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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第三章 春を楽しみ、夏に思いを馳せ
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23.シェヘラザードの弟と当て馬作戦

 




「どうも。……これ、ケーキです」

「あ、ありがとうございます……」


 春の盛りを過ぎて、庭の花木が夏らしい瑞々しさを宿し始めた頃、シェヘラザードの弟さんがやって来た。広い玄関先で佇む彼は憂鬱そうな顔をして、額に汗を掻き、伝って落ちてきた顎の汗を拭っている。それもそのはず。この暑さなのに、彼は真っ黒なトレンチコートを着て、黒いブーツを履いていた。シェヘラザートと同じ、ダークブルーの短い髪が額に張り付き、心なしか息も上がっている。


 心配になって見上げていると、ふと、精巧な人形のように、形が整った青い瞳がこちらを見下ろしてきた。一瞬だけ、心臓を鷲掴みにされる。上手く言えないけど、生気を感じさせない人なのに、妙に息が止まった。怖い、ともまた違う。惹きつけられるともまた違って、その場に縫い止められる。


「貴女が……メイベル・ロチェスターさん? ええっと、好きです」


 事前に当て馬作戦を伝えておいたからか、ぎこちなく両手をぎゅっと握り締めてきた。すぐさま、ケーキの箱を持っていたアレンが勢いよく手を叩き落とす。


「っはあ!? お前なんかにうちのメイベルはやれん……!! 出直してこい、子宮からな!」

「アレン……どうして父親目線なんだ? どうしてそうなるんだ!?」

「いや、ヘンリー? こいつ、会ったばかりで手を握り締めてきたんだぞ……!? 女好きかもしれん。要注意だ」

「お前がする心配はそこじゃないんだって!! ガードの固い女性みたいなことを言いやがって!」


 すぐ横で、ゆったりとしたグレーのシャツを着たヘンリーと、紺色のポロシャツを着たアレンが揉め出す。す、すごい! この人、できる……!!


(ここまでちゃんと、真剣に当て馬になってくれるだなんて……!! いい人、優しい! 仕事もできそう!)


 感動のあまり、打ち震えてしまった。彼は暑いのか、胸元のトレンチコートを引っ張ってそっぽを向き、「暑い、暑い」と言っている。黒いカチューシャを付け、花柄刺繍の白色ニットカーディガンに、黒いチェック柄のスカートを合わせたメイベルが、にっこりと微笑んでスリッパを手で示した。


「よければどうぞ、スリッパ! 上がってください~」

「あ、どうも……姉は?」

「シェラなら二階でお昼寝してますよ~。起こしてきましょうか?」

「ああ、いいです。どうせ、動物のようにこちらの動向が気になって、降りてくるでしょうから……」

「言わんとしていることは分かるが、実の姉を動物扱いかよ……大幅減点。家族仲の悪いやつにメイベルはやれん!」

「そこじゃないんだって、アレン……そうじゃないんだって!!」


 ヘンリーが弱り果てた声を出して、肩をがくがく揺さぶってると、ものすごく不満そうな顔をして「だってそうだろ? 結婚後、何かとごちゃごちゃ揉めるかもしれないし」と言い出す。そんなアレンを見て、スリッパへと履き替えた彼がちょっとだけ首を傾げ、「ああ」と呟いた。


「俺、実は姉とは連絡を絶っていて……」

「「えっ」」

「あ? そうなのかよ。なんでまた」

「父が酒乱で、暴力を振るうタイプの男だったんですよ。それなのに姉が酒ばかりを飲むので、それで」

「おい、お前……初対面だぞ? 分かってるか?」

「はい、もちろん」


 気まずい沈黙を物ともせず頷き、すたすたと歩き出した。察したアレンが「洗面所なら、まっすぐまっすぐ。違うって、そこじゃねぇって!!」と言いつつ、ケーキの箱をヘンリーに押し付けたあと、彼の腕を引っ張って洗面所へと連れて行く。残された私とヘンリーは、ただ呆然と、顔を見合わせるしかなかった。


