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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第一章 秋に出会って、冬を越す
22/134

19.大人になってからのブランコと眠りへと誘う音楽隊

 




 仕事が終わってアレンと一緒に夜道を歩いていると、公園でヘンリーとハリーがブランコに乗っていた。白いコートを着たメイベルが「あっ、ヘンリーとハリーだよ。アレン!」と声を上げると、紺色のコートを着たアレンが「うげっ」と呟いて顔を顰める。



「おいおいおいおい、何で二人してブランコに乗ってんだよ……俺が警察に不審者として通報してやろうかな」

「えっ? なん、何で? 童心に返っているだけだと……」

「こんな真っ暗闇の中で、ただひたすら男二人がブランコ漕いでるだけって、恐怖でしかねぇよ……」

「でも、楽しそうだよね。おーい、へんり、むぐ!?」

「どうするんだよ!? メイベル! あれがヘンリーとハリーじゃなくて、どこかの小汚いおっさんだったら! 不審者だったら!」

「むぐ……でも多分、ヘンリーとハリーだと思う……でも、激しく揺れてるからよく分からないね」

「うわっ……こっわ。声かけたくない……通り過ぎたいな、俺」



 ものすごく嫌がるアレンをじっと見てみると、途端に「仕方が無いな、声をかけてみるか」と言ってくれる。すごい、見ただけで何でもしてくれる……!!



「ヘンリー、ハリー。こんばんは~」

「あっ、メイベルちゃん。こんばんは。今日も相変わらず可愛いね、俺のこと踏んでくれる?」

「でも、ブランコに乗ってると踏めないから……」

「お前な、褒めたら踏んで貰えるって学習しただろ……無視していいぞ、メイベル」

「こんばんは~、メイベルちゃん。あっ、そうだ。俺の次に乗る?」

「乗るーっ!」

「おい、やめろよ。寒いし帰ろうぜ、もう……」



 そう渋りながらも、黒いチェスターコートを着たヘンリーが降りるのと同時に「ほら、かせよ。鞄。持っててやるから。邪魔になるだろ?」と言ってくれたので、遠慮なく預ける。お母さんっぽい、こういうところが。



「ありがとう、アレン! アレンも一緒に乗らない?」

「えっ」

「おっ、いいぞ。俺も降りる! あーっ、革靴がざざざあってなるうううう~……」

「そりゃあな、ハリー。地面擦って降りなきゃだからな」

「まぁ、靴底だからいいか……俺の心と一緒だよね。磨り減っても誰も気にかけたりなんかしない」

「いいからさっさと降りろよ、社畜。鬱陶しいな、もう」

「アレン、駄目だって。そんなこと言っちゃ……ハリーが傷付いちゃうでしょう?」



 アレンが気まずそうな顔で「……悪い」と謝ったら、ハリーがそれを見て「ぶはははは! お前、いい気味だなぁ~! そう! 俺が傷付いちゃうから! 俺が傷付いちゃうからぁ~! はははははは!!」と言ってからかい出したので、怒ったアレンが「てめええええ! 許さん! 今日という今日こそは絶対に許さん!!」と叫んで逃げてゆくハリーを追いかける。



「あーあ、あの二人は仲が悪いんだか良いんだか……」

「たまにね、仲良くしてる時もあるんだけどね……」

「えっ? どんな時? それって? 俺、見たことないや」

「えーっとね、ハリーがものすごく疲れてるとアレンにパパーって甘えるの。その時に膝枕をしてあげたり、そっと毛布をかけてあげたりしてる。あっ! ごめん! わっ、忘れて? ついうっかり言っちゃったんだけど、見た時に誰にも言うなよって言ってて。耳まで真っ赤だったの、アレン。その時」

「そっかぁ~……全部聞いちゃったな、俺。どうしよう」

「あとで、あとで謝っとかなきゃ……アレンに」

「メイベルちゃん、知ってる? それってね、とどめを刺すって言うんだよ?」

「えっ!? 何が!?」



 ヘンリーに言っちゃったんだ、ごめんねと言って謝ろうと思ったのに。それを聞いたヘンリーが愉快そうに笑って「言わない方がいいよ~。まぁ、別に言ってもいいんだけどね~」と呟き、口元に手を当てる。



