18.空回りする彼女と母親になろうとしている魔術師
「一晩たったら、アレンが急に俺に冷たくなった……優しくしてくれなくなった!」
「うるせえ。いいからとっとと荷解きしろよ。荷解き手伝えって言ったのはお前だろうが!」
「いてっ!? 冷たい、冷たい! 俺に優しくしてくれないっ!!」
「うるせぇな、本当に。優しくした覚えはねぇよ、ちょっとは黙れ!」
広げたトランクの前でハリーが突っ伏し、アレンがその背中をげしげしと蹴り飛ばしていた。それをにこにこと笑って見守っていると、お風呂上りでバスローブ姿のヘンリーが髪を拭きながらも、ぞっとした表情で「メイベルちゃん、本当に怒ってるんだね……」と呟いて通り過ぎていく。
「どう? メイベルちゃん。旅行は。楽しかった?」
「あっ、はい! すごく楽しかったです! またあとで写真、見せますね~」
「ふふ、楽しみ~」
「にゅうん」
そわそわと、待ち切れない様子で青い瞳を潤ませているのは、マリエルさんのお膝に座ったバニラちゃん。久しぶり(とは言っても、三日ぶりくらいかな?)に見るマリエルさんはちょっぴり目に眩しくて、マゼンタピンクのゆったりとしたワンピースを着ている。今日は金髪をゆったりと、後ろの方でシニョンにしていた。
「待っててね~。バニラちゃん。私も荷解き、このタイミングでしておかないと、ずるずると先延ばしにしちゃうから……」
「俺がやってやろうか? メイベル」
「俺は!? 俺の荷解きは!?」
「しない。面倒臭い」
「自分で出来るから大丈夫だよ……? ええっと、洗濯物はあとこれだけかな!」
旅行中に使った下着や服を洗濯機に入れて、回して、コスメ用品やアクセサリー類といった細々としたものを、全部あるかどうか、きちんとチェックしてからボックスへとしまう。イヤリングを小さな引き出しの中に入れたあと、ふうと、溜め息を吐いてしまった。
(ああ、緊張するっ……明日から、どんな顔しておはようって言えばいいんだろう? 気付かれたくないような、気付いて欲しいような)
ひとまず、ウィルにでも相談してみようかなぁ。土曜日に会うって言ってたし。小さくしていた魔術手帳をポケットから取り出して、ぽんっと、ノートサイズにしてみる。
“メイベル。もう帰ってきた頃かな? どうだった? 旅行は”
「ライ叔父さん……」
少しだけちくりと、胸の奥が痛んだ。でも、かさぶたの奥にある痛みだから大丈夫。きっと大丈夫、じきに溶けて消えて無くなるだろうから、この想いも。顔を伏せ、その綺麗に整った文字を眺めたあと、微笑んで返事を書く。
(なんて書こう? すごく楽しかったじゃありきたりだし、ええっと)
素敵な返事を思いついた瞬間、口元に笑みが浮かんだ。ライ叔父さんもこれを見て、笑ってくれるといいんだけど。
“ただいま、帰りました~。海も綺麗だったし、好きな人ばかりとの海外旅行はとっても楽しくて、夢みたいだったよ! もう今から、昨日に戻ってしまいたいぐらい!”
書き終えたあと、文字がぼんやりと光って滲み、揺れ動きながら紙へと定着する。さぁ、頑張ろう。明日から。
(ハリーにも、知らない女性にも負けたりしないっ……!!)
「おーい、朝だぞー? 起きろ、メイベル」
「わっ!? わわわわわわっ……!?」
朝、起きると目と鼻の先に好きな人がいた。ピピピピと、目覚まし時計がけたたましく鳴っている。びっくりしてごろりんと、ベッドから転げ落ちると、エプロン姿のアレンもびっくりして、慌てて私の腕を掴んで起こしてくれた。
「悪い! 俺の起こし方がなってなかったな!? 可哀想に、大丈夫か!?」
「いっ、いや、その、ごっ、ごめん! す、すすすすすっぴんだから、あんまり見ないで欲しいんだけど!?」
「あ? なんで? お前のすっぴんなんか見飽きてるけど?」
「えっ」
そ、そうだった。アレンの前で(というよりも、みんなの前で)、私、すっぴんだった……。気にしたこと無かった、そう言えば。床に座り込んで顔を背け、前髪を慌てて直していると、立ち上がったアレンが変な顔をして首を傾げる。
「おい、大丈夫か? まだ寝ぼけてるのか? ひょっとして熱が、」
「ううん、無いよ。大丈夫。あの、部屋を出て行ってくれる……?」
「えっ」
恥ずかしくて見せられない、こんなパジャマ姿なんて! 急いでベッドへ潜り込んで、頭からタオルケットを被る。アレンはショックを受けてしまったのか、呆然とした気配を漂わせて黙りこくっていた。
(ど、どうしよう? 一体なんて言えば!?)
