17.ダニエル・ウォントが女に生まれたかった理由
秋がまた更に深まって、ぐっと冷え込んできた。吐き出す息は白く、外に出ると鼻先が冷える。オートミール色のダッフルコートを着て黒いズボンを履いてるけど、マフラーとか巻いた方が良かったかもしれない。
「わっ! アレン! 雪だよ、積もってる! 昨夜ちょっとだけ降ったのかな~って、わああっ!?」
「おい、メイベル!? ぼさってすんなって言っただろ!? さっき!」
「ごめっ、ごめんなさい……お母さん」
「だから呼び方!」
「ごめんなさい、アレン……」
黒いコートに灰色のマフラーを巻いたアレンが眉を顰め、私の腕をぱっと離す。支えてくれたお礼を言って離れて、白い粉砂糖を振りまいたかのような庭を見つめた。石畳のアプローチにも林檎にミルクティーを混ぜたような冬薔薇の木にも、白く淡く雪が積もっている。
静謐な庭をアレンと二人で歩くと、ざくざくと音が響き渡った。雪の匂いのする茂みの向こうには、水を止めてある噴水が佇んでいる。少しだけ朽ちた、灰色の噴水が。
「は~……いつ見てもこのお庭、素敵。綺麗~、クラシカルで貴族の屋敷にあるみたいな……あっ」
「大丈夫、ここにヘンリーはいないから。てかお前、毎朝毎朝言ってて飽きねぇの? それ」
「飽きないけど、ごめんね? アレンは聞き飽きちゃったよね……?」
「……いや、大丈夫。よくそんなことで感動出来るなって思っただけだから」
「えっ、酷いな……アレンは思わないの?」
「三年も住んでりゃ、そりゃあな」
「だっ、だよね……言わないようにしなくっちゃ、私も」
それまで隣を歩いていたアレンが立ち止まって、足元の地面から何かを拾い上げる。
「ほい。落ちてた。好きだろ、お前。宝石団栗」
「ありがとう! わ~、艶々で綺麗~」
「ま、お前はそのまんまでいいよ。ヘンリーの恨み言とかダニエルのネチネチ話とか、マリエルのお小言を聞いているよりよっぽど楽しいからな」
「えっ? 本当? 良かった! 私もアレンと喋ってるのが一番楽しいよ~、一緒にいて落ち着くし!」
「あ~、それは分かる……俺もお前といるとあんまりイライラしないかも。いいや、俺を怒らせるようなあいつらが悪いんだが……」
「勿体無いね。みんな、アレンの優しさをきちんと理解してないから……」
苦笑して息を吐くと、白く溶けていった。冬の薄い青空を隠すようにして大木が枝葉を広げ、かさりかさりと、オレンジや赤色の落ち葉をこちらへと落としてくる。ああ、胸が弾む。よく手入れされた冬の庭はこんなにも美しい。そこに白い雪と、優しい友人が加わってより輝いてゆく。
「ふふっ、アレンも、もうちょっとだけみんなに優しくすればいいのに……あっ! そうだ! アレンはあいつらが羨ましがるから内緒な? って言うけどいつもいつも昼休みやおやつの時間に私に、もごっ!?」
「やめろ、言うな。あいつらには絶対に言うなよ……!?」
「でも、ほら? 私が体型のこと気にしてたから、最近はダニエット食を考えて作ってタッパに詰めてくれるし……」
「絶対に言うなよ、それも……」
「そうだよね……ノアもマリエルさんも体型のこと気にしてるし、聞いたらいいなぁ、いいなぁって羨ましくなっちゃうよね……」
そこでアレンが「何か……何かいい説得方法は無いか?」とぶつぶつと呟き、おもむろにこちらを振り返った。雪景色を映している、青い瞳はいつもより透明で美しかった。
「そうだな。俺もお前の分を作るのであー……とにかくもだ。三人分作るのは流石に無理だから。黙っておくように! いいな!?」
「はい! おかあさ、アレン!」
「っぐ、もういいよ。はー……あっ、あとそれから別に、お前の分を作るのは全然いいからな? 負担になってないからな?」
「あっ、そ、そう? 良かった、私。本当に甘えっ放しで……」
「いいよ、これも恩返しだから」
「恩返し……?」
アレンが焦った顔をして口元を塞ぎ、「ごめん、何でもない。こっちの話だ。気にするな」と呟く。そう言われると余計にきっ、気になる……!!
