2.ヘンリーのショックと尾行する魔術師
アレンは頑なに、お礼なんていらないって言うし。
(よし! 久々にライ叔父さんとデート……じゃなかった、アラン君に会いに行くんだった! 会いに行って、気持ちをちゃんと確かめなくちゃ)
なら、私なりに考えて動かないと。アラン君はアレンの言う通り、あまり関わりたくないって、そう思っているのかどうかを今日会って確かめてみたい。いつもの茶髪をふんわりと巻いて、ねじってハーフアップにしたメイベルがパンプスを履いていると、奥からバニラを抱いたヘンリーがやってくる。
「あれ? メイベルちゃん、出かけるの? これからデート? なーんて、ははは……」
「にゅう」
その言葉に何も返せず、黙り込んでしまった。ヘンリーが「えっ」と呟いて、白地に花柄が浮き出たワンピースを着て、デニムジャケットを羽織ったメイベルをくまなく、どこか呆然と見つめ始める。
「えっ? あの、アレンは……!? あいつと出かけるんだよね!? これから!」
「うっ、ううん……あの、ええっと、ほら! あら、」
「何してんだよ、そこで。ヘンリー」
「あっ、アレン! いや、ほら、メイベルちゃんがさ? デートに行くみたいな格好をしてるのに、お前を置いて行くって言うからさ……!!」
ヘンリーが青ざめて振り返ると、紺色のエプロンを脱ぎながら、アレンが眉を顰める。
「あ? だから何だよ、それが」
「えっ、嘘、いや、今さら飲み込めないんだけど……!?」
「何を? お前こそ変だよ、最近」
「えっ、嘘、え、えええええ~……!?」
気を静めるためにか、バニラの白い毛皮をふわふわと撫で回している。気持ち良さそうに青い瞳を細めて、「にゅう」と鳴いた。
「メイベル。遅くならないようにな、あまり」
「あっ、う、うん。じゃあ、気をつけて行ってくるね……」
「彼氏じゃないよね!? 間違っても彼氏じゃないよね!?」
「にゅっ……」
「だ、大丈夫! 彼氏じゃないからね!? それじゃあ、行って、行ってきまーす……」
「待って、メイベルちゃん!? 彼氏じゃないなら、一体どうしてそんなオシャレを……って、あっ、ああ~……!!」
ばたんとドアが閉まって、ヘンリーが床に両手を突いて、がっくりと項垂れた。アレンが訝しげに眉を顰め、そんなヘンリーを見下ろす。
「おい。なんでショックを受けているんだよ? まさか」
「違うからな!? 俺はっ、俺は、今さらメイベルちゃんが、アレン以外の男とくっつくだなんて……耐えられないっ!!」
わぁっと両手で顔を覆って嘆いてみせたヘンリーを、アレンがどこか引いた様子で見つめていた。バニラが通り過ぎて、「にゃあん」と鳴く。
「お前なぁ……あんだけ、散々俺とメイベルを引き離そうとしていたくせにな」
「うっ、うう、気付いていたのか……!?」
「アホかよ、お前は。気付くっての! おら!」
「痛い痛い! てか、メイベルちゃんの浮気者!! あーあ、何もあんなにオシャレして出かけなくてもいいのになぁ……アレン、アレンのことを置いて、そんな」
ぐすんとヘンリーが鼻を鳴らす。まぁ、好きな相手ではあるからなぁ。
「……メイベルをな。幸せにしてくれそうな男が現れるといいんだが」
「……」
「何だよ、その顔は?」
「いいや……何でもない」
何はともあれ、尾行開始だ。チェック柄の帽子をかぶって、黒いサングラスをかけ、トレンチコートを着たアレンがそっと、電信柱の影からメイベルを見つめる。
(キッチンで皿を洗いつつ、機会を窺っていたが……成功して良かった)
途中で他の男に絡まれるかもしれないし、何なら盗撮されるかもしれない。
(あああああ……!! 怪我なんかするなよ、メイベル。それにしてもヘンリー、尾行すると言ったらほっとしてたな。本当、何なんだよ。あいつは)
いちいち行動が謎だ。いつになく綺麗なワンピースを着ているメイベルを見て、さっとカメラを構える。が、そこではたと気が付いた。
(俺は犯罪者か!? いいや、断じて違う。決して盗撮しようなんてことは……!!)
