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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第三章 春を楽しみ、夏に思いを馳せ
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1.爽やかな春の朝と廊下での盗み聞き

 






 春がきた。今日はそう思わせるような陽射しと天気だった。浮かれて裸足のまま、バルコニーに出て、胸いっぱいに甘い春の匂いと植物の香りを吸い込む。目の前には青空と、美しい街並みが広がっていた。白いネグリジェ姿のメイベルが両腕を広げ、ぐーんと体を伸ばす。



「わーっ……今日もいい天気! 良かった!」

「おい、メイベル!? お前、何してるんだよ!?」

「あれ? おはよう、アレン」



 振り返ってみると、紺色エプロン姿のアレンが青ざめて佇んでいた。慌てて扉に駆け寄ると、不満そうな顔でぎっと扉を開ける。



「風邪でも引いたらどうする? また……」

「えーっと、もう治ったし大丈夫だよ? ほらっ、今日だってこんなにお天気が良くて、暖かいし!」

「熱は?」

「ないよ?」



 ぴたっと、私の額に手を当てて考え込む。でも、風邪で寝込んでたのって、二週間ぐらい前のことなんだけどな……。アレンが青い瞳を和らげ、ほっとしたように息を吐いた。



「よし、ないみたいだな。花粉症は? 発症してないか?」

「してないよ、ありがとう……」

「ああ、あと、今、朝飯を作ってるところだから。降りてこい……って、裸足じゃねぇか!? 俺のスリッパをやる。ほい」

「だ、大丈夫だよ。いらないから……」



 すごく心配をかけてしまったのか、ずっとあれからこんな調子だ。頑なに「スリッパをやる」と、そう言い張るアレンの背中を押して、部屋の中に入った。



(私……うっかり怪我とかしちゃだめだ! 花粉症も、花粉症も発症しないように気を付けないと……!!)



 でも、どうやって? 分からないけどもう、これ以上アレンに心配をかけないようにしなくちゃ……。落ち込みながら背中を押していると、ふとアレンがこちらを振り向く。



「おい、どうした? ……顔色が悪いぞ?」

「なっ、ななななな何でもないよ! あっ、それよりも私、どうしてもアレンにお礼がしたいんだけど」

「あ? フレンチトースト作ってくれただろ。別にいいし、あれで」

「じゃあ、アレンの好きなプリンとかは? 作ろうか?」

「お前の手が疲れるから却下」

「でも、私、フレンチトースト作った時、卵を割っただけだし……」

「いいか? メイベル」

「はい、お母さん。って、あ、ご、ごめん……」



 ものすごく嫌そうな顔をして、ちょっとだけ黙り込む。私が手に汗を掻いて緊張していると、ぎゅっと眉間に皺を寄せて腕を組んだ。



「……いいか? メイベル。卵を割るのも、立派な料理の内の一つだ」

「そ、そうかな……?」

「よって、お前は卵を割るだけでいい。以上で終わり」

「えっ!? あの、それは私が作ったって言わな、」

「言う。あれはお前手作りのフレンチトーストだった」

「食パンを切るのも、かき混ぜるのも、焼くのもアレンが全部しちゃったのに!?」

「お前が卵を割ってくれたから、あれだけうまくなったんだよ。ありがとう、うまかった。それじゃあな」

「アレン!? ねぇ、ちょっと待ってよ!」



 そそくさと逃げようとしていたアレンがぴたりと足を止め、こちらを振り返る。何故か神妙な顔をしていた。春の風が柔らかく、ゆるりとカーテンを揺らしていく。



(あ……違う、これ。私を見ているんじゃないんだ)



 別にいいんだけど、私を代わりにしていても。でも、本物の弟さんにしてあげた方がよくない? その方がきっと、アレンも楽になるし嬉しいよね? そんな言葉を飲み込んでから、ぎゅっと胸元を押さえる。




