4.お礼の指輪と無自覚な恋の狩人
夜、部屋に戻ってくつろいでいると、弟のウィルフレッドから電話がかかってきた。
「あ、もしもし? 姉さん? 今ちょっと話せる?」
「うん。話せるけど、どうかしたの?」
アンティーク風チェストの上に飾った、アレンの絵を見ながら微笑む。今は夏だから、夏の絵を飾った。祝祭の時貰って、その美しい色使いに感動したけど、好きな人が自分のためにわざわざ練習して、描いてくれたんだと思うと、胸の奥がそわそわしてしまう。木のフレームの中には、青い海と白いカモメ、そして麦わら帽子をかぶった、私とよく似た女の子が描かれていた。他にも沢山貰ったけど、この絵が一番のお気に入り。メモ帳サイズの魔術手帳を耳に当てながら、口角を持ち上げる。
「明後日、誕生日だよね? 実家に帰ってくる? 父さんも母さんもみんなでお祝いしようかって、そう言ってるんだけど」
「ええっ!? そうだった、明後日だった!!」
「えっ? もしかして忘れてたの?」
すっかり忘れてた、私ったらもう! アレンにプールの時、日焼け止めを塗って貰えば良かったなぁとか、もうちょっと雰囲気のある、夜のバーとか一緒に行こうって誘っちゃおうかなとか、そんなことばかり考えていて、すっかり忘れちゃってた……。
「ど、どうしよう? みんな、きっと私の誕生日知らないよね……!? お祝い、お祝いして欲しかったなぁ。あああああ、もっと早く言っておけば良かったかもしれない! 明日から準備じゃきっと、ぎりぎりで」
「大丈夫だよ、姉さん! 俺がアレンにちゃーんと、姉さんを祝うよう、そう念押ししておいたから!!」
「えっ!? そうなの?」
ここのところアレンが毎週、どこかへお出かけするのもそれなのかな? 行き先を聞いても教えてくれないし、こっそりついて行こうとしたら、ヘンリーとダニエルさんに慌てて止められちゃったし。ハリーもどことなく浮かれていて、廊下で踊ってピルエットしたりしてるし、フレデリックさんもフレデリックさんで、「最近、欲しいと思ったものは?」って聞いてくるし……。
「もっ、もしかして冷蔵庫に入ってた牛肉もそれなのかな……!? すっごくね? 大きいブロック肉が入ってて」
「だと思うよ。でも、まぁ、みんな、姉さんにサプライズしようと思っているだろうから、聞かない方がいいよ」
「だっ、だよね!? じゃあ二日間、そわそわして待っていようかな……」
そっか~、みんな、お祝いのために動いてくれてたんだ~。そっか~。だから先週の日曜日も、ノアとマリエルさんが「お買い物にでも行かない?」って、誘ってくれたのかな~? 笑いながらそんなことを話していると、ふいにノックが響き渡った。
「はーい! ごめん、ウィル。誰か来たから。またね~」
「あのっ、姉さん!? かけ直してくれるよね!?」
「アレンだったらかけ直さないよ。じゃあね~」
「えっ!? ちょっと待って、」
ぱたんと、魔術手帳を閉じて電話を切る。だって、アレンだったらゆっくり喋りたいんだもん。普段はヘンリーと同じ部屋で寝泊りしてるから、遊びに行っても長居出来ないし。
(ああ、私もアレンと一緒の部屋に住みたいな~)
そして、出来ればあの坂の上に建つ洋館に住みたい。目指せ、結婚! とは思ってるけど気が早いかもしれない。アレンが買ってくれた、小さいハムスターが集まって眠っているスリッパに履き替え、慌てて部屋のドアを開ける。
「はーいって、あれ? ダニエルさん? こんばんは!」
「こ、ここんばん、」
「俺もいるよ~、メイベルちゃん。やっほー」
「ノア! どうしたの? 何か珍しい組み合わせだね……」
首を傾げながらも、気まずそうに背中を曲げているダニエルと、その背後で嬉しそうな顔をしているノアを招き入れ、ドアを閉める。二人とも、それぞれパジャマを着ていた。ダニエルは友好の証として、ハリーから貰ったという、黄色いお星様とお月様の青いパジャマ。ノアは一目で上質だと分かる、深い紺色のパジャマを着ている。
二人はここでお酒を飲むつもりなのか、チーズクラッカーと小さなワインボトル、グラスまで持ってきていた。それらをテーブルの上へと並べ、最近購入した、ミモザ柄のカウチソファーへと腰かける。ぎゅうぎゅう詰めになってしまいそうなのを見て、ダニエルが絨毯へと直接座り込んだ。
「すみません。椅子、買った方がいいかな……?」
「あ、えっと、大丈夫。ここで……」
「アレンに言いなよ、メイベルちゃん。すぐに買ってくれるよ?」
「う、うーん……それは流石に申し訳ないから」
