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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第三章 春を楽しみ、夏に思いを馳せ
69/134

15.夜の浜辺と勇気を出した彼女

 



「いいかい、メイベルちゃん? 落ち着いてよく聞いて? 確かに俺は、ほっぺたにでもキスしてやればって言ったけどさ? するタイミングも場所も何もかも、メイベルちゃんが自分で決めて、すればいいんだからね……?」

「あっ、う、うん! わ、わわわわ分かった! そうしてみるね……」



 両肩に手を置いていたノアが、ふうと溜め息を吐いて呆れたような顔をする。ここはBBQとブッフェが一体化したホテルのレストランで、上の無垢材が組まれて格子状となった天井からは、瑞々しいグリーンや赤とオレンジの花々が鮮やかに垂れ下がっていた。照明はぼんやりとした、かがり火のような、ムードのある揺らめく炎で、あちらこちらに設置されている。そして、目の前の真っ白なテーブルの中央には、コンロが備え付けられていて、ここで、向こうから取ってきたお肉や魚介類、新鮮な野菜を焼くことが出来る。



 他にもいっぱい、美味しそうなメニューがあった。色とりどりのゼリーやムースにサラダ、揚げたてのチキンにポテトパイ、豆のスープにスパイスカレー、焼きたてパンまである。恥ずかしくなって俯いていると、近くに立ったフレデリックが「ふーん」と呟いて、串焼きから牛肉を齧り取った。横にもバーで使われているようなハイスツールが置いてあるんだけど、テーブルも高いし、立って食べるのがちょうどいいので、私を含め、みんな使っていない。



「あれか? メイベルちゃん、アレンのことが好きになっちゃったのかな?」

「んっ、んん~……よく分からないです、まだ。私」

「メイベルちゃんとアレンはずうぅっと、ずぅうううっと、永遠にそのまんまでいいと思うよ!? 俺!! 悲しいっ!」

「ハリー……応援するって、そう決めたんだろう?」



 BBQだからか汚れの目立ちにくい、ぱりっとした黒いシャツとデニムを着たヘンリーが額を押さえ、トングを片手にそちらを見ると、もぐもぐと口いっぱいに、お肉やイカを頬張っていたハリーがお皿を抱え込みながら、不満そうに「ぐるるるる!」と唸った。ハリーは何故か、黒いジャージ上下を着ている。



「いやさ? 思っていた以上に、二人の幸福キラキラカップルオーラがやばくてすごくて……元社畜の俺には厳しかったっぽいな! うん! ああ、そうだ、メイベルちゃん? アレンと君の二人がもしも万が一、付き合いでもしたら俺は体を壊しちゃうからね!?」

「えっ!? なんで!?」

「また変なこと言い出したよ、ハリーが。ヘンリー、何とかして?」

「いや、あの、ノア? 無理かな……」



 長い黒髪を下ろして、真っ赤な花柄のワンピースを着たノアに問われ、ヘンリーが困惑した顔でふるふると首を横に振る。その間にと言わんばかりに、さっと、ハリーがヘンリーのお皿から串焼き肉を奪い取っていった。ばばーんと掲げられたそれを見て、ヘンリーが静かに苦笑する。


「んぐ、まぁ、俺より手の施しようが無いよなぁ、ハリーは」

「いいや、フレデリックさんよりはましだと思うけど!? 俺!」

「いやいや、俺の方がましだろ!? 少なくとも、ヘンリーから串焼き肉を取ったりなんかしたことないし?」

「俺だって取ってことないよ!? 貰ったんだよ、これは!!」

「……」

「そこで黙るのがヘンリーっぽいよね。うける」

「あの、ヘンリー。私の串焼き肉、いる……?」



 おそるおそる、串焼き肉を持ち上げて聞いてみると、疲れたように笑って首を横に振ってくれた。それから、黙々と網の上で焼き縮み始めた、帆立とイカ、つるんとしていて噛み応えのある、魔生物のお肉を引っくり返す。これは海のお肉と呼ばれている魔生物のお肉で、味は柔らかな牛肉と濃厚な海老が合わさった感じだった。噛むと、じゅわっと旨みのある肉汁が溢れ出してくる。