辺りを見回してみるが、誰もいなかった。ただただ、長閑な高級住宅地が広がっている。
(しかし、しかしだ。あいつがああいうワンピース、着るの珍しいしな……弟にも見せてやりたいしなぁ)
弟とは初めて会った日、「姉さんの様子を今日から逐一報告しろ!!」と言われ、連絡先を交換したが。
(まぁ、あれだけメイベルのことを分かっているやつもそうそういない……弟だから当然なんだが)
メイベルトークが弾む、弾む。最初はぎゃんぎゃんと吠えてばかりだったが、メイベルがチーズケーキを食べている様子や、ソファーでうたた寝している様子を写真に収めて送るようになってから、一気に態度が軟化した。今ではもうすっかり親しい。
(ウィルフレッドよ、許せ。こんな風に撮っている俺を見たら、不安になるだろうが)
しかし、コレクションを増やしておきたい。一時期、メイベルが反抗期になって大変だった。まぁ、むくれている顔も顔で可愛いから、貴重っちゃ貴重か。こっそりシャッターを切ると、ふいにメイベルがこちらを振り向いた。慌てて物陰に隠れる。
(危ない、危ない……!! あいつ、察しがいいからな。ああ見えて。くそ! 普段はほわっほわしてるくせに)
アランもアランで、妙に鋭いところがあった。あいつには何も隠し事が出来ない。ぎゅっとカメラを握り締め、俯く。
(別に……だから会えないってわけじゃない)
電話もメッセージも無視し続けた。なんて返せばいいのかよく分からなかった。俺が家を出なかったら良かったのか? それとも、もうちょい実家に帰って、アランの様子を確かめたら良かったのか。後悔で深く刻まれた傷は膿んで、まだじくじくと嫌な熱を放っている。
『お兄ちゃん、お兄ちゃん。ねぇ、待ってよ。そんなに僕、走れないからさ……』
なんて言えばいいんだろうな? 次、会った時に。
(だから、年末年始も帰れない。あーあ……あいつ、一人暮らししてくれないかなぁ)
両親にはこの間、会ったから別にいいが。飼い猫のことが少しだけ気にかかる。
(拗ねてるんだろうな……まったく帰ってこないから。お、トラムに乗るのか。乗って、一体どこまで行くんだ?)
あまり危険な場所には行って欲しくないんだが。そろそろと物陰から出て、数人のサラリーマンと主婦の後ろに陣取って、ゆっくりとトラムに乗り込む。
(メイベルに……メイベルにばれないようにしないとな)
トラムに入ると、ちょうどメイベルは窓側の席に座っていた。のんびりと、機嫌良さそうに窓の景色を眺めている。素知らぬふりをして通り過ぎ、すぐ後ろの席に座った。よし!
(あ、バレッタ……歪んでる。直してやらないとな)
腕を伸ばしかけたが、すんでのところで耐えて引っ込める。だめだ、だめだ。今は他人なんだから。ばれないように、ばれないように。すぐにがたがたと、穏やかに揺れ始めた。煉瓦作りの街並みが流れていって、街路樹の枝葉が窓いっぱい広がって映し出される。綺麗だった。春らしい緑だ。腕を組んで、それをのんびり眺める。
(喋りたいな。近くにいるんだが)
気にしなくていい、お礼なんて。俺とアランの仲を取り持とうとなんかしなくてもいい。そんな一言が言えなくて、時折、その後ろ姿を見つめる。滑らかな栗色の髪が波打って、春の陽射しを跳ね返していた。
(メイベル。……くそ! 言い出したら聞きやしないんだからなぁ。あーあ、まったくもう!)
