20.彼はシスコン、姉を連れ戻しにきた
「そうか……ここか。姉さんをさらった変人どもの巣窟は」
庭の木々とは思えぬ深い木々に囲まれ、白亜の邸宅がひっそりと佇んでいる。黒いアンティーク調の門に監視カメラ、白と青のモザイクタイル。車が何台も入りそうなシャッター付きの駐車場。
「セキュリティ面だけは評価してやろう。姉さんの品の良さとマッチした佇まいも良し……だが許せん。アレンという悪い虫も付いているみたいだし、何が何でも絶対に連れ戻さないと……姉さんは俺がちゃんと守ってあげないと……!!」
メイベルの弟、ウィルフレッド・ロチェスターが黒いコートのポケットから、メモ帳サイズの魔術手帳を取り出した。左上の丸いボタンをぐっと押し、ぽんっと元のサイズに戻す。そしてすらりと羽根ペンをペンホルダーから引き抜くと、魔術手帳を開いて何かを書き始めた。
「待ってて、姉さん……姉さんは騙されやすいからきっとまた、あの時みたいに……」
忘れもしない、あの時。姉の悲鳴と犯罪者の血走った目と。それなのにどうして家を出てしまったんだろう、父さんも俺も泣いて引き止めたのに。「一人暮らしがしたいから」と言って笑って、あっさり家を出て行ってしまった。涙で視界が歪み、文字もそれにつられて歪む。
「姉さん……大丈夫だよ、今の姉さんはきっと悪い奴らに騙されているんだよね……!? 許せん、あいつら。特にアレンとかいう三等級国家魔術師……!! 許せん。俺が早急に悪い芽を摘んで滅ぼさないと!! あ、もしもし? 姉さん? うん、俺。今って話せる?」
「え? メイベルの弟が来るって?」
「お~、楽しみ~。あれだろ? メイベルちゃんそっくりのふんわり優しげな感じだろ?」
赤と黒のニットベストを着たヘンリーがソファーに座って、アレンに買って貰ったメープルバタークッキーをさくっと齧り取る。今からミルクティーと一緒に食べるみたい。それを見て羨ましくなり、慌ててキッチンに行こうとしたら転びそうになった。
「おい、メイベル……慌てんなって。お茶淹れてやろうか? ヘンリーと一緒の」
「あっ、うん。お願い……」
「お前はチョコマフィンな。アーモンドスライスとオレンジピール入りの」
「チョコマフィン……ありがとう! 私ね、オレンジとチョコの組み合わせが大好きなんだ……」
畦編みの黒いカーディガンを着たアレンが背を向け、「知ってる。だから買ってきたんだ。好きそうだなと思って」と呟いてキッチンの方へ向かう。それを見て笑い、何故か呆れた表情のヘンリーの隣へと腰を下ろす。
「それで? メイベルちゃん。弟だって?」
「あっ、うん。今から家を出るみたいで……駅近くで用事を済ませたあと、こっちに来るんだって。みんなの分のお昼ご飯とかお菓子とかどうしようって聞いてきたから、お菓子だけでいいよって伝えておいた」
「あ~、まぁ、今十時半だもんな……程々にしとこ、メープルクッキー」
「私もマフィンは一個だけにしておこうかな……一個の半分にしておこうかな……」
ほんわりと湯気が立っているミルクティーを眺めていると、美味しそうなクッキーを片手にヘンリーが眉を顰める。
「あれ? 弟君の名前、聞いてないな。そういや……」
「あっ、ウィルフレッドだよ。ウィルフレッド・ロチェスター。年は私の六個下で十九歳! あのね、私に似なくて優秀で頭の回転も速い……」
「へー、あんま想像つかないな……いや、待てよ。そうだ! 優等生タイプだな!? ほんわり優しい、ろくに先生に怒られたことがない優等生タイプだな!?」
「えっ、ええっと、いや、わりと怒られてたみたいだよ? 結構やんちゃで、あの子も……」
「んん? ちょっと想像がつかないな、それは。ふんわり癒し系姉弟かと思った」
「はは……それ、よく言われる」
意地汚いことだとは分かりつつも、じっとメープルバタークッキーを見てるとヘンリーが「俺は悪くないと思うんだ、何も……だってメイベルちゃんにはチョコマフィンがあるんだし」と虚ろに呟き出す。駄目だった……アレンの時と違って上手くいかなかった。しょんぼりと落ち込んでいると、ソファーの片隅で眠っていたダニエルがむくりと起き上がる。
「ヘンリー……貴族みたい」
その瞬間、バタークッキーが砕け散った。一息でバタークッキーを握り潰したヘンリーが、青白い顔でぶるぶると激しく震え出す。どうしよう、手の隙間からクッキーがぼろぼろ落ちてる……。
「そうだった……俺はつまらぬ嫉妬心に囚われて、一番大事なものを見失っていた……許せない! 自分のことが許せない!! ごめんね!? メイベルちゃん!? 俺はあんなゾウリムシの方がまだ世間の役に立っているんじゃないかというぐらい、生産性も人間性もゼロの、見栄と虚栄心でいっぱいのくっそ気持ち悪いお貴族様に成り下がるつもりはなかったんだ!!」