「おーい! お待たせ、メイベル」

「アレン! ごっ、ごめんね? こき使っちゃって」

「いや、別に。お前の好きそうなパッションフルーツのツイストパンがあったから持って来た。パイ生地だとよ、これ」

「わぁ、美味しそう! ありがとう!」



 折り重なったパイ生地はつややかに光っていて、黄色いパッションフルーツとレーズンが練り込まれている。ほれぼれと見つめていると、オレンジと黄色が滲んだシャツを着たアレンが、てきぱきとした動きで、目の前のテーブルに一旦トレイを置いてから、お皿を並べ始めた。きちんと、新しい綺麗なフォークとスプーンも持ってきてくれてる。



「こっちはお前が欲しがっていた、海老とタコのマリネと、魚卵入りのポテトサラダ。こっちは刻んだハーブ入りのソーセージとハーブバター。あとそれからさっき、ハード系パンを食べて口の中が痛いって言ってただろ? 柔らかい、オレンジと胡桃の丸パンがあったからそれを持って来た。これでも食っとけ。あと、こっちはガーリックとバジルの丸パン。お代わり欲しいって言ってたから、持って来た」



 す、すごい! 私の好きなものや食べたいものが少量ずつ、味が混ざらないように綺麗に分けられてる……。内緒話がしたかったから、すごく申し訳無かったんだけど、海老とタコのマリネと、ポテトサラダをお願いしたらこんなに……。呆然と見下ろしていると、アレンがすかさず指を差して、「食い切れなかったら俺が全部食うから。気にすんな」と言ってくれる。見てみると、みんなも私と同じように、口をぽかんと開けて見下ろしていた。



「どうした? お前ら。あっ、そうだ。飲み物だな? お前の好きそうなマンゴージュースとか、レモネードがあったけど? ああ、そうだ。ジンジャーエールもあったな、そういや。酒が飲みたいのなら、アルコール度数が低めのカシスの酒があって、」

「うっ、ううん。あとで自分で取りに行くから大丈夫だよ? ありがとう、アレン……」



 お礼を言ってみると、気難しい表情でじっと凝視してきた。戸惑っていると、それまで顎に添えていた手を外して、私の胸元にあるリボンを結び直し始める。



「これ、もうちょい、胸元が開いてなきゃなぁ~……良かったんだけどなぁ」

「に、似合ってないかな? 私……」



 これはほっそりとした首と鎖骨がよく見える、青と白のレースフリルブラウスで、光沢のある太いリボンが胸元を飾り立てていた。汚れると嫌なので、下はアレンが魔術をかけてくれた、白いショートパンツを履いている。


「いやいや、よく似合ってるぞ。まぁ、お前に似合わない服なんてこの世に存在しないからな! 似合わない服があった場合、それは服が悪いだけだからな……」

「えっ? う、うーん? いや、あの、私はそんなことないんじゃないかなって思っ、」

「よし、出来た。なかなか綺麗に結べたな。あっ、ポニーテールのリボンバレッタも曲がってるぞ? 直してもいいか? メイベル」

「あっ、うん。お願いしまーす」



 後頭部を見せて、位置を直して貰っていると、向かいに立っていたハリーが凄まじい形相で歯をぎりぎりと食い縛っていた。驚いていると、すかさずヘンリーがその空いたお皿に、さっと、素早い動きで焼けた帆立を乗せる。それをハリーは、私達を凄まじく恨めしい顔で睨みつけながら(亡霊みたいな顔だった)、むちゃむちゃと貪り食い出した。フレデリックが笑い、ノアは「うわぁ」と言って引いた顔をしている。



「よし。……あと、何かして欲しいことはないか? メイベル」

「ううん、無いよー。強いて言うのならその、アレンと一緒に晩ご飯が食べたいかな?」



 照れつつそう言ってみると、アレンが静かにそっと両目を閉じた。向かいでノアやフレデリックが「おい、噛み締めてるぞ。あれ」とか「ダメージ受けてる、ダメージ受けてる」とひやかし出す。