三つあるグラスの内の一つに、真っ赤な色のワインを注いでいたノアが手を止め、「あ、飲ませたら俺がアレンに怒られるか」と言って、困ったように笑う。
「で、でも、ちょっとぐらいなら許されるんじゃない? 私も飲みたいな~」
「だめだって。泣くじゃん、メイベルちゃん。酔うとすぐにさぁ」
「すごいよね。ノアは強くて……」
「俺、顔も赤くならない。ろくに酔ったことない」
「いいな~、私もそうやって楽しみたーい」
「酔わないのも酔わないので、つまんないけどね。酔うあの感じが味わえなくて」
「そっか。それもそうだね……」
何となく、どうして来たのか聞き出せないまま、チーズクラッカーをつまむ。ぴりっと、黒胡椒がきいていて美味しかった。もう一枚つまんで食べていると、それまで口を開いては、閉じを繰り返していたダニエルが、意を決した表情で話しかけてくる。
「あの、俺、その、メイベル?」
「はい、どうかしましたか? すみません、ついノアと話しちゃって」
「何か渡したいものがあるんだって。律儀だよね、ダニエルさん。いや、紳士的かな? 夜、一人で女性の部屋に行くのはどうかと思って、俺を誘ってきてさ」
「あれ? そうだったんですか? でも、別に気にしなくても良かったのに……」
そう返すと、向かいで困ったように笑う。去年の冬から伸ばし続けている黒髪はもう、ぎりぎり肩甲骨に触れるぐらい伸びていて、綺麗に結び、鎖骨へとゆったり垂らしていた。黒縁眼鏡ももう、曇っていない。
「いや、その、ハリーが真似し出すから……それに、禁止している手前、その、自分から破るのは良くないなぁって。それで」
「禁止……」
「一応ね、ここにも禁止事項はあるから。一応ね」
「の、ノア、く、繰り返さないで欲しいんだけど……?」
「ごめんごめん。だって、みんなその存在自体忘れちゃってるじゃん? だから。あ、はい。ワインをどうぞ、ダニエルさん」
「ありがとう……」
「いいな~、私も飲みたーい」
一口ぐらい、飲ませて貰えるかな? と思ってぼやいてみせると、ダニエルがちょっとだけ笑ってグラスを持ち上げ、その赤い液体を口に含んだ。どうも飲ませては貰えないみたい。隣に座ったノアが茶化すように、「諦めなって、すぐ酔っちゃうお子様は」と言ってくる。
「ん~、いいもん。アレンと飲むから! 俺以外の男の前で飲むなよって、そう言われてるから、今度また、一緒にバーにでも行く……」
「えっ? あいつ、そんなこと言ってんの? 完壁彼氏面じゃん。うける」
「そうなの。でも、そんなところが好きなの! もっと言って欲しいな~」
「あ~、砂糖吐きそう。のろけ、のろけ」
「まだ付き合ってないから、のろけじゃない~」
「あ、そ、そうだ。メイベル。はい、これ。どうぞ。お礼だから……」
「へっ? お礼?」
ごそごそと、ポケットを探って取り出してきたのは、青いビロード張りの小箱だった。テーブルの上に乗せられたそれを、ノアと一緒に眺める。照明が落とされ、薄暗く、温かいオレンジ色のシェードランプだけがぼんやりと光る部屋の中でも、その起毛がはっきりと見てとれた。
「これは……あの」
「その、母親と話せたから。メイベルのおかげで」
「お母様と……? ああ、そう言えばこの間、実家に行ってましたよね?」
「そ、そう。……逃げてばかりじゃだめってのは、頭のどこかで理解してた。こ、この家もいつ、その、取り上げられるか分からなかったし」
「俺達にとっては死活問題だから、助かったよ。ダニエルさん。まぁ、メイベルちゃんのおかげで少しは住みやすく、楽しいって、そう思えるようになってきたところだったし……」
振り返ってみると、照れ臭そうな表情でワインを一気飲みした。思わず笑みがこぼれる。最初、入居したての頃はリビングにも寄りつかなかったし、みんなとも距離を置いてたのに。微笑ましく思って、その横顔を見守っていると、ダニエルが口を開いた。
「だ、だから、それはこのお礼……初めてだったから、人に信じて貰えたのは」
「信じて……?」
「覚えてないかな? 覚えてないかもしれない。俺ばっかり、覚えてるのかもしれないけど……」
ごくりと唾を飲み込んでから、残ったワインを一気に飲み干す。意外とお酒に強いのか、顔を赤くさせながらも、その青い瞳には理性的な光が宿っていた。
「い、以前、俺がぐずぐず泣いてた時……その、その日はどうしても銀行に行かなきゃならなくて。でも、みんな諦めてて。えっと、ヘンリーとかアレンとか」
「はい」
ぜんぜん覚えてない。隣でノアが身を乗り出し、ダニエルのグラスへワインを注ぎ始めた。ダニエルがそれを見て、柔らかく笑い、「ありがとう」と囁くような声でお礼を言う。
