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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第二章 新しい年を迎えて、春を待つ
52/134

18.風邪を引いた彼女と魔術師の懸念

 




「どうしよう? 俺のミスだ。弟に合わせる顔がない。有給取る、仕事を休む。あと、俺は何したらいいんだろう……」

「今日も絶好調ね、アレン」

「うるせえ、クソババア。俺のどこが絶好調に見えるんだ!?」



 朝、アーガイル柄のニットを着たアレンが、食卓で頭を抱えていると、向かいに座ったマリエルが苦笑してナイフとフォークを置いた。今日は金髪を纏め、白いニットワンピースを着ている。



「メイベルちゃんのことだけを考えてるじゃない? だから。それにしても心配ね。熱は、」

「さっき計ったけど、三十七度二分もあった……」

「微熱じゃないの」

「いや、メイベルは普段三十五度ぐらいだから……辛そうにしていた。それから喉の腫れと痛み。少しだけ関節も痛むみたいだな。食欲はあまりなくて、スープだけちょっと飲んでた。あとで、プリンでも持って行くか……」

「相変わらずね、もう」

「仕方ない。いっつもうるさい……」

「うるせーよ! 朝から酒を飲むなよ、シェラ!!」

「いつになく荒れてるなぁ、アレン」



 アレンの隣に座ったヘンリーが苦笑して、ベーコンを切り分ける。今日は目玉焼きとベーコン、サラダと胡桃パンに、玉葱スープが並んでいた。テーブルの中央には白い百合が飾られ、眩しい陽射しに照らされて煌いている。アレンがそれを見て、深く溜め息を吐いた。



「俺は……俺はメイベルの保護者失格だ。どうしよう?」

「保護者だったのかよ、お前」

「フレデリック……俺は今、後悔しているんだ。余計なこと言わないでくれ」

「どうして、んぐ、また後悔を?」



 黒いニットを着たフレデリックが聞くと、檸檬の輪切りが浮かんだ水を一口飲んでから、俯いた。アレンはメイベルの回復を願って、断食することにしたらしい。全員がそれを聞いて、虚ろな目になったのは言うまでもない。



「……俺が誕生日の時に働かせたから、それで」

「えっ? 落ち込んでるのお~!? うける! ははははは! ざまぁみろ!」

「てめぇが風邪を引けば良かったのにな、このクソクソ社畜が!!」

「いって! ヘンリー! アレンのこと、どうにかして!? 凶暴~!」

「駄目だぞ、今アレンは……怪我した子クマを抱えた、母クマなんだから」

「まぁ、確かにいつも以上に荒れているわね? まっ、元々そんな感じだったけど」



 むっつりとアレンが不機嫌そうに黙り込み、ついさっき投げた檸檬を引き寄せ、手に乗せていた。そのままぽんぽんと、交互に投げつつ天井を見上げる。



「あ~……メイベルがいないと、お前らに優しくする気が起きねぇなぁ」

「おい……アレン、お前な?」

「メイベルちゃんの前でだけだもんね、優しいのは」



 ノアがベーコンを食べながら、話しかける。返事をする気力も無いといった様子で、「ああ、うん」と呟いていた。そんなアレンを見て、マリエルが呆れた顔をする。



「行ってきたら? メイベルちゃんのところに」

「さては鬱陶しいんだな? 俺のことが」

「ん~、まぁ、マリエルさんもマリエルさんで用意があるんだろうし……」

「出かける前に踏んでください、俺のこと!!」

「うるさいわね。今、踏んであげるからずっと黙ってて」

「えっ……優し! 以前なら、夜まで放置プレイだったのに!?」

「明るくなったよね、マリエルさんは」

「そーお? ま、これもメイベルちゃんのお陰ね。早く良くなるといいんだけど」



 それまでだるそうに天井を眺めていたアレンが、ばっとマリエルを見つめる。



「本当にそれな! あー、心配だ……でも、俺がいるとよく眠れないだろうし」

「確かに……俺、あとでお見舞いに行ってこようかな?」

「あ、ヘンリー。俺、有給取るって伝えてないから。あとお前は今日、実家だろ? 行ってこい」

「……ダニエルさん、付いてきて貰えますか?」

「分かった……」



 もそもそと胡桃パンを一口ずつちぎって、口に運んでいたダニエルがこくりと頷き、小さな胡桃の欠片を落とす。テーブルの下で待機していたバニラが「にゅうっ!」と鳴いて、それを拾った。慌てて見てみるが、もう遅い。してやったりという顔で、胡桃の欠片をにゃぐにゃぐと食べている。ダニエルが青い瞳を虚ろにして、それをぼんやり眺めていた。