「ねぇ、アレン? 今のって……」
「お前……マシュマロクッキーは好きか? チョコと苺味の」
「好き! ありがとう!」
「手ぇ出てくんのはっや……ほい、やる。あとで食えよ」
「わーい、ありがとう! やっぱりね、みんなもアレンのことを誤解してるからこうやってポケットに私へのお菓子を常備してくれてることとか、私が泣いちゃうからって代わりに玉葱を切ってくれることとか、私がくしゃみをしたらエアコンの温度を二度上げてくれることとか、私が階段から転げ落ちたから滑り止めテープを貼ってくれたこととか、言ってもいい!? きっと、みんなの誤解も解けると思うんだ……!!」
「やめろ、その善人キラキラ目で見てくんの……」
「善人キラキラ目……」
隣を歩くアレンが眉を顰め、ポケットに両手を突っ込んでから「恥ずかしいからやだ。言うなよ、絶対に」と呟く。かっ、可愛い……!!
「あっ、あのね……ウィルの次に可愛いよ、アレン! 二番目に可愛い!!」
「あ? 何が?」
「も~、私。言ってしまいたい……だってこんなにもアレンは照れ屋さんで優しくって、」
「お前な……俺の心が死ぬからやめてくれ……頼む……」
「えっ? どうしても駄目……?」
「俺のことを見たら何でも許されると思うなよ、メイベル……妙な技を覚えやがって」
それでもどうしても言いたくて、じっと見つめていたらアレンが青ざめて「やめろ……頼むからやめてくれ。お願いします……」と言ってきたので渋々と諦める。
「そっか。残念だな……みんな、アレンのことをかなり誤解してるから。謙虚で優しい人なんだね、アレンは……」
「お前……背筋がぞわってなるからやめてくれないか? 本気で思ってるだろ、それ……」
「あ、あれ……? 何でぞっとしてるの、アレン?」
「怖い、怖い……善人怖い。やばい。お前の見てる世界は一体どうなってんだよ、メイベル……」
アレンは私の何かがとても怖かったらしく、両腕を擦って「怖い、善人怖い。てか、善人フィルターがかかってて怖い、やばい……」とぶつぶつ呟いていた。そんなアレンと楽しく喋って庭を歩いていると、黒いエレガントな門が見えてきた。するとアレンがすかさず門の錠を解いて、開けてくれる。
「ごめんね、ありがとう。いつもいつも……」
「いいや、別に。雪が積もってなきゃバイクで行くとこなんだが……悪いな、歩いて行くぞ。今日は」
「大丈夫! 痩せたいから!」
「別に太ってないって……」
「うっ、嘘だ。この間のあれが本心だったんでしょう……?」
「いやぁ~、違うけどでも。お前、ほっそいからな。もうちょっとだけ太ってもいいんじゃないか?」
「お父さんとウィルみたいなこと言う~、やだ~」
「へいへい。お母さんの次はお父さんかよ、まったく」
アレンの勤め先と私の勤め先が近いので、こうして毎朝一緒に通勤している。それをヘンリーに言ったら顔を顰めて「俺も働こうかな……」と言ってたけど、今朝はソファーで寝転がって「やめよう、寒い。働くのやめようっと」と言っていた。
「うーん……ヘンリーに申し訳ないな。私ばっかりアレンを独占してて」
「いいよ、もう。気にすんな。あいつの言うことは」
「でも、たまには二人で旅行とか……あっ」
「あ? 何だ? 忘れ物か?」
「うっ、ううん。何でもない……」
「言ってみろ、何かあるだろ。絶対に」
瀟洒な屋敷が立ち並ぶ高級住宅地を歩きつつ、アレンが厳しく問いかけてきた。足元の煉瓦道を眺めてから口を開く。ひらひらと、頭上から落葉樹の葉が落ちてくる。
「みんなと……その、旅行に行きたいなぁって。海外旅行に」
「よりによって、海外旅行にかよ……さては羨ましくなったんだな、お前? 先週ノアと一緒に懲りもせず見てたしな、アルバム」
「うっ、うん。水着姿のマリエルさん、素敵だったし……」
「あの旅行、一言で言うと最悪だったからな……現地の知らんおっさんがやたらと絡んできたし、ダニエルは酔って吐いてってして最悪だったし、ヘンリーもヘンリーで妙な女に付き纏われてたし……極め付けにホテルの停電だよ。もう二度と行かねえ、一生行かねえ……!!」