「あっ、う、うん……でも、あるよね! 私もついうっかり目覚ましをかけ忘れてたりとか、」
「嫌だあああああっ!! やっぱり全身の血を取り替えたい!! お貴族様の血に取り憑かれて俺も晩年にはアンティークショップで皿をじゃらじゃら漁ってたりするのかもしれない!! 口からヨダレを垂らしてハアハア言って、杖を片手に家名だの誇りだの、何代か前の死んだ人間がしたことを、見たこともないくせに喋りまくるのかもしれないっ!! 嫌だああああああ~……」
それまで私の肩を揺さぶっていたヘンリーが泣き出し、ずるずると崩れ落ちて膝に顔を埋める。しくしくと泣いているヘンリーの頭を撫でていると、呆れた表情のアレンがやって来た。
「おい、まさか今回スイッチを押したのは……」
「俺……メイベルにその、バタークッキーをあげなかったから……」
「は? やれよ、一枚ぐらい……ケチ臭いな、俺のこと言えないじゃん」
「うっ、うう、貴族じゃない……貴族じゃない……」
どうしよう、私がクッキーを見つめていたからこんなことになっちゃったんだろうか。思い悩んでいるとアレンが溜め息を吐いて「ほい。言ってたチョコマフィン」と呟き、ことんとテーブルに置いてくれる。ふちにラズベリーと栗鼠が描かれた白磁の皿で、上には綺麗に切ったチョコマフィンが載せられていた。
「お前が好きそうな皿を買ってきた」
「買って!? きた!?」
「あっ、ヘンリー。大丈夫? 正気に戻ってくれた……?」
「買って……えっ? えっ!?」
「何で俺と皿を交互に見るんだよ……別に高くなかったし、これ」
「いや、そーいう……そういう問題じゃないだろ、アレン」
「えっ? じゃあ、一体どういう問題だ……?」
フォークが無い。立ち上がって取りに行くのもアレンに気を遣わせちゃうんじゃないかと思って困っていると、ダニエルがのそのそとやって来て、ヘンリーの肩に顎を乗せつつこちらを見る。
「メイベル……その」
「はい?」
「フォーク持ってきてあげるね……だから、ええっと、その」
「あっ、悪い。忘れてた……」
「あっ、うん。お前はそれぐらいの方がいいよ、アレン……お願いだから完璧を目指さないで欲しい」
「何の話……?」
アレンが困惑して首を傾げると、ヘンリーが大真面目な顔で「ちょっと恋愛とか超えてきたぞ、お前。家族とかでもないぞ、それ」とおごそかに告げた。アレンはよく分からなかったらしく、困惑した表情で「うん……? 俺が悪いのか? これって」と呟いている。ヘンリーがまたしても真面目な顔でこくりと頷いたので、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、アレンのそんな顔見るの初めてかも……あっ、そうだ。私の弟ね、十二時半ぐらいにくるって。言い忘れてた……ごめんね」
「へー、じゃあ飯でもふるまってやるか。何があったかな……」
「今日って誰がいるっけ? シェラさんも何か……友達と飲みに行くって言ってたし。ノアも撮影でいないし……」
「マリエルは……」
「あ、今日は実家に帰るんだって。言ってた」
「あー、じゃあ後はダニエルさんと俺と、まだ爆睡中のハリーと……」
「残念!! 俺もいるんだなーっ!!」
「フレデリック、お前……普通に入ってこいよ、ドアが痛むだろうが……」
ばーんと勢い良く入ってきたフレデリックがこくりと頷き、寝癖が付いた黒髪頭を傾げる。今まで昼寝でもしていたのか、ベージュ色の柔らそうなニットとゆるっとした紺色のパンツを履いていた。
「あれ? 仲間外れが嫌で来たんだけど、何? どっか行くの?」
「ちげぇよ、メイベルの弟が遊びに来るんだよ。一緒に昼飯を食う予定。一応な」
「ああ、メイベルちゃんの弟か! へ~、あれなんだろうな~。ほわほわしてて優しそうなんだろうな~」
「いや、この間こいつから話を聞いたんだけど、厄介そうだぞ? シスコンだぞ? 絶対に」
「へー、シスコン」
「どちらかと言えば、私がブラコンな気がするんだけどね……」
「仲、良いんだ? でも分かる、そんな感じがする」
「めい、メイベルの弟……気になるな……」
顔色が悪いダニエルがやって来て、私にフォークをくれたのでお礼を言って受け取る。ふいにフレデリックがチョコマフィンを見つめ、口を開いた。
「もしかして、これはアレンが……?」
「ああ。もうすぐ昼飯だからな。半分に切っておいた。残りはラップにかけて冷蔵庫に入れてあるからまた晩飯の後にでも食え。お前がいつも食いかけのチョコとか置いてある、一段目の左の奥の方に入れてあるから。手前に置いてあるスープ皿を引っくり返さないよう気をつけて、」
