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第四話

 一学期が始まって最初の週の金曜日。昼休みに廊下を歩いていたら、きょろきょろしている優香を見つけた。

 うちの高校は学年ごとにフロアが分かれているから、二年生の使う廊下に優香がいるのはおかしい。背が低くて子供っぽい優香の見た目もあって「何あれ? 迷子?」と皆に噂されていた。


「あっ、奥野先輩!」


 優香は僕を見つけると、とことこと駆け寄ってきた。


「優香ちゃん?」

「あの、奥野先輩、折り入ってお話が……」


 優香がもじもじしながら話しているので、周囲がざわつく。絶対、優香が僕に告白しに来た、とか思われている。


「こ、ここじゃ人目につくから、あっちで話そう?」

「は、はい」


 慌てて僕は優香を階段の裏にある誰にも見られないスペースに連れて行った。野次馬たちの「ずるいぞ、奥野!」「そんな可愛い彼女いたのかよ」などという罵倒を全部無視して、僕たちは二人、物陰に隠れた。


「どうしたの? 二年の廊下まで来て」

「あの……数学の授業があったんですけど、言ってることが全然わからなくて……このままだと、優香、留年しちゃいます」

「えっ、もうわからないの?」

「はい……優香、頭が悪いので……」


 かなり深刻そうな顔だった。これで放っておいたら、泣き出すかもしれない。

 

「わかった、わかったよ。今日の放課後、僕の家で勉強しよう」

「はい……お願いします」


 こうして、僕たちはふたたび家で会う約束をした。

 帰宅後。約束した時間に優香は現れた。さっそく今日の授業のノートを見せてもらう。一年の最初なので、因数分解の複雑なバージョンからだった。


「うーんと、どうわからないの?」

「その……全然わからなくて……えっくす、とか、わい、とか、どうすればいいんですか」

「んん……?」


 マジで全然わかってない人の言葉だった。


「えっとね、優香ちゃん、この式を簡単にしてみて?」


 僕は適当に、2x+y+3x-5 という式を書いた。


「えっと……こうですか?」


 優香は、謎の計算をしたあと、「7」と答えた。


「どこから出てきたんだよその7って!」

「はう……ごめんなさい……」


 どうやら理解できていない自覚はあるようで、優香はしゅんとしている。


「優香ちゃん……中学の内容がわかってないから、高校の内容ができないのは当然だよ」

「そう、ですよね……優香、特に数学は全然できなくて……」


 僕は考えた。

 このままだと、優香は絶対、数学ができずに留年する。

 優香を鍛え直すためには、中学の内容からもう一度、教え直さないといけない。それはとても大変だ。僕は数学が得意な方だけど、果たして教えきれるかどうか……


「あの、教えてくれたら、毎日先輩のご飯作ります!」


 優香がそう言って、僕の口の中ではあの美味しかったすき焼きの味が思い出された。この一週間、自炊と言っても肉と野菜を適当に炒めたものしか食べていないので、手のこんだ料理が恋しくなってきた頃だった。


「先輩の好きなものを作ります! なので、お願いします!」


 自分の勉強もろくにできていない僕が、他人に一から教えるのは大変だ。でも、こんなに困っている優香を見捨てる訳には、いかなかった。


「わかった……中学の内容からやり直そうね。しばらく授業は意味不明だと思うけど、ノートだけはとっておいて。これから毎日、僕が教えてあげるから」

「はいっ! ありがとうございます! 優香も毎日、先輩のご飯作ります!」


 天使のような笑顔に戻ったのを見て、僕はほっとした。

 それから夕方まで、僕は優香に勉強を教えた。優香は本当に中学通ってたの? というレベルで数学がわかっていなかった。でも飲み込みは早かったので、もしかしたらそのうちついていけるようになるかもしれない、と思った。

 この日は勉強に集中していたので、料理をする時間があまりなかった。それでも優香は、冷蔵庫にある食材から焼きそばをささっと作ってくれた。ものすごく手際がよくて、数十分で完成した。同じ食材を使っているはずなのに、火加減や調味料の配分が絶妙で、とても美味しかった。女の子の作ってもらった料理を食べる、というだけで幸せなのに。勉強を教えることの対価としては、十分すぎる気がした。


「優香ちゃん、料理は得意なんだね」

「はい。シェフのお父さんに習ってましたから」

「なるほど。なんでも作れるんだね」

「はい。レストランみたいに本格的な料理はできないんですけど、簡単なものは一通り作れますっ」


 勉強をしていた時と違って、優香は自信満々だった。


「それじゃ、将来は親御さんのお店で一緒に働きたい、とか?」

「あっ……いえ、そんなつもりは一切ないです。優香、自立できる仕事に就きたいんです」

「そうなの? 例えばどんな?」

「それは、その……まだ決めてません」

「まあ、僕も決めてないし、そんなもんだよ」


 この後、復習すべき課題を伝えて、優香は自分の家に戻った。

 僕の時間はかなり減りそうだけど、こんなに美味しい料理を後輩が作ってくれるなら、とても幸せなことだ。もっとも、料理をすることが優香の負担にならないように、気をつけなければならないけど。

 僕はとてもいい気分で、この日は珍しく、日付が変わる前に寝た。

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