「そっ、そっか。残念だな……私、海外旅行に行ったことないしアレンと一緒に行きたかったんだけどな……」
そこでアレンが低く唸って、足元の落ち葉をぐしゃりと踏み潰した。
「あー、じゃあまあ。考えるだけ考えておくよ……行くのなら来年の春にだな。金は? あんのか?」
「うん、貯金もあるし……お父さんとお母さんに言ったら出して貰えると思う」
「腹が立つから全部ヘンリーに出させようぜ、それで解決」
「いや、それは流石に申し訳ないから……」
「じゃあ、俺が半分出してやろうか? 交通費とホテル代」
「何か……ライ叔父さんみたいだね、アレン」
「何で!?」
さっきまで嫌がっていたのに、何故かそわそわとした様子で「大丈夫か? 半分出してやろうか?」と聞いてくる。でも、それは流石に申し訳ないので断った。
「大丈夫だよ、私……ダニエルさんに家賃下げて貰ったし、来年の春までにはお金も貯まるだろうから」
「何でだよ、あいつ……俺の家賃は微妙に上げたくせに」
「あっ、そうなの? 雨漏りしたとか……?」
「言っとくが、何も無い。多分嫌がらせだな、俺への。何でか最近、妙に当たりが強いから……」
「な、何でだろ……? やっぱり日頃のアレンの優しさを伝えて、」
「絶対にやめろ……言ったら行かないからな、俺。海外旅行に」
「分かった、やめておくね……アレンって、本当に謙虚で優しい人だよね……!!」
「……善人怖い。善人怖い……」
「眠くな~れ~、眠くな~れ~」
「ならない、そんなのを振ったところでどうにもならない……」
「おい、ヘンリー。ダニエル。何、虚しい作業をしてんだよ……」
「だって、ダニエルさんが最近眠れないって言うからさ……」
「眠れない……」
トマトと豚バラ肉を煮込んで目玉焼きを乗せたものを、もぐもぐと食べつつ眺める。お行儀が悪いかなと思いつつ、スプーンを片手にそちらへと行くと案の定、白いシャツと黒いカーディガンを着たアレンが「座って食え、座って」と言ってきた。
「ごっ、ごめんなさい。お母さん……じゃあ、ソファーに座ろうかな」
「アレンは……すっかりメイベルのお母さんだよね……」
「てめぇ! その黒縁眼鏡かち割ってやろうか? あ?」
「ここんとこ、眠れないんだって~……とは言えども、昔からっだよな。ダニエルさんは」
「年に……半分ぐらいは不眠症かな?」
「年に半分も……?」
ガーリックが香る皮付きの鶏肉を噛み締めると、じゅわっとトマトの酸味と玉葱の旨みが溢れ出てきた。さっきまでマリエルやノアとお喋りしていたので、私だけスープが残ってる。
「んぐ、それは大変ですね……安眠効果のあるハーブティーとかは?」
「試したって無駄だと思う……」
「昔からこう言って、何もしないんだよなぁ~……ダニエルさん」
「俺が子守歌でも歌ってやろうか?」
「急にむせるようなことを言い出すなよ、お前。フレデリック。明日も店があるんだろ? 早く寝ろよ」
「へーい……あーあ、早起きが苦手なのに何でパン屋になったんだろ……」
「ドMの変態だからだろ」
「ああ、なるほど……一理あるな!」
「消えろっ! 去れっ! おやすみ!!」
それまで水を飲んでいたフレデリックが苦笑して、「おやすみー、メイベルちゃん。あとそれからその他の野郎ども」と言って去ってゆく。ぱたんとリビングの扉が閉まると、ソファーで膝を抱えていたダニエルがぼそりと呟く。
「俺……女に生まれたかったんだ」
「えっ? 何で!?」
「ノアと同じ理由なのか……?」
「いいや、母さんが……俺の母親が。女の子が欲しかったんだって。だから」
「ああ。それでダニエルさんは……自分の性別を恨んでいるんですね? お母さんに喜んで欲しかったんですね……?」
どうして、彼女はこうもあっさりとこちらの気持ちを見抜くのだろう。のろのろと顔を上げて、眺めてみると栗色の優しげな瞳を細めていた。紺色のカチューシャに白いニットが可愛い。そう言えば、来たばかりの時もカチューシャを付けていた。品良くスプーンで赤いトマトスープを掬い上げ、もぐもぐと食べ始める。
