第一話
七月上旬。
うだるような暑さが続いていた。
柏木昌平は銀行の駐車場に停めてあった車に乗り込むと、すぐにネクタイをほどいた。そのネクタイを乱暴にダッシュボードに投げつける。車内に籠った熱気のせいで余計に苛立ちが増すのが分かった。
数分前まで昌平は今いる地銀に融資の審査を受けに来ていた。だが、結果は門前払い同然の仕打ちで融資を断られた。
「ったく、馬鹿にしやがってあの石頭ども!」ハンドルを拳で叩きつけ、柏木は声を上げた。
昌平が経営する会社は地元で古くから続く繊維工場だった。だが、長く続く不況の煽り受け、昌平の会社も経営が困難になっていた。それでもどうにか今まで踏ん張って来たのだが、先週、あと二ヵ月で資金がショートすると経理担当者から告げられた。
その時、昌平はとうとうこの日が来たかと思った。今まで騙し騙し経営を続けて来たが、いつかはこうなる気がしていた。
以前、メインバンクの担当者にもその話をしたことがあった。彼はまだ若いが熱心な行員で昌平の相談にもよく乗ってくれていた。
「確かに不安ですね。でも、柏木さんの会社には大手の引受先もありますし、営業状況もそれほど悪くない。仮に苦しくなったとしても、当行で出来る限りのバックアップはさせてもらいますよ」
彼のその言葉に昌平は強く安堵した。だが、その後、事態は一変する。
先月、昌平の会社が契約していた大手の引受先が急に契約を解除したいと言い出したのだ。
理由は端的に言ってコストカットだった。昌平の会社より安く品を提供できる会社が現れたから契約を解除して欲しいということだった。
その判断は当然といえば当然のことかもしれない。だが、それで簡単に引き下がるわけにもいかない。昌平は自社製品の品質の良さを伝え、値段の交渉も受けると話した。それでも相手側の反応は芳しくなかった。
「お互いに長い付き合いじゃないですか。私たちはあなたの前の前のそのまた前の担当さんの頃から一緒に頑張って来たんです。それを少しばかり値段が安く出来る会社が現れたからって……」
強硬な態度を崩さない契約会社の担当者に対し、昌平は情に訴えかけるような言い回しで説得をした。
しかし、結局は相手にされず契約は打ち切りとなった。
その話を聞いたあとの銀行の対応はまさに電光石火だった。契約解除に伴い予想される収益の低下。そこから導き出される返済の滞り。それらを盾に長らく続いていたメインバンクとの契約もあっさりと解除される事となった。
「ちょっと、いくらなんでもあんまりじゃないですか!」昌平は担当の銀行員に言った。
「すいません。ですが私にはどうすることも出来ず……」担当の銀行員は深く頭を下げた。
彼自身、色々と手を尽くしてくれたらしいが、上の決定には逆らえなかったようだった。
それだけならまだしも、その銀行は今まで融資していた金額を早急に返済するように言って来た。
だが、そんな余力が大手引受先から契約を解除されたばかりの昌平の会社にあるはずもない。昌平の会社はまさに死に体だった。どうにかいま上げられる利益で延命措置を続けながら、返済の期限を先延ばし、新たな融資先を探し出さなければならない。
しかし、そんなに都合よく話が進むはずもなく、今日もこうして融資の審査を受けに来た銀行で門前払いを食らっていた。
無駄に長い溜息を吐きながら、昌平は車のエアコンを入れた。吹き出した冷たい風が心地良く、少しだけ落ち着きを取り戻した。
昌平は懐から携帯電話 を取り出すと、会社の番号をコールした。
『お世話になっております。柏木繊維工業です』
昌平の妻であり、事務全般を担当している誠子の快活な声が聞こえた。その声を聞いた昌平はほっとしたのも束の間、すぐにやるせない気持ちになった。
「……私だ」
「あ、あなた。お疲れさま。どうでした? そちらは、その……」審査の結果を誠子は言外に尋ねる。
「ダメだったよ」昌平は絞り出すようにして言った。「すまん」
「そうですか」誠子はそう答えると、すぐにいつもの明るい声で言った。「残念でしたね。でも、大丈夫ですよ。必ず、助けてくれるところが見つかるはずです」
「ああ、そうだな」
妻の労いに少しだけ気が楽になる。こんな状況でも彼女は一度も弱音を吐かない。むしろ弱気になっている自分を励まし、支えてくれている。追いつめられて初めて妻のその気丈さに昌平は気付かされた。
「今から会社に戻るよ」あえて明るい口調で昌平は言った。
「ええ、お気をつけて」
昌平は電話を切ると、車を駐車場から出し、会社へと走らせた。
簡単に諦めるわけにはいかない。ハンドルを強く握りながら、昌平はそう誓った。