「うるさいぞ、お前ら! 俺がメイベルの可愛さを噛み締めてるのは、いつものことだろうが! お前らも噛み締めたって別にいいんだぞ?」

「……」

「おい、全員一気に葬式ムードを漂わせるなよ! 燃やしてやろうか!?」

「あっ、アレン? 食べよう? 一緒に……ほら、あーん」

「むぐっ」



 フォークでアレンの好きな海老を突っ込んでみると、青い瞳を瞠ってもぐもぐと食べ出す。それをしっかりと飲み込んでから、どうしてか誇らしげな顔で胸を張った。



「いやぁ、良かった良かった……流石はメイベルだな! 一時期は反抗期でどうなるかと思ってたけど」

「もっ、もー! 反抗期じゃないもん、別に。あれは」

「まっ、いいや。元の可愛いお前に戻ってくれて良かったよ、本当に。まぁ、拗ねた顔も顔で可愛いし、俺に冷たいメイベルというのも貴重で、楽しかったが……」

「アレン、お前……死ぬほどへこんでいたくせになぁ」

「アレン、俺と一緒のドマゾなんだ? 仲間? 仲間?」

「さっきの発言、訂正。ハリーよりも手の施しようが無いのは、アレンだったな!」

「分かり切ってるじゃん、そんなのさ……」



 ノアが呆れた顔でフレデリックを見つめると、「いやぁ~、ははは。アレンは頭がおかしいなぁ」と言って笑い出す。とその時、向かいのハリーが、自分の両手を見つめてぶるぶると震え出した。



「俺、俺っ……!! 今なら史上最高におかしくなれるかもしれない!! アレンに、アレンに負けている場合じゃないのかもしれないっ!」

「やめろ!! 俺はどこもおかしくなんかねぇよ、ぶっちぎりでお前の優勝だからな!?」

「ここは公共の場だからやめようか? ハリー。ほら、串焼き肉が焼けたぞ? 食べるか?」



 ヘンリーがすかさず爽やかな笑顔で、串焼き肉をトングで持ち上げ、滑らかな動きでハリーのお皿に置いた。こんがりと焼き上がった、肉汁溢れる串焼き肉をじっと眺めてハリーが呟く。



「うん……じゃあ、浜辺でどんちゃん騒ぎするのは?」

「それもやめておこうか! もう八時だからな? 今日はもう、部屋に帰ってゆっくり寝ような? なっ?」

「うん……じゃあ、仕方ないからそうしようっかなぁ。腹いせにアレンと同じベッドで寝たい、俺」

「いいぞ。ただし、一晩中蹴り飛ばし続けるが、それでもいいか?」

「よくない、よくない!! メイベルちゃんと一緒に寝てたら、絶対に蹴り飛ばさないくせに!!」



 黄色いとうもろこしを持ち上げて、食べようとしていたアレンの動きがぴたりと止まって、ごろりとテーブルの上にとうもろこしを落としてしまった。同時に、フレデリックとノアが意外そうな顔をして、目を瞠る。



「……一晩中、メイベルを蹴り飛ばしていたら俺は異常者だろうが。いい加減に黙れ、もう。鬱陶しいな!」

「やだやだやだやだっ!! 俺もアレンに面倒を見て貰うっ! バカップル誕生を阻止したいっ!」

「ハリー……」

「まぁ、そう落ち込むなって。ヘンリー。ハリーに手助けなんて、期待する俺達がバカだったんだよ……」

「そうですね。フレデリックさん……はぁーあ。道のりは遠いなぁ」

「そうでもないと思うけどね、俺は。ほら、見てみなよ?」



 ノアが顎でくいと、アレンを指し示すと、みんなもつられてそちらを見つめる。当のアレンは真顔で黙々と、黄色いとうもろこしを齧り取っていた。さっきのハリーみたいに、頬がぱんぱんに膨らんでいる。胸に、希望と高鳴りが芽生えて広がっていった。



(も、もしかしたらアレンも、私を子供じゃなくて、ちょっとは一人の女性として意識してくれてるのかも……!?)



 みんなが言ってるから、私もアレンのことが気になっているんだって、そう思い込んでいた。でも、違った。悔しいんだ、私。子供扱いされることも、可愛いビキニを黒いラッシュガードにされちゃうのも。



(アレンの可愛いは、ぬいぐるみに言うのと一緒。でも、私、違う……。そんな可愛いが欲しい訳じゃない)



 真顔でもごもごと、とうもろこしを頬張っているアレンを横から見つめる。そうだ、こっちを見て欲しいんだ。子供じゃなくて、一人の女性として私を見て欲しいんだ。そんな想いが、負けず嫌いな感情と共にふつふつと湧き上がってきた。不思議と高揚している。もしかしたら南国めいた、この薄暗いブッフェレストランのせいでこうなっちゃっているのかもしれない。思わず手を伸ばして、アレンの袖を引っ張る。


「ね、ねぇ、アレン? あとで一緒に、私と浜辺でお散歩でもしない?」

「むぐ、いいぞ? 別に」


 向かいに立ったヘンリーを見てみると、涙ぐんで「立派になって……メイベルちゃん!」と呟きながら、目頭を押さえていた。その隙にと、ハリーがさっと、よく焼けた鶏肉をヘンリーのお皿から奪い取る。ノアがそれをものすごく嫌そうな顔で眺めていた。


(大丈夫だよ、ヘンリー。もうちゃんと、私の意志でアレンを誘ってるからね?)


