9.後悔と懺悔と、今までで一番楽しいお誕生日
アレンが出してくれたケーキを見て、みんながほうっと息を吐く。それは茶色のスポンジが三段重ねられたケーキで、上には檸檬風味のチーズクリームが塗り広げられ、黄色いビオラと菫の花、檸檬タイムの葉、宝石のように艶々とした苺が並んでいる。そして下の方には“お誕生日おめでとう、マリエル”と書かれたチョコプレートと、星とハート形の大きなクッキーが添えられていた。隣のアレンが、誇らしげに額の汗を拭う。
「どうだ? メイベルと俺が共同で作った三段ケーキは! メイベルいわくマリエルさんはべったり甘いものが好きじゃないし、当日もご馳走が沢山あるから檸檬風味のクリームと苺を使って作りたいなとそう、」
「ああ、はいはい。メイベルちゃん解説はもういらないから……」
「あ? 何だよ、ハリー。ケーキの解説をしていただけだろ、俺は」
立ってケーキを見ていたハリーがそっと、首を横に振る。その拍子にポンポン付きの紙帽子が滑り落ち、それをシェヘラザードが拾い上げて、ぼすんと乱暴に被せた。ずれてしまったそれを几帳面に直しながら、またハリーがアレンに話しかける。
「いや……美味しそうなんだけどさ? 何かお前の解説で全部台無しになっちゃったみたいな? あー、二人でこれ、キャッキャウフフで楽しく作ってたんだなぁと思うと食が進まない。助けて」
「ああ、そうだ。メイベルがはしゃいでいてな……ケーキを作ってる最中に。その時の写真があるから、あとで見ろよ」
「ひえっ……強制? 義務?」
「もう初孫が出来たおじいちゃんじゃん、アレン……」
「うるせぇよ、このクソ貴族が」
そこで大きくぶるぶると、ヘンリーが震え出したので、慌てたフレデリックとノアが両腕を押さえ、ダニエルがそっと、バニラちゃんを顔に押し付けてなだめる。ぶふんぶふんと荒い息を吐きながら、子猫のお腹の匂いを嗅ぐヘンリーを見て、フランツが「まともだと思っていたのに……」とどこか裏切られた顔で呟く。その父親の言葉を耳にして、それまで黙っていたマリエルが吹き出した。
「っふ、ふふふふ……!! まともな人なんていないの、ここに。だから息がしやすい」
「マリエル、私は」
「ありがとう、メイベルちゃん。素敵なケーキを作ってくれて……そうね? 私、もっともっと早くにこういうケーキが食べたかった。一人ぼっちで食べるバースデーケーキの味なんか、知りたくなかったの」
「うわっ……悪党だ。マリエルパパ、悪党だ」
「俺だって性癖は歪んでますけど! 娘の誕生日にはちゃんとケーキ作ってお祝いしてましたよ!? ここまでしたのに死ねって言われたましたけど! この間!」
「まぁ、普通は誕生日ぐらい仕事を休むよね? 親失格じゃん、もう」
「ん、あたしもノアと一緒……そう思う。だめパパ」
「おれ、俺も流石に一人じゃなかったな……冷たい両親でも、一応傍にいてくれたし……」
口々に責められたフランツが動揺して、弱り果てた声で「すまない、マリエル……」と呟く。マリエルがそれを聞いて、青い瞳を見開いていた。それから少しだけ涙を滲ませて笑って、もう一度私の方を見る。
「マリエルさん、あの……」
「メイベルちゃん、ハグしてもいい?」
「もちろんです! わっ」
「いっ、いいなぁ! 俺も踏まれたい!!」
「いや、あれは親愛のハグであって、踏んでいる訳じゃないからな……?」
フレデリックが戸惑って、ハリーのことをたしなめる。周囲が賑やかに喋っている中で、マリエルがこちらを強く強く抱き締めていた。その温かく震えている背中を、そっと擦ってあげる。
「大丈夫……淋しかったんですよね? 今までずっとずっと」
