雪ん子、あるいは雪女、雪男
冬のある朝、直樹は中学校へ行くために通学路を歩いていると、奇妙な物を見つけた。通りかかった家の庭に、人の形をした等身大の雪像のようなものが立っていたのだ。その家はどこにでもあるようなこぢんまりとした一軒家で、向かって右隣に幅2メートル、奥行き10メートルくらいの庭があった。最近は雪の降る日が多く、辺り一面雪が積もっているので、この家の住人が遊びで作ったのかもしれない。ただ、表面に人の手が加えられた形跡は無く、顔に当たる部分に目鼻などが彫られているわけではなかった。まるで棒立ちのマネキンが、降り積もった雪に姿を覆い隠されているかのようである。
「あれなんだろう?」
直樹は一緒にいた友達の明彦に言った。
「雪像かな」と明彦。「それにしては雑だけど」
ここら辺は田舎なので、その家の周囲には田んぼと道路しかなく、隣接する他の家が無い。また垣根などに囲われていなかったので、敷地に入らずとも庭の全貌が見渡せた。奇妙な雪像は庭の奥の方に佇んでいる。二人は敷地に入らないギリギリのところまで近づき、雪像を観察した。地面から二本の足が伸び、胴体に繋がって、そこから頭と腕に当たる部分が盛り上がっている。どう見ても人の形だ。
「この家の人が作ったのかな、あれ」と直樹。
「そうじゃないか? それしか考えられないし。でも何であんなもん作ったんだろう。雪だるまなら分かるけど。というかあれ、ほんとに作り物か? 手で固めた感じじゃなくね?」
明彦の疑問は直樹も抱いていた。もし人が作ったものなら、雪が不自然に固められた跡が見て取れるはずだ。しかし、あの雪像にはそれがない。辺りの雪と同じように、自然に降り積もったように見える。だが、辺りに積もった雪は高さが10センチ程度しかないので、自然に人の形に積もったとは考えられない。
直樹は少し思案してから言った。
「たぶん、あの人型を作ってからまた雪が降って、手で固められた雪が隠れたんじゃないかな」
「あーなるほどな。じゃあ、やっぱ誰かが作ったんだ。いや、もしかしたらあの雪の下に何かが立ってるのかもしれない。銅像みたいな」
「そんなものがあるなら、もっと早くに気づくと思うけど。毎日通ってるんだから」
「昨日置いたばっかりなんじゃねえの?」
「そっか。それはあり得るかな」
「てかさ、あれ、なんか、怖くね?」
「……」
たしかにそうだな、と直樹は思った。雪像の顔に当たる部分には何も付けられていない。雪だるまなら石などで目を作るが、雪像の顔は白いだけだ。しかし、人の形をしていて、しかも等身大だからなのか、本物の人間がこっちを見ているような感じがする。
「そうだね。さっさと学校に行こう」と直樹は返事をし、二人はまた歩き出した。直樹は明彦とたわいもない雑談をし、雪像のことなどすぐに忘れた。
翌朝、直樹は待ち合わせ場所の小さな空き地に行き、明彦と合流して学校に向かった。開口一番、明彦が言った。
「昨日、変な人型の雪像あっただろ?」
「ん? ああ、それが何」
「昨日母ちゃんに聞いたんだけどさ、あれ、雪ん子かもしれないぞ?」
「雪ん子? なにそれ、妖怪の名前?」
「まあそうなんだけど、妖怪の名前が付けられた自然現象って感じかな。ああいう雪像、ここら辺の地域では自然にできるらしいぜ。たまーにだけど」
「絶対嘘だよ。あんなものが自然にできるわけない」
「でも母ちゃんは雪ん子見たことあるんだって。子供のときに一度だけ。ここら辺では雪ん子って名前だけど、隣町では雪女とか雪男とかって呼ばれてるらしい。名前はバラバラだけど、とにかく言い表してる物は一緒だ。自然にできた人型の雪像をそう呼ぶらしい。しかも面白いのはな、雪ん子の中は、空洞らしいんだよ」
「空洞? 雪もないの?」
「そう。カマクラみたいに中が穴になってるんだって」
「嘘くさいなあ。でも、明彦の母ちゃんは見たんだ?」
「うん。外側の雪を崩したら、中が空洞だったって」
「それが本当だとしたら面白いね」
「だろ? だからあれも雪ん子かどうか確かめようぜ? 雪が溶ける前に」
「確かめるって、どうやって?」
「どうやってって、雪像を壊すしかないだろ」
「そんなのダメだよ。もし人が作ったものだったらどうするの?」
「大丈夫だって。もしちょっと壊して、中が空洞じゃないって分かったら、周りの雪をくっつけて直しとけばいいんだよ」
「うーん、まあ、形は単純だから、直すのは簡単そうだけど……」
「そうそう。心配することないって。それに、直樹だって気になるだろ?」
「うん、気になる」