 ヘンリーがこの前、申し訳なさそうな顔で「ごめん、メイベルちゃんはその、アレンのことをちっとも意識してないのかもしれないけど……」と言って謝ってくれた。でも、大丈夫。もう自分の意思だから大丈夫!



(服、服、何を着ていこうかな? せっかくだから、新しい服に着替えてお散歩がしたいなぁ)








 ざざんと、波打ち際で波が踊っている。雲一つ無く、眩い黄金色の満月がぽっかりと、夜の海の上を浮かんで辺りを照らし出していた。嘘みたいに綺麗な満月と、「リーン、リーン」と澄んだ音を響かせている虫と、海岸沿いの木々が風に揺らめく音と、嗅ぐと胸が高揚する、夏の夜の甘い匂い。それと、海から漂ってくる潮の匂いと、ほんの少しの生臭さ。さらりと、サンダルの裏に付いた、白銀の砂が剥がれ落ちてゆく。きらきらと、まるで宝石の粒のように光り輝いていた。このビーチの砂は夜になると、真っ白に光り輝く銀色の砂となる。



 見てみれば、遠くの方まで延々と、白銀色の砂浜が広がっていた。ちらほらと、繁華街の光やホテルの光が滲んで揺れ動いている。一心に見つめていたその時、ざぁっと、大きく肌寒い風が吹いた。南国とは言えども、夜は少しだけ冷え込む。肩を震わせ、あらわになった二の腕を擦って歩いていると、隣のアレンが灰色のジャケットを脱いで、私の肩に優しくかけてくれる。



「大丈夫か? ……戻るか?」

「ううん、まだもうちょっと見ていたいかな? ありがとう、アレン。あの、アレンは寒くないの? カーディガン、持って来たら良かったかな……」



 男はノースリーブが好きだからと言って、ノアがノースリーブのぴったりとした、白地に、淡い青のレース花柄が浮き出たワンピースをおすすめしてくれた。下は白いリボン付きのウェッジソールのサンダル。耳には、水晶と淡水パールの上品な煌きが揺れるイヤリングを付けて、ネックレスはアレンが選んで買ってくれた、滑らかなピンク色の珊瑚のネックレス。予想通り、アレンは私を見て「可愛い」と言ってくれた。でも、私が欲しいのはそんなものじゃないから。黄金色に輝く満月を見上げ、静かな夜の砂浜を、ただひたすら黙って歩き続ける。



「俺は寒くないから別に大丈夫だ。カーディガン、俺が戻って取ってこようか?」

「ううん、大丈夫。申し訳無いけどちょっとだけ、アレンのジャケットを借りるね?」



 見上げてみると、アレンがふっと優しく微笑んでくれた。青い瞳が前を向いて、夜の砂浜を見つめ始める。その滑らかな肌が、月光に照らされて光り輝いていた。肩に羽織った、ざらりとしたリネンのジャケットからはいつも使っている、シダーウッドと柑橘類のコロンの香りがほんのりと漂ってくる。どうしてだろう? 何かがいつもと違う。お互い、喋る気にもなれなくて人気が少ない海岸を黙々と歩いていた。



「……ねぇ? アレン。そろそろ引き返そうか?」

「そうだな。しまった、もう十一時か……悪いな、明日も朝早いのに。あ、起こしに行こうか? 明日の朝。部屋まで」

「ふふふふ、じゃあそうして貰おうかな? 朝、一人でも起きれるけどアレンの顔が見たいから。おはようって言って欲しいな、いつもみたいに!」



 そう言ってみると、驚いたように青い瞳を瞠ってから、子供のように無邪気な笑顔を浮かべる。手を伸ばしてきて、私の手をぎゅっと握り締めてきた。でも、これはきっと、私が躓かないようにするためなんだろうな……!!



「じゃあ、いつもみたいにおはようって言いに行くよ。メイベル。それでいいだろ?」

「うん! ありがとう、アレン……あの、あのね?」

「ん? どうした? 朝食の内容が知りたいのか? 暗記してるぞ?」

「あ、暗記してるんだ!? すごいね!?」

「まぁ、これぐらい、お前のためだからな……確かパンはクロワッサンとバターロールと、」

「えっ、ええっと、今、聞きたいのはそうじゃなくって!!」



 き、キスしようと思ったのに! いち、一応くちびるに……? いや、でも、ノアおすすめのくちびるの横に! しようと思ったのに!! アレンがつゆ知らず、きょとんとした顔で「どうした?」と言ってくる。あ、ああ、まったくもう!