「え……意外と馴染んでる? よく分からないな、あれ」

「う、うん……アレン、意外と反応も普通だったし、家を案内してるね? タオルも渡してる……」

「いや、普通かなぁ? あれ……メイベルちゃんもメイベルちゃんで、その、かなり変わってるよなぁ」

「えっ!? 一体どこが!? 普通だと思うけど!?」

「いやぁ~……うーん」


 顔を洗ってトレンチコートを脱ぎ、さっぱりとした様子の彼がテーブルに腰かけ、おしぼりを持ち上げた。そのままタオルを広げ、両手を几帳面に拭いていく。コートを脱いだ下は、真っ黒なシャツとデニムで少しほっとした。


「すみません、アレンさん。色々と良くして頂いて」

「お前な? このクソ暑い日に何着てんだよ……」


 椅子の背もたれにかけられたトレンチコートを、アレンが嫌そうな顔で一瞥したあと、後ろからミントの葉と檸檬入りの氷水をサーブして、やれやれと言わんばかりに溜め息を吐く。そのコップを「どうも。ありがとうございます」と言って受け取り、ぐっと一気に飲み干した。隣に座るヘンリーが、戸惑った顔をして見つめている。


「……実はこれ、姉からの誕生日プレゼントでして」

「へえ。あいつ、弟の誕生日なんて覚えてたのか」

「あ、アレン……シェラもシェラでそれぐらい覚えて、」

「何故か俺が生まれる予定の日を、誕生日だと勘違いしていましたが。あ、俺、三日遅れで生まれたんですよね。出産予定日から」

「へ、へえ~……そうなんですね。なんか、シェラさんの弟って感じがするなぁ」

「ヘンリー。お前もメイベルと同じレモネードでいいか?」

「もう何でもいいよ、好きにしろよ……」

「あ、アレン? 私、別にミントティーで大丈夫だけど?」

「苦手だろ、ミントは。ほい」


 くし切りのレモンがグラスのふちに乗っている、レモネードを持ってきてくれた。綺麗な細長いグラスに入れられたそれを見て、「わぁ、綺麗。可愛い~」と言っていると、背後のアレンがグラスの上で、ぱちんと指を鳴らす。すると、突然青いイルカが飛び出してきた。その小さなイルカが「キューイ!」と鳴いて飛び跳ね、グラスの中へ飛び込んだあと、顔を出して、頑張って体を傾け、ふりふりっと手を振ってくれる。


「か、可愛い~! なに、今の!?」

「練習したんだ、お前が喜ぶと思って。幻覚魔術」

「ありがとう~、可愛い! 楽しい!」

「だろ? 喜ぶと思った」


 嬉しそうな顔で私の頭をぽんぽんと撫でたあと、ヘンリーの前にレモネードを置く。ヘンリーが何故か怯えた様子で、「俺のグラスには何もしないよな……!?」と聞いていた。アレンが怪訝そうな顔をして、「あ? する訳ないだろ。して欲しかったら金を払え」と返す。そんなこちらの様子を見つめ、どこか感心したようにほうっと、向かいの彼が息を吐いた。


「聞いていた通りですね……すごい」

「えっ!? ええっと、あの、改めてメイベル・ロチェスターと申します。今日はお忙しいところを、」

「ああ、申し遅れました。名刺、名刺」

「持ってるのかよ!? 名刺!」

「アレン、ごめん。俺が悪かったから、このネズミをレモネードに戻してくれないか……?」


 弱り果てた声を聞いて振り返ってみると、確かにでーんと、ふてぶてしい顔のネズミが白いランチョンマットの上に座っていた。アレンが舌打ちをして、指を振り、ぼんっとレモネードへ戻す。アレンの魔術の腕は日々上がっていて、それが私を喜ばせるためだって聞いたその時から、口元のにやけが止まらない。むずむずしてしまう。私がほれぼれと、後ろに立つアレンを見て微笑んでいたら、「あの」と声がかかる。


