ep10. 温かい変化
「…っ!第二皇子殿下…」
(すっかり殿下そっちのけで戦闘を…申し訳ない…)
心中で平謝りをしていると、突然私の眼前まで来て何かと思えば、いつの間にか私の身体が浮いていた。
「っえ…、なぜ…」
「終始見ていた。医務室に行くぞ。叔父上、後でお話しがあります」
「…分かった……」
ただならぬ雰囲気を醸し出して、第二皇子は医務室の方へと真っ直ぐ向かっていった。
互いに無言だった。
けれど、長い廊下を渡る道中、意を決したように第二皇子が口を開いた。
第二皇子から聞いた言葉は、思ってもいない言葉だった。
「…すまなかった……」
「…?何故ですか?第二皇子殿下が謝ることではありません」
「…いや、あの状況を把握しきれていなかった。把握していればもう少し配慮出来たと言うのに…」
「…第二皇子殿下、私は他国に喧嘩を売りまくっていた国の皇女です。そんな国の人間に、気遣いは不要です」
例えあの国に何をされていたとしても、他国からしたら私があの国の人間であることに変わりはない。
だから謝る必要も、ましてや気を遣う必要なんて、微塵もないのだ。
それでも謝ってくるこの人は、あの血濡れた剣を持っていた姿とはかけ離れていて。
私を殺そうとしていた時の姿が霞むほどに優しい姿だった。
「…どうして自分のことを労らない…いや、何でもない…。無粋な質問だったな」
「第二皇子殿下はいつもそうですが、やはりお優しいですね」
「俺が…優しい?」
「はい。私を解放してくださって、この国に連れてきてくださったではありませんか。それに、今もこうして、私を運んでくださっています」
殺されても生かされても構わなかった。
それは今でも特段変わりはない。
けれど重要なのはそこではない。
常に思っているけど、私はあの国と、あの国の自分の魔法に、謎の絶対的な自信を持つ貴族たちから解放されたことが嬉しかった。
牢にいる時間なんて苦痛でしかなかった。
たまに小馬鹿にするために地下牢に訪れる皇族たちも、談笑ばかりで政治に関わらない笑い声ばかりが響く貴族たちの声も、全てが苦痛だった。
けれどそのうち、何の感情も湧かなくなった。
表情も変わらなくなった。
私は…私のことを教えることが嫌いだ。
けれど、同じ皇族であるならば、知られてもいいと思った。
…殺してくれるかもしれないと、思ったから。
だから多少無理をしてでも記憶を共有して私の体験を伝えた。
それが良い選択だったのかは分からないし、殺されることもなかったけど、少なくとも悪い選択でないことは分かった。
今もこうして、第二皇子は少し憂いを帯びた顔をして申し訳なさげな顔をするのだから。
「だがエステルはあの時、【殺す】と単語を発した時に嬉しそうにしてただろう。俺はあの時、記憶を見るまで、…ならば生かして、生きたいと思わせてから殺すことが皇女が1番辛いと感じることだと考え実行しようとしていた。それでも、俺が優しいと言えるのか?」
「…第二皇子殿下は、今言ったこと、変わらず思いますか?」
「…っ!思うものか…!君を、魔法帝国の他の皇族と一緒には、どうしても出来ない…」
「ならば、やはり優しいですよ。少なくとも、私にとっては」
身体に力が入らない私を医務室に運んでくれている時点でそれは明白だろう。
それっきり俯いて黙ってしまったので、私もそれ以上は何も言わなかった。
医務室に着くと、第二皇子は静かな声を出した。
「メイハム、メイハムはいるか?」
数度名前を呼ぶと、仕切りの間からひょいと顔を出した。
「どうされました?殿下…おや、そちらは」
「魔力を補給してやってくれ。叔父上の身体を気遣った結果これだ」
「分かりました。それではあなたはこちらへどうぞ」
「第二皇子殿下、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「…ああ。ゆっくり休め」
