2.恋の基本はまず、相手を逃がさないところから
ぺたぺたと、ビーチサンダルを履いてプールサイドを歩く。今日は絶好のプール日和で、雲一つない快晴だった。広々としたプールには青い水が湛えられ、子供たちが入って遊んでいる。はしゃいだ声が耳に心地良い。麦わら帽子のつばを掴み、こちらを見て、あぜんとしているアレンに笑いかけてみた。
「あの、どう? 水着。変じゃない?」
「まともに生きてるやつも血迷って、犯罪に手を染めそうな可愛さ。この世の可愛さという可愛さを凝縮させた感じで、究極に可愛い……って、おい! ラッシュガードは!? 渡したよな、俺!」
「暑いからやだ。あの長袖……」
これはマリエルさんが選んで、買ってくれたオフショルダーのビキニで肌面積が多め。肩には赤いチェック柄のリボンが二つ付いている。マリエルさんはこれを見て、「ひたむきな恋を連想させるわね。いいわ! メイベルちゃんにぴったり!」と言って、すぐにレジへと進んでいた。それに、すごく恥ずかしいんだけど、胸元には細いリボンが交差している。……お腹も露出してる。下はかなり心許無くて、足の付け根が見えていた。じっと、アレンが言葉もなく見つめてくる。こっ、ここに来るまでにも、色んな人に見られたのに……。思わず、麦わら帽子のつばを掴んで、顔を隠してしまった。
「お、お願い、アレン。恥ずかしいから、そんなにじっと見ないで……?」
「メイベル。今すぐ帰った方がいいんじゃないか?」
「どうして!? 着替えたばかりなのに!?」
「そうですよ、アレンさん。遊ぶべきですよ、せっかくのプールなのに」
「弟……お前な」
意外にも鍛えられた体をしている、シェヘラザードの弟、カイルがビーチボールを持ってやって来た。何故かヒヨコ柄の水着を着たハリーもひょっこり、アレンの肩を掴んで現れる。
「おっ、メイベルちゃん! 可愛い水着だね!? 誰かを意識させるためなのかな!?」
(ハリーが意地悪なことばっかり言う……)
こんな時、ヘンリーがいたら止めてくれるのに。それなのに、ヘンリーはアレンが「プールだとよ。行くか? お前も」と言った瞬間、ぐらりと傾いて、「いや……いいかな、もう。俺は疲れたよ、アレン」と返して額を押さえていた。そんな訳で今日は「弟とプール遊びがしたい」と言い出したシェラのために、カイルさんを呼び出して、邪魔をしたいハリーと、何も考えてないアレンと一緒にプールに来た。
(ああ、早くも心が折れてしまいそう。で、でも、二人だけは緊張しちゃうし……)
恋心に気付いて欲しくないような、気が付いて欲しいような。途方に暮れていたその時、カイルがさらりと助け舟を出してくれる。
「俺を意識させるためですよね? ありがとうございます、メイベルさん」
「いや、お前を意識させるためではないだろ……メイベル? ほら、お前、ラッシュガード。やっぱ着た方がいい、」
「ラッシュガードは暑いからいや! でも、その、アレンが着てるパーカーなら着れるかもしれないな~……」
「そうか。じゃあ、これでも着とけ」
「脱ぐのが早いですね、アレンさん……」
やった! アレンが着ているパーカーが手に入った! ラッシュガードより断然良いし、彼女気分が味わえちゃうかもしれない。いそいそと、アレンが持ってくれているパーカーに腕を通して、羽織る。アレンは「よし」と言って、満足そうな笑みを浮かべながら、私の代わりにファスナーを上げてくれた。その優しい笑みに見惚れていると、おもむろに、ハリーがアレンの肩をがっと掴む。
「ごめん、メイベルちゃん。そのパーカー、俺が借りて着る予定だったんだよね……」
「あ? 聞いてないが、一言も。そんな話は」
「……これはアレンが私に貸してくれたものだから。ごめんね? ハリー」
「じゃあ、メイベルちゃんの水着を俺に貸してって、あだっ!?」
「帰れ! もうお前は! メイベルを丸裸にするつもりか!? というか、お前がこのリボンの水着を着て一体どうする!!」
「ナンパして貰うっ!」
「アホか! そんな不審者、一体誰がナンパするんだよ!? お仲間を引き寄せるだけだっての! うらぁっ!」
げしげしと、いつもみたいにアレンがハリーのことを蹴り飛ばしている。でも、ハリーがこっちを見て、「ふふん」とでも言いたげな、嫌な笑い方をしていた。かっと、灼熱の太陽が照りつけてくる。私の心も何だか燃えてきた。ふるふると、拳を震わせていると、カイルが訝しげに「メイベルさん……?」と聞いてくる。
「私……私」
「はい。どうかしましたか? あっ、姉さん。やっと来た」
「ん、トイレ行ってた」
「今日こそはハリーからアレンを奪い取って、二人だけで楽しく遊ぶの……!!」
「俺が来た意味は……?」
「もっ、もちろんありますよ! シェラと二人で遊んでくださいね! 姉弟仲良く! それじゃ!」
「あっ、あ~……」
「諦めた方がいいと思う。カイルはメイベルのこと」
ハリーが舌を出して、お尻を叩きながら「やーい、やーい! メイベルちゃんの保護者ー! お父た~ん!」と言ってバカにしたからか、アレンが怒って「てめぇ!! だからどうした!?」と叫んで、走っていっちゃった。休日の午後、あちらこちらにカップルや家族連れがあふれる中、必死に追いかける。
(ああっ、ここで誰かが私をナンパして、アレンがそれに気が付いて追い払ってくれないかな……!!)