「落ち着けよ、アレン……メイベルちゃん、二十五歳だぞ?」
「パパと言うか、ママじゃん……」
「アレンは過保護だと思う……」
三人にじっと非難がましく見つめられ、アレンがたじろぐ。確かに私も過保護だとは思う。でも、きっと生まれつきなんだろうな……。
「何だよ、お前ら……何だよ。別に何もおかしなことは言ってないだろうが……」
「「頭がおかしい」」
「っうるせえ! ぶん殴るぞ!?」
「まっ、まぁまぁ、落ち着いて? アレン……お皿もチョコマフィンもありがとう! 大事にするね!」
「えっ? お皿……? えっ!?」
「何でヘンリーと同じ反応なんだよ、フレデリック……」
どうしよう、そわそわとしてしまう。栗色の髪を梳かしてグレンチェックのカチューシャを付け、白いニットとグレンチェック柄のスカートを履いたメイベルが、玄関の優美な木扉をじっと見つめる。そんな様子のメイベルを見て、アレンが呆れた顔をした。
「何で緊張してるんだよ……弟だろうが、弟」
「あっ、うん。それはそうなんだけどね……ちょっとね」
「ちょっと? 何だ?」
「ほら、泣いて引き止められたのに出て行ったから……その罪悪感と、その」
「うん」
「アレンとかみんなもいるのに、ぎゅーっとハグとかしちゃいそうで……!!」
「……俺、リビングで待っていようか?」
「あっ、ううん。ごめんね!? 気を遣わせちゃって!」
何かと緊張している私を気遣って、ちょっと肌寒い玄関先で一緒に待ってくれているのに。アレンがふっと笑って、青い瞳を細める。
「いっつも緊張してるよな、お前な」
「えっ? そう、そうかな……」
「そこー、イチャつかなーい。俺らは空気か?」
「見てみろよ、あれ。ハリー、どう思う? なぁ?」
「ごっめん、寝起きで全然目が開かない……」
「ねて、寝てきたら……? ハリー……」
後ろを振り返ってみると、廊下の奥の方で目をしぱしぱさせている青いパジャマ姿のハリーと、少しだけ伸びてきた黒髪を丁寧に結んで白いニットを着たダニエルと、ズボンだけ履き替えたフレデリックとヘンリーがこちらを見つめていた。何故か廊下の白い壁沿いに並んで、それぞれ前の人の肩を掴んでいる。
「お前ら……何してんだよ」
「えっ? 折角だからこうしてさ、みんなで一列に並んで肩に手を置いてる」
「いや、だから……」
「みんなで集まったらこういうことするだろ、普通」
「俺は……俺は別にしたくなかった……」
フレデリックに肩を掴まれているダニエルが困惑して呟くと、一番前にいるハリーが目元を擦りつつ辺りを見渡す。
「ねっむい、眼鏡どこだっけ? 俺の眼鏡……」
「落ち着けよ、ハリー。お前、眼鏡なんていっつもかけてないだろ?」
「俺、伊達でかける時ある! 意外と女の子受けがいい!」
「聞いてねーよ、別に。いいから黙れ。あとせめて横一列に……」
「「こうか?」」
「っぶ! なん、何でこんな時だけ動きが全員一緒なんだよ……」
「ふ、ふふふふ……!!」
「笑った笑った。あとどんな動きする?」
「じゃあみんなでこう、肩を組んで」
「「肩を組む」」
「肩を組む……」
何が始まるんだろうと思ってわくわくして見ていたら、アレンが「で? 次は何をするんだよ、お前ら。俺も混ざろうか?」とそわそわした様子で話しかける。もしかして混ざりたいんだろうか。でも、フレデリックが真面目な顔で首を横に振る。もうみんなで肩を組んでいた。
「いい。お前はそこにいろ。観客的な感じで……」
「あとどうします? ってうわ! ハリーが寝落ちした!!」
「おっ、重い……!!」
がくん! といきなり眠って崩れ落ちてしまったハリーを支え、ダニエルが辛そうな顔で呻く。隣に立ったアレンが苦笑して、腕を組んだ。
「滅茶苦茶だな、お前ら。崩壊しそう」
「崩壊って一体何!?」
「ヘンリー、ヘンリー。足あげてみようぜ。踊ろうぜ! みんなで一緒に!!」
「よっしゃ! 踊って迎えましょう、メイベルちゃんの弟を!!」
「わ~、喜ぶと思う。きっとウィルも……」
「喜ぶか?」
「よろ、喜ばないんじゃないかな……どうせ俺はどんなに綺麗にしたところで、ジメジメが滲み出ている陰湿なネガティブ男だし」
「はいはい。ダニエルさん、落ち着いて~。どうどう!」
「っふが!? 寝てた、今完全に!!」
それまで眠っていたハリーが目を覚まし、体を支えていたダニエルとヘンリーがほっとした顔をする。一番右端のフレデリックがすかさず「踊るぞ、ハリー! 今日は休日だ! 嫌なクソ上司もいないし!!」と号令をかけると、ハリーがぱぁっと茶色い瞳を輝かせて「せいやぁっ!」と叫んで足を上げた。す、すごい! 柔らかい……!!