一言言って、第二皇子は医務室から出た。
「少し眩しいかもしれないので、目を瞑ってくれますか?」
「分かりました」
メイハムさんという医者は優しい口調で言った。
もしかすると私が誰か分かっていないのではないかと思ったが、それは思い違いだったようで、しっかり私が誰か知っていた。
職業上そうせざるを得ないのかもしれないが、正体を知っていても尚、初めから与えられる温かい優しさがとてもくすぐったかった。
「もう開けて良いですよ」
目をゆっくり開き、光に慣らすと、少し眉を顰めたメイハムさんが目に映った。
「あの…?」
私が何かしてしまったのかと思い顔を覗かせると、浮かない顔をしたメイハムさんが思いもよらないことを言ってきた。
「かなりご無理をされていませんか?」
「…!いえ、そのようなことは」
『ない』…そう言いたかったけど、とてもではないが身体は多少なりとも疲弊していた。
私が言葉に詰まっていると、メイハムさんは顎に手を当てて少し考える動作をした後再度口を開いた。
「ちなみに、【身体】ではなく【心】ですよ」
「……………」
(それは…私にも分からない…。だって)
「今は与えてくださった恩を返そうと動いているだけです」
「…分かりました。では、いくつか質問しますので、それにお応えください。いいですね?」
有無を言わさぬ物言いに私も首を縦に振ることしか出来なかった。
メイハムさんは、妙なほどにっこりとした笑顔で質問を始めた。
「これを見て綺麗だと思いますか?」
「はい」
メイハムさんの言った【これ】は、医務室に生けてある花々だった。
「では、あなたの侍女があなたのために心配したとき、心が温かくなりますか?」
「…はい」
メアリーのことだろう。
メイハムさんは一体どこまで知っているのか、いや、どこまでも見透かされていそうで少し厄介だ。
「では、貴方の侍女がもしメイドではなく諜報員で、全ての情報を皇室にバラしているとしたら?」
「何とも思いません。それは私の立場からすると妥当かと」
「…!…質問を変えましょう。今僕があなたに施した治療が、実はじわじわと死に追い込むものだったとしたら、あなたはどう思いますか?」
「…何とも思いません。死ぬ時を待っているだけですので。ここで死ぬのなら、私はそれを受け入れます」
「っ__!…分かりました。質問は以上です。おそらくもう身体を動かせるでしょう。今日はお疲れかと思いますのでなるべく身体を休ませてくださいね」
「…?分かりました。ありがとうございます」
結局、なぜあの質問をしたのかは教えてくれないまま私は部屋へ戻ることとなった。
幸いにも一度来た道は覚えているので1人で部屋へ戻ることが出来た。
扉を開けると、そこには今にも涙を流しそうな表情をしたメアリーがいた。
「メアリー?」
「っ!エステル…!」
名前を呼ぶのと同時に、メアリーは私の身体を包み込むように抱きしめた。
「っえ…」
「ご無理をしてはならないと言ったではありませんか…!なのにどうしてこんなにボロボロに…」
(…あ、そっか…)
私の今の服装を見てようやく気付いた。
いつも魔塔に向かう時、シャツにズボンと、男性のような格好をするのだが、それが所々汚れて破れている箇所も見受けられた。
「心配してくれてありがとうございます。けれどもう医務室に行きましたから、私は大丈夫ですよ」
抱きしめてくれるエミリーの背中に手を回して背中をトントンと優しく叩く。
一向に離れる気配がなかったのでエミリーに離すよう声をかけた。
「……エミリー、このままではエミリーの服も汚れてしまいます。着替えてくるので、一度離してはくれませんか?」
「…着替えたら、また抱きしめさせてください」
「もちろんです」
エミリーの優しい抱擁は、魔法帝国の乳母の空っぽな抱擁に比べて、ずっとずっと温かった。
◇◇◇