でも、そんな都合の良いことは起きてくれないから。ぜいぜいと、息を荒げて立ち止まる。二人がちっとも見つからない、影も形も無い。ちょうど目の前には、流れるプールがあった。ここは今年リニューアルされた大型のプール施設で、魔術仕掛けのアトラクションもあるし、屋台もいっぱい並んでる。だから本当はアレンと一緒に泳いで、ソフトクリームを食べて、アトラクションにも乗って、最後はビーチベッドでまったりしたかったのに……!!
(……私、何してるんだろう? 最初から、アレンだけを誘えば良かったのになぁ)
でも、怖かった。今の関係を壊しちゃう、「好き」の一言を言うのが怖かった。知られるのが怖かった。空は青くて、辺りは休日の賑やかさに包まれているのに、こんなにも胸が苦しい。上手くいかない。恋をしてから、矛盾だらけのことをしているような気がする。ふうと溜め息を吐いて、気を取り直し、ひたりと足先を冷たい水に浸す。するとその時、ざばぁっと、ハリーが魚のように飛び出してきた。
「っとお! メイベルちゃん、こんにちは!! ごめん、俺、アレンを怒らせすぎちゃって追われてるから助けて欲し、うわぁっ!? 出たあああああっ!」
「うるせぇ!! ちょこまかちょこまか、ちょこまかちょこまかと逃げやがって!!」
「アレン!」
「おー、メイベル。置いてってごめんなって、おい!?」
慌ててプールに飛び込んで、一緒に流れる。アレンが焦って「おい! お前、もうちょっと考えて飛び込めよ!」と言って、腕を掴み、水中から引き上げてくれた。アレンは「流れるプールなんて、メイベルが溺れそうだから嫌だ」って、そう言ってたけど、結局は連れて来てくれた。流れに身を任せながら、アレンの腕にしがみつく。
「わ、私、アレンと二人きりで、一緒に泳ぎたいの……!!」
「えっ」
「は、ハリーもいるよ? 俺もいるよ!? 三人で遊ばない!?」
「遊ばない……ハリーがいると、その、髪とか濡れちゃいそうだし……」
「いや、ここプールだよね!? ていうかもう濡れてるよね!? 追い払い方が雑! 元社畜とも一緒に遊ぼうよ!?」
私、分かっちゃった。どんなに怖くても、関係が壊れちゃうのが嫌でも、勇気を出して一歩進まなきゃだめだって。戸惑うアレンに「後ろを向いてくれる?」とお願いしてから、背中にしがみつき、しっかりと首に腕を回す。
「ハリーとは遊ばない……!! 私、アレンと二人だけでいたいの! ねぇ、だめ? アレン。あっ」
「ちょっ、沈んだ!! メイベルちゃんの脅し文句で沈んだ!!」
「アレン、大丈夫!?」
いきなりざぶんと、水中に頭を突っ込んだアレンが急浮上してから、私を「よいしょっと!」と言って背負い直してくれた。その顔が見えない、見たいのに。
「……悪いな、ハリー。選ばれたのはお前じゃないんだよ。この俺なんだよ!!」
「誇らしげな顔してるなぁ、アレン……」
「まぁ、アレンさん、背中も広いし、選ばれたのはそんな理由じゃないですかね……?」
「てめえ、今どっから現われた。弟」
「あたしもいるよ……」
「プール怖いな! 何だよ、お前ら」
次々と辺りの水面から、シェヘラザードとカイルがざぶんと顔を出した。二人が無表情でじっと、こちらを見つめてくる。どうしてか、群れているアシカを思い出しちゃった。アレンが溜め息を吐き、私をもう一度抱え直す。
「まぁ、俺もメイベルと二人きりが良かったし。逃げるか? なぁ?」
「逃げる……?」
「全力で沈めてやるぞ、アレン。一人だけメイベルちゃんとキャッキャウフフ、楽しく遊ぶ気なんだな……? そうなんだな!? 夏のプールでイチャつく気なんだな!? 陰キャの風上にも置けない!!」
「うるせーよ、誰が陰キャだ!! ……それに、こっちには魔術があるしなぁ~」
「「あっ」」
アレンがくるりと指を動かし、にやりと笑った。そんな気がした。驚いて目を瞬いていると、黄色と虹色の星が点滅し始める。はっと息を飲み込んでいると、いきなり水が渦を巻いて、私の視界を覆った。プールの監視員さんでも通りかかったのか、「お客様、公共の場での魔術の使用は────……」という声が遠くの方から聞こえてくる。辺りが静まり返ったあと、おそるおそる、目を開けてみる。すると、アレンが私のことを抱えていた。顔がやけに近い。もしかして今、私、お姫様抱っこされてる!?
