第四話
七月も中旬に差し掛かろうとしていた。
だが、未だ新たな融資先が見つからず、昌平は焦りを隠せずにいた。デッドラインまであと約一ヵ月。それまでに何とかしなければ会社は潰れる。日付が変わる度、胃が締め付けられる思いがした。
なぜこんなことになってしまったのか。詮無きことと分かっていても、気が付けばそんなことを考えている。
営業先から帰る途中、急に息苦しさを感じ、昌平は最寄りの公園に車を停めた。自動販売機で冷たいコーヒーを購入し、木陰のベンチに腰を下ろす。缶の蓋を開け、コーヒーを一口飲み込むとほっと息を吐いた。
少し楽になった。昌平はそこで休憩をしてから会社に戻ることにした。一息ついてから顔を上げると、前方を二人の女子高校生が歩いているのを見かけた。彼女たちは昌平がコーヒーを買ったのと同じ自動販売機でジュースを購入すると、そこでおしゃべりを始めた。
「ねえ、そういえば知ってる?」
「何を?」
「最近、また出たんだって」
「だから、何がよ?」
「あれよ、あれ。……死神」
「えっ、マジで! なんかチョー怖くない? 死神に会うと命を獲られちゃうんでしょ?」
「違う違う。なんかめっちゃ高い金額で人の命を買ってくらしいよ。テレビで言ってた」
「へー、そうなんだ。でもさー、いくらお金をたくさんもらって、死んじゃったら意味なくね?」
「だよねー」
神経質になっているのか、無駄に女子高生たちの会話が耳に入って来た。
政府が彼らの存在を認めたのはもう随分前のことだ。
正体不明。神出鬼没。人の命を買い漁っては、売り捌く。生と死のブローカー、死神。
そんな彼らの活動に対しては国や警察も打つ手がないらしく、新聞やニュースなどで絶対に彼らとの契約に応じないようにと注意勧告を促すだけで精一杯の様だった。
女子高生たちはジュースを飲み終わると、公園の外へと向かって行く。彼女たちがいなくなると昌平はぽつりと呟いた。
「死神ね……」
もしその死神に会ったのなら、自分は喜んでこの命を捧げるだろう。それで今のこの状況をどうにかできるのなら自分の命くらい安いものだ。昌平が荒んだ気持ちでそんなことを考えていると不意にある人たちの顔が浮かんで来た。
娘の茉里奈は弁護士を目指すと言って中学の頃から必死に勉強を続けている。初めは冗談かと思っていたが、それが本気であると気付かされるのにそれほど時間は掛からなかった。毎日に遅くまで机に噛り付く娘の姿を見て、どうにかその夢を叶えてやりたいと思う様になった。
妻の誠子は不甲斐ない自分をいつも影で支えてくれている。こんな状況になってようやく彼女の存在がいかに大きなものだったかを知った。顔には出さないが彼女も精神的に相当参って来ている。彼女の為にも早くこの状況を何とかしなければならない。
それに自分と共に働く社員たちのこともある。彼らにもそれぞれの生活があり、家族がある。そのすべてを自分が守らなくてはならない。
押しつぶされそうな重圧が昌平の背中に圧し掛かっていた。こんなところで会社を潰してなるものか。
昌平は空になったコーヒーの缶を前方にあったゴミ箱に放った。その缶は放物線を描き、ゴミ箱の手前に落ちて転がった。その缶を拾うため、仕方なく昌平は立ち上がる。
すると、転がっていた空き缶を見知らぬ男性が拾ってゴミ箱の中へ捨てた。ゴミ箱の傍まで来ていた昌平はその男性に頭を下げる。
「あ、すみません」
その男性は、この暑いのに真っ黒なスーツを着込みネクタイもきちんと締めていた。見ているだけで暑くなってくるような格好だ。だが、彼は平然と涼しげな笑顔を浮かべると、「お気になさらず」と言った。
「ちょうど、あなたにお話ししたいことがあったので」
「え?」昌平は訝しげにその男性を見つめた。「あの、失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたか?」
「いえ、今日が初対面ですよ」感情の読めない笑顔で男が答える。「柏木昌平さん」
見知らぬ人物に名前を呼ばれ、昌平は警戒を強める。
「なぜ、私の名前を?」
昌平に問われ、その男性は懐から一枚の名刺を取り出す。
「失礼しました」男性は大げさに肩を竦める。「実は私、こういう者でして」
差し出された名刺には聞いたこともない会社と名前が刻まれていた。
「ライフバイヤー? 那由多、さん?」
「はい」
「聞いたことがありませんが」
「でしょうね」
那由多は先程からずっと変わらぬ笑顔で答える。まるで表情筋がその形で硬直してしまったかのようだ。
相手の意図が分からず当惑した昌平はとりあえず受け取った名刺を懐に仕舞おうとした。
すると、
『Buy your life』
名刺の隅に小さく書かれたその文字に目が留まる。
直訳すれば、
「あなたの命……、買い取ります?」
昌平が小さな声で読み上げると、那由多が「ええ」と頷く。
「――柏木さん。あなた、お金が必要ではありませんか?」