「じゃっ、決まりだな」
二人は三分ほど歩き、例の家にたどり着いた。あの雪像は昨日と同じように立っている。
明彦は何の迷いもなく、庭にずんずん入っていった。
直樹は少し躊躇したが、家の人に見つかったら事情を説明して謝ろうと思い、庭に足を踏み入れた。
近づいて見る雪像は、見れば見るほど人の形をしていて、高さは160センチほどあった。先に明彦が雪像に触れた。頭に当たる部分の雪を手を払っていく。直樹は雪の中から人間が出てくることを想像してしまい、身震いした。
表面の雪が少しずつ地面に落ちる。そして、穴が開いた。
「おっ、ほんとに雪ん子かも」
明彦はそう言って穴に指を突っ込み、強引に周りの雪を引き剥がした。雪像の顔半分が崩れる。雪像の中身は、本当に空洞だった。
「すごい……」
直樹は思わず呟いた。
明彦がはしゃぎながら言う。
「ほんとに雪ん子だったな。てことは、これが自然にできたってことだ。すげぇな。胴体も空洞かな」
明彦は雪像の中身を上から覗きこもうとした。そのときだった。
「あっつ」
明彦はすぐに顔を雪像から離した。手で顔を押さえている。
「どうしたの、大丈夫?」
直樹は明彦に近づいて顔を覗いた。心配したが、明彦の顔にはすぐに笑みが浮かんだ。
「すごいぞ、この中、めちゃくちゃ熱くなってんじゃないか?」
明彦は興奮した様子でそう言うと、手袋を外して雪像の中に手を近づけた。
「あっつ、やっぱりだ!」
明彦はすぐに手を引っ込め、熱そうに振った。
直樹も真似することにした。手袋を外して、恐る恐る雪像の中に近づける。すると、まるで火に近づけたような猛烈な熱さを指先に感じた。
直樹はすぐさま手を引っ込めて言った。
「こんなに熱いなら、雪が溶けて空洞になるのも当然だね。でも、それなら周りの雪もすぐに溶けるはずだけど」
「面白いな。外側は気温が低いから雪が融けないのかもしれない」
そんなわけない、と直樹は思ったが、口には出さなかった。直樹にだってなぜ雪が融けないのか見当もつかない。
「でも」と直樹。「なんでこんなに熱いんだろう?」
「中に何かあるんじゃねえかな」
明彦はそう言って、足で雪像の胴体を押した。
「あっ」
直樹が驚いて声を上げたときには、雪像は軽々と倒れ、地面にぶつかり砕けた。壊れた雪の破片を見るに、やはり胴体の中も空洞だったようだ。
「何してんだよ。全部壊したら元に戻せないだろ」
直樹は周囲にバレないよう、小声で怒鳴った。
「大丈夫、大丈夫。人が作ったんじゃないって分かったんだから、直さなくてもいいって」
明彦はあっけらかんとしている。
「そうかもしれないけど……」
とまどう直樹をよそに、明彦はしゃがんで砕けた雪の破片を手で漁った。だが、熱の発生源になるような物は見つからなかった。
「不思議だな」と明彦。「熱の正体は何だろ。日光とか?」
「日光だけでこうはならないよ。でも他に熱を持つ物なんてないしね……」
「ま、俺たちだけで考えても分からないだろ。もう行こうぜ。急がないと遅刻する」
「うん……」
二人は庭を出て、学校に向かった。
翌朝、待ち合わせ場所で直樹が待っていると、うしろからギュッ、ギュッと雪を踏む音が近づいてきた。そして、突然誰かがうしろから肩に腕をかけてきた。
「わっ」
「……」
寄りかかってきた明彦が大声を出したが、直樹は何の反応も示さなかった。足音がした時点で、どうせ明彦だろうと気づいていたからだ。最初にこれと同じ事をやられたときは飛び上がるほど驚いた。それが相当面白かったらしく、明彦は今でもこうやってたびたび驚かせようとしてくる。
「つまんねー。少しは驚けよ」
「今日は足音で気づいたから」
「そっか。じゃあ、次からはもっと気をつけないと」
「いや、もうやらないでよ」
「おう。もう絶対に、絶対にやらない」
「嘘吐けよ。油断させる気満々じゃん」
二人はいつものようにおしゃべりしながら歩いた。そして、雪ん子があった家の前まで来て驚いた。昨日壊したはずの雪ん子が、また同じ場所に立っていたのだ。二人は庭の前で立ち止まった。
「また雪ん子ができてる」と直樹。
「昨日も雪降ってたから、雪ん子ができててもおかしくないけど、でも、同じ場所にできることってあんのかな」
雪ん子は昨日とまったく同じ場所で佇んでいた。その大きさも形も、昨日と同じように見える。
明彦は眉をひそめて言った。
「やっぱ人が作ってんのかな?」
「でも、それだと熱の原因は何?」
「それは分かんねえけど……」