「えっ? ……えっ!?」
「悪いな、手荒な真似をして。ほい」
「えっ? うん、ありがとう……」
別にあのままでも良かったんだけど。ざぶんと、音を立てて水の中に降りる。奥の方には岩で出来た壁と、激しく流れ落ちる滝があった。幻影魔術なのか、目の前に煌く虹色のクジラが現れ、水しぶきを上げる。途端にばららっと、頭上に水が降り注いできた。
「わっ……」
「大丈夫か? あと、あいつらのいた場所からはかなり離れているから。好きに泳いで遊べ。あれだろ? お前」
「へっ? うん」
アレンが真剣な顔をして、私の両肩を掴んでくる。も、ももももしかして、とうとうばれちゃったのかもしれない……!!
「今朝、マリエルとライ叔父さんが付き合ったって話聞いて、落ち込んでるんだろ? 俺で良かったら話を聞くからな?」
「……」
「メイベル? どうした? 虚ろな顔して。でも、これはこれで……あっ、カメラ! くそ! ねえ!! 取ってこれたらいいんだけどなぁ。でも、プールはカメラ禁止か? お前の水着姿だけ撮れたら、俺はそれでいいんだけどなぁ~……」
ぶつくさ文句を言いつつ、濡れた黒髪を掻き上げる。今まで余裕が無くて、ぜんぜん見てなかったけど、初めて見るアレンの半裸姿……。その時、アレンがふいにぎょっとした顔で見てきた。
「おい、どうした!? 次は顔が赤いんだが!?」
「あっ、アレンが着るべきだと思う! うっ、うううううっすら腹筋も出ちゃってるし!!」
「えっ? だ、だからどうした?」
「ごめん、その、初めて見るから! 水着姿!!」
「いや、初めてじゃねーだろ。お前。風呂にも一緒に入ったし、旅行先でも海に入っただろうが」
「あっ」
で、でも、好きになってから初めて見たから……これは、これはちょっと!! 勢い良く着ていたパーカーのファスナーを下げると、アレンが「うおっ!? やめろって!」と言って両手を掴んできた。
「は、放して!? 今すぐ着た方がいいと思う、これ……!!」
「なんでだよ!? 卑猥なもん、ぶら下げてる訳じゃねぇし!」
「ちっ、違うから! これは、これは乙女心の問題だからっ!」
「ごめん。俺、今、お前が何言ってるのか、ちっともよく分からない……」
珍しく、アレンが困った顔をしている。でも、必死にパーカーを脱いで渡そうとしていたら、力づくでファスナーを一気に上げてきた。
「あっ、あああああ~……!!」
「……谷間のこれ、目に毒なんだよ。ほい」
「えっ」
り、リボンが交差してることを言ってるのかな……? 呆然と見つめていると、徐々に顔が赤くなってきて、アレンが真顔になる。次の瞬間、ざぶんと水中に沈んでいった。
「アレン!? えっ!?」
「ほら、お前も! せっかくのプールなんだし、泳ごうぜ!?」
「わっ……」
手首を引っ張られて、水中に引きずり込まれる。ぶくぶくとした泡が立って、細かく消えてゆく。目を開けてみると、私の手首を掴んだアレンが、水中でにっと笑っていた。心臓が跳ね上がる。青い瞳が水の中で揺らいでいて、すごく綺麗。それに音が止んでるし、ここだけ二人だけの世界みたい。両腕を伸ばして、その頬に手を添える。
(好きだよ、アレン。大好き……)
音にならなかった。その代わり、無数の泡だけが生まれてゆく。アレンが青い瞳を瞠って、次の瞬間、水面へと顔を出した。
「っぶは! あ~……意外と水深、深かったな」
「う、うん……」
「……あの滝にでも打たれてくるべきか、俺」
「なっ、なんで!? 遊ぼうよ、一緒に!」
アレンは逃げるつもりみたいだけど、そうはさせない。ハリーもいないし、ここからは私のターン! ほくそ笑んだ瞬間、アレンが「ぶしゅん!」とくしゃみをする。
「あ~……なんだ? ちょっと寒気がしてきた。俺、やっぱりあいつらのところに戻って、」
「アレン? 一体どうして?」
「いや、うん。何か怖いから……? 怒ってる?」
「ふふふ、アレンがここにいてくれたら怒らないよ~」
「怒ってるんだな……何かしたっけ? 俺。忘れた……」