「そうね、淋しかった。そのことを口に出すと、死にそうになるから言えなかったけど」
「大丈夫ですよ。来年も来て貰いましょうね? そのまた来年も……きっと、お父さんが来ることでしか癒えない傷があるから」
「そうね……ありがとう、メイベルちゃん。最高の誕生日だったわ、今までで一番、素敵で幸せな誕生日だった……」
涙で詰まった声を聞いて、私もちょっとだけ涙が出てしまった。少しだけ泣いてマリエルを抱き締めていると、背後で「うにゃあ」とバニラちゃんが鳴く。
「あー……メイベル? 大丈夫か? ケーキ入刀……」
「あっ、うん! しよっか!」
「待て待て、アレン!? 何それ!?」
「あ? 何って、ケーキナイフを花とリボンで飾ってあるだけだけど?」
元に戻ったヘンリーが慌ててアレンの手に手を添え、信じられないといった顔で見つめる。ど、どうしたんだろう? 見てみると、ノアとシェヘラザードの表情も暗かった。ハリーとフレデリックは舌打ちをしているし、ダニエルも膝を抱えてうずくまり、「どうせ俺なんて、どうせ俺なんて……」と呟いている。
「やめよっか! ほら、マリエルさんとメイベルちゃんに切って貰えば、」
「コツがいるだろ、これ。それにメイベルは俺と切り分けるのを楽しみにしていて、」
「よっしゃ! みんなで切り分けようぜ!! 二人の結婚式は阻止っ! とあっ!!」
「よし! ハリーに続けーっ!!」
「もー、何でいつもいつもこんな大騒ぎに……あーあ、うるさ。鬱陶しい」
はしゃいだハリーとフレデリック、そしてヘンリーまでもが突進して、「やめろって! 鬱陶しいな!!」と苛立って叫ぶアレンを揉みくちゃにしつつ、ケーキにナイフを入れてゆく。みんなで騒いで切り分けて、摘まみ食いをして、お皿にどんどん載せていったからか、せっかくのケーキがぐちゃっとなってしまった。くたびれた顔で席についたアレンとヘンリー、フレデリックとハリーの頭や頬に、白いクリームが飛び散っている。
「ふ、ふふふふ……まぁ、いいわね。こういうお誕生日も。肩肘張らなくて済むから」
「ま、マリエルさん、あの……」
「気にしないで、メイベルちゃん。とっても美味しいから。それに私、見た目はさほど気にしないタイプだし」
「そ、そうなんですか……? なら良かった」
「お前ら……覚えてろよ。せっかくメイベルが楽しみにしていたのに……メイベルが丁寧に飾りつけしたケーキを台無しにしやがって」
「メイベルちゃん、メイベルちゃん、それしか言わないじゃん。アレン……」
「じゃあ俺は、明日からハリーって連発しようかな……」
「自分の名前を?」
「「何で?」」
ぐったりしながらもケーキを食べているハリーを見て、ヘンリーとフレデリック、ノアが不思議そうな顔で問いかける。でも、それよりも何よりも、向かいの席でこの世のものという全てを恨んでいる顔で、黙々とケーキを食べているアレンが気になっちゃうな……。一旦フォークを置いて、アレンに話しかけてみる。
「あの、アレン? どうしたの? 何で怒ってるの……?」
「いや、こいつらがさ? お前がせっかく作ったケーキを台無しにしたから」
「でも、マリエルさんも喜んでるし。それに、大半はアレンが作ってくれたものだし……」
「いや、俺はお前の言う通りに作っただけで……優しい味がするな、このクリーム。美味しいよ、ありがとう」
「もっ、も~……アレンが作ったものなのに、それは」
「メイベルの愛情が入ってるからな、やっぱり。うまい」
「っ何だよ、それ! もう我慢の限界だ!!」
「おわっ!?」
いきなり怒ったヘンリーが何故かアレンをヘッドロックし、ハリーが「こちょこちょーっ!」と叫んで脇をくすぐる。