「今日は……そうか。お前ら全員いないのか」

「おいおい……俺らがいないからって、変な気を起こすなよ?」

「うるせぇよ、変態のドマゾおっさんが。お前と一緒にするんじゃない!」

「でも、目を離した隙にアレン、メイベルのこと、すっごく甘やかしてそう……」



 朝食のベーコンをつまみにして、ウォッカを飲んでいるシェヘラザードがそう呟くと、アレンが眉を顰めた。否定するつもりはないらしい。



「まったくもう、呆れた。それならそれでもう、」

「じゃあ! よろしく頼んだぞ!? アレン! 俺とダニエルさんは、夕方までに帰ってくるからなー!?」

「おう。あんま声張り上げんな。うるさい。メイベルが起きたらどうする」

「いや、聞こえるわけないでしょ……馬鹿じゃない?」

「ん、同意」

「にゅうん、にゅ~」

「駄目でちゅよ~、バニラたん! おるちゅばん、頑張れまちゅか~? んん~?」



 ヘンリーがいきなり、テーブルの上に飛び乗ってきたバニラを捕まえ、白い毛皮に頬擦りをする。マリエルがそれを見て、青い瞳を優しく細めていた。



「じゃあ、アレン? 私達、仕事に行ってくるから。よろしくね」

「ああ、頼まれなくったって……俺、あんまりメイベルの傍にいない方がいいのかなぁ?」

「うわっ、珍しい。弱気じゃん、アレン」



 玄関先で黒いコートを羽織ったフレデリックにからかわれ、廊下の壁にもたれたまま、アレンが嫌そうな顔をする。でも、怒りはしなかった。そんなアレンの様子を見て、トレンチコートを着たマリエルがサングラスを持ち上げ、にっこりと微笑む。



「今回、あんなに無茶したのにはきっと、何か理由がある筈よ? だって、貴方にだけじゃなくて私にもしてたもの。……頼まなくても、色々してくれたわ」

「止めなかったのかよ、お前。それ」

「ああいう子には何を言っても無駄だもの。思い詰めている子にはね?」

「思い詰めている、か……それは確かに。アレン? 心当たりあるんじゃないか? お前」

「ない!」

「……じゃあ、聞くしかないわね。焦ってるから、メイベルちゃん。誰かの役に立たなきゃって、そう」



 誰かの役に立ちたい、ではなくて()()()()()か。先日、優しくする理由を話さないでいると、酷く傷付いた顔をしていたメイベルのことを思い出す。ああ、仕方ない。アレンが「くそ!」と悪態を吐いて、黒髪頭を掻き毟った。



「こういうの、苦手なんだよなぁ……!!」

「……苦手でも、メイベルちゃんになら出来るでしょ? アレンは」



 ふと見てみると、マリエルが柔らかな苦笑を浮かべていた。フレデリックもその横で、困ったように笑っている。玄関の窓から、もうすぐ春へと向かう季節ならではの、透明な陽射しが眩しく射し込んでいた。



「……ああ。そうなんだよな。メイベルになら苦じゃない」

「あっそ。じゃ、頑張れば?」

「何だよ!? クソババア! てめぇ、俺が弱ってるからっていい気になりやがって!!」

「行ってきまーす」

「じゃ、俺も行ってくるから~」

「マイペースかよ、お前ら! ああ、もう……!!」



 そうだ、やっぱりメイベルのことをちゃんと考えているのは俺しかいない。誰も彼もが出かけ、しんと静まり返った家の中で「よし」と呟き、二階へと続く階段を見つめる。



「まずはプリンを作るか。それからだな……メイベルが早く良くなりますように!」



 あいつが気にしちゃまずいから、階段の下でそう祈っておく。足元ではバニラが「にゃう、にゃう」と鳴いて、飯をせがんできていた。









 夢を見ていた、昔の夢を。朝、通学用のバッグを肩にかけ、クラスに入ると、空気がどことなくざわついていた。不思議に思って、黒板を見てみると一気に背筋が寒くなった。



「これ……」



 そこには一枚の写真が貼られていた。私と背の高い男性の後ろ姿で、親しげに腕を組んで歩いている写真。ばっと後ろを振り返ると、笑いを堪えて、女子の何人かが顔を伏せていた。泣きながら、黒板に書かれた“援交女!”の文字を消す。その時に気が付いたんだった。私のこれは制御すべき感情で、いつまでも甘えてちゃいけないんだって────……。