「あの……ねぇ、じゃあ、アレンがしていて楽しいことってなに? 私、お礼がどうしてもしたくって」

「お前の世話をしている時が一番楽しい」

「あ、あとは……?」



 そこでちょっと考えてから、顎に手を当てる。



「……お前がソファーでまったりと、バニラと遊んでいる時? かな。とにかく動いてないで、じっと休んでる時」

「あのね? アレン。私、別にそこまで体弱くないから、」

「おーい、ハリー。ベーコンと目玉焼きでも焼いてやろうか?」

「えっ!? マジで!? 一体どういう風の吹き回し!?」

「何か、ほふく前進で会社に行こうとしてるお前を見てたら、ちょっと不安になってきてな……」

「わぁい、ほふく前進効果~! ベーコンエッグと目玉焼きが出てきた~!」



 開け放されたドアの前で、「やった!」と叫んでハリーが寝転がる。それを「うりゃうりゃ!」と言って、軽くハリーのお腹をいじったあと、起き上がったハリーに「ありがとう~! ありがとうのキス~!」と言って飛びつかれていた。もちろん、ものすごく怒ってた。



「じゃ、メイベル。またあとで」

「またあとでね~、メイベルちゃーん」

「あっ、うん。またあとでね……」



 ぱたぱたと、賑やかな足音が遠ざかっていく。春の風が、後ろから私の髪を巻き上げていた。柔らかく、心地の良い風に吹かれながら俯くと、綺麗な無垢床が春の陽射しに照らされていて。



「……アレン。最近、あからさまに逃げるようになったなぁ。どうしよう? お礼」



 こうなればもう、アレンのことは放っておいて! 私のやりたいようにしよう、そうしよう。



(だって、アレンったら私が何をしても心配してくるし……も~、小さい子じゃないんだから)



 でも、どうしてもお礼がしたい。アレンは嫌がるんだろうけど。ふとバルコニーの向こうを見てみると、薄い青空が広がっていた。今日は待ちに待った、暖かいピクニック日和で、口元がにんまりと緩んでしまう。



(今日。今日は公園で、アレンと一緒にお弁当でも食べようかな……楽しみっ! 苺で何か、デザートも作ってくれるみたいだしっ)



 胸の底にはまだ、ライ叔父さんへの想いがじわりと残っている。でも、いずれ消さなくちゃいけない想いだから。



(アレンはああ言ってくれたけど……私って、しつこいし本当に醜いなぁ)



 結婚出来ないと知った、四歳の時に、この恋心が全部溶けて消えてしまえば良かったのに。でも、まだ、ライ叔父さんに手を伸ばされたらきっと、その手を掴んでしまう。罪悪感に苛まれながらもきっと、その想いに応えてしまう。



「……ライ叔父さんはそんなこと、絶対にしないんだけど」



 でも、心のどこかで期待している自分がいる。酷く、胸の奥が騒がしくなった。



「ああ、私って。本当にどうしようもない人間だな……」

















「アレンへのお礼……?」



 チーズチップスを取ろうと腕を伸ばしたまま、黒いシャツを着たヘンリーがこちらを向く。こくりと頷くと、眉を顰めて「うーん」と言いながら、ぱくりと齧り取った。



「メイベルちゃんが今日も健やかに、元気に生きてるのが一番のお礼じゃない? 俺、怖いよ……あれからアレン、毎日祭壇に祈ってるから」

「やだ、何か買わされてない? あの子。大丈夫?」

「大丈夫です、それは本当にもう大丈夫……ドケチだし、元々家族で信仰していたみたいなので。確かウェールズベリー教」

「ああ、あそこね。ってやだ、適当で有名じゃない」



 ヘンリーの向こうに座っていたマリエルが嫌そうな顔をして、グラスを傾ける。そこには瑞々しい、ミックスベリーと氷が浮かんでいた。



「そーそー、確か毎日祈ってさえしてれば良くしてやるよ、みたいな宗教だったっけ? 古いけどなぁ、はは」



 隣にいるフレデリックが笑って、アボカドのタルタルソースが乗せられたクラッカーを頬張る。今日はビールの気分らしく、大きなジョッキを握り締めていた。ノアがその隣で眉を顰め、ミックスナッツを齧り取る。



