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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第三章 春を楽しみ、夏に思いを馳せ
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22.本を楽しむためのバーと暴走する恋心

 



「じゃあ、あたしの弟でも呼ぶ?」

「シェラの弟さん? でも、彼女さんは」

「いないって言ってた、昨日」

「昨日なら大丈夫ですね! 今日もいないはず~」


 私がひっそりと、白ワインベースの桃やパイナップルを角切りにして、混ぜ込んだサングリアのグラスへと手を伸ばし、ちびちびと飲み進めていると、隣のソファーに座ったダニエルさんが眉をひそめた。ここはウッド調のバー&レストランで、黒い木目調の板が張られた天井からは、アイアン製のランプがぼんやりと温かく光って吊り下がっている。


 薄暗い、けれども温かな光に包まれた店内は、ほのかに冷房が効いていて、秋の夜のような静けさが漂っている。そんな大人な雰囲気の店には節のある、大きな無垢材が敷き詰められ、壁には本棚が並び、いつでも自由に取って読めるようになっていた。


 それからお客さんが読書を楽しめるようにと、メニューも配慮され、軽くつまめるサンドイッチやあつあつのグラタン、マグカップに入ったスープや温野菜のサラダなど、美味しくて胃に優しいものが沢山あって嬉しい。どれもこれも味付けは薄めで、素材を生かしたものばかりだし! 冷たいグラスを握り締め、黒地に赤いチューリップ柄のシャツワンピースを着たメイベルが、後ろのソファーへともたれた。


「はーっ! でも、一番いいのはこのソファー! ゆったりしてて座り心地がいいし、クッションも沢山あるし、フリンジ付きで可愛いし~」

「め、メイベル、傾いて、お酒が、お酒がこぼれちゃいそうだから……!!」

「メイベル、それ、さっきからいっぱい言ってるね?」

「きっと酔ってるんですよ、シェラさん。は~……アレンがいなくて良かった! 置いてきて正解だったなぁ」


 珍しく、黒いジャケットとデニムを身に付けて、格好良くきめたダニエルさんが慌てる。肩につくほど伸びてきた黒髪は艶があって、綺麗に結ぶと、ライトの光を反射して輝きを放つ。あっさりと、緩んだ手からグラスを取り上げられてしまった。向かいのソファーに腰かけた、シェヘラザードが不満そうな私を見て、僅かに口角を持ち上げ、微笑んだあと、ビールが入ったジョッキを持ち上げてぐびぐびと飲み始める。


 今日の彼女も珍しく、白いTシャツの上から、金色がかったシャンパンベージュ色のジャケットを羽織っていた。癖のある黒髪をまとめあげ、少しメンズライクに仕上げている。その隣で「やれやれ」とでも言いたげに、苦笑しているヘンリーはダニエルに合わせてか、黒い帽子をかぶり、深い青と紺、白が滲んでいるジャケットとベストを着ていた。袖口には金色のボタンが並び、ポケットには、密かに白鳥と星空の刺繍が施されている。


「でも、メイベルちゃん? 俺があとで、アレンに怒鳴られるからお酒もほどほどに、」

「シェラさん? 弟さんってどんな感じの人なんですか?」

「んー……真面目で、責任感が強くて」

「そ、そうなんだ……?」


 私のグラスをテーブルへ戻そうとしていたダニエルさんが、ちょっと怯えた様子で返す。その反応が不満だったようで、イカフライをもすもす食べていたシェヘラザードが「ふんっ!」と言いつつ、両腕を上げ、野生動物のように威嚇していた。ダニエルが戸惑い、そっと視線を逸らす。その横でヘンリーが珈琲カップを持ち上げ、その香りを嗅ぎながら、物憂げに目を伏せた。


「でも、そっか……シェラさんの弟かぁ。会ったこと無いし、どんな人かも想像つかないな」

「協力、してくれるでしょうか……?」


 もう一度、手を伸ばしてサングリア入りのグラスを持ち上げる。すると、ダニエルさんにしては珍しく、さっと機敏に動いて、そっと私の手にパイナップルジュース入りのグラスを押し付けてきた。渋々と、不満に思いながらも、ストローから吸い上げて飲む。


(でも、これはこれで美味しいな……)