初めて、顔を合わせたメイベルとアランが同時に顔を輝かせた。
「「わっ、わ~! 似てるね、確かに!」」
「揃ったな、二人とも見事に」
横に立っていたライが穏やかに笑う中で、メイベルとアランが顔を見合わせ、少しだけ笑う。そんな三人のやり取りを、賑やかなショッピングモールの中で佇み、静かに見守っていた。手には途中で買った、ミックスジュースを持っている。
(おいおいおい……なんだ? あのほわっほわ空間は。くそ! メイベルもアランも可愛いな。あの二人が付き合って、結婚すればさぞかし)
ああ、でも、だめだ。メイベルはライさんのことが好きなんだから。そのまま三人は和やかに喋りつつ、とある店に向かった。「ここ美味しいんだよ」と言ってメイベルが指し示したのは、俺とよく行くパンケーキ専門店で。
(メイベル……また連れて行ってやるからな、俺が)
慌ててジュースを飲み干し、近くのゴミ箱に入れる。三人はもう店に入って、席に通されていた。昼時を少し過ぎているからか、店内は空いている。淡いクリーム色のタイル床に、ブルーの壁が爽やかな店内にて、必死に聞き耳を立てる。運良く、三人の後ろの席に通して貰えた。
「それでね? あの、私……今回、ごめんなさい。いきなり時間を貰っちゃって。会いたいだなんて言っちゃって」
「ううん、別に。大丈夫だよ、ライおじさんの姪ごさんに興味あったし」
「私に似ていなくて、可愛いだろう? メイベルは」
叔父馬鹿が入っているのか、でれれとした表情がよく想像出来るような声でそう話す。ああ、メイベルのやつ、傷付いているんだろうなぁ。苺ミルクスムージーをかき混ぜつつ、ひたすら聞き耳を立てる。いいのに、そんな。
(いざとなったら、俺が魔術で何とかするという手もあるが……いいや、喜ばないだろうな。あいつは。メイベルは)
そこから何故か、メイベルの小さい頃の話になる。こ、れは……!! 慌ててポケットから魔術手帳を取り出し、ペンを出した。
(尾行したかいがあったな……!! ええっと、おい、知ってるか? 弟。メイベルは二歳の頃、食わず嫌いで苺とメロンしか食わなかったそうだっと、送信)
暇なのか、すぐに返事がきた。手帳の上には“知ってるけど、それがなに?”という文字が揺れている。最近のこいつ、ノリが悪いな。アレンが渋面で返事を書いてゆく。
“可愛いだろ。あと、メロンのケーキとかタルトとか。喜ぶと思うか?”
“喜ぶと思うよ。ちなみに俺の実家の近くにあるケーキ屋のメロンタルトが気に入ってて、高校生の頃、よく帰りにライ叔父さんに買って貰って、母さんに怒られてた”
なるほど。そこで弟とメイベルトークで盛り上がり、アランの「えっ? お兄ちゃん、そんなこと言ってたんだ?」という言葉を聞いて、はっと正気に返る。
(しまった。まだメイベルの前髪の話が終わってねぇのに!!)
名残惜しいが、ひとまず手帳を閉じて耳を澄ませる。いつ運ばれてきたのか、横にはマスカルポーネチーズと苺のパンケーキが置いてあった。が、頼んだ覚えが無い。無意識で選んでいたか、メイベルと同じものを。
「言ってたよ? あのね? ここだけの話、アレンはアラン君に嫌われてるんじゃないかって、そう不安に思ってるみたいで」
(メイベル~……俺、言ってねぇぞ!? そんなことは一言も!!)
そこでライさんが深刻そうな声を出して、「そうか、だからあの時も……」と呟く。待って、やめてください。本当にマジで。
「でも、お兄ちゃんがそんなこと、気にするかな……?」
「するよ~、するする! だって、ああ見えてアレン、ブラコンだもん! アラン君のこと、絶対に絶対に可愛いって思ってるし!」
「だが、確かに、殴りかかったあの時も怒っているというよりかは、自分の不甲斐なさに打ちのめされている感じだったな……」
やめて欲しい、ガチで。死んだ魚の目でふわふわと、苺のパンケーキを切り分ける。ああ、せめて今、メイベルと同じもんを食ってるんだ。それで精神を落ち着けて……。
「だから、アレンはね? 勝手にその、相応しくないんじゃないかって。アラン君にはもっともっと、良いお兄さんがいた方がっていじけて、悲しくなっちゃってるの」
「ああ、でも、お兄ちゃん。確かにそんな、どうでもいいことで悩んでそうだね……」
おいおい、おいおい、アラン!! お前な!? もふもふと、口いっぱいにパンケーキを頬張りつつ、虚ろになってしまう。味とか分かんねぇよ、くそったれが!