「じゃ、ブランコに乗ろっか~」

「うん。でも、アレンと一緒に乗りたいから待っていようかな……」

「あれ? そうなの? 意外……」

「あっ、そうだ。私の鞄とアレンの鞄……」

「俺が持っててあげるよ~。あっ、きたきた。ハリー……」

「ただいま、ヘンリー!! 聞いてくれるか!? アレンが俺のケツを三回も蹴ったんだ! 三回も!!」

「うるせぇよ、お前だってヘッドロックしてきただろうが!!」

「おいおい、二人とも。夜だから静かにな……恥ずかしいからやめような、もう」

「そうだね、マンションも近いし……」



 茶色いスーツ姿のハリーがヘンリーの胸元にすがって「アレンがいじめるんだああああ~……今日は休日出勤だったのにいぃ~」と言って泣き始めた。ヘンリーが苦笑して震える背中を擦り、「アレン。メイベルちゃんがお前とブランコに乗りたいんだってよ」と話しかける。



「んあ? そうなのか? 悪いな、待たせて」

「ううん、大丈夫。乗ってみよう、乗ってみよう~」

「お前、靴は……そのモコモコブーツで大丈夫か? 転ばないか?」

「大丈夫だよ、お母さん。いや、アレン。ごめんね、最近何度も間違えちゃって……」

「いいよ、もう気にしてないから……」

「っぶふ! まぁ、二人はずっとそんな感じだよなぁ~」

「全部全部破滅すればいいのに……弾け飛んでしまえ、そんな恋心」

「うるせぇよ、社畜。違うって言ってんのに、聞きやしない……」



 久しぶりに乗ってみると、どう動いていいのかよく分からない。ここからどうするんだっけと悩んで首を傾げていると、アレンが溜め息を吐いて「俺が押してやるよ、もう」と言って背中を押してくれた。



「わ~! ありがとう、アレン!」

「最初はゆっくり押していくから。転んでもあれだしな。押すのが強かったら言えよ」

「もっと押して欲しい! こうっ、体がわーんってなるぐらい~」

「駄目だ、危ないから。あのな? その年で転げ落ちて骨でも折ったらどうするんだ? 恥ずかしいぞ、病院でブランコから落ちましたって言うつもりなのか? なぁ?」

「え~、心配症~」

「なぁ、ハリー。俺も何だかアレンがお母さんに見えてきたんだ……」

「俺がブランコに乗ってたら、絶対に突き落とすくせにな。メイベルちゃんには親鳥のように過保護だよなぁ……」

「そこ、うるさい! 見学するなよ、どっか行け!!」



 ぐわんぐわんと揺れ動いて、冷たい夜風が首筋を撫でてゆく。すっごく楽しい。子供の頃の記憶が蘇ってきた。はっと白い息を吐いて見上げてみると、銀の砂をまぶしたかのような星空が広がっていた。ぽつりぽつりと小さな星が瞬き、漆黒の夜空を飾っている。



「わーっ! アレン! もっと押してくれない!?」

「待て、落下防止用の魔術を組み立ててるから……えーっと、術語忘れたな。あと何だっけな」

「メイベルちゃんの好物の方が、よく思い出せるんだろうねええええっ!?」

「うるせえ、叫ぶな。近所迷惑だから」

「アレン、過保護なお母さんみたいだな……」

「聞こえてるからな、ヘンリー! てめえ、後で絶対に殴ってやる!」

「うわ、聞こえてんの? 聴力いいな……」

「バーカバーカ、アレンのバーカバーカ!」

「ハリー……絶対にお前の今日の夕食を奪い取ってやる。盗み食いをしてやる……」

「小さいな、復讐が」



 今日の晩ご飯はシェヘラザードとダニエルが作ってくれるらしい。ノアが心配して「俺も手伝う……てか、手伝った方がいいやつだよね、これ」と言っていた。それなのにアレンは「ゲテモノが出てきた時のことを考えて、朝飯にもなりそうな飯を買って行くか。おい、お前の分も買うぞ。胃を悪くしたらどうする」と言って、私の好きなサーモンとクリームチーズのベーグルサンドと、シナモン味のドーナッツを買ってくれた。



「よし、出来た。いいぞ、メイベル。強く押してやる」

「わーいっ! やったあっ!」

「育児中のパパかな……」

「ヘンリー、この二人に負けてられないぞ!! 俺達も親子ごっこをしよう、親子ごっこを!!」

「えっ!? どうして張り合うんだよ!?」

「あれなんだな!? ヘンリーは俺のパパになりたくないんだな!? クソキショキショ社畜男だって、本当は馬鹿にしてるんだな!?」

「えっ、別に馬鹿にはしてな、」

「そんなことをしてもいいのは、マリエルさんだけなんだぞーっ!? ギャン泣きしてやるぅ、ギャン泣きしてやるぅ!!」

「分かった、分かった。乗るから落ち着けって、こんな夜に叫ぶなって……通報されるぞ、本当に」



 四人で楽しくブランコに乗って遊んでいると、ダニエルから電話がかかってきた。どうやら心配してかけてくれたらしい。手帳の向こうで泣いているダニエルを励まし、皆で家に帰る。



