背の高い女はお嫌いですわよね?
3/24 微調整いたしました
私は今、馬車に載せられてクレルモア伯爵様のお屋敷に運ばれております。
件のクレルモア伯爵様がご結婚なされるそうなのですが、びっくりなことに、その結婚相手というのが私のようなのです。
伯爵様にお会いしたことはありませんし、どんな方かも存じ上げません。クレルモアというご家名から察するに、このトラス王国のご出身ではなさそうですが、お齢は私より五つほど上で、しかもこれが初めてのご結婚、初婚でいらっしゃるそうなので、私にとっては望外の好条件です。
なぜなら私、いわゆるキズモノ令嬢なのですから…
つい先週まで、私はランバート伯爵家のご令息であられるアルバート様の婚約者でした。でも一週間前の貴族学園の卒業パーティーで盛大に婚約破棄されてしまいました。会場でアルバート様は、その理由を高らかに宣言されました。
「お前のような大女は嫌いだ!」
それを聞いた会場の皆様の唖然とした顔が、一拍開けてから真っ赤になるのを見ましたが、皆様、笑い事ではありませんのよ。私、とても悲しかったんですから。あの日はちょうど、私の十八歳の誕生日でもありましたのに…
アルバート様との婚約は、二人が七歳のときに決まりました。でも初めての顔合わせの時、アルバート様に大泣きされました。
「僕より背の高い女なんて嫌だ!」
初めてお合いしたとき、私はアルバート様より手のひら一枚分背が高かったのです。でも、それから私なりに頑張りました。料理長に、魚を骨まで食べると背が高くなると教えられ、小魚を砕いて練り込んだパイを焼いては、月に一度のアルバート様とのお茶会に持参したり、ミルクが良いと聞くと、お茶会を伯爵家で開く際には飲み物をミルク一択にしたり。
でもその甲斐虚しく、アルバート様の背が私を超すことは一時もありませんでした。アルバート様の背もぐんぐん伸びたのですが、無情にも、私の背も同じペースで伸び続けたのです。
アルバート様には大変に嫌われて、学園では一切口をきいて下さいませんでした。折々で開かれる学園のパーティーでも、一度もエスコートして頂けません。それが寂しくて悲しくて、いつも帰りの馬車では大泣きしておりました。だからあの婚約破棄に、学園の生徒はおろか、私ですら驚きませんでした。
やっぱり殿方は、伴侶とするならご自分より背の低い方をお望みになるのでしょうね。どうか神様、まだ見ぬクレルモア伯爵様が、私より高身長でありますように。
えぇ、そんな事を願った瞬間もありました。でもお屋敷に着いて、侍女たちにあっと言う間に花嫁のドレスを着せられて、結婚式が行われる中庭に連れてこられて絶望しました。
介添え役の侍女に連れられ神父様の前に立ち、隣のクレルモア伯爵様を横目に見ると、目線の高さに伯爵様の頭頂部がありました。私より背は拳一つ半ほど低いご様子…
いえ、拳は縦にしてですわ。横にしたら数が増えてしまうでしょ。
とにかく、その後の記憶は曖昧です。この結婚で私の不幸は確定しました。ご自分より背の高い女を愛する殿方は居ないのでしょうから、妻となっても疎まれることが確定です。この結婚までの道筋も随分忙しくて荒っぽく、きっと実家であるランズベリー伯爵家と姻戚になる利が目当てなのでしょう。
その事を、改めて初夜の寝室で確信いたしました。
「私が無理を言ったために随分慌ただしい結婚になってしまった。だから貴女は私のことを知らない筈だ。そんな他人に体を預けるのは恐ろしいだろ?だから暫くは交わらない。その前にまず、一緒の時を過ごして私のことを知ってほしい。周りが五月蝿いから同衾はせざるを得ないがね。」
そう言うと私に背を向けて寝てしまわれ、初夜の交わりを拒否なさいました。言葉こそ優しかった気がしますが、やっぱり私のような大きな女はお嫌なのだろうと、その夜は声を殺して涙を零しました。
朝、大変幸せな夢を見ました。小さい頃に大好きだったクマちゃんのぬいぐるみさんが帰ってきてくれたのです。いつもあの子を抱いて寝ていました。柔らかくて暖かで大好きだったのです。でも大きくなると、貴族令嬢にふさわしくないと言われて取り上げられてしまったのですが、あなたは今まで何処に居たの?