 甘いし、パイナップルの爽やかな酸味が口いっぱいに広がる。美味しそうに飲んでいる私を見て、ダニエルさんがほっと息を吐き、胸元を押さえていた。


「でも、メイベルちゃん? 協力って、シェラさんの弟に一体何を頼む気で、」

「当て馬にするんです! マリエルさんとノアが、誰か知らない男の人を部屋に連れ込んで、仲良くした方がいいって言ってました!」

「えーっと、あの二人のアドバイスをその、まともに聞かない方がいいんじゃないかな……?」

「メイベル、悪いの新鮮」

「悪いんですか……? これが」


 何故か、ヘンリーがぞっとした顔で珈琲カップを握り締めていた。こてんと首を傾げていると、ダニエルさんがすかさず、珈琲クリームケーキをこちらへ差し出し、もう片方の手でフォークを手渡してくれた。喜んで受け取り、柔らかなケーキ生地へとさっくり、フォークを入れる。チョコ生地と珈琲クリームがよく合っていて、ほろ苦くて美味しい。


「おい、美味しい~……!! 楽しい! 夜のケーキとお酒っ」

「そっ、そうそう……メイベルちゃんはそうやってほのぼのしていた方が、心臓に優し、」

「でも、ヘンリー? アレンったら最近、すぐに逃げ出そうとするの……悲しい」

「あっ、うん……」

「メイベル可愛い。アレン、逃げたくなるのも分かっちゃう」

「……いっそのこと、ええっと、こくはく、告白した方がいいんじゃないかな……?」


 ダニエルが俯いて、ぼそぼそと呟くと、ヘンリーが途端に感極まった表情でハンカチを取り出し、目元の涙を拭った。それを優雅にポケットへ戻してから、疲れたように溜め息を吐く。


「それは確かに。フレデリックさんも、最近では邪魔ばっかりしてくるし……」

「でも、怖いんです。今の関係が崩れちゃうことが……」

「あっ、うん。でも、崩した方がいいと思うけど……? 宗教じみてるし、ちょっと怖くなってきたし」

「頭おかしいから、アレンは……」


 昼夜問わず、私のことを考えてくれてるはずなのに、一向に距離が縮まらない。どうしてだろう? これ以上、どうすればいいのかよく分からなくて悲しい。フォークを持ち上げ、ケーキを切り分ける。これだって、アレンにあーんして食べさせて欲しかったのになぁ。


「私……頑張ろうと思って、努力してはいるんです。だから、最近では朝、アレンより三十分早く起きて、起こしに行ったりもしてるんですが」

「えっ!? 俺、それ、初耳なんだけど!?」

「うん。ヘンリー、上のベッドでぐっすり眠ってるし……でも、それをしたらアレンってば、メイベルの寝顔が見れなくなったって、ぼやき出しちゃって~」

「へ、へ~」

「……」


 一旦、口にケーキを含んで黙り込む。ヘンリーもシェヘラザードも何とも言えない顔で黙り込んで、それそれ指やカップをいじっていた。


「でも、私だってアレンの寝顔が見たいし……!! こっそり写真に撮りたいなって気持ちもあるけど、我慢してるのに! でも、アレンってば、自分ばっかり私の寝顔を撮って、枕元に並べたりなんかして!」

「あ~……写真増えてたんだぁ、へー」

「ヘンリー、知らないの?」

「シェラさんも見てみれば分かると思うんですけど、あのメイベルちゃんコーナー、見てたら気力と体力が削り取られていくんですよね……だから、あんまり見ないようにしているんです。俺」

「……」


 また一段と微妙な空気が流れ、みんなの目が虚ろになる。そう! アレンってば、文句ばっかり言ってきて……。ダニエルの手からお酒を取り上げ、一気に飲み干すと、「あっ、ああああああ~……!?」と悲壮な声を漏らした。かっと喉が熱くなって、目が潤み出す。


「そっ、それで! 順番こに起こそうねって約束したのに、それも破っちゃうし!! どうしても朝一番に、私の寝顔を見ないと元気が出ないからって言って!」

「そ、そっか……」

「ヘンリー、まだまだいっぱいあるの。聞いてくれる!?」

「まっ、まだまだいっぱいあるんだ……!? ちょっと、俺、ウォッカでも追加注文しよっかなぁ」

「俺もウォッカにする……」

「あたし、ビールお代わりする。あと、グラタンも食べる! この話、聞くのカロリーが必要」

「「確かに!」」

「かろりーが……?」


 何故かみんな悲壮な顔で、メニュー表を熱心に眺め回し、クリーミーなチーズがたっぷり乗った牛挽肉のグラタンを三つずつ頼んだ。シェヘラザードにいたっては、追加でステーキも頼んでいる。それなのに、注文し終えたヘンリーが顎に手を添え、メニュー表を改めて見下ろす。


「あとでこの、ガーリックと海老のパスタでも頼むべきか……? いいや、それとも、バターたっぷりのスコーンとクロテッドクリームか?」

「へん、ヘンリー……あとでにした方がいい。今はその、メイベルの話を聞くのを優先で」

「あっ、はい……それもそうですね? ダニエルさん。がりっごりに気力と体力を削られたあと、注文して食べた方がいいですよね!?」

「えっと、いや、違う……」


 まだかな、まだかな? 聞いて貰えるかな? そわそわして待ってると、シェヘラザードとヘンリーが同時に、死地へ赴く戦士のような顔をして重々しく頷いてくれた。念のため、ちゃんと横を振り返って確認してみると、ダニエルさんも似たような顔をして頷いてくれる。よし! 許して貰えたし、話そうっと!