焦ってそろりそろりと、タオルケットを掴んで引き下げてみれば、アレンが真剣な顔をして私のことを見下ろしていた。青い瞳に心臓が大きく、どくんと揺さぶられる。見てられないのに、ずっと見ていたい。
「メイベル……怒っているんだな? さては。ごめん、俺に母としての自覚が足りず、お前に淋しい思いをさせてしまって」
「……うっ、ううん、もういいの。今すぐ部屋を出て行ってくれる?」
「っ悪い、メイベル! 俺が、俺が本当に悪かったから許してくれ!!」
「わっ!? あの、アレン!?」
がばっとアレンが突っ伏して、縋りついてきた。そのままふるふると、黒髪頭を震わせて、涙声で「メイベルに嫌われたらもうおしまいだ、俺、俺……悪い!」と言って謝り出す。
(これはもしかして、触れ合いチャンス……!?)
今のアレンは突っ伏していて、私の顔なんか見えないし! 嬉しくなって、アレンの頭をぎゅっと抱き締める。すぐにくぐもった声で「うおっ!?」と叫んだ。
「ううん、いいよ……あのね? お詫びにその、今日一緒にお昼ご飯食べない? 職場まで来てくれる? 私の」
「ああ、行くよ。それでお詫びに俺、お前に何でも買ってやるからな!?」
「あっ、ごめんね? まだ頭を上げないでくれる?」
「えっ……」
ぎゅうぎゅうと押さえ込むと、困惑したまま頭を伏せて「ええっと、まだ怒っているのか……?」と呟く。違うんだけどでも、説明なんて出来ない!
(説明できるの、何年後になるんだろ……? うっ、ううん! もっと早く! もっと早くに告白するつもりだから、私……!! 頑張れ!)
とりあえず、アレンの頭からぱっと手を放して、タオルケットの中へと急いで潜り込む。だんご虫みたいにまん丸になった私を見て、アレンがしきりに困惑していた。
「えーっと、メイベル……? じゃあ、あの、朝ご飯出来てるから」
「う、うん。ごめんね……? えーっと、今、ちょっと肌荒れしちゃってて。それで。恥ずかしくて、私」
「だからって何も、俺の頭を押さえつけなくても……」
「ご、ごめんね!? ええっと、アレン? 私、もう着替えたいから出て行ってくれる?」
絶望して打ちひしがれた表情のアレンが、ぱたんと部屋のドアを閉める。そこには去年、来たばかりの頃に作ってやった、栗鼠のネームプレートが揺れていた。
「なぁ? ヘンリー……?」
「どっ、どどどどどどうだった!? メイベルちゃんの様子は!?」
「また思春期に突入したみたいだ……俺、あんまり部屋に入らない方がいいのかなぁ?」
「ちょっと待って? アレン。一体どうして、そうなっちゃってるんだよ……!?」
ヘンリーの言葉も耳に入らず、アレンが額に手を当てて、深い溜め息を吐く。
「俺が……俺がもうちょっと頑張らないとな」
「お前……それ絶対、違う方向で頑張ろうと思ってるだろ? 今」
「そろそろ、ハムやソーセージも手作りすべきなのか……」
「パンは焼いてるだろ? 頼むからもうやめてくれよ……お前お手製のメイベルちゃん好き好きプレート、食べさせられるのは俺達なんだからな!?」
「味見は必要だろうが。あと毒見も」
「毒見だったの!? マジで!? あれ!?」
「当然だろ、お前。アホか」
「……」
ああ、どうしよう? こんな時、同僚のフィオナちゃんがいてくれたら相談するんだけど、「一目惚れした人がいて!」って言ってやめちゃったし……。チェストの下に大きな埃を発見したので、木の柄が付いた箒で掃いて掃除していると、道路に面したガラス扉の向こうに、アレンが佇んでいた。白いシャツの上から、ピスタチオグリーンのニットベストを着たアレンが、にこっと笑って扉に手をかける。ぐっと、思わず箒を握り締めてしまった。
(かっ、かっこいい! すごくかっこいい!! 私にだけ笑いかけてくれるアレン、すごくかっこいい……!!)