パチリと目を明けて、思わず乾いた悲鳴が溢れました。寝ている間にクレルモア伯爵様に…いえ、旦那様に抱きついていたのです。背中から腕を回して…
昨日は動転していて気づきませんでしたが、旦那様はどちらかと言うとポッチャリ系で、腕を回しているお腹のお肉がプヨプヨで柔らかく、何より暖かい!なにこれ?湯たんぽ?湯たんぽですの?
すぐに体を離すべきところを、不覚にも覚醒して尚、抱きついたまま離れられませんでした。
「お目覚めになったかな?」
もう起きて居られたようで、旦那様のしわがれた声がしました。ベッドに起き上がった顔が死人のように憔悴していたのは何故でしょう?
私も慌てて起き上がり、はしたない振る舞いを平謝りに謝罪いたしました。夢の中の事なので不可抗力だと笑って下さいましたけれど。
「まずは屋敷の中を案内したい。」
朝食後、そう言って私の隣に立つと、旦那様はさり気なく腕を組んでくださったので、自然にその肘に手を添えることが出来ました。ずっと夢見ていたけれど、アルバート様にはついぞして頂けなかったエスコートを、生まれて初めてして頂いたのです。
思い描いていたものより、私の手の位置は大分低いのが気になりましたが、嬉しくて浮かれそうになってしまいました。でもこれはきっと形だけのもの。私のような大きな女は愛されないと、改めて気を引き締めます。それでも、旦那様の丸みを帯びた背中やお腹が目に入るたびに、浅い夢の幸せな記憶が蘇って顔が綻ぶのに困ってしまいました。
家令のフランシスは
「奥様のようにお綺麗な方に来ていただき、旦那様は幸せ者です。」
嬉しそうな笑顔で言うのですが、顎を上げて上目遣いなのが気になって、精一杯猫背にしていたので何を話しているのか頭に入って来ませんでした。この家令も私より背が低いのです。
でも、その家令を含め家の者たちはとても親切で、陰険な雰囲気は全くありませんでした。今までは、何処へ行っても背が高いことを影で笑われていたのです。
ところで、旦那様もそうなのですが、家の者は皆、異国風の少し異なる顔立ちをしています。
「私を含めこの家の者たちは、大半が海向こうの大陸から来たのだよ。」
旦那様が説明してくださいました。ご出身は、海を挟んだオーランド大陸の大国、ブルゴーニュ帝国の貴族家だそうで、トラス王国との通商のために海を渡り、そしてそのままこの国に残って帝国の窓口となって居られるそうです。
お金持ちなようで、同じ伯爵とはいえ、こちらのお屋敷の調度品は、どれも超が付く高級品ばかりです。でも私は愛されないお飾りの妻。旦那様のご迷惑にならないよう、弁えてひっそりと暮らしてゆこうと心に決めます。
それにしても旦那様、とても紳士でいらっしゃいます。庭に設えられたお茶の席に付く時も、椅子を引いて私を座らせてくださいます。
学園の食堂では、女生徒が座ろうとすると、決まって近くの男子生徒が椅子を引いてくれました。でも私には、そんな事をしてくださる男子は一人もいませんでした。それどころか
「背もたれの丈が足りないぞ。」
「視界が遮られて食堂が狭く見える。」
一人で席に着く私は、そんな口さがない悪口を浴びせられていましたの。
それから数日、旦那様はずっと紳士的な態度で私に接してくださり、なんだか勘違いしてしまいそうな自分を必死で戒めておりました。
夜もベッドを共にしましたが、相変わらず夫婦の交わりは無いものの、これも相変わらず、朝には旦那様に抱きついたまま目を覚まします。あまりに柔らかくて暖かく、今朝はついに、目を覚ました後も寝たふりをして、暫く旦那様に抱きついたままでおりました。
「もう起きて居られるのだろう?」