「あーっ! 楽しかった! ありがとう、アレン。押してくれて~。ヘンリーも持ってくれてありがとう、鞄を~」

「いいえー、どういたしまして。いやぁ~、楽しかったなぁ~」

「あっ、そうだ。お前ら。何で二人で黙々とブランコを漕いでたんだよ?」

「えーっと、まずはヘンリーが俺のことを迎えに来てくれて。んで、ブランコに乗りたいよううって泣きついたら乗ってくれた」

「うわっ……お疲れさま、ヘンリー」

「ははは、いや、もう、ダニエルさんで慣れてるから、俺……」

「アレンもヘンリーも優しい人だよね……」

「アレンは優しくないよ、メイベルちゃん。今日は俺のこと、六回も社畜って呼んだんだ。六回も」

「うるせえ、社畜」

「七回目……」

「はいはい、やめような。切りが無いからな? もう」












「わぁ~! 美味しそう! ビーフシチューだ! あっ! ハッシュドポテトもある! すごい、作れるの!?」

「ん、あたしが作った……」

「俺も作った……」

「俺は徹底的に二人を補佐しました……」

「お疲れ、ノア……よくやるな、そんなこと。俺だったら絶対にごめんだけど」



 テーブルの上にはほこほこと湯気を立てている濃厚なビーフシチューにハーブバターと分厚く切ったバケット、焼いたパプリカと紫キャベツのサラダ、ハッシュドポテトとベーコンとスクランブルエッグが並んでいた。椅子を引いて座りつつ、綺麗な紺色ニットを着たノアが説明してくれる。



「ビーフシチュー、ちょっと少ないから追加でベーコンと卵を焼いてみた。まぁ、いらないのなら残しておいて、明日の朝にでも食べて」

「もふはべてる! あふはぁほー、ノア!」

「ハリー、こぼれてる。こぼれてるから……」

「むふぁっ!? むわんれら、おれふぁに!?」

「いいから喋るなって……今日、他の連中は?」

「フレデリックはデート。結婚を迫られそうって言ってた。マリエルさんはお客さんと観劇に」

「へー、ちょっと余計な情報が入ったな……」

「上手くいくといいね……」

「刃物で脅されたら、結婚するって言ってた」

「相変わらず歪んでやがる……変態クソクソパン屋め」



 バターがホイップ状になっていて美味しい。ハーブと岩塩の香りが堪らない。これだけでもうご馳走だ。もぐもぐと噛み締めた後、ビーフシチューも掬って飲んでみる。体の芯から温まる美味しさで、牛肉も柔らかかった。玉葱とマッシュルームの旨みがじゅわっと口の中で溢れて、その美味しさにお腹の底がふわふわとしてしまう。



「んぐ、美味しい……スクランブルエッグとも合うね、ビーフシチューが」

「だな。うまい」

「本当? 良かった」

「めい、メイベル……どうかな? 俺が味付けしたんだけど……」

「えっ!? そうなのか!? うまいよ、ダニエルさん。俺、てっきりノアが味付けしたのかと……」

「あたしのハッシュドポテトは……? メイベル」

「美味しいですよ~、もちろん! 粒マスタードとよく合ってて美味しい~! また今度作ってくださいね~、これ大好き~」

「ん、任せて……!!」

「あっ、あっ、あの、俺のビーフシチューは……?」

「うまいぞ、ダニエル。ぐずぐず泣きながらもちゃんと作ったんだな、えらいえらい」

「すっ、すげえ! アレンにメイベルちゃんの霊が乗り移ってる!!」

「うるせぇよ、社畜。素直に褒めろよ、お前な……」



 みんなでわいわいと賑やかに食べていると、胸の奥にあるしこりもあまり痛まないような気がする。



(ああ、私。馬鹿だな……ここに来なきゃ良かったかも……)