わーっと全身に鳥肌が立って、逃げ出したくなってしまった。そうこうしている間にも、扉にかけたベルがからんからんと、高らかに鳴り響く。それまでレジ台で作業をしていた、店主のアンナさんが顔を上げ、丸眼鏡を押し上げながらにっこりと微笑んだ。
「あら~、久しぶり。アレン君! 旅行はどうだった? 少しはメイベルちゃんと二人きりになれた?」
「えっ!? あの、ヘレンさん!?」
「ええ。夜の浜辺でデートしてきましたよ。あっ、これ。お土産です。どうぞ」
「あら~、良かったのに! メイベルちゃんからも貰ったから~」
「いや、そういう訳にはいかないので……いつも彼女がお世話になってるし」
か、彼女。真っ赤になって硬直していると、アレンがこちらを振り返り、不思議そうな顔で「どうした? メイベル。もうすぐ休憩時間だよな……?」と聞いてきた。慌てて店の時計を確認してみると、十一時五十四分を指し示している。
「あっ、だっ、だよね! あの、私」
「もういいわよ、上がって~。アレン君とお昼ご飯、食べに行くんでしょう? あそこなんてどうかしら? ほら先週出来た、通りの一つ向こうの、」
「なんて名前の店ですか? この周辺、一応欠かさずチェックしてるんですけど……メイベルの好きそうなお店でしたか?」
「ええ、もちろん! 若い人向けのメニューがいっぱいあって! おばあさんはお呼びじゃないって感じだったわ~、あそこ!」
彼女彼女、彼女彼女……!! 首筋に汗を掻きながら、盛り上がっている二人を店に残してバックヤードへと引っ込む。すう、はぁ、と大きく深呼吸をして息を整えた。恋をしただけで、こんなにも不器用になってしまう。
(か、彼女って……わた、私のことだよね!?)
白い壁に色鮮やかなボタニカルフラワーが描かれた、オシャレなカフェでアレンがきょとんとした顔をする。店内は明るく開放的で、白いソファー席が空いていたからそこへ案内して貰った。
「いや、彼女って……あのばあさん、違うっつってんのに、何度も何度も何度も勘違いするからさ。面倒臭くなっちゃって、俺」
「あ……だ、だからなんだね? も~、びっくりしちゃったよ。アレンってば」
運ばれてきたラムチョップとハーブサラダ、ほうれん草とベーコンのキッシュに黄色いオムレツが付いたプレートを見て、アレンが「このメニューだけ変わってるんだよなぁ。手で食えってか。マジか」と呟きながらも、ひとまずは、白いマグカップに入ったコーンクリームスープを引き寄せ、スプーンで掬い上げて飲む。私は海老と檸檬、アスパラガスとジェノベーゼソースが絡んだ、生パスタにした。それとスープはオニオンスープ。
デザートを頼む気は無いんだけど、アレンがさっき、デザートメニューが載った薄いメニュー表をじっと見て、それから私をちらちらと見てきたから、何かあとで頼んだほうがいいのかもしれない。
「でもさ? 前から言ってるじゃん、それは」
「へっ? 何を?」
「いや、彼女って。あのばあさんがうるさいから」
「えっ!? そっ、そうだっけ……!?」
気付かなかった。あまり興味が無かったかも、今まで。パスタを巻き取りながら、困惑して首を傾げていると、次はハーブサラダを食べている、アレンがちょっと苦く笑った。
「聞いてなかったんだな、今まで。あ~、このドレッシングうまいな。そうか。もう言ってる間に夏かぁ」
「だね。全体的にメニューが爽やかだよね、ここ」
「今度また、お前が気に入ったのなら休みの日にでも来るか? 今度の土曜はお前の弟と会うんだけど、次の日は空いてるからさ」
「あっ、うん! でも、あの、この店以外の場所でもいーい……?」
やった、デートだ! せっかくのデートなんだから、もうちょっとこう、カップルが沢山いそうな、素敵な場所へお出かけしてみたい! メイベルが目を輝かせているのを見て、アレンがふっと困ったように笑う。
「もちろん。じゃ、そうするか。良かったよ、機嫌が直ったみたいで……お前の」
「うっ、うーん……別に怒ってる訳じゃなかったんだけど。あっ、そうだ! その、お詫びに一つだけお願いごと、聞いてくれる!?」
「おう、もちろん。何でも聞くけど? いつだって」
フォークを持った手を下げて、真剣な顔でそんなことを言ってくれる。またどくんと、胸が高鳴った。よいせよいせと、ぷりぷりの海老をお皿の端の方へと寄せて、フォークに突き刺してみる。め、目指すはカップル感のあるあーん……!!
