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優しい彼女と変人だらけのシェアハウス  作者: 桐城シロウ
第一章 秋に出会って、冬を越す
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プロローグ

 





「さて、それじゃあお前は。この世のありとあらゆる事柄と人種に対して何の差別も偏見も持たず、その全てを受け入れることが出来るか?」

「でっ、出来るかどうかはよく分かりませんが。一応日々、努力はしています……!!」



 メイベル・ロチェスターは栗色の瞳を瞬き、そう答えるのが精一杯だった。ここは閑静(かんせい)な高級住宅地の一角に佇んでいる豪邸で、今日はシェアハウスの面接に来たのだが。



 白い壁紙と無垢床フローリングの素敵なリビングに入った途端、大家の彼はずるずると椅子を引き摺って出してきて、そこへ座るよう促してきたのだ。そして向かい合って座った瞬間、先程の質問を投げかけてきた。



(確かに偏見とか差別は良くないけど。私だって無意識にしちゃってる時はあるんだろうし)



 目の前の椅子に座った男、ダニエル・ウォントは黙って頷いている。彼はぼさぼさの黒髪に青い瞳を持っている男性で、垢塗れの黒縁眼鏡をかけていた。そしてくたびれた黒と白のチェック柄シャツを着て、銃撃戦にでも巻き込まれたかのようなぼろぼろのデニムを履いている。



 思わずじっと見つめてしまったが、慌てて目を逸らす。



(いけない、私ったら。世の中にはぼろぼろのデニムを美しいと思う人もいるんだから。不躾に眺めちゃ駄目よ)



 自分の未熟さに恥じて顔を伏せていると、目の前のダニエルが独身証明書を眺めつつ首筋を掻く。彼は叔父の紹介でやって来た私の身元を疑い、源泉徴収書と身分証明書と独身証明書と連絡先を要求してきたので渡したのだ。



(疑り深い人だなぁ…………でも、以前詐欺に遭ったのかもしれないし。シェアハウスって色々ありそうだし)



 もしかして、私は不合格なのだろうか?


 膝の上の手を握り締めると、栗色の長髪が揺れ動いた。少しでも感じを良くしようと思ってブルーのニットとデニムを着てきたんだけど。



「よし、合格だ。ここで偉そうな顔をして、自分は何も差別意識なんて持っていませんとか言う人間はダイナマイトでもくくりつけて沼の底へ沈めた方が世の中のためになる」

「えっ、ええっ!? でもそれって犯罪…………」

「ジョークだ、そんなことをすれば俺は捕まる。捕まってしまう!! そしてどーせ国家権力を笠に着て歩いている奴らが俺のことを散々に罵ってくるんだ! 何の苦労もしていない道楽息子の馬鹿息子だって言って罵ってくるんだぁっ!!」



 ダニエルは繊細な人のようで、わぁっと泣き叫んで黒髪頭を抱えてしまう。



(えっ、あっ、どうしよう? どうやって慰めたらいいんだろう)



 慌てて椅子から立ち上がってみると、その音にびくりと怯んで蒼白な表情で見上げてくる。しまった、もう少しだけ静かに立ち上がるべきだったのに。



「え、ええっと、あの。大丈夫ですよ? 私のような安月給の人でもこんなに素敵なシェアハウスに住めるんですから、貴方はとっても素敵なことをしていて、」

「素晴らしい! 流石はライさんのDNAだ! 欲しい!!」

「えっ? 欲しい……?」



 DNАと言えば髪の毛とか爪だろうか。でも多分、この大家さんが言っていることはそうじゃないと思う。彼はえぐえぐと泣きながら私の両手を握り、鼻を啜っていた。



「ああっ、ようやく! ようやくまともな人間が俺の下へやってきてくれた! 素晴らしい! 俺の母親がとうとう邪魔な健康器具を手放して惰眠を貪るだけの人生を選んだその時よりも素晴らしい!!」

「ええっと、ダイエットに失敗してしまったのでしょうか……? でも女性は男性よりも痩せにくいし、」

「とりあえずそんなことはどうでもいいんだ。いかに君のような素晴らしい、いや、あのライさんの姪っ子が俺の下へやって来るだなんて…………!!」



 ああ、良かった。歓迎されている? らしい。



(でもダニエルさんは。いっぱい身分証明書とか要求してきたのに…………?)