 ここにいるから、ずっとずっと思い出すのかもしれない。ふと向かいに座ったダニエルがこちらを見つめて、心配そうな顔をする。



「めい、メイベル……大丈夫? 俺のシチュー、不味かった……?」

「あっ、い、いいえ。とっても美味しいですよ、ダニエルさん! また作ってくださいね~」

「本当だ、お前。ちょっと顔色が悪いな……風邪か?」

「だ、大丈夫だよ……アレン。ちょっとだけその、嫌なことを思い出しただけだから、私……」

「嫌なこと? あれだろ、お前。どーせぽやぁってしてるから、誰かに何か嫌なことを言われて」

「むぎょ、むご、むぉうひらほ? おへにはらひへみる?」

「ハリー……汚い、やだ……」

「もごぉっ!? もっ、もっ! もお~っ!!」

「シェラさんを威嚇するなって、お前……」




 誰にも話せない。一生誰にも話せない。でも、いつかはきっと楽になるだろうから。心配そうなダニエルとアレンに笑いかけ、首を横に振る。ああ、駄目だな。いつも心配をかけてしまって。



「大丈夫だよ。ええっとアレンのね、そのベーコン貰ったら元気になると思う……」

「ああ、悪いな。お前はベーコンの脂身部分が好きだもんな? 甘い系だとこってりしたものが苦手なのに、豚肉の脂や鶏皮は好きだなんて変わってるよな……ほい」

「メイベルちゃんの辞書だ、アレン。メイベルちゃんの辞書」

「うるせえ。これぐらい、覚えていて当然だろうが……」

「あっ、アレン。俺の、俺の好きな食べ物は……!?」

「あ? えーっと、何か緑っぽいやつと辛いやつ……」

「アボカドとカレーだよ! てか俺、バタークッキーとかチーズケーキとかも好きなんだけど!? アイスも好きなんだけど!?」



 赤と黒のセーターを着たヘンリーが「信じられない!」とでも言いたげに、スプーンを握り締めてアレンを睨みつける。おかしいな、アレンは記憶力が良いんだけど。あれかな、最近はずっと私と一緒にいるからかな……。



「ああ、そうだったな……ほら、あれだよ。アイスは好物じゃなくて主食だろ? お前の……」

「言い訳下手くそか!! そうだよな~! 最近ずっとずっと、メイベルちゃんと一緒にいるもんな~!? 俺、見たぞ! この間レシートをさ!? 全部全部メイベルちゃんの好物で、」

「ヘンリー、お口チャックな。一分後に解けるから、その魔術」

「むぐ、むぐぐ……!!」

「すごいね、アレン。魔術って便利だね……」

「えっ? メイベルちゃん、そこなの? てか、アレン。ふぅーん……」

「何だよ? 言いたいことがあるのならはっきり言えよ、ノア……」



 もごもごとくちびるに手を当てているヘンリーの横で、ノアがはんと鼻を鳴らす。



「俺、知ってるからね。メイベルちゃんがわ~、これ食べたーいって言った翌日にそのお菓子買ってくるの」

「……全員分、買っただろうが」

「その、全員分買ったから許される的な発想やめて欲しい……!! というかアレンさ!? 去年までドケチだったじゃん!! 俺にくれた誕生日プレゼント、変なカエル柄のセーターだったじゃん!! それだけで終わりだったじゃん!?」

「そっ、それはあれだよ。ヘンリー、お前にしか着こなせない素晴らしいセーターだと思って……」

「嘘だろ、絶対!! 嘘じゃん、絶対に!! 嫌がらせだろ!? 値札付いたままだったし! 七十五%オフの元値が一万以上のやつ!!」

「うわ~、ぼったくり。てか、微妙じゃない? 七十五%オフって」

「ん……あたしなら絶対に買わない」

「私もそれはちょっと無理かな……」



 ヘンリーが余程ショックだったのか「メイベルちゃんにだけは財布のヒモが緩い!! 俺には何もしてくれないのに!!」と言ってアレンを責め、流石に申し訳ないなと思ったのか「分かった、分かった。今度、お前の好きな苺アイスでも買ってきてやるからさ……」と言ってなだめる。何だかんだ言って優しいな、アレンは。




(ああ。でも、へこんじゃうな……何で思い出しちゃったんだろう、ふっと。アレンにもダニエルさんにも心配かけちゃったし……)



 だけど、アレンのことだからきっと明日にでも慰めのお菓子をくれるだろう。昨日言ってみたオレンジピールのチョコかな、蜂蜜と胡桃のクッキーかなと考えて階段を登って、ようやくご機嫌を直したヘンリーと落ち込んでいるフレデリックにおやすみなさいの挨拶をする。結局、お相手の女性は刃物を持っていなかったし、大人しく引き下がったらしい。