「えっ、えっと、これっ! 食べて欲しいの!」
「あれ!? 海老、好物じゃなかったか!? もしやアレルギーに!?」
「へっ? うっ、ううん……違うけど、アレンに食べて欲しくて、私」
「そうか……食欲が無いのか。ごめんな」
あっ、落ち込んだ顔になっちゃった。ち、違う! 違うんだけど、なんて言っていいのかよく分からない……。
(助けて、マリエルさん、ノア……)
恋愛経験値が低いから、どうしていいのかよく分からない。落ち込みながらも、ゆっくりアレンの口元へフォークを近付けると、さらに困った顔をした。
「いや、俺、自分で食えるけど……?」
「……あーんがしてみたくて、私」
「えっ? いや、じゃあ、まぁ、あーん……?」
アレンが酷く戸惑った顔をして、口を開ける。その瞬間、キスしたことを思い出しちゃってつい、勢い良く、ずぼっと海老を口の中へ突っ込んでしまう。アレンが驚いて「げふっ!?」と咳き込んだ。慌てて水を飲んだあと、「はー……」と言って深い溜め息を吐く。
「ご、ごめんね!? アレン、私、そのっ!」
「あれか……? まだ怒ってるのか? メイベル」
「ちっ、ちちちち違うの! ごめんなさい……」
ああ、だめだ! 空回りばっかりしてしまう。
(これじゃあ、程遠いよね……? いつまで経っても私、アレンに好きになって貰えないかも)
それで、他の女性と出会って結婚しちゃうんだ。ものすごく落ち込んでいると、アレンが慌てて私の頭をぽんぽんと、撫でてくれる。
「まぁ、大丈夫だ。別に。可愛かったし、さっきの表情も」
「えっ? ……わっ!?」
「ぶっ!?」
顔を上げてみると、意外と近かったから思いっきり突き飛ばしてしまった。アレンが自分の頬を押さえ、ショックを受けた顔をする。ち、違うのに! 全然上手くいかないのは一体どうして!?
「ごっ、ごごごごごめんね!? 今日、私、本当にだめで!」
「いや、別に……ショックなんか受けてないし、俺」
「ご、ごめんね!? それ、嘘だよね!? ごめんね、気を遣わせちゃって……」
アレンが絶望的な表情で頬を押さえ、くるりと壁の方へ顔を向ける。そこからいくら謝っても、絶望的な表情を浮かべたまま、「気にすんなって……」と何度も言いつつラムチョップを齧り取っていた。お会計が終わって、店へと帰る道すがら、ずーんと落ち込んでうなだれる。
(ああ……本当にだめだなぁ。ちょっとぐらい、ドキドキして欲しかったんだけどなぁ)
アレンは違う意味でドキドキしているらしく、胸元を押さえながら、私の方をしきりにちらちらと見て「ごっ、ごめんな? もう二度と無視しないから、俺……」と謝ってくる。
(そうじゃないのに、まったくもうっ!)
深い溜め息を吐いたあと、顔を上げて、怯えた様子のアレンを見つめる。もうお店の前だった。次、会えるのは夕方でそれがすごく淋しい。
「ありがとう、アレン。一緒にお昼ご飯を食べてくれて……」
「ああ、うん。ごめん。俺の方こそ……」
「……午後からも頑張りたいから、ぎゅっと私のこと、抱き締めてくれる?」
「えっ!?」
両腕を広げてお願いしてみると、ものすごく戸惑った顔をしたあと、おずおずといった様子でそっと抱き締めてくれた。うん、お母さんならではの温度だけど。我慢しよう……。
「元気出たよ、ありがとう! アレンも午後から頑張ってね!」
「お前、これ、ヘンリーやハリーにもしてないだろうな……!? あとダニエルにも!」
「してないよ? アレンにだけだよ? あと、ウィルにもかな!」
そう言って笑って見上げてみたら、何故か酷くがっかりした顔をして「そうか……そうか。ウィルにもか」と呟き始める。不思議に思って見上げていると、アレンがぱんっと、いきなり自分で自分の両頬を叩いた。すぐ横の道路を、自動車がブーッといって走り去ってゆく。
「アレン? それは、午後からも頑張るおまじないなの……?」
「……いや、自分の邪心を封じるための儀式、かな」
「へっ? じゃ、邪心? 一体どうしたの!? アレンに邪心なんて、ちっとも無さそうに見えるけど!?」
アレンがものすごく嫌そうな顔をして、口元をひん曲げた。なっ、なんで? ノアがここにいたら、聞いたんだけどなぁ。
「お前な……そう思ってるのかよ? 本当に」
「へっ? うん。だってアレンはすごく優しいし、紳士的だし、いつも私におやつとか色々と作ってくれるし」
「……メイベル」
「ん? うん?」
「お前はそのままでいいんだ、お前は」
「えっ? どういうこと……?」
アレンが「はあぁ~……」と深い溜め息を吐きながら、私の両肩にぽんと手を置く。戸惑っていると、すぐに顔を上げて、真剣な表情で見つめてきた。
「俺、お前の母として頑張るな!」
(全然嬉しくない……)
とは思ったけど、言えない。無理矢理明るい笑顔を作って「うん! ありがとう、アレンお母さん……」と言うしかなかった。
(あーあ、前途多難……アレン、私のお母さんになろうとしちゃってる。どうすればいいんだろ? 本当に)