「それでねっ? ええっと、何だっけ? そうそう、アレンが……私の寝顔が見たいって言うし! あっ、でも、行ってらっしゃいのキスとかしてみたくて! だから、出る時間ずらそうよって言ったのに、私と片時も離れたくないからって言って、なかなか聞いてくれないんですっ……悲しい!」

「……予想以上の、予想以上のダメージがくるな、これ……」

「がっ、頑張ろうか、ヘンリー……」

「……」


 きゅっと、残ったビールを飲み干して、シェヘラザードが分かりやすく絶望する。空になったジョッキを振ったあと、お代わりを持って来た店員がいないかどうか、忙しなくきょろきょろと見回し始めた。


「でねっ? 私……それじゃあ、ただいまのキスしてくれる? って聞いてみたんです! 私一人で外に出て、お出かけするからって! でも、嫌がっちゃって……。私を一人にしておくと、ナンパとかされちゃいそうだし、可愛すぎて不安だからって! もうっ、アレンったら、そんなことばかり言ってきて!」

「あっ、めまいが……ちょっとすみません、この店で一番強い酒をください!」

「ヘンリー、店員さん、そこにいないから……落ち着こうか」

「でもっ! 今日、私、帰ったらアレンにただいまのキスをして貰うんです~。嫌がってたけど、私がいなくなるのはっ」


 そこで、はたと、喉が乾いていることに気が付く。グラスを持ち上げ、お冷を一気に飲み干せば、ヘンリーが胸元を押さえて「第二ラウンド、来るぞ~。第二ラウンドが来るぞ~……!!」とぶつぶつ呟いていた。かんっと、空になったグラスをテーブルへと叩き付ける。


「それでっ! おやすみ前のキスもハグもして、お昼ご飯も一緒に食べて、手を繋いでデートもして、バニラちゃんに手伝って貰って、アレンの膝でお昼寝したりしてるのに、ぜんぜん一向に好きだって言ってくれないんですっ……!! どうしよう!? どうしたらいいと思う!? シェラさん、ヘンリー!」

「少なくとも、俺達が君に有益なアドバイスが出来るとは思えないな……」

「うん。人選、間違ってると思う……」

「うん……」

「うっ! でっ、でも、すぐにアレンは逃げちゃうし……!! 逃げ場が無いところに追い詰めても最近、ちょっと動悸がって言って、すぐに逃げちゃうしっ!」

「脈は……あると思うんだけどなぁ」


 ヘンリーが途方に暮れて腕を組んだ瞬間、店員さんがにこやかな笑顔でやって来て、ほかほかのグラタン三つとステーキを置いていった。全員、雪山で遭難していた登山者のように喜び、それぞれスプーンを掴んで、勢い良くかきこみ始めた。熱いのか、涙目で「あつっ! あつつっ」と言って食べている。


「でも、この前、キスした時、嫌がってたし……!! しきりにお母さんだからな、俺は! って言ってくるし~」

「はふっ、はふっ」

「あつ、あつつつ……!!」

「でも、好きって言ってくれないけど、私のこと、毎日可愛いって言ってくれるし~……魅力、ない? って聞いたらすごくあるよって言ってくれたんです~! 世界で一番可愛いって言ってくれるし、服もどれも似合うって!」

「……熱いな、グラタンが」

「うん……」


 全員、食べるのを諦めて、沈痛な表情でグラタンを見下ろしていた。すると、シェヘラザードが凛々しい顔つきで、ナイフとフォークを持ち上げ、分厚いステーキをがこがこと切り分け始める。ぱっと、ヘンリーとダニエルの顔が同時に輝く。