「おい、メイベル」

「ん? どうしたの? アレン」

「ちょっとこっちに来てくれないか……? その、あいつらが羨ましがるからさ……」

「お菓子!? 早いね! アレン!」



 白と黒のパジャマの上から、黒いカーディガンを羽織ったアレンが廊下の曲がり角でちょいちょいと手招きをしていた。喜んで行くと、さっと私の手に何かを押し付けてくれる。何だろう、お菓子じゃないみたい。



「試作品だけど。やるよ、それ」

「えっ? 試作品……?」

「魔術仕掛けの本。オルゴール機能もついてる」

「えっ」

「あ、おやすみタイマーも付いてるから。三十分もしたら切れる。おやすみ」



 それは小さな魔術仕掛けの本だった。深い薔薇色と紺色に、金色の団栗と栗鼠ちゃんが描かれている。どれもこれも私の好きなものばかりで、胸の奥がぐっと詰まってしまった。「じゃ、俺はこれで」と言って、立ち去ろうとするアレンの袖を引っ張って引き止める。



「まっ、待って。アレン……あの、その、私」

「ん? どうしたんだ? メイベル」



 真っ直ぐな青い瞳を見て、言葉に詰まってしまった。どうしよう、私はこんな風に優しくして貰っていい人間じゃないのに。罪悪感でずきりと胸の奥が痛む。嬉しいのに、嬉しくない。申し訳ない……。ふいに手が伸びてきて、私の頭をくしゃりと撫でた。



「あれだろ? どーせお前のことだから、申し訳ないとか思ってんだろ? どーせな」

「うっ……だって、ヘンリーからアレンを取っちゃったし」

「何でそんな風に思ってんだよ……」

「その、ヘンリーに怒られちゃったから」

「あいつ……影でそんなことしてたのかよ。じゃあ、俺がまた今度あいつに言って、」

「いっ、いいの。甘えっぱなしの私が悪いんだし……それに」

「それに?」

「私、何も返せないから。アレン、お礼とかいらないって言うし……」

「……逆にお前の負担になってたか」



 アレンが深い溜め息を吐いて、そっぽを向く。そして、がしがしと黒髪頭を掻き毟った。



「いいんだよ、そういうのは。居心地悪いから……でも」

「でも……?」

「また作ってくれよ、あれ。コテージパイ。手間がかかるから嫌なんだよ。あとうまかった。プロ級だった」

「うん! そんなことでいいのならいくらでも……!!」

「じゃあな、おやすみ。自分を責めて落ち込むなよ、メイベル。絶対にお前は何も悪くないからな?」

「そうかな……でも、ありがとう。おやすみ」

「おやすみ~」



 事情も知らないのに、そうやって優しい言葉をくれる。手の中の小さな本を握り締め、俯いた。本当に優しい人はアレンのような人で、私は別に優しくなんてない。偽善者だ。



「見よう。見て寝よう……」



 クラシカルな家具で統一された、ホテルのような可愛らしい部屋に入ってほっと息を吐く。パジャマに着替えて、お姫様が眠るような天蓋付きの寝台に潜り込むと、ちょっとだけ悲しみが和らいだ。ふくふくと柔らかくて暖かい、そんな毛布の中で小さな本を開いてみる。



「わぁ……綺麗。可愛い、すごい……」



 深緑色の煌びやかなドレスを着た栗鼠のご婦人が飛び出し、つんと顎を逸らして私の鎖骨を踏んでゆく。その次に現れたのは薔薇にスイートピー、菫とカスミ草の花束で、私の前でふわっと浮かんで金と銀の粉を撒き散らす。そのきらきらと淡く煌く粉から、ふんわりと甘いラベンダーとゼラニウムの香りが漂ってきた。思わず目に涙が浮かんでしまう。



「私っ、私が好きだって言ってた香りだ~……嬉しい」



 アレンは本当に記憶力が良い。何故か、ヘンリーの好物だけ忘れちゃってたみたいだけど。そこからころんころんと軽やかな音色が流れてきて、それを聞きつつ、ゆっくりと両目を閉じる。ああ、深くて美しい。まるで突如、寝台の上に小さな音楽隊が現れて、演奏会を開いてくれているかのよう。



 手足が温かい。胸の奥も温かい。一旦起き上がってそれを枕元に置いて、ふんにゃりと口元を緩めつつ、寝台に潜り込む。



 深く息を吸い込むと、今度は優しい春の匂いがした。それに瑞々しい花束と薔薇の香り。



「おやすみなさい、また明日……ちゃんとアレンに言わなきゃ、明日。悲しいのとか全部吹っ飛んだよって……」







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