「はい、なんでしょう?」

「これ、名刺です。どうぞよろしく」

「ああ、渡す時は非常識だな! さすがはシェラの弟だ」

「アレン、失礼だろ。それは……」


 遊び人の男性のように、指と指の間に名刺を挟んでポーズを取っていた。戸惑いつつ受け取って見てみると、弁護士と書かれていたので「ん!?」と声が出てしまう。後ろのアレンが「なんだなんだ?」と言って覗き込み、「マジかよ! 担当して欲しくねぇな!」とはっきり口にする。ヘンリーと焦って、同時に弟さんを見てみると、こくりと頷き、「そうなんですよ。いつも戸惑われるんですよ」と返してきた。


「あ、名前はカイル・シャンディです。どうぞよろしく」

「いや、書いてあるから分かるって……そういや、何歳だ? 二十代ではない、よな……?」


 確かに、アレンが戸惑うのも無理はなくて年齢不詳だった。シェラもそんなところがあるけど。カイルが無表情で頷き、「三十二歳です」と言う。


「「えっ!?」」

「ま、まぁ、シェラも三十六だっけか? あいつ。忘れた」

「知りません。姉の年齢なんか」

「えっ、えーっと、シェラのこと、嫌いなんですか……?」


 だから、弟さんの話をした時、嫌そうな顔をしてそっぽを向いていたのかも? 不安になって尋ねてみると、また無表情で「はい」と言ってくる。アレンとヘンリーが、よほどショックだったのか、「はいって言った……」「はいって言ったよ……」と呟く。呆然とするこちらを見て、カイルが初めて、微笑みらしきものをゆっくり浮かべた。でも、どこか温度が無い冷笑だった。


「俺、父のことを見返してやろうと思って弁護士になったんです。まぁ、勉強は昔から得意だったし、母に楽をさせてやりたくて」

「な、なるほど。確かに、シェラさんから聞いた通り、真面目で責任感が強いな……」


 ヘンリーが引き気味に頷いて、ストローの袋を破り、すっとレモネードへと挿して吸い込む。その甘いレモネードを私も飲みたくなって、ストローの袋を探していると、後ろのアレンが「はい」と言って、ストローをグラスへと挿してくれた。何故か、ヘンリーのとは違って、木製の素敵なストローだった。カイルもカイルで、ミントの葉が浮かんだコップを持ち上げ、僅かに残った液体を啜り飲む。


「……で、離婚問題を取り扱う弁護士となった訳ですが」

「離婚問題を……? 浮気とかか」

「そうですね。DVとか性格の不一致とか。結婚詐欺とか」

「結婚詐欺!?」

「まぁ、それはさておき。俺が立派に育ったにも関わらず」

「お、おう……シェラの弟だな」

「シェラさんの弟だな……」

「似てるね……空気感とテンポが」


 困惑していると、アレンが空になったコップを見つめるカイルに気が付き、「ポットごと持ってくるから、ちょっと待ってろ」と言って、キッチンへと向かった。ちゃ、チャンスだ! 今の内に、今の内に当て馬作戦の打ち合わせを……!!


「それなのに、姉は酒ばっかり飲んで、うだつの上がらない、カジノのディラーだのタクシーの運転手だのをやり続けて」

「タクシーの運転手をですか……!?」

「あ、そう言えば入居当時は、バルの店員を兼ねてやってたなぁ。飲めないからやめたって言って、やめたけど、運転手は」

「そ、そうだったの? でも、今はディラーだよね?」

「そのはずだけど……」

「俺、来るつもりなかったんですよね。ここに」


 心の奥に押し込めた悩みでもあるのか、そうぽつりと呟いた。真面目に聞こうと思って座り直すと、横のヘンリーが「マイペースだなぁ……」とぼやく。ま、マイペース? 多分、相談したいだけだと思うんだけど……?