「だから、私……もういっそのこと、既成事実を作って結婚を迫ろうかなと思ったんですけど」

「ええっ!? あのメイベルちゃんが!? 夜這いを!? ちょっと待って、俺、部屋にいるんだけど!? アレンと一緒の部屋で寝てるんだけど!?」

「うん。でも、ヘンリー、いつも夜寝る前にハーブティー飲んで寝てるよね? そこへ睡眠薬でも入れたら? ってフレデリックさんが、そうアドバイスしてくれて……」

「あいつ……!! あのクソクソおっさんが!」

「め、メイベル、だめだよ、それは……」


 ダニエルさんがそっと、腕に手を添えてきた。くすんと鼻を鳴らして見上げてみると、ちょっとだけ頬を赤くさせてたじろぐ。


「でも、その、恥ずかしいし、やっ、やめておきました……!!」

「いやぁ、恥ずかしいとか何とか、そういう問題じゃなくて……犯罪だからだめだよ、メイベルちゃん。やめて正解だよ!!」

「でも、アレンなら警察に通報したりしないし、許してくれるかなと思って……フレデリックさんもそう言ってました!」

「だっ、だめだだめだ!! 俺達がちゃんと聞かないから、メイベルちゃんが悪い大人に騙されて、悪の思考に染まってきてる……!!」

「メイベル、メイベル。あたしの弟呼ぶから、当て馬にしよっか……」

「はい! もう、私、アレンのこと、好きで好きでたまらなくて……追い詰められてるんですっ!」

「追い詰められてるの、俺達とアレンなんだけどね……?」


 ライ叔父さんの時は、こんな気持ちにならなかったのに! ぐっと、一気にパイナップルジュースを飲み干すと、ステーキを切り終えたシェヘラザードが、ケーキのクリームが残っているお皿に牛肉を置いて、ヘンリーに「はい」と言って手渡した。何も言えず、全てを諦め切った、穏やかな表情を浮かべ、ヘンリーが「ありがとう……」と言って受け取る。


 察したダニエルさんが、さっきまでトマトソースパスタを乗せていたお皿を差し出し、大きめの一切れを貰うと、それをヘンリーの方へと差し出す。途端にぱっと顔を輝かせ、いそいそと、自分のお皿と交換して貰っていた。


「でも、私、アレンと結婚して、子供を産みたいなぁ……だから、綿密に計画を練らないといけないんです! フレデリックさんもそう言ってました!! 全面協力してくれるって!」

「うん、そっか。とりあえず、フレデリックさんの言うことを聞くのはやめておこうか……メイベルちゃん。庭先にでも埋めた方がいいな、あいつ」

「なっ、なんで~……? どうして? 恋愛経験豊富だし、参考になるかと思ったのに!」

「あの人は常に、犯罪すれすれの恋愛をしてるからだめだよ、参考にしちゃ!! すみません、店員さん! お水のお代わりをください!!」


 今度はちゃんと、実体がある店員さんを呼び止め、お水を頼んでいた。そこへもう一人の店員さんがタイミング良く、お酒を持って来てくれたので、全員で一気に飲み干す。


(うっ、つらい! 早く、早く好きだって言って欲しいのになぁ~……)


 でも、すごく難しい。なかなか上手くいかない。手を伸ばすとすぐそこにいて、いつもいつも私のことを気にかけてくれるのに、一番遠くにいる存在。それが今のアレンだった。



「おい……シェラ。なんで、お前一人だけピンピンしてるんだよ!? なんで止めなかった!? こいつら全員、弱いだろ!? 酒!」

「ん~……仕方なく?」

「何が仕方なくだよ、ふざけんな!! メイベル? メイベル!? おい、大丈夫か? おーい? 迎えに来たぞ~……?」


 店のソファーに寝転がって眠っていると、迎えに来てくれたアレンが私の肩を揺さぶって、心配そうな顔で覗き込んできた。もやぁと、その顔が何十にも重なって揺れ動いている。思わず、手を伸ばしてその袖をきゅっと掴んだ。


「アレン……私にキスしてくれる? ただいまのキスを……」

「……俺も座って飲むべきか? これ」

「ん、いいよ~。あたし、まだまだ飲めるよ? すみませーん、追加でワインとビールください!」

「お前、酒を注文する時だけシャキッとするのな……」





<翌日のヘンリーとアレン>


「アレン!? お前が、お前がそもそもの話、メイベルちゃんのこと甘やかすからだめなんだよ……!! 何でもしていいって、そう思っちゃってるじゃん!」

「あ? 何の話だ? 別に甘やかしてなんかいないし」

「嘘だろ!? ああ、もういい。今日からは俺と同じベッドで寝ような!? いいな!?」

「なんでだよ? まだ酔っ払ってるのか? お前。二日酔いか?」

「いいや、違う。シラフだ……!! お前が襲われないようにと、そう思って」

「酔ってんじゃん……落ち着けよ、水でも持ってきてやろうか?」

「いらない……」

「飲め。我がまま言ってる場合かよ」

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