第七話
同窓会が終わったあと、昌平と中泉は街中のビルの中にあるバーへと足を運んだ。週末の割に中は意外と空いており、落ち着いて話が出来そうだった。 二人は窓際の席に座ると、昌平はビール、中泉はバーボンをロックで頼んだ。酒はすぐに用意された。軽くグラスを合わせて乾杯する。そしてしばらくしてから中泉が「それで」と、口を開いた。
「結局、何があったんだ?」
「ああ……」
昌平は今自分の会社が置かれている状況について中泉に説明した。その話に中泉は静かに耳を傾けていた。時折、相槌を打ち自分の意見を挟んで来る。そして粗方の話が終わると神妙な面持ちで中泉は口を開いた。
「……まずいことになったな」
「ああ……」分かってはいたことだが、第三者にはっきりと言われるとさすがにきついものがあった。
「今、お前が置かれている状況は典型的な黒字倒産、利益が出ているのに現金が足りないという状況だ。大手引受先とメインバンクを同時に失い、さらに今までの融資金の返済を迫られている。この場合、他の銀行から融資が受けられれば、何とか急場をしのぐことは出来るが、大手引受先を失った以上、事業規模の縮小は免れない。そうなれば当然、銀行も貸付を渋るようになる。負のスパイラルだ」
昌平は中泉の話に黙って頷く。
「この状況で、お前がやるべきことは期日までの支払金の準備、そしてその後の事業規模の縮小を最小限で食い止めることだ。他の銀行から融資を受けようとするならば、この二つの問題の解決は両立しなければならない」
聞いているだけでも喉がカラカラになる。昌平はビールを一口飲むと「分かってはいる」と、小さく声を漏らした。
「だが、それが出来れば苦労はしない。地元の銀行はほぼすべて当たり尽くしたが、どこもまるでこちらの話を聞きやしない!」昌平は苛立ちが口調に出ているのを自覚した。それでも自分を押さえることが出来ない。奥底で溜まっていた鬱憤が次から次へと溢れ出る。「契約を取ろうにもこちらの状況が悪いのはすでに知れ渡っているから、みんな口を揃えて会社継続の目途が立ったらと言いやがる。今まで散々ゴマ擦って来た連中までもだ。くそっ! どいつもこいつも大手から契約を切られた途端、手のひらを返しやがって!」
昌平はその後も怒りを吐き出し続けた。中泉はそれを黙って聞いていた。そして、昌平がようやく落ち着きを取り戻すと、中泉は言った。
「昌平。少しきついこと言うぞ」そう前置きすると中泉はギロリとした目をこちらに向けて来た。「この状況を作ったのは紛れもなくお前自身だ。大手との契約があることに胡坐をかき、当たり前の営業努力を怠って来たお前自身に責任がある」
痛いところを突かれた昌平は俯いたまま「それは、分かっている……」と、答える。
「このご時世だ。どこも会社を続けて行くのは厳しい。それに比べればお前のところは恵まれていた方だったと言える」
「……そうだな」
「大変なとき、人は誰だって努力する。だが、調子が良くなると途端にそれを怠るんだ。そして気が付けば取り返しのつかないことになっている」そう言った中泉の声はなぜか哀しげだった。
怪訝に思い、昌平が顔を上げると中泉と目が合った。すると、中泉は「俺もそうだった」と言った。
「本当は俺もお前に説教が出来る人間じゃないんだ。お前も知っているだろ? 以前、俺の会社がやばかったのを」
「ああ。だが、お前の場合は共同経営していた人間が金だけ持って逃げたのが原因だろ? お前のせいじゃ――」
「いや」首を振って中泉は言う。「どこかで油断していたんだ。こいつが俺を裏切るわけがないって。俺は技術者だから、会社経営に関してはからっきしでな。そういう話はそいつにほとんど任せていたんだ。けど、それがそもそもの失敗の原因だった」
当時、中泉の共同経営者は会社の経理をすべて管理していた。そのため、会社の経営悪化にいち早く気付いた。
「助言は受けていたんだ。このままだとまずいって。だが、あの頃の俺は何もかもが順風満帆に思えていた。良いものさえ作っていればそれで何とかなるってな。それが甘い考えだったと気付いたときにはすでにどうにもならない状況になっていた。仲間には金を持って逃げられ、莫大な借金だけが残っていた」
当たり前の努力を怠った報いだよと、中泉は自嘲気味に言った。