「えーっ? お前、柔らかくない? 俺、そこまで上がんないよ……」
「一時期ストレッチにハマっててさ。自分の股関節の限界を試していたんだよ……」
「おい……股関節の限界って、お前な」
「いかん! 早くしないとメイベルちゃんの弟が来るっ! 来てしまうっ! 踊るぞおおおおっ!!」
「ラインダンスしましょう、ラインダンス! ほらほらっ」
「あし、足が硬くて上がらない……!! 俺は何も出来なくて駄目な人間だ……子供も産めないし」
「産む時に性別チェンジ出来たらいいのにな。ほら、照明のオンオフみたいにさ」
「ハリー、性別の概念を壊すようなことを言うなよ……」
「さっきから、はっ! おじさんの俺だけっ! 必死にラインダンスしてるの酷くない!? 若者が俺についてこない!!」
「っぶ、分かった分かった。しますから……」
「誰もお前らにラインダンスをしてくれとは、頼んでないけどな……」
そう言いながらも、アレンも笑っている。良かった、私の緊張も解けてきたし。アレンと二人で手拍子をすると、みんながそのリズムに合わせてラインダンスを踊ってくれる。ぜいぜいとみんなが息を荒げて踊っていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。その瞬間、全員ではっと気がつく。
「駄目じゃん!! 俺らの内誰かが一人、リビングにいて門の鍵を解除しなきゃ駄目じゃん!!」
「わっ、わ~、どうしよう? ウィルが入ってこれない……!!」
「待て、それじゃあ俺が……」
「俺が行くうううううっ!! わぁっ!?」
「ちょっ、ハリー!? 今、物凄くバキって嫌な音がしたぞ!?」
「股関節の限界がきたぁぁ~……今」
「「今ぁ!?」」
「よりによって今かよ! メイベルの弟が来た瞬間にかよ!!」
がくんと崩れ落ちてみんなの肩から手を離し、床に座り込んだハリーがさすさすと、足の付け根を擦りつつ呟く。
「もう俺も二十七歳なので、そろそろ落ち着こうかと思います……足を急に上げたりするの、やめよ……」
「今更だから! その反省も後でにしてくれ!! てかどいてくれよ!? リビングに行けないんだけど!?」
「踊ってて疲れた、俺ら……」
ハリーが座ったのを皮切りにフレデリックとヘンリー、ダニエルがよろよろと床に座り込む。ああっ、申し訳ないけど邪魔……!! 慌ててアレンがみんなの前に立って、怒鳴り始める。
「アホかよ、お前ら!! 座るなよ、俺に飛んで乗り越えろと!?」
「あっ、私が飛ぼうか!? ぴょーんって!」
「スカートだろ、お前! はしたないし転ぶ!」
「そういう問題か……?」
「あっ、もう一度鳴ったぞ。ピンポーンって。あー、疲れた」
「この害悪おっさんめ! くそっ!!」
「わっ、すごい! アレン! 何かの選手みたい!」
「あれかな、疲れたおっさんの上を飛び越える選手権かな……」
「嫌だな、そんな選手権」
「草原にこう、疲れたおっさんがずらりと並んで若者が飛び越えていく的な」
「だっ、誰かの首をうっかり折っちゃいそうだね……」
続く




