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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第三章 春を楽しみ、夏に思いを馳せ
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3.温泉での安らぎと彼女の問いかけ

 






 春先とはいえども、まだちょっとだけ肌寒い日もある。手を伸ばして、ぐーんと熱い温泉の中で伸びをする。気持ちがいい。上を見上げると、美しい星空の天井からぴちゃんと、水滴が落ちてきて鼻先を濡らしていった。



(綺麗だな。アレンが作ってくれた星空……)



 あれから、恥ずかしくなっちゃったのか、ろくに私の顔を見ようともしない。頬を緩めてくすりと笑い、顎の下までちゃぷんと温泉に浸かる。



「アレンも来れば良かったのに~……あっ、ダニエルさん。私、頭洗いましょうか?」

「えっ!?」



 奥の方で頭を洗っていたダニエルが固まり、背中から困惑の気配を滲ませる。今日は珍しく誰もいなかったので、渋るダニエルに「水着を着て! 一緒に入りましょうよ~」と頼み、こうして入っているんだけど。ざばんと、フルーツと花柄の水着を着たメイベルが温泉から上がる。ダニエルはそのまま、泡を付けたまま硬直していた。



「さっ! 貸してください、洗いますよ~」

「いや、あの……」

「最近、その、淋しいんですよね。ダニエルさんがあれして、これしてって言ってくれなくなったので」



 元気になってきた証拠なんだろうけど、それでもちょっと淋しい。キッチンの隅っこの方で膝を抱えることもなくなった。渋々と、ダニエルがシャンプーブラシを渡してくれる。それを受け取って、かなり長くなってきた、艶やかな黒髪を丁寧に梳かす。



「わ~、だいぶ伸びてきましたねぇ。切らないんですか? 私としては嬉しいんですけど」

「……肩。肩についてきたから、ええっと、この長さをキープしていようかな……」

「わ~、嬉しい! ありがとうございます。ライ叔父さんもね、一時期髪が長い時があって。あ~、伸ばしてくれないかなぁ。あの灰髪がきっと、」

「メイベルは本当に、ライさんのことが好きなんだね……」



 その言葉にずきりと、胸の奥が痛み出す。ブラシを持つ手が少しだけ震えてしまった。でも、何でもないふりをして梳かしてゆく。



「そうですね! 昔からすごく優しい叔父さんで」

「俺もあんな叔父さんが欲しかったな……」

「ふふふ、でしょう? 会う度にお小遣いもくれるし、服も買ってくれたし」



 だから、このまま。だからこのまま、ライ叔父さんが誰とも結婚せずに、私と一緒に遊んでくれたらいいのにな。八歳ぐらいの時に、そう思ったことをふと思い出していた。香りの良い、ラベンダーのシャンプーが黒髪に纏わり付いて、汚れをすっきりと落としてゆく。



「……本当に、すごく優しいんですよ。あ、流しますねー。目をつむってくださーい」

「はーい……」



 じゃぶじゃぶと、丁寧に洗い流す。シェヘラザードからもハリーからも「美容室で洗って貰っているみたいだ」って言われる。そう言って貰うのが嬉しくて、毎回丁寧に丁寧に、頭皮から毛先まで洗い流すことにしていた。きゅっと蛇口をひねっていると、ダニエルも「ありがとう、気持ち良かった」と褒めてくれる。