「ちょ、何だよ、お前ら!? いででで! ちょ、くすぐったい! どっちかにしろよ!?」
「それはこっちの台詞だっての! 大人しくしとけよ、客がいてる間ぐらい!!」
「おらおらっ! そいやっ!」
「ってめぇ! それはこっちの台詞だよ、ヘンリー! あとで絶対にぶん殴ってやる!!」
「あー、ほらほら、騒がない、騒がない……」
「うわ、気持ちわる……こういう時だけ年長者ぶってなだめるの」
「若い子ウケが悪いなぁ、俺、本当に……」
そんな騒ぎを見ながらも、隣のマリエルと笑い合ってケーキを食べ進める。フランツはぐったりとした顔で、ケーキをつつき回していた。時折バニラちゃんが「うにゃあん」と鳴いて擦り寄ってくるからか、すごく食べにくそうだった。
それを見て笑って、ケーキを口に含み、その甘さに酔い痴れる。檸檬風味のチーズクリームは滑らかで、ふわりと檸檬の香りだけを舌の上に残して、蕩けてゆく。中が黄色いスポンジもふわふわで、噛み締める度に、バニラの甘い香りが漂う。その間に挟まれた苺も、甘酸っぱくて美味しい。口の中でじゅわっと弾ける。
「あー……疲れた。散々な目に遭った。マリエル、ほい。ハンカチ」
「ありがとう、アレン。もしかしてお誕生日プレゼントかしら? これって」
「おう。窓拭きにでも何でも使え。あーあ、疲れた」
「まったくもう、メイベルちゃんのことしか考えてないんだから……」
「あっ、まり、マリエル……はい、俺の」
「ありがとう、ダニエルさん。開けても?」
「えっ? どう、どうぞ……?」
びくびくと怯えて、ダニエルがヘンリーの後ろに隠れる。ヘンリーがケーキを食べつつ、苦笑していた。マリエルが赤いリボン付きの小箱を開けると、中には上質な本革ベルトの腕時計が入っていた。あれ? あの時お菓子とアクセサリーを贈るって言ってたんだけどな。変えたのかもしれない。時計盤がきらきらと、薔薇色に光り輝いている。
「まぁ、素敵。ありがとう、今までで一番気が利いた贈り物だったわ」
「えっと、その……アクセサリー代わりにもなるみたいでそれで……」
「次、あたし!」
「あら、シェラ。なぁに? お酒以外のもの?」
「ううん、酒が入ってる。だって香水だもん」
「っふ、そうね? 入ってるわね、飲まないだけで」
シェヘラザードが渡した小箱の中には、綺麗なグリーンの香水瓶が入っていた。フレッシュな梨と青林檎の香りで、さっぱりした香りが好きだというマリエルはそれを嗅いで喜んでいる。次はノアが立ち上がってやって来て、マリエルにプレゼントを渡す。
「はい、これ。普段使い出来る指輪が欲しいって言ってましたよね? 重ね付けして楽しめるやつ」
「わぁ……綺麗。これ、妖精工房の?」
「そうそう。冬の夜霧を閉じ込めた石と、エメラルドグリーンのやつは南国の海の夢を見たハージェルスの涙らしくて。綺麗でしょう?」
「も~、奮発しすぎ! ありがとう、ノア。嬉しいわ」
ど、どうしよう……私の贈り物、もしかしたら全然喜んで貰えないかもしれない……。不安に思って袋を抱き締めていると、向かいに座ったアレンが心配そうな顔で見つめてきた。
「はいはーい! 次は俺っ! マリエルさん、下僕からのプレゼントです! おめでとうございます!」
「ありがとう、ハリー。まぁ、綺麗なネックレスだこと。ありがとう」
「下僕……」
「マリエルパパも欲しいですか? 貢ぎましょうか?」
「い、いや、遠慮しておくよ……」
「そっか! 残念!」
「ハリー、てめぇな。マリエルの血が混じってるやつなら何でもいいのかよ?」
「うん!」
「うんってな……」
「こわっ」
「うーん、まぁ、ハリーだからな……はい、どうぞ。マリエルさん」
「ヘンリー、ありがとう」