「その日もそうだけど……あと、女子高生? かな。酔っ払いに絡まれてた時も」
「あっ! ありましたね……ええっと、夜、バニラちゃんと散歩してる時かな?」
「へ~、初耳。それ、俺」
「話したけど、ノア、ぜんぜん聞いてなかったじゃない! も~、ダニエルさん格好良かったのに!」
「あれ? そうだっけ。忘れた」
「ま、まぁ、みんなこんな感じで、たまーに俺が何かしても、気付いて貰えなくて……」
ご、ごめんなさい。私もすごくたまにだけど、すみっこの方にいるからか、いるのを忘れちゃう時がある。罪悪感で胸がずきりと痛んだ。でも。
「あの、信じるって? 何をでしょうか?」
「あっ、そ、そうそう……メイベルは、ヘンリーの話を信じてくれて。昔はもうちょっとちゃんとした人だったって。でも」
「はい」
目を伏せ、嬉しそうな笑みを口元に浮かべている。私、こんな風に感謝して貰える人間なのかな? 違うんじゃないのかな。ライ叔父さんに好かれるため、みんなに親切にしていた時のことを思い出して、胸がずきずきと痛み出す。最近、アレンに夢中で忘れちゃってた……。
「でも、本当は色々出来る人なんだって。誰かを助けるためになら、動けるような人だし、今は辛いことが沢山あって、その性格を上手に出せないだけだって。他のみんなは……家族も含めてだけど」
「はい」
涙が滲み出てきた。私、役に立てたかな? 少しでも、この人の役に立てたんだろうか。偽善からだったけど、それでも、何か出来たのかなぁ。
「誰も俺に期待なんてしてなかった。何かが出来るって、そう信じてくれなかった。でも、メイベルはどんな時でも、泣いてぐずってる時でも出来るって、そう信じてくれた。だ、だから、これはそのお礼……受け取って欲しい」
「は、はい。じゃあ、さっそく……」
「泣いてる。涙もろいね~、メイベルちゃん」
「だ、ダニエルさん、元気になって良かったなって。それに……最近は毎日お風呂に入れてるみたいだし、外にも出れるみたいだし」
「ご、ごめん。心配かけて……」
「いえいえ。わっ」
手に取って開けてみると、不思議な虹色の石がはまった、艶やかな金色の指輪が入っていた。ノアが驚き、「指輪……」と呟く。
「あの、こんな、綺麗だけど受け取れません……」
「えっと、大した値段じゃないし、それに……触ってみて? 指輪に、それに」
「えっ? 触る?」
「あっ、分かった。今話題の石でしょ? これ。失われた術式が刻印されてるやつ」
「失われた術式……?」
ちょっとだけ聞いたことがある。今の魔術とは違って、ほぼ半永久的に持続するものの、気が遠くなるほど、複雑な文様を組み合わせて描く術式。その厄介さから廃れていったって。息を呑みこみ、不思議な煌きを放っている、虹色の石に触れてみると、ぱぁっと、雪明りのような優しい光が飛び散って、霧に包まれた。その白い霧が晴れたあと、虹色だった石は、海のように深い青色へと変化していた。
「わっ!? すごい! これ、アレンの瞳の色だ~……!!」
「あ~、はいはい。メイベルちゃんが今見たい色は、アレンの瞳の色なんだね~? それ、触った人が見たい色へと変化するんだよ。まぁ、厳密に言うと宝石じゃないし、確かに、そこまで値は張らないと思うけどさ~……」
「えっと、ごめん、ノア、か、勘弁して欲しい……メイベル喜んでるし」
「はいはい」
いつの間に仲良くなったのか、ノアが渋い表情で黙り込み、ワインをあおる。好奇心を抑えきれなくなって、試しに右手の薬指にはめ、ランプの光にかざしてみた。
(わぁ、綺麗。アレンの瞳の色そのものだ……)
向かいに座ったダニエルを見てみると、どこか苦しそうな、でも、分かっていたとでも言いたげな微笑みを浮かべている。不思議に思って口を開きかけた瞬間、魔術手帳が鳴った。たぶん、ウィルだ。
「も~! アレンじゃなかったから、いいものを~。ウィルったら!」
「ごめんね? 俺達、アレンじゃなくって……」
「もしもし? ウィル? 一体どうしたの?」
「結局、実家に帰ってくるのかな~って、それだけ」
「あとでかけ直すね~。じゃ」
「あっ、ね、姉さん!?」
ぱたんと魔術手帳を閉じたあと、何故か気まずい沈黙が落ちる。首を傾げていると、隣に座っているノアが「まぁ、うん……」と言い出した。
「恋に全力なメイベルちゃんもいいと思うよ……頑張って仕留めてね、アレンのこと」
「しっ、仕留めるだなんてそんな! そんなつもりはないのに、私!」
「ええっ!?」
「ダニエルさん、そこまで驚かないでくださいよ!? 傷付いちゃうので……!!」