「ふふ、良かった! じゃあ、入りましょうか! 一緒に」

「……念のため、それ、フレデリックとハリーには言わない方がいいよ……」

「アレンにも言われてます、それ……何をしでかすかよく分からん、やばい二人組みだって言ってました。そんなことないと思うんですけどね……」

「んー、まぁ、メイベルも可愛いから気を付けて」



 ゆっくりと、膝に手を置いて立ち上がる。それから、長い黒髪を結び始めた。ぴんと背筋を伸ばしているダニエルは、意外と背が高い。目を瞠っていると、困ったように笑う。



「でも、まぁ、ないとは思うんだけど……何かされたら言って? 警察に通報して叩き出すから」

「な、ないと思います……!! 大丈夫です!」

「ん。だと思うんだけどね……」



 ぺたぺたと、歩いて浴槽へと向かう。それに付いて行って、熱い温泉に足先を浸して、ほうっと二人で溜め息を吐く。ぴちょんと、またどこかで水が滴り落ちた。



「あ~……まぁ、何だかんだ言って、温泉付きにして良かったなぁ」

「贅沢ですよね、これ。疲れた体に染み渡る」

「……最近、アレン、変だけど。何かあったの?」

「あー、ふふふふふ」

「えっ、どうしたの、メイベル……」



 可愛いもん、だって。涙ぐんでいるところを見られたからか、朝起きてきて、リビングに入った時もぐーんと顔を逸らして、「おはよう、メイベル。朝飯出来てるぞー」と言ってくる。お昼ご飯の時もそんな感じで、川のカモを見ながら返事をしてくれる。



「アレンがね? 弟さんと和解したんですけど」

「ああ、したんだ……」

「ふふふ、実はそうなんです。アレンはわざわざあいつらになんて、報告しなくていいから! ってそう言ってきたんですけど」

「ああ、なるほど。道理で」

「ふふっ、それで、涙ぐんでいるところを見られたのが恥ずかしかったみたいで、私とまともに顔を合わせてくれないんです。でも、美味しいものを作ってはくれているので……」

「……それでもするんだね、あいつは」

「ふふ、ですねぇ。私、アレンのそんな優しいところが好きです。私が傷付くの、分かってるからああやって、優しくしてくれる……」



 そう呟いて、腕をぐーんと伸ばしたら、戸惑い気味に首を傾げていた。あれ、どうしたんだろう?



「メイベルはさ……」

「はい」

「アレンのこと、一体どう思ってるの?」

「どう……?」



 ものすごく過保護なお母さん。んん、でもお父さんかもしれない。少しだけ考えて、顎に手を当てる。



「えーっと、年の離れたお兄さんがいたらこんな感じかなぁって」

「……なるほど」

「でも、最近、小さい子扱いというか……私が風邪を引くようになってから、ますます酷くなってしまって」

「だね……メイベルがトースターでパンも焼けないって、そう思い込んでいるみたいだしね」

「そうなんですよ……でも、私、焼けるんですけどねぇ。トースターでパンぐらい……」



 そこで隣のダニエルが振り返って、じっと真剣に眺めてきた。



「もしかして……アレンの前でちょっと、火傷したことがあるとか?」

「あ、ああっ、そうなんですよ……前にパンを出す時に、ちょっとあつっ! ってなってしまって。だめですね、私が失敗してばかりだから、アレンもどんどん酷くなっちゃって」

「……」

「ダニエルさん!? どうかしましたか!?」

「いや……なんでも、なんでもない……ごめん」



 いきなり両手で顔を覆ってしまったダニエルが、ゆるゆると、濡れた黒髪頭を左右に振る。ふと、零れ落ちた黒髪が気になって、腕を伸ばして触れてみると、びくっと驚いて後ろへと下がっていた。ばちゃんと、大きく水面が揺れる。



「あっ、す、すみません! 髪があの、落ちていたのでそれで……」

「あ、ああ。ごめん、ありがとう……」

「あーっ! ここにいたぁ! ダニエルさんとメイベルちゃん!」

「わっ!? ハリー!?」



 がらっと、ドアを開けたハリーは全裸で突っ立っていて。慌てて目を背けると、ダニエルが無言でざばんと立ち上がってそちらへと向かう。




「おーい、いたか?」

「いたよ、アレン。水着を着て、二人で温泉に入ってるー!!」

「へえ、またなんでっておい、お前、その格好は」

「わぶうっ!?」

「タオルか水着。今すぐに」



 そっと見てみると、ダニエルが洗面器をがぽんと、ハリーの頭に被せていた。その後ろからアレンが顔を覗かせ、「ただいまー、メイベル。ゼリー買ってきたからあとで食え」と言ってくる。