ヘンリーがプレゼントしたものは、ファーが付いた薔薇色の手袋だった。レース生地が美しいそれをさっそくはめて、マリエルが嬉しそうに笑う。それを見て、ハリーがどこからか取り出したハンカチをぎりりと噛み締め、悔しがっていた。ヘンリーが苦笑して、恨みがましい視線を受け止めている。
「じゃあ、次は俺~。今年は無難なものにしておいた」
「クッキーね? 美味しそう、ありがとう」
「わ~! 可愛い! 沢山、お花の形のクッキーが入ってる……!!」
「フレデリック、これどこで買ってきた?」
「さては、メイベルちゃんに同じ物をプレゼントする気なんだな……?」
「えっ!? お前、エスパーかよ!?」
「分かるよ、そりゃあな! おかしいんじゃないのか、お前」
「あ!? だから俺は、」
「あー、はいはい! 二人とも、落ち着いて……」
ヘンリーが仲裁に入って、二人のことをなだめる。最後は私だ。どうしよう? 渡したくないかもしれない……。
「メイベルちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
「あ、あの、私」
「うん? みんなからのプレゼントが豪華だからって、気にする必要無いのよ?」
「で、でも、一番がっかりさせてしまうかもしれないから……」
アレンとご飯を食べたあと、選びに行ったもの。アレンは「いいんじゃないか? メイベルらしくて」ってそう言ってくれたけど、どうかな? 喜んでくれるかな、それとも非常識だったかな? おずおずと渡すと、青い瞳を瞠って「開けてもいい?」と聞いてくる。こくんと頷くと、深い薔薇色のリボンを解いて、中に手を入れた。引き摺り出されたのは、金髪の可愛らしいお人形で。小さい女の子が着せ替えをして、遊ぶようなお人形。
「これは……」
「あっ、あああああの、以前、マリエルさんがその、お父様からお人形が欲しかったってそう言ってたから!!」
でも、私が贈っても意味が無かったかもしれない。でも、どうしても小さい頃のマリエルさんにこれを贈りたかった。「お誕生日おめでとう」と、そう言って笑顔で渡してあげたかった。今でも一人で鼻を鳴らして、泣いている小さなマリエルさんがいるような気がして。
「ご、ごめんなさい……あの、ドレスも。すごく素敵なレースと青いドレスがあって。その中に入ってるんですけど、白いフリルの日傘もあって、って!? マリエルさん!? どうかしましたか!?」
「大丈夫だ、メイベル。これはきっと嬉し涙だから」
「ほ、本当に? アレン、大丈夫かな……?」
「大丈夫大丈夫、お前から心のこもった贈り物を貰って泣かないやつはいないからな! 泣くと思った、マリエルも!」
「何で誇らしげなんだよ、アレン……」
「嬉しそうだなぁ……」
マリエルが苦笑して涙を拭い、私を見て笑う。いつもよりその青い瞳が煌いていた。吸い込まれそうな瞳に驚いて、見惚れていると、またぎゅっと抱き締めてくれる。
「まり、マリエルさん……?」
「ありがとう、メイベルちゃん……今更だけど、着せ替えして楽しんでみるわね。私……私、たぶんこういうものも必要なの。だからありがとう」
「い、いいえ……!! お誕生日おめでとうございます、マリエルさん!」
「ありがとう、すっごく素敵なお誕生日になったわ」
「で? お前、いくつになったんだ?」
「アレン、ぶち壊すなよ……」
「マリエルさんは永遠の二十歳だから、少女だから! この前そう言ってた!!」
ハリーが拳を握り締めて、力説をする。涙を拭ったマリエルが、にっこりと迫力のある微笑みを浮かべた。
「殺すわよ、アレン。聞いていいことと悪いことの区別もつかないの?」
「あ? 普通じゃん、別に。年齢聞くぐらい」