「そう! だから、その辺りの誤解を解いて……」
「でも、きっともう会わない方がいいよ。僕、昔から迷惑かけてばっかで……今、お兄ちゃんはそこで楽しく暮らしてるんだしさ?」
「アラン君……」
「アラン、きっとアレン君も可愛い弟に会えて、喜ぶはずだから」
「そうそう! アレン、意外と涙もろいし! 泣いちゃうかもしれないよ? 嬉しくて! もしかしたら、勢い余ってハグとかしちゃうかも~」
やめろ、やめろ……。俺がアランに会えて、嬉しくて泣いちゃうだと? それで、咽び泣いてアランのことをハグするだと? 想像出来るのかよ、お前。その光景が! 背筋に何か、ふわふわしたもんを突っ込まれたみたいだ、落ち着かねぇ! ごしごしと二の腕を擦って、座り直していると、「多分、泣きはしないと思う……」と呟く。よし、流石は俺の弟。そのふわふわな二人をどうにかしてくれ、俺の心が死ぬ。死んでしまう。
「でも、アレン、すごく悩んでいて……その、私に親切にしてくれるのも、雰囲気が似てるからだし。アラン君と」
「えっ? そうなんだ?」
「そうだったのか……」
「後悔してるから、アレンは。俺がもうちょっと気にかけてやれば良かったって。でも、アレンはすごく繊細なところがあるから素直になれずに、アラン君からのメッセージも無視して、私に涙ぐみながら、そんなことを語ってるの……本人に言えばいいのに、会ってそう」
やめてくれ~……メイベル。とうとうアレンが頭を抱えて、テーブルに肘を突く。
(いや、確かにその通りなのかもしれないけど! やめろよ、反則だろ。それ……)
「うおおおおおお!!」と叫び出したいのを堪えて、黒髪頭を掻き毟る。店員がぎょっとした顔をしていた。いかん、やめねば。
(はー……次は一体、どういう辱めが待って)
そこでからんと、氷の音が響き渡る。何となく、アランの立てた音だと分かった。緊張したり、落ち込むようなことがあると喉が乾くのか、よく水を飲んでいたから。昔から。
「でも、僕……最高に良いお兄ちゃんだと思ってるんだけどなぁ?」
「分かる! 私もあんなお兄ちゃん、欲しかった~」
「優しいものな、アレン君は」
「そうなんだよ。僕が風邪を引いた時とか、膝を擦り剥いた時も……」
じわりと熱い涙が出てくる。嘘だろう、アラン。嘘だろう?
(あーあ……馬鹿みたいだ、こんなの)
勝手に意地を張って離れて、メイベルに愚痴をこぼして、尾行して。あまつさえ、こうやってこそこそと盗み聞きをしていて。調子に乗っているのか、アランが「でもね? お兄ちゃんは小さい頃、よく……」と言い出したところで領収書を握り締め、立ち上がる。
「おい、アラン。やめろよ、お前」
「わっ!? ……お兄ちゃん?」
「アレン!? えっ、一体どうして!? お、お買い物に来たの? アレンも……」
久しぶりに見た弟は、ちっとも変わっていなくて。天使のような金髪巻き毛に、澄んだ青い瞳。そうだ、昔、俺とアランは“天使と悪魔”だなんて呼ばれてたっけ? 無理矢理アランに帽子をかぶせ、笑う。向かいの席で、メイベルとライさんが呆然としていた。
「別に迷惑だなんて思っちゃいねぇよ、お前のこと。今さらだろ、まったく」
「でも、僕だってお兄ちゃんのこと、」
「ああ、だろうな。知ってる。んじゃ、まぁ、俺はこれで」
「えっ!? 待って、アレン!? 私も一緒に行く!」
「お兄ちゃん!? ねぇ、待ってよ!」
懐かしいな、昔から何度も聞いてきた台詞だ。奪い取った領収書を握り締め、レジへと向かうと、慌ててメイベルがやって来た。
「ねぇ、アレン? せっかく弟さんと会えたんだし、」
「ああ、また会いに行くさ。アランには」
「えっ? どうして今じゃないの?」
「聞きたいことが聞けたから、もうそれでいい。……行くぞ、メイベル。何か奢ってやる」
「えっ? でも、その領収書は……」
財布から金を取り出して、三人の分も払っていると、慌ててライさんとアランがやって来た。何かをごちゃごちゃ言っていたが、全然耳に入ってこなかった。頑なに無視をする俺を見て、アランが困ったように笑う。
「お兄ちゃんってさ? 昔から、繊細で鈍感なところがあるよね……」
「あっそ、だから?」
「でも、僕はお兄ちゃんがお兄ちゃんで良かったよ。ありがとう、会いに来てくれて。今日」
「別にお前に会いに来たわけじゃねぇし、俺。……まぁ、でも」
店を出てから、帽子を被り直した。俺の後ろでライさんとメイベルがひそひそと、「微笑ましいな、拗ねているのか? あれで」だとか「そうなの、アレンはとっても繊細なの……」と囁き合っているが、聞こえないふりをする。このふわっふわクリーム系の善人どもが!
「俺もお前が弟で良かったよ、アラン。ありがとう」
勇気を出して振り返ってみると、ふんにゃりと嬉しそうな笑顔を浮かべた。ああ、メイベルとよく似ている。うまいもんを食った時のメイベルと、顔がそっくりだった。
「うん! じゃあ、これからもよろしくね。お兄ちゃん。あと、メッセージの返事も……」
「ああ、はいはい。返せばいいんだろ、返せば。じゃ、俺、帰るから。メイベル、あまり遅くならないようにな~。じゃあな~」




