないと思った。
彼は、【皇女】という単語を聞いた途端、眉間に皺を寄せ私に聞こえる大きさで舌打ちをした。
血走った冷たい眼まなこからは【憎い】という単語が見えたように感じた。
「お前は皇女なのか…。ならば生かす価値などないだろう。今ここで殺してやろう」
彼の言葉を聞いて、私の胸は大きく音を立てた。
だって……だって私の願いは…【解放】なのだから。
「本当ですか…!?」
「……はっ?」
【死】というのは、私からすると願ってもないこと。
今の私は、人生で初めてテンションが上がっている。
「本当に、私を殺してくださるのですか…?」
「…お前……怖くないのか…、死ぬんだぞ?」
「怖いだなんて。この先ずっと、何十年もここにいるより遥かにマシなことです。ですから早く、私をその剣で刺してください。急所、急所をですよ」
私は今日、物心ついてから初めて人前で感情を露わにした。
多分表情筋は死んでいるので顔には出ていないかもしれないが…。
それと、教育では誰の前でも心を無にしなさいと教えられてきたためだ。
しかし、今の私は我慢が出来ない。
解放されることが嬉しくて。
私は解放されることを渇望していた。
目の前の知らない人間に頼むほどに。
鉄格子を両手で掴んでボロボロの布っ切れのような薄い服の袖から見える私の腕は、自分で見ても小枝でも取って付けたのかと思うほどに細かった。
【死にたい】と言う願望ではなかった。
ただ【解放】されたかった。
今のこの鉄格子で覆われているこの国から。
そうすればどうだって良かった。
生も死も他人に委ねたって構わない。
奴隷として働かされようが、戦場へ送り出されようが、この皇宮にいるという事実が私にとって何より不快なことだった。
彼は不適な笑みを浮かべたかと思うと、血の滴る剣を眼前まで向けてきた。
その剣は、後ほんの少し動かせば目に刺さる場所まで持ってこられ、かと思えば、その剣を私の耳元をかすめて脅すように壁に突き刺した。
【怖い】という感情はなかった。
ただ何も言わずにその剣を見つめ、彼を見つめた。
彼は会ったこともない私に不快だという表情を隠すことすらしなかった。
いっそここまでくると清々しいなとも思った。
「ふざけるな。この国の皇族が死を望む?他の奴らは皆、『生きたい』と懇願していたぞ。だから殺した。反対に死を望むお前。それを俺が叶えると思っているのか?馬鹿も休み休み言え。お前にとって生きることが最大の苦痛ならばお前を生かしてやる」
「…………?」
心底訳が分からず黙りこくっていると、彼は変わらない、氷海のような目付きで話を続けた。
「お前がどんな扱いを受けていようが、お前は皇族。それだけが事実だ。お前の家族がしてきたことを一生を持って償え。どうせそこまで酷いことはされてないだろう。…ここで生かすことは出来ない。一先ずお前は戦利品だ。壊してやるから出てこい」
それからは早かった。
彼が魔法で鉄格子を壊すと、私は物のように片手で抱えられ、荷馬車と一緒に乗せられた。
先彼は私を【戦利品】と言っていたので、まあ全く乗せる場所を間違えていないことにある意味驚きを隠せなかった。
逃げる気力も意思もなく、素直に荷馬車で移動した。
途中彼が休憩する際に、彼が荷馬車に顔を覗かせると、瞬きして綺麗な二度見を私にお披露目した。
きっと逃げると思っていたんだろうなと分かった。
残念ながら逃げることはしない。
ここ…魔法帝国で死ぬことだけを、私は避けたい。
この国で死ぬにしても、せめて先みたいにこの国ではない人間にしてもらいたい。
けれど、逃げ出せば私は、きっとこの国で死なことになる。
それは嫌。
だから私は、また大人しく荷馬車で揺られることにした。
隣国まではそう遠くなく、一晩野宿して次の日の夕方頃に隣国へ到着した。
荷馬車から知らぬ間に焼け野原になった祖国を眺めていても、何も心にくるものはなかった。
外に出たこともなければ景色を見たことさえなかった国なのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
そもそも焼け野原であったために、焦げ臭いなと思うばかりだった。
ただ唯一、私の目に入ったのは家族と呼べるのかどうかも分からない、血が繋がっているだけの人間の首が落ちているのを見て、(ああ、この音だったんだ)と、妙に納得しただけだった。
客観的に見ると、私自身も、随分と冷たい人間だと思う。
彼のことなど何も言えず、私も同じく氷海のような人間だ。
私に対しての瞳だけが冷たい彼の方が幾分もマシだろう。
(私はもしかしたら、魔法帝国の貴族たちの言う通り、本当に【無能なバケモノ】なのかもしれない)