彼女はあまり、続けて話さない。ゆったりと自分の考えを口にする。
「でもさぁ~、どうしようもないじゃん? それ。ダニエルさんは悪くないよ~」
「そー、そー。悩んだって仕方が無いだろ、そんなの。カマキリのオスがメスに食われたくないからって言って、自殺を図るようなもんだろ?」
「あっ、アレン……すっごく分かりやすい例えなんだけど、ちょっと違うと思うな……?」
「アレンに優しさっていうのは無いからな。魔術師って、無神経なやつが多くないか……?」
「やめろよ、そうやってひとくくりにすんのはさ……」
すぐにこうやって俺は放置される。ぐじぐじといじけて赤いハート形のクッションを抱えていると、メイベルが優しく笑って隣に座ってくれた。そしてまた、いつものように俺の黒髪を丁寧に梳かしてくれる。
「ねぇ? ダニエルさん? 不眠症の原因って、もしかしてそれなんですか……?」
「うーん……よく、分からない。でも。俺はいらない子って言われて育ったから……」
「なぁ、ヘンリー。お前、知ってるだろ? ダニエルの両親。親戚ならさぁ」
「あ~、おばさんもなぁ。悪い人じゃないんだけどがさつで大雑把で、四人も子供を産んだのに全員男だったからさ……」
「あ~、それで。末っ子のダニエルに当たりが強いのか……」
俺が産まれた時、母はがっかりしたそうだ。次こそは女の子の筈だからと言って、妊娠中に可愛いピンクの靴下も編んでいたらしい。赤子の俺を迎えたのはレースたっぷりのお姫様ベッドに可愛い女の子の服。生まれた時から全否定されていた。俺が男だから。もうこれ以上我が家に男なんていらなかったのに。そんな言葉が耳に染み込んでいった。ああ、いいな。俺も女の子に生まれたかったな。
『ねぇ、ダニエル君? 一緒に遊ばない?』
『いい。いらない……』
思い出すのは、昔近所に住んでいたお姫様みたいな女の子。陽に茶色い髪の毛が透けて美しかった。目も綺麗な青色で、俺とは違って体も細いし可愛い服だって似合う。青いセーラー襟がついた白いワンピースを着て、庭の草花を集めて花冠を編んでいた。みんなみんな、その子のことが好きだった。その子の母親も鼻高々で、いつも自慢げだった。いつもいつも、彼女の頭を優しく撫でていた。
いいな、いいな。俺も君のように可愛い女の子だったら愛して貰えた? いいな、いいな……。
『お前がなぁ、女だったらなぁ~。母さんもうるさくなかったのに』
『俺は弟よりも妹が欲しかったなぁ~。もういらないし、弟なんて』
兄達もそう言って鬱陶しがった。俺はいらない子、いらない男の子。今更増えて欲しくなかった男の子。こっそり母の寝室に忍び込んで、鏡台を覗き込む。そこにはぼさぼさの黒髪に青い瞳を持った、陰気臭い男の子が座っていた。
『いいな、僕も女の子だったら良かったのにな……』
悲しくて悲しくて、惨めで愚かなことをした。母がいつも大事にしている口紅を塗りたくって、他にもネックレスをじゃらじゃらと出して付けてみた。女装したところで愛される筈は無いのに。
案の定、すぐに見つかってこっぴどく叱られた。俺の病弱さ、気の弱さと度重なる社交で疲れ果てていた母は泣いて泣いて、俺の体を蹴って殴ってとした。「高かったのに! これからまた出かけるのに!!」と泣いて叫んで、俺のことを散々殴った。
夫婦仲も良くなかった。金がある分、父は何人もの女を囲った。よくある話だった。まぁ、母にも何人か若い男の愛人がいたみたいだけど。廊下の隅で泣いて泣いて震えていると、流石に兄達や使用人が止めに入った。お金があったってどうしようもない。女の子とは、お金を積んでも手に入らない。
母が息を荒げて、涙を流して呪詛を吐く。
『ああ、女の子だったら笑って許せたのに。あんたが女の子だったらそれで良かったのに……』
女の子だったら良かったのに。それは僕が一番思っていることだよ、ママ。そんな言葉を飲み込んで膝を抱えた。頬もわき腹もじんじんと痛んでいた。