「あっ、うん! ありがとう、アレン。服は!? 着てる!?」

「着てる。つーか、帰ってきたばかりだし。今。こいつがさ、いきなり脱衣所でぐちゃぐちゃにスーツを脱ぎ始めて……」

「へっへーい! 邪魔な鎧は脱ぎ捨てるに限るっ!」

「はいはい、ハリー? 踊っていないで、何か着ような? ただいまー、メイベルちゃん。ダニエルさん」

「おかえりなさい、ヘンリー。どうだった? 叔母様の調子は」

「やることなくて暇だって言ってたよ。全治三ヶ月ぐらいだって~」



 ひらひらと、ダニエルの向こうで手を振ってくれた。見えないかもしれないけど、笑顔で手を振り返す。ああ、良かった。ここに来て。少しでもライ叔父さんと繫がっていたくて、ここに決めたんだけど。ぴちょんと、肩に冷たいしずくが当たった。大丈夫、きっといつかはこの想いも消えてくれるはずだから。



(それまで……もうちょっと頑張ろう。距離を置こう。ああ、いっそ、ライ叔父さんも恋人を作ってくれるといいのに)



 でも、顔が怖くて女性にモテない上に、いい人止まりで終わってしまうと以前、そう話していた。



「んん……先は長いかも? 私もライ叔父さんも」











 柔らかく、白い花弁が風に揺れる。庭に植えてある、ライラックの木が枝葉を揺らして、春の陽射しに煌いていた。この邸宅の庭は広く、あちこちにラベンダー色を帯びた小さい花々や、ベルの形をした白い花など、よく手入れされた木々の間で咲き誇っている。目を細めてそれを見上げていると、アレンが「おい」と声をかけてきた。今日は春らしく、白いTシャツの上から青いストライプシャツを羽織って、黒いショルダーバッグを身につけている。



「バニラが待ち切れないんだってよ。行くぞ」

「にゅうっ」

「あっ、うん。ごめんね? つい、花が綺麗で……」

「確かに。ヘンリーもまめに世話をしているしなぁ」

「えっ!? ヘンリーがお世話してたの!?」



 バニラちゃんの胴輪を確認していたアレンが立ち上がって、こくりと頷く。



「ああ。月に一度、業者を呼んでるけどな。あとはあいつがやってる。暇なんだよ、ニートだし」

「働く気は……ああ、でも、ヘンリー、お金持ちだしねぇ」

「あいつの大嫌いな貴族と同じことをしてるって、早く気が付くといいんだけどなぁ……まぁ、うるさいから黙ってる。あと、親への嫌がらせだそうだ」

「あれだね? まだ反抗期なんだね、ヘンリーは……」

「っふ、だな」

「にゅうん」



 ひらひらと飛んでいる、アゲハ蝶を見つめてバニラちゃんが鳴いた。すっかり大きくなっているけど、でもどこか、毛もほわほわしてるし、子猫らしさが抜けていない。今日はアレンと公園でピクニックだ。白い帽子を被ったメイベルがにっこりと笑って、デニムスカートの裾を揺らす。汚れてもいいように、今日は黒いロゴTシャツを着ていた。



「お腹空いたなぁ~、もう」

「なに? 帰って食うか?」

「い、いやいやいや……このピクニックバスケットにサンドイッチもあるし!」

「辛くなったら言えよ、帰るから」

「う、ううん……公園で食べたいかな!」



 アレンが前を向いて歩きながら、「そうか」と呟く。あれから、私がぽそりと「避けられてるの、悲しいな~」と言ってみたところ、すぐさま今日のピクニックを計画してくれた。優しい。



「でも、あの、みんなと一緒に」

「あいつら全員、今日は腹が痛いってよ」

「あの、でも、ハリーもヘンリーも元気そうで、」

「あいつら来るとうるさいだろ……だからいやだ。却下」

「そ、そっか……」


 まぁ、いいや。アレンと二人でも楽しいし。庭の小道を歩きながら、「バニラちゃんのリード持ちたい! 持ってもいい?」と聞くと、嫌そうな顔をして手渡してくれた。多分、私が怪我をしないかどうかを気にしてる。



「んーっ、でも、晴れて良かった! あとでバトミントンしようね、アレン!」

「危険じゃないか……?」

「何が? 転んだりしないよ、私」

「どうだか……」

「疑り深いなぁ、もう。ふふふっ」









 ぽんと、バトミントンの羽根が飛ぶ。私がラケットで打ち返すと、アレンが真剣な顔をしてそっと、打ち返してくれた。た、楽しい。でも、これ。公園の芝生にぽとりと落ちた羽根を拾い上げ、アレンを見つめる。