「確かにそうかもしれんが、それでも金を持って逃げたのは許されないだろ?」
「それはな。見つけたらただで済ませる気はないよ。ただ、俺が言いたかったのは、どんな時でも当たり前の努力はしなきゃいけないってことだ。それだけはお前に分かってもらいたくてな」
本当に耳が痛い。昌平は、「その通りだ」と、頭を下げて言った。
「だが、ちょっと待ってくれ。そんな状況からお前はどうやって会社を立て直したんだ?」
「それは……」
急に中泉の歯切れが悪くなった。彼にしては珍しい。
「何だ? はっきりしない言い方だな。お前らしくもない」昌平はあえて軽い口調で言った。
そうでもしないと、今の中泉を直視できそうになかった。まるで魂が抜け落ちてしまったようなそんな顔をしていた。遠くを見るような視線はグラスで揺れる琥珀色の液体の中で屈折し、どこに向けられているかも分からない。そんな中泉の表情に昌平は胸のざわつきを抑えられずにいた。
中泉は昌平の言葉に、「そうだな」と肩を竦めると、濡れたグラスを口元へと運んだ。
「すまない。あの頃のことを思い出すとどうしてもナーバスになってしまってな」まだ、少し硬い表情のまま中泉が言った。
「そんなに大変だったのか?」
「今だから言えるが……。そうだな。正直、何度首を吊ろうと思ったか分からない」
中泉の会社の経営が不安定だったことは昌平も知っていた。心配になって何度か連絡を取ったこともあった。だが、その時の中泉はまるで平気そうな口調で、「なんとかなるさ」と答えていた。
実際、中泉は何とかしてしまったわけだが、まさかそこまで追い詰められていたとは思ってもいなかった。影で友人がそんな窮地に立たされていたことを知り、昌平は言葉を失った。沈黙が二人の間を漂い、行き場を失った視線が窓の外へと向かった。眼下には点々と道を歩いている人の姿が見えた。不意に昌平のグラスの中で氷の崩れる音が聞こえた。その音を仕切り直しにするように昌平は口を開いた。
「どこかいい融資先が見つかったのか?」
「いいや」
「じゃあ、どうやって……」
過去に中泉が自分と似たような境遇から会社を立て直したというのなら、そこに何かしらのヒントがあるかもしれない。不謹慎とは分かっていても、昌平は中泉の答えに期待をせずにはいられなかった。
「なあ、昌平。お前、会社の継続の為にどれだけの覚悟が出来る?」
「どれだけって……」
「命を懸けられるか?」
「え?」
呆気にとられた昌平の態度を見て中泉はもう一度尋ねる。
「どうなんだ?」
向けられる中泉の視線は鋭く、曖昧な返事は許されそうもなかった。
だが、昌平は逆に睨み返すようにして、「当たり前だ」と答えた。
「俺の家族だけじゃない。社員全員の生活が掛かっているんだ。俺の命くらい、いくらだって掛けてやる!」
それを聞いて中泉は大きな溜息をついた。
「お前ならそう言うと思ったよ」
「中泉?」
「すまん。おかしな質問をした。忘れてくれ」
「い、いや」
「しかし、それだけの気概があるのなら諦めるのはまだ早いだろ。俺だって最後の最後まで諦めなかった」
中泉の言葉に昌平も強く頷く。
だが、昌平が本当に聞きたかったことはそんな精神論ではない。現実的な打開策だ。それは中泉自身が一番よく分かっているはずだ。だからきっと中泉はこのあとその件について話してくれるのだろうと昌平は期待していた。
しかし、そうはならなかった。
「だからお前も諦めるな」
中泉はそう言うと、話を切り上げるよう立ち上がった。それがあまりに急だったので昌平もつられて立ち上がる。
「おい、中泉。まだ話は――」
「いいか、昌平」相手の言葉を遮る様にして中泉が言う。「今はお前に出来る限りの事をしろ。俺もどこか融資をしてくれそうな所がないか心当りを当たってみるから」
「あ、ああ」
「それでももし、どうにもならなかったらもう一度連絡をくれ。その時は俺も覚悟を決める」
「覚悟?」
なぜおまえが?
そう聞き返す間もなく中泉は会計を済ませると店から出て行った。
取り残された昌平は再び椅子に座ると窓の外に目を向けた。すると、しばらくしてビルの出口から出て来た中泉の姿を見つけた。中泉はこちらに一度も目を向けることもなく、まるで逃げるようにして雑踏の中へと紛れて行った。