旦那様がゆっくりとベッドに起き上がると、私に向き直りました。
「実は、貴女と一緒に寝るようになってから、よく眠れていないのだ。正直辛かった。いろいろとその…我慢をせねばならなくて…」
相変わらず死人のような顔ですが、このお方は朝はいつもこんな風なのだろうと思っていたのですが、どうやら私が原因だったようです。
「貴女はいつも私よりも先に寝てしまうのだが、そうするとすぐ、私に抱きついてくるのだ。」
顔から血の気がサッと引くのが分かりました。なんてことでしょう…
「大変申し訳ありません。こんな大女に夜の間ずっと抱きつかれて、さぞかしお嫌だったでしょう。」
ベッドに頭をこすりつけて謝罪すると、旦那様が不思議そうに声をかけてくださいます。
「大女とは、貴女の背が高いことを言っているのか?」
私はコクコクと頷きます。思いがけず、目に涙がいっぱい溜まっておりました。そんな大変なご迷惑をおかけしたならば、今日までの丁寧な扱いも終いでしょう。ありがとうございます、儚い淑女のように扱っていただき、良い夢を見させていただきました。
「背の高い女性は嫌いではない。いや、寧ろ大変好ましい。」
でも、旦那様の口からそんな信じられない言葉が発せられて驚きました。
「祖国では、女性は背が高いほど尊く美しいとされる。実際、手足が長く背がスラリと伸びた姿は、男だろうと女だろうと、端正で美しく見えるだろ?貴女だって背が高くて美しく…とても好ましく思う。」
そう言って、真っ赤なお顔になって俯かれます。
「貴女を嫌だと思った事など無い。そもそも、学園のパーティーに来賓として招かれた時に見かけてから、ずっと貴女に焦がれていた。だから貴女の婚約が無くなったと聞いて、強引に婚姻を申し込んだのだ。」
そして今度は旦那様が、目に涙を溜めて私を見つめます。
「それに比べて私は、背も低いし太っている。こんな醜い男は、きっと貴女の好みではないだろう?」
肩を落とされた旦那様の姿は尚のこと丸みを帯びて、あまりに柔らかそうで私の胸がキュンキュンしてしまいました。
「とんでもない!醜くなどありませんわ。旦那様はとても…とっても可愛く見えますわ。」
すると旦那様は、心底驚いたようなお顔を向けられました。
「こんな私を、嫌ではないのか?」
私は、コクコクコクと何度も頷きます。貴方は私を、とても紳士的に丁寧に扱って下さいました。正直、色々有って私の心はひどく傷ついていましたけれど、この数日の貴方の優しさが…あと貴方の柔らかくて温かなお腹が、どれだけ私を癒やしてくれたことでしょう。
カーテンが閉じられているとはいえ良く晴れた明るい朝で、外から小鳥のさえずりが聞こえ、使用人たちが廊下を行き来する足音が聞こえ始めました。秘事には全く不釣り合いな時刻ではありましたが、それから私達は、夫婦として初めて結ばれたのでした。
もう昼はとうに過ぎているのでしょうね。
私を受け入れてくださるというお言葉に、初めこそ半信半疑でしたが、その後に頂いた情の激しいこと…えぇ、私、ちょっとビックリいたしましたわ。でもそれで、旦那様を信じることが出来ました。だから、初めてで拙かったかもしれませんが、私も想いをお伝えしようと一生懸命お応え致しました。
旦那様は今、私の胸に顔を埋めながら眠って居られます。その髪を撫でて差し上げながら、心が暖かく満たされてゆくのを感じます。きっと、これを愛と言うのでしょうね。
あぁ、それにしても、なんて柔らかくて暖かいのでしょう。可愛い可愛い私のクマちゃ…いえ、旦那様、愛しておりますわ。これから二人で、いっぱいいっぱい幸せになりましょうね。