ep18.本当は《アイザック視点》
どうして、無理をすることを分かっていながら、強引にでも引き止めなかったのか。
悔やんでも悔やみきれない後悔が後から後から押し寄せてくる。
母上が死の淵から生還した。
翌日の朝に医者に診てもらうと後遺症1つなかったと言う。
母上の容態が回復したのは喜ばしく、家族を亡くすかもしれないという恐怖から解放されたのは良かった。
だが代わりに、今目の前にいる皇女は、グッタリと生気のない顔をしていた。
「それで、エステルの容態はどうだった…」
今は家族総出となって医務室に顔を覗かせていた。
…現在エステルの侍女として動いているエミリーや、魔塔主として動いていた叔父上も一緒に。
「失礼を承知で質問致します。この中で、一度でも彼女が休憩している姿を見たことは?」
医者にそう質問され、言葉を発した人は1人もおらず、毎日顔を合わせるエミリーや、最近エステルが通っている魔塔の当主である叔父上でさえも、エステルが休憩するところを見なかった。
「…申し訳ありません…、無理にでも、休憩させるべきでした…」
エミリーが後悔の念に苛まれ、そのようなことを口にする。
ただエステルは、エミリーに悲しんでほしくないから頑張るのだと言っていたらしい。
その言葉を聞いた父上は、目を見開きボソッと彼女の名前を言うのが聞こえた。
「…今のエステル様は色々な症状が重なっております。寝不足と、ストレス性による高熱、過去の境遇のせいだと思われる極度な痩せはまだ治療途中です。そして、自分の魔力の器以上の魔力を体内に取り込んでしまったことによる体内火傷、その大量に取り込んだ魔力を一気に使用したことによる反動。これら全てが今、同時に起きている状態です」
「待て…魔力の器以上の魔力を体内に取り込んだ…?」
聞き慣れない言葉に、兄上が反応する。
「それは…あまりに危険なことだぞ…?」
魔力のことは人並みにしか分からないが、魔塔主である叔父上も目を見開き驚いているのだから、間違いなく危険なのだろう。
「まさかそのために、魔塔で魔力を貯めていたのか…?」
「どういうことです?叔父上」
聞き捨てならない発言を聞いた俺は叔父上に説明を求めた。
元々隠す気のなかったのであろう叔父上は、全てを話した。
エステルがこ開発部が研究した魔力を貯める事の出来る水を貰っていたこと。
魔塔の一室で朝から晩までずっといたこと。
その理由は今は秘密だが必ず後で事情を説明すると言ったこと。
昨日も目の下にクマがあり自分の身体を大事にするよう言うと、お礼を言ってまた部屋へ入り、出てくるのを見た魔法士はいなかったこと。
「そう…エステルはずっと、まだ一度しか会ったことがない、一度すら話したことがない私のために、ずっと頑張ってくれていたのね…」
母上は常に慈悲深い人だ。
母上は父上から病み上がりのため魔法を使う事を禁じられていた。
今も苦しそうな息遣いをしているエステルの額を撫でている。
「こんな小さな身体で、ずっと耐えてきたの…?」
その問いに答えるように少し不規則にゼェゼェと呼吸を発する。
すると、1番遠くから見ていた父上はエステルの側により、ベッドより少し高いくらいの視線まで屈むと、謝罪の言葉を並べた。
「エステル、本当にすまなかった…。私に脅されて、無理をせざるを得ない状況に追い込んでしまった。其方への配慮も欠け、其方の心を虐げた。ただでさえ、笑うことも、泣くことも、弱みさえ吐かない其方を酷く苦しめてしまった。私のことは許さないでくれ…、どうか、お願いだ…」
最近、父上も人間なのだなと、よく思うようになった。
それは多分、父上の弱い背中を見たおかげだ。
「…当分は、目を覚まされないと思います。身体に負った内傷が酷いのですし、精神の状態も健康ではありません。治すためには睡眠を多く取らなければいけません」
「…見舞いに来るのは自由だよな?」
「もちろんです。第二皇子殿下」
俺はその言葉を聞いて安心した。
これ以上はエステルもゆっくり休めないと思い、揃って医務室を後にした。
俺たちの向かう行き先は互いに分かっているように感じた。
リビングで、俺とルーカス、向かいには父上と母上、そしてエミリーと叔父上がその後ろに待機している。
「…エステルを無碍に扱ってしまったこと、すまなかった…」
「そんなもの、俺たちに言っても意味などありません」
「分かっている。だが、お前たちの仲が以前のように戻ったのも、少女のおかげなのだろう?」
「…!ええ、私はエステルに救われましたよ。13という身でありながら、多くの傷を受けてきた彼女に」
そう。
俺たちに謝ったところで、全くもって無意味。
俺たちの心身を助けてくれたエステルに、俺たちは感謝すべきなのに、いらぬ勘違いや先入観でずっと傷つけてばかりだ。
父上は、もう二度と傷つけないようにと、固い決意を宿した瞳がそこにあった。
「エステルには返しきれない恩がある。そこで、エステルを正式に家族として迎え入れたい」
「………」
(家族…?)