「でも、まぁ、送られてきた写真のメイベルさんが可愛かったし。当て馬になるの、楽しそうだなぁって。そう思ってやってきました」

「そ、そうか……」

「あっ、ありがとうございます! それであの、よかったらこのあと、私と一緒にデートでもしませんか!?」


 私が立ち上がって身を乗り出すと、ちょうどこっちにやって来たアレンが、ガラス製のポットを片手に青い瞳を見開く。ど、どうかな!? 上手くいくかな!? ドキドキハラハラしながら見守っていると、硬直しつつも「だめだ」と言ってくる。途端に、何故かヘンリーがばっと口元を押さえ、「えっ!? 嫉妬!? とうとう!?」と小声で呟く。


「この暑い中でか……!?」

「そっちなのかよ、アレン……!! おい! 俺の期待を返せ!」

「公園なら涼しいのでは? それかメイベルさんの部屋で」

「私の部屋で!?」

「お前な! 今日、メイベルは下着とか服とかいっぱい散らかしてて、」

「待って、待って!? 言わないで!? お願い! あと入ったのなんで!?」

「いや、今日起こしに行く時に偶然見ちゃってさ……。悪い、今度からは目をつぶって歩くから」

「そっ、そういう問題じゃないのにっ……!! もう入らないでよ、私の部屋!!」

「ご、ごめん……」


 な、なんでいつもこうなっちゃうんだろう……。私がぜいぜいと息を荒げていると、カイルとヘンリーが心配そうな顔で見つめてきた。アレンも戸惑って「ごめん」と重ねて謝ってくる。


「もういい、もういいから、アレンは……もうほっといて、私のことは」

「ご、ごめん……悪かったよ、二度としないから」

「カイルさん。一息ついたあと、お散歩にでも行きませんか?」

「メイベル? その、今日は陽射しが強いし、日傘でも持って行って、」

「もういいから、アレンは黙ってて! 私の邪魔をしないで!!」

「ご、ごめん……平日にしか入らないから、もう。部屋……」

「アレン、お前な……」


 あああああ、上手くいかない……。どうしてだろ? するとその時、おもむろにリビングのドアが開いた。全員で振り返って見てみると、黒いタンクトップに短パン姿のシェヘラザードが、うねる黒髪に寝癖をつけてぼうっと突っ立っている。何故か、口には歯磨き粉つきの歯ブラシをくわえていた。


「……おはよ」

「お、おはよう、シェラ……」

「お前の弟、来てんぞ。ほら」

「久しぶり、姉さん」

「久しぶり……」


 そこで気まずい沈黙が落ちる。ええっと、無理にでも引っ張って去っていった方が……!? そこでアレンが慌てて、沈黙する姉弟の間に割って入った。


「ほ、ほら! 行くんだろ!? デート! 行ってこい!」

「あっ、あああああ……!! 今の台詞、俺が言うべきだったよな!? 上手くいかない!」

「あ? 何言ってんだよ、ヘンリー。メイベル! お前、支度してこい! 今日は風が強いから、ズボンに履き替えた方が」

「いいからもう、そういうのは……」

「ご、ごめん……」


 ああ、上手くいかない。八つ当たりしちゃった。私が落ち込みつつ、立ち上がると、同時にカイルも椅子から立ち上がった。


「……姉さん、今日は酒臭くないね?」

「歯磨き粉で消してる……」

「そこは嘘でも飲んでないって言えよ!? まさか、上でぐびぐび飲んでたのか!? 空き瓶転がってるので分かるからな!?」

「ううん、今日は一滴も飲んでない。アルコール度数五%以下はお酒じゃないから」

「いや、酒だからな? お前の計算方法、どうなってんだよ。あと頭も」

「正常。大丈夫!」

「異常が出まくってんな、もう。手遅れか……」


 困惑していると、カイルが「はぁ」とわざとらしく溜め息を吐いたのち、私の下へやって来て、ぎゅっと手を握り締める。驚いて見上げてみると、シェラそっくりの美しい顔立ちが私のことを見下ろしていた。