「っは、は……!! ゆ、め……?」



 ぼろぼろと涙を零して、ミントグリーンのパジャマを着たメイベルが飛び起きる。部屋が明るい。綺麗。ああ、そっか。家じゃない、ここはシェアハウスだ。閑静な高級住宅街の一角に佇んでいる、白い邸宅。胸元をぎゅうっと、押さえて涙を落とす。




「私が……悪いって。そう、分かっているはずなんだけどなぁ……!!」

「メイベルー? プリンを作って持ってきたんだがって、おわ!? どうした!?」

「アレン!? 仕事は!?」

「いやいや、仕事よりお前だろ!?」

「なんで!? っう、げふ、ぐ」



 駄目だ、アレンにうつしちゃう。必死に口元を押さえて咳き込んでいると、サイドテーブルにプリンを置いて、すぐさま駆け寄って背を擦ってくれた。



「メイベル!? 大丈夫か!? ごめん、ノックもしないで入ってきて!」

「だっ、駄目だよ……私、アレンにうつしちゃう」

「ああ、大丈夫だ。お前が気にすると思って、マスクをつけてきたから」

「えっ? あっ、本当だ……」



 よく見えてなかった。マスクをつけたアレンが、青い瞳を細めてにっと笑う。でも、どことなく心配そうな顔をしていた。おもむろに椅子を引いて、そこに腰かける。



「で? どうした? その、泣いたりして……」

「む、昔……学校で、いじめられていたことを思い出して」

「よし、死刑。間違えた、訴えるか」

「いら、いらないよ!? お父さんが学校に乗り込んでくれたし、いらないよ!?」

「お前の卒業アルバム、あの棚に並んでいたよな……?」

「いっ、いいよ。大丈夫だよ……だって、その、私にも非があったんだし」

「あるわけないだろ? アホか、お前は」

「あ、アホ……」

「……とりあえず、プリンを食え。ほい」



 アレンがスプーンでプリンを掬って、「あーん」と呟く。あ、あれ? もしかして、食べさせてくれるのかな?



「あ、あの、私、自分で食べれるから……」

「いいから口を開けろ! ほい」

「んぐ」



 苛立った口調とは裏腹に、そっと優しくスプーンを突っ込んでくれた。甘いバニラの香りと、プリンの滑らかな甘さが口いっぱいに広がる。思わず、泣きそうになってしまった。目に涙を溜めた私を見て、きゅっと眉間に皺を寄せる。



「メイベル……大丈夫か? 俺が呪いでもかけてきてやろうか?」

「あ、それはね? ウィルがしてた……」

「でかした、弟。あいつ、本当にいいやつなんだよな。メイベルのことをよく考えてる。あっ、はい。あーん」

「えっ? あ、あーん……?」

「どうだ? うまいか? 舌触りは? 温度は?」

「んぐ、おん、温度……? ちょうどいいよ。美味しいし。ありがとう」

「そうか。良かった」



 ほっとした顔でスプーンを動かし、また次の一口を掬う。でも、恥ずかしいからちょっとやめて欲しいな……。顔を赤くして口を開けていると、「熱でも上がったのか!? 顔が赤い!」と叫んで、額にさっと体温計を当てる。最近のアレンは、ポケットからすぐ色々出してくるなぁ……。