「もちろん本人が望めばの話だが、今のままでは隣国の皇女であることのイメージは払拭されない。彼女がこの国で不自由なく暮らせるようにするためにも、必要なことだと私は思っている」
「…その件に関してなのですが、少し待っていただけないでしょうか」
「ああ、もちろんだ。そもそも本人の希望であるし、お前たちにもしっかり考えてもらいたい。今日の
この話は自室で持ち帰って考えてみてくれ」
「分かりました。アイザック、もう行こう」
「…?あ、ああ」
なぜ俺も?と思ったが、聞く間もなく腕を半ば無理やり引っ張られ外へ出た。
「…ちょっ、兄上?」
「納得してないんじゃないの?」
「えっ」
「エステルが戸籍上だけの家族になること。もちろん私は構わないよ。いつでも大歓迎だ。けれどアイザック、君はもう、ただの他人でも家族でもないはずだ。もっと自分の気持ちと向き合ってみな」
「…自分の……」
兄上は「そうだ」と言って、少し乱暴に頭を撫でた。
こういうところがあるから嫌いになれない。
兄上に言われて部屋の前で別れた後、仕事机の前に座り兄上に言われた事を頭の中で反芻させた。
まだ短い期間、会った回数は数えるられるほどだ。
なのに、今日エステルが苦しんでいるところを見ると俺まで辛くなる。
兄上がエステルを殺そうとしていたことを聞いた時、その事実にも、予めエミリーが知っていたことにも心底腹が立った。
それでもエステルの思いを無駄にしたくなくて、兄上もかなり後悔していたから、水に流すことにした。
魔塔でエステルの言霊を目の当たりにした時、人生で魔法を見てきて、一番魔法が綺麗だと思った。
だが、叔父上が魔法の反動を受けないように自分の魔力で補うのを見てると、叔父上にも、自分の身を考えないエステルにも腹が立った。
それでも、一緒に話すと落ち着くし安心する。
他の香水を振り撒き宝石で着飾り胸を出す人間よりもよっぽど。
どれも俺の地位や金を狙ってのこと。
婚約すればその全てを得られるとでも考えるのだろう。
子を産めれば尚良いのだろうな。
だが、エステルは違った。
もっと自分を大事にしてほしい。
エステルの魔法をもっと見ていたい。
出来ることなら、もっと色んな表情を見てみたい。
(俺が出来ることならなんでもして、彼女が泣く時は絶対俺が側にいたい。涙を掬うのは俺だけでいい。他の男共にエステルの涙は見せたく…ない……。)
「…どうして、気が付かなかった……」
小さなたんぽぽの綿毛のようにすぐ微風に飛ばされてしまいそうな彼女の側に、どんな時も俺がいたいと思うのは…。
「無理だ…気が休まらない…」
(お願いだ…どうか早く目覚めてくれ……)
膝を机の上に乗せ手の甲に額を預けて、懇願に近い形で俺は願った。
◇◇◇