「せ、接待バトミントンだと思うんだけど、これ……」

「あ? 何が?」

「あの、私、真剣勝負が一度してみたくって」

「……それやって、俺がさっき十回連続で負けただろ?」

「うん。でも、後半はバトミントンの羽根を避けていたよね?」

「……お前の気のせいだろ。はい、打つ打つ」

「うーん」



 確かに、のんびり遊ぶのも楽しいんだけど。ぽんと私がラケットで羽根を打つと、アレンがすかさず綺麗に打ち返してくれた。リズム良くぽんぽんと、打ち合っていると、ピクニックバスケットに繫がれたバニラちゃんが退屈そうに、「にゅーん」と鳴く。



「あっ、そろそろご飯でも食べる? バニラちゃんも、お昼寝に飽きちゃったみたいだし」

「そうだな。お前も息が上がってるし、休むか」



 アレンが魔術でぱっと、自家製レモネード入りのガラス瓶を取り寄せる。そして、「メイベル、こっちに来い」と言って私を手招きした。



「はい、飲んどけ。熱中症対策」

「いや、あの、今日はまだ爽やかな天気で」

「熱は? ないな? 足も挫いてないな?」

「大丈夫だよ……?」



 アレンにとって、私って一体……? 首を傾げながらも、開けて貰ったレモネードを口に含むと、春の柔らかな風が首筋を撫でていった。檸檬と蜂蜜の甘い香りが堪らない。見上げてみると空は青く、のんびりと白い雲が流れていっている。公園の芝生と、遠くで揺れている木々が美しい。



「っはー! 美味しい! ありがとう、アレンも一口いる?」

「いや、俺の分もあるから……あと、運動後すぐに食べると胃が気持ち悪くなるかもしれないから、十分休憩したあとに食うか。あとそれから、椅子も持ってきたから座っておけ。いや、木陰に移動すべきか……?」



 自分の分のレモネードを飲みながら、アレンが険しい顔つきでじっと木陰を睨みつける。あ、多分これは、移動した方がいいやつだ……。



「じゃあ、移動しよっか。バニラちゃんも暑そうだし」

「メイベル、お前は?」

「私は別に! 帽子も被ってきてるし、ほらっ」



 帽子を被り直すと、アレンがすかさずさっと、ポケットから小型のカメラを取り出した。あっ、ポーズを取った方がいいかも? にっこりと笑いながらポーズを取ると、すかさずレモネードの瓶を振って消し、両手でカメラを構えてぱちりと撮った。



「……うん。今日も安定の可愛さだな。まぁ、映りがちょっと悪いが」

「ものすごく、その、いいと思うんだけど……?」

「いや、物足りない。まぁ、この現代の技術だとメイベルの可愛さが再現出来ないんだろうなぁ」



 アレンが写真をじろじろと眺めながら、片手でレモネードを飲んでゆく。ああ、本当に、アレンは一体私のことをどう思ってるんだろう……。



「あ、あのね?」

「ん? 腹減ったか。ちょっと待ってろ。今、荷物を整理して移動して、」

「ええっと、その、どうしてアレンはそこまで私のことが気になるの!?」



 あれっ、間違えた。そうじゃなくって、ええっと、えーっと。ぐるぐると混乱していると、ピクニックバスケットを持ち上げたアレンが「ん?」と言って、きょとんとした顔を見せる。



「それは……お前が目を離した隙にやらかすから?」

「ん、んー、でも、お皿を割ったりはしてないし……」

「あー、そうなんだけどなぁ。こう、俺がいない間に何か事件に巻き込まれてるんじゃないかって、それが不安でな」

「一体どうして……」

「美人薄命って言うしなぁ。あと、視界に入れてると楽しい。からかな?」

(ま、ますますよく分からなくなってきた……)



 妹的な存在だと思ってたんだけどなぁ。「うーん?」と唸って首を傾げていると、着々と片づけを進めながら、「よし、食いに行くか~」と言ってきた。「にゅうん」と、バニラちゃんが鳴いて、アレンの足に纏わり付いている。手にしたレモネードの瓶は太陽の熱に当てられ、じんわりとぬるくなっていた。



(まぁ、いっか? 別にこれで……)





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