第五話
会社に戻った昌平は自分の机で那由多から受け取った名刺を眺めていた。あからさまに胡散臭そうな男だった。それとはっきり分かる作り笑顔を浮かべ、愚にもつかぬ話をしていた。
「もしあなたが本当にお金を必要としているなら、あなたの命の代わりに相応の額をご用意致します」那由多は昌平にそう言った。
昌平はそれを聞いてしばらくのあいだ口をぽかんと開けたまま固まっていた。
この男は一体何を言っているのだろうか?
冗談にしても性質が悪い。
これではまるで――。
『――まるで死神みたいですね』
昌平がようやく声を絞り出すと、那由多は当たり前の様に、『そのまさかです』と答えた。
『その呼ばれ方は甚だ不本意ではありますが。世間ではその方が通りも良いようですし、ご自由に呼んで頂いて結構ですよ。それよりも如何ですか? もし、柏木様さえ宜しければ我々と契約を――』
『結構です』昌平は那由多が言い終わる前にそう答えた。
死神が実在することは知っている。だが、それがこんな胡散臭い笑顔を浮かべる男だとは思えない。詐欺師だと言われたほうが余程しっくり来る。
昌平はベンチから立ち上がると、那由多の方は一瞥もせずその場を去ろうとした。
『残念です』背後から那由多の声が聞こえた。『ですが、またすぐに会うことになるでしょう』
確信に満ちたその声に昌平が振り返ると、そこにはすでに那由多の姿はなかった。
死神は神出鬼没。冷たい汗が昌平の首筋から流れた。白昼夢でも見ている様な気分だった。
その後、どうやって会社まで戻って来たのかは覚えていない。気が付けば自分の机でさっきあった出来事を何度も繰り返し思い出していた。
あの男が死神であるという証拠はどこにもない。だが、素面で人の命を買い取ると言ったあの男の態度は超然としていた。少なくとも昌平が知っているどのタイプの人間とも違う。それにあの時、あの男は、あの場所からどうやって姿を消したのだろうか。
強烈な印象だけが頭に残り、考えがあまりまとまらない。取り留めのない思考に昌平が翻弄されていると、横から聞きなれた声が聞こえて来た。
「――あなた」
その声に昌平が顔を上げると、そこには麦茶の入ったコップを持った誠子の姿があった。
「ああ、お前か」誠子が差し出すコップを受け取り昌平は言う。
「どうかしましたか? 険しい顔をして」
「いや、問題ない。少し日にやられただけだ」
「それならいいんですけど……」誠子は何か言いたげな顔をしていたが、すぐに別の話題を口にする。「そういえば、あなたの留守中に電話がありましたよ」
「誰から?」
「中泉さんです」
「何故中泉から……、あっ⁉」
中泉は昌平の大学時代の友人で現在はIT関係の会社を経営している。大学時代は二人とも同じゴルフ部に所属しており、そのゴルフ部の仲間で今週末に同窓会を開こうという話になっていた。だが、最近のゴタゴタですっかり忘れてしまっていた。おそらく中泉が連絡を寄越したのはその件だろう。
「今度の同窓会、どうするんだって」
やっぱりと昌平は小さく嘆息をつく。
「ああ、どうするかな……」
独り言のようにそう答えると昌平は黙り込んだ。今のこの大事な時期にそんなものに参加していてよいものだろうか。昌平の中にあった経営者としてのモラルが問いかける。だが、そんな昌平の迷いを見抜いたのか誠子が優しく声を掛ける。
「いいんじゃないですか? たまには息抜きも必要ですよ」
「いや、しかし……」
「悩んでいても状況が好転するわけでもありませんし。頭を切り替えるという意味でも行ってみてはいかがですか? それに中泉さんも以前、経営していた会社の状況が大分良くなかったそうじゃないですか。それでも今は立派に立て直している。もしかしたらご相談に乗って頂けるかもしれませんよ」
どれが誠子の本音だったのかは分からない。だが、いずれも正論ではあった。
「まあ、そうだな」渋々といった口調で昌平は答える。「……じゃあ、ちょっとだけ顔を出して来る」
昌平は手に持っていた名刺を丸めてゴミ箱に放ると、ポケットから携帯電話を取り出し中泉へと出席の連絡を取った。