女の子だったら可愛い服が着れる、メイクも出来る、周りから可愛がって貰える。泣いていたら心配もして貰える。でも、俺はされない。どうして、女の子ってああもキラキラしているんだろう。手も足も、髪もその目も。俺だって男よりも女の子に優しくしたい。だから同罪だ。でも、ああ、生まれたかったな。女の子に。
「いいね、メイベルは……可愛い女の子で」
「そう、そうですかね……?」
「おい、やめろよ。言っても仕方が無いだろうが……」
「そうそう、みんな無いものねだりだよ。男にも女にもそれぞれ、面倒臭いことがあるんだからさー。どっかで自分の性別を諦めるしかないって。どうにもならないんだし?」
そうだ、どうにもならない。女性には女性の苦しみがあるんだろう、でも。
「少なくとも女だったら。誕生日を祝って貰えたのにな……」
「うぇっ、祝って貰えなかったのかよ……」
「一応、開いてたけどな……誕生日パーティーを。でもまぁ、人脈を広げるって感じだ。上流階級の人間はどんな祝い事でも何でも社交にしやがる……そこに心はない。まぁ、俺の両親とダニエルの両親が酷かったってだけの、話なのかもしれないけど……」
金持ちの家に生まれたから勝ち組。そんなことを何度か言われた。だが、金があるだけだ。
その金を維持するためにがつがつと仕事をして、時間を削って社交をこなさなくてはならない。年に何度か行く海外旅行も仕事絡み、もしくは「どこに行きましたか?」と聞かれた時に「あの国のあのホテルへ」と言えるように。ようは見栄を張りたいだけだ。本当に行きたくて行く訳じゃない。目が眩むような美しい食事も高価な衣服も何もかも、虚しいだけ。
俺が喜ぶからと言って、与えられたものは何一つとして存在しない。
「……俺の父は、きぞ……ヘンリーの嫌いな人間で。母は成金の娘だった」
「よくある話だな、昔から」
「だから……最初は、男が生まれて喜んだみたいなんだけど。父と母は……女の子が欲しかったみたいで」
「うん」
「でもさ……どう足掻いてもさ、可愛い服ってさ。女の子の方が似合うよな?」
「まぁな……」
「ノアは似合ってるけど……まぁ、あれは特殊な例だよなぁ~。あいつ、色が白くて足も細いし」
青いパジャマを着たヘンリーが隣に座って、俺の肩をぽんと叩いてくれる。同じ血が流れていて、同じ苦しみを持っているから優しくしてくれる。メイベルの反応が気になって、見てみると悲痛な顔をしていた。優しげな栗色の瞳に「どうして私に性別を変える力がないのか」と書いてあった。
ああ、少しは苦しみが和らぐ。そうなんだ、苦しいんだ。女の子に生まれたかったから、俺は。
「ごめん……ごめん、メイベル。俺は……もうこれ以上困らせたくないし。寝るね……」
「大丈夫ですよ、まだ九時にもなってないし。ダニエルさん……ねえ、辛かったでしょう?」
「うん……本当に」
「まぁ、それは母親が悪いな。いや、父親もか。俺の母さんも女の子が欲しかったみたいだけど、まっ、いいわ。可愛いお嫁さん連れて来てくれたらそれでって言って、速攻で切り替えてたぞ?」
「何気にお前、可愛がられて育ってるよな……? あとそれから、その可愛いお嫁さんってのはメイベルのことなんだろうな……?」
「何でだよ……手のかかる妹みたいな存在だって言ってんじゃん、この間からさぁ~」
でも、アレンは絶対にメイベルのことが好きだと思う。俺がメイベルのことをじっと見つめていると、アレンもじっと見つめている。
「いいな……メイベル。君は、可愛がって貰えて」
「でも、男性がいいなーって思う時も多いんですけどね……ほら、ストーカーとか不審者とか」
「大丈夫か? お前。付き纏われてないか?」
「出たぞ、アレンのおかんモード。いや、番犬モードか……?」
「やめろ。おちょくるなよ、俺のこと」
「うーん、最近よく会う男性がいて……店の中をすっごく覗き込んでくるし」
「もう付き纏われてた!! 言えよ、そういうことは早く!!」