 そしてまともに挨拶もしてくれなかったから、何か失敗してしまったんだろうかと思って落ち込んでいたのに。彼のごつごつとした両手を握り締め、ほっとして笑いかける。



「良かったです、私。その、気付かない内に何か失礼なことをしてしまったのかと、そう思って悩んでいて……でもダニエルさんとこれから仲良くしていきたいから、」

「素晴らしい! なんて素晴らしいんだ! 流石はライさんの姪っ子だよ!!」

「わっ、わああっ!?」



 はしゃいだ様子の彼が私を抱き上げ、虚ろな表情で涙をぼたぼたと流していた。彼はどうも感情表現が豊かで、ちょっとしたことでも感動してしまう繊細な人らしい。



「あっ、でもこれって。何だか小さい時に戻ったみたいで楽しいです…………!!」

「可愛いな、何だかな。世の中の女性なんて皆、手負いのグリズリーだと思っていたよ……」

「手負いのグリズリー……そんなことはありませんよ? 穏やかで優しくて素敵な女性も沢山いるので」

「でも俺に対しては手負いのグリズリーなんだ…………息を荒げて、腕を振り回して殴り殺されてしまうんだ」

「えっ、ええ……?」



















「どうしよう? 困った。ちゃんと聞けば良かった…………」



 引越し当日。高級住宅街の一角に佇む、白亜の邸宅にやって来たのだが。出てきた家主のダニエルはぼろぼろにやつれた顔をして「申し訳ないね……偏頭痛で。じゃ」と言い、部屋に引っ込んでしまった。



「う、ううーん。まさか二階にこんな、沢山のドアがあるだなんて」



 真っ直ぐに続く廊下の両側には木製のドアがいくつもあり、ネームプレートも掲げられていない。



「私の荷物…………先に届いて、部屋に置いてあるって話だったんだけどなぁ。どうしよう? どこのドアを開けたらいいんだろう」



 首を傾げて近くのドアを眺めていると、不意にとんとんと肩を叩かれる。



「わっ!? すっ、すみません! おはようございます!」

「ははは、おはよう。メイベル・ロチェスターだっけ? 新入りの?」

「あっ、はい。そうです。私の叔父とダニエルさんがお友達で、その紹介で」



 見たところ二十七かそれぐらいの男性はにっこりと微笑み、ダークブラウンの瞳を細めた。同じくダークブラウンの髪は艶々としていて、ツイードのスーツ姿はどこか貴族の子息を連想させる。



(わっ、どうしよう。毛玉だらけのニットなんて着てくるんじゃなかった…………!!)



 ふらりとスーパーに行くような緑とブラウンのニットと短パンを身に付けているのだが。もう少し身なりに気を使うべきだったかもしれないなと考え、ささっと自分の前髪を整える。



「へぇ? ダニエルさんの? あれかな、あいつが常々口にしているライさんとやらかな?」

「そっ、そうです。ご存知なんですか?」

「とてもよくね、だからちょっと確認してみただけ。あ、荷物持つよ。重たそうだ」

「いえ、自分で……あっ」

「いいのいいの、久々の新入りだし。大事にしなくっちゃね」



 そういえば名前を聞いていない。戸惑っていると私のボストンバッグを持ち上げた彼がにっこりと微笑み「俺の名前はヘンリー。ヘンリー・ヒューバート・カーター。よろしくね、メイベルちゃん」と名乗ってくれた。



(頭の良い人だなぁ。すぐに察して教えてくれた)



 でも、こんなに綺麗な男性を前にするとちょっとだけ落ち着かない。女子高育ちだし、男性と話す機会なんてあんまりないし。



「ええっと、君の部屋は。あったあった、鍵。これね? 後で渡すよ?」

「あっ、はい。ありがとうございます」



 前を歩いていたヘンリーがこちらを振り向き、真鍮の鍵を鳴らして笑う。何だかほっこりするような雰囲気の人で、少しだけ緊張が和らいだ。



「君の部屋はね、一番良い部屋で。バルコニーが付いているんだ。窓からは王宮も見える」

「えっ!? そうなんですか!? 嬉しい、やった! でもそんな良いお部屋を。あんな格安のお値段で借りてしまって大丈夫なんでしょうか…………?」



 ヘンリーが()()()()とドアを開け、後ろから覗き込んでみると白いカーテンが風に舞ってたなびいていた。滑らかな無垢床のフローリングに淡いペールグリーンの壁が何とも美しい。


 それにまるでお姫様が眠るような天蓋付きのベッドまである。柔らかなベージュ色の天蓋にはフリルがたっぷりと付き、どこかクラシカルで大人可愛い雰囲気だった。



「わっ、わ~……素敵! えっ、いいのかな。本当に!」

「いいのいいの、君はこれから沢山苦労をするんだから。見たところどうも、いかにも善良そうな普通の女の子って感じだし?」

「くっ、苦労……? ええっと、それは一体?」



 ヘンリーはダンボール箱を端に寄せつつ、部屋へと入ってゆく。ああ、良かった。ちゃんと届いていて。



「ここのね? バルコニーの扉はどうも貴族の館にあったアンティークの扉らしくって。まぁあの、かびくさい連中どもが使っていたものなんて粉々に砕いて破棄してしまうべきだと思うが」

「えっ? ええっ? でもこんなに綺麗な、」

「あいつらは糞ころがしが糞を転がすように。涎を垂らして息を荒げて、名品だのアンティークだのにばっと飛びつく強欲で浅ましい連中なんだよ、分かった? メイベルちゃん」