「なぁ、ヘンリー。あれきっと、何十年後かのメイベルちゃんに聞くやつがいたらキレるやつだぞ……」
「いや、あの、だから俺、ダニエル……」
「ハリー、そろそろ休んだ方がいいんじゃないか……?」
「眠い」
「だろうな……」
「だろうね……」
何となく微妙な空気が漂ったところで、ごほんとフランツが咳払いをした。全員が一斉にそちらを向く。
「マリエル……その、お誕生日おめでとう。はい」
「……まぁ、大きな箱。何かしら?」
「あっ、それ、私も気になってたんです……」
「あたしも。何? 剥製?」
「いや、流石に剥製ではないでしょ。服とか靴とか?」
ノアとシェヘラザードに見つめられ、居心地悪そうに身じろぎをした。バニラちゃん「うにゃあん」と鳴いて、尻尾を立て、ぴしっと立つ。その背をフランツが優しく撫でてあげる。
「そこの……メイベルさんが。小さい頃のお前に渡すようなものを、と。手紙にそう書いて送ってきて」
「メイベルちゃんが……?」
「ご、ごめんなさい……余計なお世話だったかな」
「大丈夫、メイベルのすることで間違ってることなんて一つも無いから」
「さっきからアレン、うるさい! ちょっと黙って」
「あ? 何だよ、ノア。反抗期かよ?」
二人が静かに睨み合う。マリエルがそれを気にもせずに、真っ赤なリボンを解いて、白い箱を開けた。中に入っていたのは小ぶりのドールハウスで、青い瞳を見開く。
「これって……」
「……人形と合わせて使うといい。ちょうど良かったな、ありがとう」
「い、いえ! 私は何も……」
「家具まで入ってる……」
「魔術仕掛けのもので、洗濯機も動くそうだ。まぁ、また、配置を変えて楽しむといい。ランプもソファーも全部揃ってる」
マリエルがくすりと笑って、「ありがとう、パパ。最高のお誕生日プレゼントだわ」と呟いた。ああ、良かった。少しだけ顔がすっきりとしている。
「それからごめん、マリエル……我ながら、冷たく当たっていたと思う」
「……薄々気付いてたけど、それは一体どうして?」
「パパ最低だ……むぐっ」
「黙っておこうなー? ハリー。静かになー?」
「そうそう、静かに、静かに……」
ヘンリーがハリーの口を塞ぎ、ハリーがこくこくと頷く。フレデリックが「お利口、お利口」と呟いて、紙帽子の位置を両手で直していた。
「妻に……お前の母によく似ていたから。まぁ、お前は写真でも見たことが無いから。よく分からないと思うが」
「そうね。全部焼いてしまったんでしょう? ……そんなに憎かったの?」
「いいや……悲しかったんだ。私の母も、随分とお前に色んなことを吹き込んでいたようだが、違う。あれは……今でも生きていて欲しかったと思うぐらい、優しくて可愛らしい女性だった。お前が、生き写しだったから」
「……だから?」
「だから、見るのが苦しかった。ごめん、笑ってくれ……馬鹿だろう? まだ立ち直れていないんだ、あれからもう何十年も経つというのにも関わらず」
フランツが両手で顔を覆い、バニラちゃんが心配そうに「うにゅうん」と鳴く。私がそれを見てぼろぼろと涙を落としていると、慌ててアレンが立ち上がった。横のノアが舌打ちをして、シェヘラザードが溜め息を深く吐く。
「……でも、当然じゃない? それは。新聞の記事で見たけど、私は奇跡的に生き残って」
「ああ、あれはおぞましい事件だった……だが、だめだな。きっとマグダレンは呆れ返ってる」
何があったのかは詳しく聞いていない。でも、マリエルさんのお母様は殺された。マリエルさんを妊娠している時に殺された。彼女が奇跡的に生き残っているということ、猟奇的な事件であったこと、当時新聞を騒がせていたということ。その三つから、ぞっとするような事件の全貌が浮かび上がってくる。トラウマになるのも、マリエルさんと上手に向き合えなくなるのも、当然のような気がした。