「まぁ、女性は常にそういった恐怖心と可能性が付き纏ってくるよな……俺の姉ちゃんも男に生まれたかったってぐちぐち言ってたし。まぁ、何だかんだ言って女性の方が大変だよなぁ……」
でも、その存在は祝福される。顔が不細工だっていじめられているような女の子も、やっぱり可愛い。俺とその女の子、どっちが可愛い? と聞いてみたらやっぱりその女の子だった。女の子だから。男よりも細くて、華奢だから。その子だってメイクが似合う。口紅やネックレスが俺なんかよりも断然似合う。
「いいな……でも、そんな苦労もしてみたかったんだよ。俺……」
「ダニエルさん……」
「メイベル、こいつの心配をしている場合じゃないぞ? 明日防犯グッズでも買いに行こうな? いや、ちょっと俺が店を張ってその男を突き止めるか、いや、先に警察に相談だな。相談……」
「お前はもうちょっと落ち着こうな、アレン……」
「ダニエルさん。でもきっと、男性のままで愛して欲しかったんですよね……?」
メイベルが優しく優しく、俺の頭を撫でてくれる。そうだ、男でも好きだよ。いいよって言って欲しかったんだ。赤いハート形のクッションを抱えて泣くと、ぐすんと鼻を鳴らして一緒に泣いてくれた。ああ、良かった。
「メイベル……お前、器用だな」
「だっ、だって、涙が止まらなくって……んぐ」
「ティッシュいる? ティッシュ。はい、どうぞ」
いいな、女の子は。すぐにそうやって心配して貰えて。そんなことを考えて苦しんでいると、おもむろに白いティッシュが現れた。見ると、メイベルがぐすぐすと泣きつつ差し出してくれてた。
「はっ、はい、どうぞ、ダニエルさん……」
「いや……俺は、俺は適当に拭くからいいよ……」
「じゃあ私が拭きますね、ダニエルさんの鼻を」
「えっ」
「「えっ!?」」
言うが早いが、俺からハート形の赤いクッションを取り上げて鼻にティッシュを押し付け、優しく拭いてくれる。ぼたぼたと涙を流しながら、俺の涙と鼻水を拭いてくれる。流石に好きな女の子にここまでされたら、ちょっと恥ずかしくなった。慌ててヘンリーから新しいティッシュを貰って、メイベルの鼻先に押し当てる。
「ぶわっ!?」
「だい、大丈夫……ありがとう。それに俺……もう大丈夫だから。ありがとう」
「そうっ、そうなんれふか……?」
「すげぇな、メイベルのごり押し作戦……」
「あのダニエルさんが泣き止んだぞ、あのダニエルさんが……」
好きだけど、彼女のことが妬ましい。羨ましい。それなのに、本当にほっとした笑顔を浮かべて見つめてくるから。また泣けてきてしまった。
「なぁ、メイベル。俺、生まれてきても良かったのかな……?」
「なっ、何を言ってるんですか!? 良いに決まっているでしょう!? えっ、ええっと、ダニエルさんにとってか良いかどうかはよく分かりません。もしかしたら、悪かったかもしれません……でも、私はダニエルさんに会えて嬉しいし、生まれてきてくれて良かったなって思いますよ!?」
そこでぎゅっと、俺の両手を握り締めて泣いてくれる。ああ、敵わないな。悔しさとか全部全部、流れていってしまう。苦しみはまだ変わらずに、この胸の奥に。それでも彼女が泣いてくれる。俺の苦しみに共感して、寄り添って泣いてくれる。生まれて初めて、誰かが俺のことを心配してくれて、俺のために本気で泣いてくれた。
だからまぁ、いいかと思える。両腕を伸ばして、泣いているメイベルを抱き締めた。
「ごめん……馬鹿なことを言った。ありがとう……」
「うぐっ、わら、わらひもごめんなさい……!! ちゃんと慰めれたら、ぐっ、良かったのにまた泣いちゃって……」
「何を見ているんだ、俺達は……って、ええっ!? 何で泣いてんの!? ヘンリー!?」
「いや、何か感動的でっ……!!」
「器用すぎやしないか!? まぁ、いいや。ティッシュいるか? ティッシュ。あっ、そうだ! メイベル! 男の特徴を教えろよ、男の特徴を! ぽやぁってしてるからだよ、どーせそいつにもほやほやと笑顔で接客してたんだろ!? 明日行こうな、俺と一緒に警察に!」