「じゃあ、行きましょうか。可愛い」

「へっ? は、はい……?」

「……」

「ここだよ! アレン、ここで何か言うべきなのにどうして黙ってるんだよ!?」

「いや、メイベルが可愛いのは空に太陽が昇るごとく、当然なことだからな……」


 胸元に手を当て、芝居がかった仕草で天井を仰ぎみるアレンを見て、ヘンリーが額を押さえつつ、よろめいた。


「おっ、お前の頭が異常なんだよ……!! なんでそうなるんだよ!? 毎回、毎回さぁ!」

「あ? なんだと!? もういっぺん言ってみろ、コラ!!」

「何度も言ってやるよ! 異常だ、異常! 異常異常異常、異常っ!!」

「てめぇ! ヘンリー!! おい、こら! 待てって!」


 また私をほったらかして、二人で楽しそうに騒ぎ出した……。ヘンリーが走って逃げて行くのを追いかけ、アレンがソファーのクッションをぶつける。戸口に立ったシェヘラザードが嫌そうな顔をして、両耳を塞いでいた。私の手を握り締めているカイルは、呆然とした顔で突っ立っている。


「……協力、する気なさそうですね? ヘンリーさんは」

「うっ、うーん……どうなんだろう? 空回りしてるだけかもしれないので」

「なるほど。では、行きましょうか。メイベルさん」

「あっ、はい。行きましょうか……」


 上手くいくのかなぁ? これで本当に。当て馬作戦は。首を傾げつつも、うやうやしくドアを開けてくれたカイルにお礼を言って、リビングをあとにする。去り際、シェヘラザードがじっとこちらを見つめてきた。その視線にふと気が付き、カイルがぺこりと、他人行儀に頭を下げる。その温度感を見て、淋しく思う。


(私がウィルにそんなことされたら、泣いちゃうかもしれないなぁ……)


 でも、人のお家のことにあんまり口出さない方がいいし。彼も彼で、思うところがあるんだろうし。余計なことを言わないようにしようっと、そうしようっと。そう思いながら、靴箱からサンダルを取り出して、履き替えていると、ふいに隣で微笑んだ。やけに優しくて、春の温もりがある微笑みだった。


「……あの?」

「いえ。優しいなと思って」

「そうですかね? でも、本当に優しい人なら、鬱陶しがられるのを覚悟して、その、貴方に色々と言うんじゃないかなって……」


 でも、私は嫌われるのが怖いから。初対面でずけずけと物を言って、嫌がられるのが嫌なだけだから。しょんぼりと落ち込んでいると、ふいに両腕を伸ばして、ドアの前に立った私のことを抱き締めてきた。突然、後ろから抱き締められて硬直する。でも、密着はしていなくて、ふんわりと柔らかく抱き締められていた。


「あ、あの……?」

「……俺、別に姉を嫌ってる訳じゃないんですよ」

「へっ? そ、そうなんですか……?」

「はい。ただ単に、意地を張っているだけで」


 腕はまだ、こちらの体を抱き締めたまま。でも、怖くもなかったし、気持ち悪くもなかった。


(精霊に抱き締められたら、こんな感じなのかな……?)


 熱や生臭さを感じさせなくて、妙に落ち着いてしまった。私が深く息を吸い込むと、ゆっくりと離れていってもう一度、ぎゅっと手を握り締めてくる。その手もどことなく冷えていて、男性の手じゃないみたいだった。柔らかいし、指が細い。


「さ、行きましょうか。……そうだ、メイベルさんの好みのタイプは?」

「ええっと、その、意外と手が早かったりします……?」

「ですね。恋愛は楽しむ派です」

(こ、これはノアがよく言う、ムッツリスケベっていうタイプなのでは……!?)


 ど、どうしよう? 真面目そうに見えて、意外と遊んでいるのかも? 警戒心を強めて、もう一度見上げてみるとにっこり微笑んだ。さっきまでの仏頂面が嘘のよう。


「俺のこと。当て馬から、本命にしたくなったらいつでも言ってくださいね?」

「えっ? あの、ええっと、アレン一筋なので……私は」

「まぁ、人の気持ちというのは変わるので。いつでも」


 そうだ、確かにそうかもしれない。ぐっと、その細くて柔らかい手を握り締め返す。


「だったらきっと、アレンの気持ちもいつか変わります。ああ、別の人に当て馬を頼んだ方が良かったかも……?」

「メイベルさんもメイベルさんで、意外と肉食系ですね」

「はい。アレンがいつもいつも逃げちゃうので……いつか、逃げ場所を無くしてきちんと仕留めないとですね! 頑張ります!」

「へぇ、なるほど。可愛いな……」








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