「あっ、はい……」



 この人は何か、貴族や蒐集家(しゅうしゅうか)に恨みでもあるのだろうか。虚ろな笑みで尋ねられたので、とりあえず頷いておく。



「よし、良い子だ。お上品ぶったあいつらの中身はとんでもなく浅ましくて強欲で、何の役にも立たないような、輸血の役にも立たないような高貴な血とやらにしがみついて、ワインをぺっぺっと日々吐き出しているような奴らだから会ったら全力で逃げるように。いいな?」

「はっ、はい。そうしますね、ヘンリーさん……あっ、綺麗! わ~、眺めが凄い! 素敵!」



 眼前に広がるのは青い空と美しい街並み、奥の方には壮麗な王宮と時計台が見える。バルコニーの手摺りを掴んで、それを子供のように眺めていた。



「わ~、綺麗! 流石は高台ですね! 遠くの方まで見える…………!!」

「良かった、良かった。気に入って貰えて。これで少なくとも一週間はいてくれるかな? それとも十日?」

「えっ……?」



 私としては何年間か住んでたいんだけど。もしかして歓迎されていないのかもしれない。



「あの、私。こんなに素敵なお家だし、ある程度長くは住み続けていたいなぁって」

「ああ、俺としてもその方が有難いなぁ。ここの連中ときたら、どいつもこいつも非常識なやつばっかりで。すーぐに新人が逃げちゃうんだよなぁ。参っちゃうよ、もう」

「そっ、そうなんですね……?」



 そんなにいっぱい変わった人が住んでいるんだろうか。どうしよう、ちょっと怖いかもしれない。



「あ、あの。厳格なルールがあったりして……? 買い出しとか」

「買い出しねぇ。みーんな適当にそれぞれ買ってきたりとか、口汚く罵りつつ渋々と自分で買い行くとか。まぁ、適当かな! ルールも無いよ! なんにも!」

「えっ? 揉めませんか? ルールがあった方がトラブルも少なくて済む、」

「うん、揉める。死ぬほど揉めてる。あいつら皆変人だし非常識だからね……」

「あっ、ああ。そうなんですね……」



 それ以外に何て言えばいいんだろう。他に良い言葉が思いつかなくて、ありきたりな言葉を返す。手摺りにもたれている隣のヘンリーが低く笑い、遠い眼差しで景色を眺めていた。



「だから俺はメイベルちゃんに期待してるんだ。みーんな、すぐに出て行っちゃうから」

「あっ、ああ。馴染めないですぐに出て行ってしまうんですね……?」

「そう、だから俺は毎回毎回新入りさんには親切にしているんだけど。まぁ、その気遣いも。あいつらが粉々にしちゃうからさ~、困ったもんだよ。本当に」

「お、お疲れ様です……?」



 ヘンリーはくちびるを尖らせ、ふすんと息を吐いた。どうしよう、あんまり。私も馴染める気がしない。



「だい、大丈夫ですかね……? その、厳しい口調の人とか。いますかね?」

「んー、みんなお互いにアホだの馬鹿だの言って罵り合っているけど。どうかなぁ、よく分かんない」

「えっ? どう、どうでしょう? あっ、でも仲が良いお友達の悪ふざけ的な感じなら私もだいじょ、」

「いーや、全然違うね! ほらみんなガキだからさぁ、取っ組み合いの喧嘩とかしてるよ?」



 爽やかな笑顔で言われましても。そんな言葉をぐっと飲み干して、何とか笑顔を浮かべる。



「とっ、止めに入ったりとかは?」

「しない、延々と続く。お互いに相手が一番悪いと思っているから」

「えっ? じゃあ、一体どこまで喧嘩が続くんですか……?」

「昨夜はふと、お互いの年齢に気が付いて虚しくなってしまったんだ。だから俺達は黙って酒を飲んで寝るしかなかった」

「け、喧嘩してたんですね……? 昨夜」

「してた、夜中の二時まで」

「夜中の二時まで……」



 そういえば薄っすらと目元にくまが浮かんでいる。きっと彼らはお互いの年齢に気が付いて黙って酒を飲み、毛布に包まって眠ったのだろう。そう考えると、何だか微笑ましい光景だった。



「っふふ、何だか大丈夫な気がしてきました。私!」

「うわ~、良い子。すぐ死にそう、世間のプレッシャーとか嫌な人間に踏み潰されて」

「ええっと、あり、ありがとうございます……?」



 こうして、秋が深まって落葉樹の葉が色づく頃に。私は新生活を始めたのだ。




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[一言] こんにちは。元気が出そうな物語だなって気になっていて、読み始めました! ファンタジー感があるのにいきなり源泉徴収書とか身分証明書とかの現実的なアイテムが出てきてクスリとさせられつつ、大家さん…
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