「さんじゅう……七度四分。おいおい、上がってじゃん。寝てろよ、ちゃんと」

「わっ……あの」

「もういっそ、治癒魔術で治すか? でもなぁ、自然治癒力を妨げると体が脆弱になって」



 私に毛布を丁寧にかけて、首まできゅっきゅっと詰め込みながら、そんなことをぶつぶつと呟いていた。温かい。人がいる。私を気遣ってくれる人がいる。



「ありがとう、アレン……ごめんね?」

「謝るぐらいなら、最初から無理をするなよ。あのな? 何度も言ってるだろ? 傍にいるだけでいいんだって。それなのに、お前は……」

「私……アレンが思っているような、いい人じゃないよ?」



 アレンが眉をきゅっと顰め、黙り込む。熱で視界がちょっと朦朧としてきた。でも、喋りたい。誰かに傍にいてほしい。



「いいやつは総じて、そんなことを言うんだ。それとも何だ? ……いいやつでいなきゃいけない理由でもあるのか?」

「あるけど……でも、その、アレンも私に隠してることがあるから、言わない……言いたくない」



 顔が見れなくなって、もぞもぞと毛布の中に潜り込むと、頭上で「ほーう? いい度胸だな、メイベル……」と低い声で呟く。こ、怖い。



「お前な……こんだけ無茶をしておきながら、」

「無茶なんかしてないもん……」

「してるだろ。まったく」



 怒ってるかな、どうかな? そっと毛布を下げて見てみると、そっぽを向いていたけど、すぐにこっちを向いてくれた。複雑そうな顔をしている。そして、静かに腕を伸ばして、私の頭をくしゃりと撫でてくれた。



「メイベル。これ以上は見てられないから、言うけどな?」

「……うん」

「わざわざ早起きまでして、あいつらにスープなんか作ってやらなくていい。廊下の掃除もしなくていい。とにかく、ここ最近のお前は異常だ。一昨日はシェラをおんぶまでしてただろ?」

「それは……その、酔ってたから」

「あいつは年がら年中酔っているんだ。ふざけんな! 三百六十五日、あいつをおんぶする気なのか!? お前はよ!?」

「ごっ、ごめんなさい……」



 深い溜め息を吐いて、私の額に手を当てる。しゅるりと、氷の粒が舞って煌いて溶けていった。その瞬間、熱がちょっとだけ下がる。



「アレン、今の……」

「少しだけな? 見てられないから」



 椅子に座り直したアレンがぼすんと、寝台に突っ伏す。えっと、どうしたんだろう? 手を伸ばしかけた瞬間、苦しそうに呻いた。



「もう、やめてくれよ……俺、嫌だよ。メイベルが無茶すんの」

「アレン」

「何が悪い? 何が足りない? ……お前はいくら言っても聞かない、人のために無茶をして動こうとする!」



 その声には少しだけ涙が滲んでいた。ぎゅっと毛布を握り締め、また低く呻く。



「話さないのは別に自由だけどな……? 俺はお前のそんなところが嫌いだよ。いくらこっちが心配しても、人のために動く! 相手が悪くてもキレたりなんかしないし、自分の非を探す!!」

「アレン? あの」

「こっちの身にもなってくれよ、メイベル……無茶、して欲しくないのに。どうしたらいいんだよ、俺。どうすれば伝わるんだよ……どうすればいい? なぁ。教えてくれよ……」



 ああ、私。私もアレンのことを傷付けていたんだ。そっと手を伸ばして、アレンの黒髪頭を撫でる。ぐすんと鼻を鳴らしていた。



「ごめんね……? あの、私、本当に」

「ん……」

「いい人じゃないの。偽善なの、全部全部。醜い」

「だから、なんでそんなことを……って、おい!?」



 涙が溢れて止まらなかった。両手で顔を覆い、喉を詰まらせる。だめだだめだ、ちゃんと話さないと。もうそろそろ、この荷物を下ろしたい。私はいい人なんかじゃない。誤解しているだけなのに、アレンは。



「っぐ、わた、私……」

「いや、もう俺が悪かったから……俺がお前の代わりに動くから! 好きなようにしてていいぞ!? 変わらなくていいぞ!?」

「わた、私の話……聞いてくれる?」

「おう、聞くぞ。そんで……あー、お前が聞きたいのなら。優しくする理由も全部教えてやるからさ……」



 片手を伸ばすと、ぎゅっと両手で握り締めてくれた。温かくて柔らかい。マスクの上の青い瞳には、深い優しさが滲んでいた。胸の奥にぽうと、小さな灯火が燃え熾ったかのように温かくなる。涙で視界がぼやけてしまう。



「あの、あのね……?」

「おう。どうした? メイベル。きっと、お前のことだから、変なことで思い詰めてるんだろうなぁ……」



 優しくて深い声だった。嫌われてしまったらどうしよう? 知られたら、軽蔑されるかもしれない。引かれるかもしれない。でも。黙ったまま、傍にはいられない。優しくして貰っているからこそ、罪悪感で苦しくなってしまう。



「私、実はね……」





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