二人は歩き出し、雪ん子がどうしてできるのか、互いの考えを出し合った。しかし、それらしい答えが見つからないまま、学校に着いた。
翌朝も、雪ん子は昨日と変わらず同じ場所に佇んでいた。だが、もう雪ん子のことは語り尽くしていたので、二人は別の話題で盛り上がりながら、庭の前を素通りした。
変わったことがあったのは、その日の帰り道でのことだった。二人は雪ん子があった家の前まで来て驚いた。学校に行っている間に家が火事になったらしく、外壁が燃え尽きて無くなっていた。真っ黒に焦げた柱がむき出しになっている。
直樹は全焼した家から、庭の方に視線を移した。庭の雪は火によってほとんど溶け、雪ん子はなくなっていた。
「俺、火事になった家、初めて見たよ。すげぇな」
明彦が家を見て言う。直樹も初めてだった。
その後、家の人が無事だったのか、とか、いつごろ火事になったのか、などと話ながら二人は家に帰った。
その日の夜、直樹はニュースで、あの家の火事が報じられているのを見た。それによると、あそこに住んでいたのはお婆さん一人で、買い物に出かけている間に出火したらしい。原因はおそらくストーブの消し忘れだという。
翌朝、直樹は明彦と会ってすぐに、昨日見たニュースのことを話した。明彦もそのニュースは見たらしい。
「お婆さん、可哀想だな。暮らす所あるのかな」と明彦が言った。
直樹も同じことを思った。お婆さんに身寄りがあればいいのだが。
二人は火事があった家の前を通りかかり、立ち止まった。当然、家は昨日と同じように真っ黒な残骸のままだ。
ふと、庭に視線を移すと、雪ん子は無かった。昨日降った雪が庭に積もっている。また雪ん子ができていてもおかしくないのだが。
「どうして雪ん子ができなかったんだろう」
直樹がそう言うと、明彦が気味の悪いことを言い出した。
「雪ん子は火事を知らせてたのかもしれないな」
「えっ、どういうこと」
「雪ん子は火事の前触れって事だよ。雪ん子が家の近くにできると、その家は火事になる……」
「そんな言い伝えがあるの?」
「いや、別にいま考えただけだけど。お前がどうして雪ん子ができないのかなんて訊くから」
「……変なこと言うなよ」
直樹は明彦の言うことを信じたわけではなかったが、妙に引っかかった。雪ん子ができない理由が、火事を知らせる役目を終えたからだとしか考えられなかったからだ。
直樹は怖くなって、別の話題に切り替えた。二人はそのことについて話ながら、また歩き出した。
その日の夜、直樹は奇妙な夢を見た。明彦と一緒に雪ん子があった庭にいる。家は火事になる前の状態だった。明彦が雪ん子の雪を剥がしていく。すると、中から全身が炎に包まれた人間がでてきた。その人はすぐに倒れ込むと苦しそうにのたうちまわり、やがて動かなくなった。
そこで目が覚めた。冬だというのにびっしょりと汗をかいている。明彦があんなことを言って怖がらせるから悪夢を見たのだと思い、直樹は友人を少し恨んだ。
そして、ふとこんなことを思った。雪ん子の中身は、火事で死んだ人の幽霊なのではないだろうか。その幽霊が、火事が起こることを知らせるために、家の近くに佇んでできるのが雪ん子なのではないか。雪ん子の中身が空洞なのは、幽霊がいるからではないだろうか……。
直樹はぶるりと身震いした。汗で濡れた服が冷たい。服を着替え、朝食を取るために台所に行った。
食事を終えると、玄関に行って戸を開けた。ちらちらと小雪が降っている。今はたいしたことないが、空がどんよりと曇っているため、傘を持って待ち合わせ場所に向かった。
目的地に着き、明彦を待っていると、突然うしろから誰かが組み付いてきた。
驚いて心臓が跳ね上がる。組み付いてきたのは当然明彦だ。どうやら自分が来るのを電信柱の陰に隠れて待ちぶせしていたようだ。
驚かすなよ、と言おうとしたとき、明彦は飛びのくように直樹から離れた。直樹が不思議に思って振り向くと、明彦が驚いた顔をして言った。
「お前のうしろ、なんか熱くなってるぞ」
明彦は頬を手で押さえている。それから直樹の正面を凝視して言った。
「おい、そこの雪、浮かんでないか?」
「え?」
直樹は目の前をよく見た。明彦の言う通り、いくつかの雪が空中で静止している。驚いて後ずさりするが、雪もそれに合わせてすっとこちらに近づいてきた。
直樹はまさかと思って手袋を外した。恐る恐るその雪に触れてみる。指先に小さな冷たさが伝わった直後、その向こうから火のような熱さを感じた。雪ん子の中に触れた時のように……。
この作品は、しいなここみ氏主催の自主企画「冬のホラー企画2」の参加作品です。