「大体さ? アレン、嫌がってるから。メイベルちゃんからのお礼」

「えっ!? 嫌がって……!?」

「そーそー、メイベルがあいつ、張り切って何かする気だぞって言ってた~。やめとけば? あと、俺も何か欲しい」

「ハリー、上がってきなよ。こっちに」

「いや、もう、座る体力が無い……テーブルの下でいい。落ち着くし、これで」



 ぬっと、テーブルの下から白いシャツに包まれた腕が出てくる。それが私の膝の上に手を置いたので、ノアが真顔でがっと払い落とした。



「あだっ!? えっ、何!? ミックスナッツは!?」

「それ、セクハラだから。あと、欲しいのならはい」

「ありがとう……クラッカーも欲しいんだけど? 俺」

「んぐ、あたしのいる? はい、どーぞ」

「にゅうん!」

「ああ、だめだよ? バニラちゃん……気をつけて、ハリー! 食べようとしているから」

「これは俺のだから! だめっ! 縄張り争いに負けないもん、俺っ!」

「にゅう、にゅうっ!」



 ばたばたと、テーブルの下で争いが繰り広げられている。くすりと笑ってから視線を元に戻すと、ヘンリーが曖昧な微笑みを浮かべていた。



「あのさ? もうね、本当にメイベルちゃんに見せてあげたいよ。毎朝毎晩だよ? 今日もメイベルが無理をせず、怪我をせず、誰からも嫌がらせをされずにって……ああ! あいつが毎晩唱えてる呪文が鼓膜に染み付いちゃってるなぁ、俺」

「大変ね? ヘンリーもヘンリーで」

「そうなんですよ、本当に……あーあ、昔はあんなやつじゃなかったのに。どこ行っちゃったんだろう、あのアレンは」



 そこでぐいっと、ビールを飲み干してしまった。だ、大丈夫かな? そんなに一気に飲んで、急性アルコール中毒にならないのかな? マリエルが愉快そうにくすくすと笑っている。今日は白いタンクトップの上から、真っ赤なシャツを羽織っていた。



「メイベルは……一体どんなお礼がしたいの?」

「ダニエルさん」



 新しい瓶ビールを握り締め、空っぽのグラスにとぷとぷと、立ったまま注いでゆく。かなり伸びてきた黒髪を結び、黒いTシャツを着ていた。



「私は……その、お菓子の詰め合わせとか。一応、贈ったんですけど」

「うん……もしかして、倍になって返ってきた?」

「そ、そうなんですよ……!! こんなのいらなかったのにと、そう言われてしまって。そして何故か私が気になってた、お高めの寝具一式をくれて!」

「怖いな、それ……」

「怖いな、怖い」

「どうかしてると思う、アレンは」



 フレデリックとヘンリーが青ざめると、ソファーの端でビールをグラスに注いでいたシェヘラザードが眉を顰めてそう言う。



「で、でも、すごく素敵なライラックとミモザ柄の花柄カバーで……!! わ、私、こと、断るべきだったのに!」

「いいのよ、メイベルちゃん。あの子が貢ぎたくて貢いでるだけなんだから。ねっ?」

「ま、マリエルさん、でも、私」

「アレンもアレンでさぁ、用意周到だよね? わざわざ、メイベルちゃんが断れなさそうなものを選んで贈ったんだ?」

「あいつ、メイベルちゃんのことに関してだけ、頭がおかしいからなぁ~」



 フレデリックが呆れてぼやきつつ、ビールをグラスに注いでゆく。私だけ、アレンから禁止されていて飲めないのが辛いなぁ……。仕方なく、アレンが作ってくれたノンアルコールの苺カクテルを飲んで、しゅわしゅわのソーダゼリーを口へ運ぶ。これにはナタデココと苺と、タピオカが入っていた。爽やかで、食感もぷちぷちとして、楽しくて美味しい。



「わら、わらひ、どうひよう……もうすぐで、アレンも帰ってきちゃうだろうし」

「俺が今まで、いくらどれだけ頼んでも、あ? 自分で買いに行けよの一点張りだったのになぁ~……メイベルちゃんがちょーっと、炭酸、私、もっと飲みたいなぁ~って言ったぐらいで走って買いに行っちゃうんだもんなぁ~……羨ましいよ、妬ましい! 俺もアレンに甘やかして貰いたいのにぃっ!!」