「ごめんな、マリエル。まだ怖いんだ、その目を見るのが……」
「目を……?」
「そっくりだから。でも、言っていたよ。女の子だからきっと自分に似て、とびっきりの美人になるって」
「ママが? ……そう言っていたの?」
「言っていた、とても楽しみにしていた……自分はもう、一生子供を持てないものだと思い込んでいたから。何度も流産を経験していて、奇跡的だと。医者からも諦めた方がいいと、そう言われ続けていたのにお前を妊娠したから」
それなのに、無残にも引き裂かれた。私が耐え切れなくなってぐっと泣き出すと、いつの間にかノアと席を交代していた、アレンが肩を抱き寄せて慰めてくれる。背後でハリーも「うぇっ、えぐ、ひっぐ……」と咽び泣いていて、ヘンリーが「静かになー?」と苦笑して慰めていた。
「……あれだけ望んでいた、彼女との子だったのに。彼女がいなくなった途端、この世で一番苦しいものになった。二人で育てる気だったから、お前のことは」
「そうね……見れなくなるのも、当然のことだと思うわ。パパ」
「写真が……実はまだ残ってる。新婚旅行に行った時の写真でね。また今度見せてあげよう、うちにいつでも来るといい。ここにいるお前は、楽しそうでほっとしたが……まぁ、たまには父親のことも構ってくれ。待っている」
「うん……仕方が無いから、許してあげる。今まで一度も誕生日おめでとうって、そう言ってくれなかったのもそれが理由なのね?」
「ああ、そうだ……お前の誕生を素直に祝えなかった。マグダレンと祝う気だったんだ。全部全部、二人でするつもりだったんだって、そう思うと苦しくて泣き崩れそうになってしまって……」
「うにゅうん」
泣き出してしまったフランツを、バニラちゃんが心配そうな顔で慰める。取り出したハンカチで涙を拭いてから、バニラちゃんの背中に顔を埋めていた。マリエルが「そうだったのね」と呟いて、また涙を零す。自分のことじゃないのに、涙が止まらなかった。
あまり泣いたら失礼になる気がして、涙を堪えて震えていると、察してくれたのか、アレンが優しい声で「いいから気にせずに泣けよ、メイベル」と言って、抱き締めてくれた。ぎゅっと、アレンの胸元にしがみついて両目を閉じる。
「良かったのかな、私……あれで」
「ああ、もちろん。大丈夫大丈夫、喜んでたから」
「いいか? 今だけは大目に見てやるからな、アレン……」
「あ? うるせぇよ、何だよ? フレデリック……」
アレンが優しく、私の背中を擦ってくれた。ひとしきり泣いたあと、マリエルをもう一度抱き締めて、「お誕生日おめでとう」と伝える。今日はお母さんの命日でもあるみたいだけど、盛大に祝ってあげたかった。
「……じゃあ、ありがとう。料理もケーキも美味しかったよ」
「私、今日は実家に泊まるから。じゃあね、今日はありがとう」
近くに車を停めたらしく、それに乗って二人で帰るそうだ。はればれとした笑顔のマリエルとフランツが、手を振って去ってゆく。はっと息を吐くと、白く消えていった。アレンと二人で、もう一度だけ手を大きく振る。
「……まぁ、良かったな。二人とも、すっきりした顔してた」
「だね……どうしよう? 私、酷い顔になってない? すごく泣いちゃって」
「ああ、大丈夫。泣いている時も何でも、いつだって可愛いからな。どうする? このあと、気分転換にお昼寝カフェにでも行くか?」
「お昼寝カフェ……!! 行こう、行こう!」
「うにゃあん」
「お前はお留守番なー? バニラ。ヘンリーにおやつでもせびっとけ」