「なん、何でもない……月が綺麗だね? 金貨みたい」

「だな。まぁ、お前の方が綺麗だけどな! 数億倍」

「……」



 どうしてだろう? 褒められているのに、ちっともいい雰囲気になったりしない……。さっき、黙って歩いていた時の方が良かったかも?



「ねぇ、アレン?」

「んー? おっ、ヤドカリだ。でかいな」

「私達、喋らない方がいいのかな……?」

「一体、どうして急にそうなったんだよ!? あれか!? 俺の褒め方が悪かったのか!? よしっ! それじゃあお前は、かの神話の女神よりもその髪は滑らかで、艶やかで、」

「ちっ、違うの、違うの! そうじゃないの、それじゃないの……!!」



 結局、いい雰囲気にはなれなかった。仕方ないので、手を繋いで歩きつつ、丸暗記したという朝食メニューをひたすらに虚ろな目で聞く。こうでもしないと、アレンが私のことを変に褒めてくるから……。ぐったりとしてホテルのロビーを通り過ぎ、エレベーターに乗って、ノアが待っている部屋に辿り着く。するとその時、隣の部屋からヘンリー達が揉める声が聞こえてきた。「おい! 帰ってきたっぽいぞ!?」とか、「ま、ままま待ってください!! 今、出て行ったらせっかくの雰囲気が台無しで!」とか聞こえてくる。



 み、みんな、ドアを開けて覗こうとしてるみたい? 焦ってドアを眺めていると、アレンが大きく溜め息を吐いた。



「あいつらときたらまったく……俺とメイベルはそんなんじゃないって言ってるのに。なぁ?」

「う、うん。そうだね……」

「じゃあ、おやすみ。メイベル。また明日」

「あっ、ま、待って!? アレン、もうちょっとだけ傍にいて欲しいの……!!」



 慌ててぱっと、腕に飛びつくと驚いた顔をした。く、くちびるの横! くちびるの横!



(神様、私にとびっきりの勇気をください!!)



 まだ、この感情が何なのか。ちっともよく分からないけど、傍にいて欲しい人はアレンだから。優しいライ叔父さんじゃなくて、アレンだから。不器用で怒りっぽくて、本当は誰よりも優しくて世話好きな人。驚いて固まるアレンの腕を引いて、思い切って、くちびるの横にキスしようとした。でも、失敗してくちびるにしてしまった。初めて触れた、アレンのくちびるは乾燥していて少しだけ硬い。



「……メイベル? お前」

「あっ、えっ、ええっと、ごめんね!? くちびるの、その、くちびるの横にしようと思ったんだけど! し、失敗しちゃったかも……?」



 アレンが呆然と、限界まで青い瞳を瞠って口元を押さえている。も、もう一度、した方がいいのかもしれない……!! アレンの腕を引っ張って、下から見上げてみる。


「えっ、ええっと、もう一度かがんで!? そう! ありがとう!」


 アレンがぎこちない動きでぎぎぎと、かがんでくれた。良かった! ちゅっと、アレンの頬にキスしてみる。ち、違った! くちびるの横にだった!! もうノアの言葉を守ることしか頭に無くて、必死に爪先立ちをしながら、もう一度ちゅっと、くちびるの横にした。



「よ、よし! うっ、上手く出来た……!! おやすみなさい、また明日!」

「……ああ。おやすみ、また明日」



 アレンが頬を押さえたまま、くるりと背を向けて歩き始めた。あ、あれ? 無反応!? でも、一気にドアが開いて、なだれこんできたフレデリックとハリー、ヘンリーの目の前を通り過ぎて、ふらふらとどこかに行こうとしている。



「おいっ!? あれ、どうしたんだ!? アレン!?」

「部屋、部屋はこっちだぞー……? ってああ、転んでる!?」

「メイベルちゃん、メイベルちゃん、メイベルちゃん、一体何をしたのかな!? 俺、お腹壊しちゃうんだけど!? 二人がイチャイチャ甘々ボケボケカップルになりでもしたら、ストレスでお腹を壊しちゃうんだけど!? ねぇ、聞いてる!?」



 ああ、これでどうか少しは意識してくれますように! そんなことを願って、その場を後にする。ドアがぱたんと閉じて、今日という長い一日が終わりを告げた。






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