「わっ!?」



 がしっと、足首をハリーに掴まれてしまった。す、すごい。怨念がテーブルの下から這い出てきてる。するとノアが真顔でがっと、ハリーを蹴り飛ばした。



「鬱陶しいし、やめなよ。あとでアレンに言いつけるよ?」

「フルボッコ! フルボッコの刑にされるやつ!! あと、蹴るのならマリエルさんが、あだっ!? いだだだ!?」

「ふにゅうん!」

「バニラちゃん!? 引っ掻いちゃだめだよ!?」

「メイベルちゃんはママだからね。それで怒ってるんじゃない?」



 ノアが少しだけ笑って、チーズクラッカーを取る。心配になったのか、ヘンリーが下を覗き込んで「おーい、大丈夫か? 血、出てないか?」と聞く。すぐさま「思いっきり出たぁ~、鼻からも!」と訴えてきたので、それを聞いて、慌ててダニエルがティッシュを取りに走ってゆく。



「っふ、ふふ……まぁ、メイベルちゃんの好きなようにすればいいんじゃない? あの子、いらないって言いそうだけど」

「う、うーん……それは確かに! あっ、そうだ」

「えっ? なになに?」

「何かいいことでも思いついたの?」



 そう聞いてきたノアに笑いかけ、苺のカクテルが入ったグラスを持ち上げる。



「私! アレンの弟さんに会ってくる! あのね? どうにもアレンが意地を張ってるみたいで、仲がわる、」

「ええ~? アレンの弟!? だめだ、あいつと同じ顔をした、うるさいやつしか想像出来ないぞ……」



 フレデリックが腕を組んで考え込むと、ヘンリーがちょっと片方の眉を上げ、クラッカーを持ったまま首を傾げる。



「俺、会ったことも見たこともないな? そう言えば。いるのだけは知ってたけど……」

「どんなやつだって言ってた? 想像出来なくて、全然」

「いや、大人しいとだけ……」

「「大人しい!?」」

「珍しい。ノアとハリーで揃ったな」



 ヘンリーに笑ってそう言われ、ノアがちょっと不機嫌そうな顔をしたあと、また白い手でミックナッツを摘み上げた。私も欲しくなって、迷った末にカシューナッツを取って食べる。甘くて美味しい。



「だってさ、大人しいって? あれと血を分けた弟が?」

「そう聞いてるけどなぁ、俺は」

「だめだ、俺は普段、アレンと喧嘩ばっかしてるから、家族の話なんか聞こうと思ったことすらないよ。気になるなぁ~……うー」

「俺もフレデリックさんと同じく~。てか、秘密主義じゃん。あいつ」

「言えてるね、それは。聞いたところで、だんまりしか返ってこないしさ……」



 ハリーとノアが不満そうにしてる。



(でも、確かに私も、家族の話とか聞いたことないかも……?)



 アレンは秘密主義だから、普段から自分の話はしない。職場でこれがあった、あれがあったとかはよく話してくれるんだけど。クラッカーを持ったまま首を傾げる。そんな私を、マリエルとヘンリーが優しい笑みで見守っていた。



「私……アレンと弟さんの橋渡し役をしようと思っていて。アレン、すごく寂しそうだったのに、もう会わない方がいいって言ってたし」

「なぁ、おい、ヘンリー。あいつ、絶対に弟の骨を折ったりしたんだって!」

「ですよね? 大怪我させたとか、何か学校で余計なことしたりだとか……」

「あれじゃないの? 単純にただ、アレンのことを嫌がってるだけじゃないの? その弟がさぁ」



 み、みんなで好き勝手言ってる……。でも、口止めされてるから何も言えないや。水滴がついたグラスを持ったまま、苦笑を浮かべる。



(とりあえず、ライ叔父さんに連絡取って。今度のお休みにでも、アラン君に会いに行こうかな……)



 そんな騒がしいやり取りを、トレンチコートを着たアレンが聞いていた。



(おいおいおいおい……あいつら、勝手なことばかり言いやがって!! それにお礼だと?)




 メイベルのやつ、何かしてくるとは思っていたが。予想外だった。ぎゅっと、スーパーのビニール袋を握り締める。



(阻止しなきゃな。いいや……メイベルの親切心をくじくのも何だし? ついていくか。俺と出かけれないって言い出した、その時がXデーだろうな……)



 アラン、アラン。もういいだろ、別に。あいつも立派な大人になったんだし、今はライさんと楽しく仕事をしているんだろうし。



(俺は……お前の兄にならない方が良かったんだろうなぁ)



 その台詞を聞くのがただ、ひたすらに恐ろしい。



(もしも、あいつが……いや、やめるか。さて、どのタイミングでリビングに入ろうか。あー、悩むなぁ……)








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