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君は、本当に『物語』を書くのが好き?

今の私は物語を書くことに、執着をしていない。

つまり、私の『物語』は終わってしまった。


私は覚えている。

最初になんの物語を書いたのか。

幼稚園か小学生低学年か覚えていない。


最初の物語の主人公は人でもなく『ワニ』だった。

それが最初に私が書いた物語だ。


ワニが好きなわけではなかった。

でも、私が最初に書いた主人公は『ワニ』だった。


『ワニ』は私が好きだから書いたんじゃない。

『ワニ』が好きな人のために作ったのが全てのはじまりだった。


面白いですよね。最初に書いたものが自分の好きなものではなくて、『ワニ』が好きな人のために書いた物語なんて。


そこから、私は空想と、友達だった。

神様の存在も信じていたけれど、妖怪や妖精などは信じていなかった。けれども、死んだ顔も知らないおじいちゃんへ、毎日寝る前に今日あったことを寝る前に報告していた。

小さな頃からのお祈りは誰に教えられるわけでもなく、『こんばんは、おじいちゃん』からはじまり今日の出来事を心の中でベットにはいり話す。


顔も知らないし性格も知らない。

おじいちゃんがいたことだけは知っていた。


おじいちゃんは死んだから私のことは知らないだろう。

でも、おじいちゃんがいたことは私は知っていた。


だから、勝手にお空にいるであろうおじいちゃんには無線のように繋がっていると思ってた。

自分の声におじいちゃんからかえってくる言葉なんてない。

でも、私の声は届いていると。


私の隣にはいつも空想がいた。

当時の私の脳内がどうなっていたのか分からない。

私は一日中物語を想像し寝るまでに頭の中でお話を自分でつくり楽しみいつの間にか眠っていた。

それは想像が友達になってからは私の日常だった。

普通の人は寝る前に何を思って寝るのだろう?


私はおじいちゃんに今日の出来事を話、空想の世界でとびきり楽しんで就寝していた。


夜寝る前に母親に絵本など読んでもらったこともない。

好きな絵本や話があったわけでもない。


お話はきっとままごとのようなものだったのだろう。


昼間遊んだ延長戦のようなものだ。


私にとって目に見えない神様がいるということは、何処でも神様に話せるという事だ。


私は算数が出来ない。正確には問題文になると出来ない。

国語だけは出来た。だから、学校の先生は何故、国語の成績はいいのに、算数の問題文が理解できない疑問に思っていた。


一種の学習障害かなんかだと、自分では勝手におもってる。


計算問題は出来ても文章問題は解けなかった。


本当に謎である。


ただ、空想が友達の私は美術作品においてクラスメイトがやらないようなものを描きコンクールに入賞した。

想像力だけは良かったから。学んだ道具はその役割が終わってものちにいかされ役目は終わらなかった。


卒業式に渡される学生アルバム、名簿というんだっけ?

それも、全校生徒の中から1名しか選ばれないのに、私の作品が選ばれた。

その為、書き直しさらに良くしたものを提出した。

宇宙に住んでいる兎を描いた。

宇宙は綺麗だし、フワフワの兎が人間のように服を着て立派な建物にたたずんでいる。

選ばれた理由は多分うさぎの目を、美術の先生はきにいったんだと思う。

最初に描いたうさぎの目はまるで、宇宙のように真っ黒で、私からしたら遊びでそうしたものは『不気味』でしかなく、ただ、美術の先生は普通の兎の目にしなかった事に評価をしたんだと思う。

美術の先生が言った言葉は『うさぎの目白くしちゃったんだね。前の黒いのも良かったのに。』

だった。私は普通の兎の目を提出した。

これが『普通』の兎の目だったから。


面白いことに翌年、妹も卒業アルバムの表紙をかざることになる。姉妹揃っての表紙を飾るなんて今にして思えばすごいことだろう。6クラスある中で選ばれたのだから。


私が想像の世界のものを描いたのにたいし、妹は躍動感あふれる中学生の子が元気にとんでいる絵を書いた。


精密さはなくダイナミックに。


1人の中学生がおもいきり翔んでいる絵を。

中学生らしい表紙だと思う。


私のように幻想的ではなく、むしろ私の作品は表紙には相応しくないと正直思っている。まるで私の場合は絵本の表紙みたいだ。


でも、私の中で空想の世界は他人から見て美しいものだった。

本人はその価値はわからない。『色の魔術師だね』と、言われるくらい同じ青でも、水色、群青色、ともかく、あらゆる青をつかい絵を描いた。色の魔術師なだけで画力があるわけではない。私は計算が出来ない。つまりパースがとれないのだ。

絵は計算である。私は計算の必要なイラストは書けない。


色だけは淡く美しく評価される点は『色』と、美術においては物語性が感じられるもの。


なので、美術において点数はよかった。

淡い色のなかに何色も存在する無数の色。


誰かが脱ぎ捨てたのか、捨てたのか、忘れたのか、ひとつしか中庭に落ちていない靴。

靴は普通は2足揃って靴の役割をはたす。


私は意図的に1個しか描かなかった。一個しかない靴は青春のような甘酸っぱさを感じた。残りの1足は何処へ行ったのか。

見てくれた人は何を思うのか。



そんな絵を美術の時は書いた。


私は計算が出来ないから、頭を使う作品となるともう分からない。それでも、作品は不思議と仕上がり高得点をもらえた。

計算が出来ないからこそ、想像で補うことしか出来なかったんだろうね。多分。それが不思議な評価をもらえただけ。



中学生にはいると、私は男と女として、区別されていくことに、心がついていかなかった。


私は子供だった。今の子供のように成熟してなく心は男でも女でもなく、まわりも、私は私として接してくれた。


だから、私は『女』として中学にあがると自分の性別についていけなくなった。高校は制服がズボンのところがいいと無邪気に言っていたくらいだ。


中学2年生か3年生になると大学生の方と知り合う機会を得た。大学生は漫画を書いていて、私もそれに混じることが出来た。

彼らが描く漫画に自分の漫画を見てもらえる機会。

中学生が大学生と漫画を書いてたなんて不思議だけど、知り合いの大学生が『俺の学校の子が君の物語のファンなんだ』と、教えてくれた時はとても嬉しかった。中学生が描いたものが大学生の心に残るなんて、なんて光栄な事なんだろう。


多感期なこの頃、私にとって漫画は『幸福』とは『生死』とは。常にシリアスで、私の中はこの頃テーマが決まっていた。

それ故に創作能力がおちることはなく、友人に同人漫画描くからネーム描いてと言われたら次の日にはすぐに渡せた。その事に友人はとても、驚いていた。私にとって同人漫画は元があるのだから、キャラクターの心情を深く掘り下げてネームを描くことなど簡単でキャラクターの苦悩を書けばよかった。


高校生になると、常に小説を書いていた。授業中も関係なく、また、演劇脚本、1時間のものを一日で書いて提出していた。


この頃が全盛期であり、私は空想の世界と『生死』『幻想的』『狂気的』なものを身近にいつも感じていた。

感じていることを物語にするのは苦痛じゃないだろう。


だって、リアルだから。


私の時代は簡単に人が死ぬ映像、本物を見ることができた。わざわざそれを借りて交通事故の現場とかそういうものを集めた実際におこったものを見ていた。今となっては当時の心境は理解できないが何故そんなものを理由もなく平気でみていたのかも分からない。『理由がない』のにわざわざ見ていたのだ。


そして一方では銀河鉄道の夜のような美しい幻想の世界の中にもいた。幻想、狂気、現実。


高校2年生の頃になって、演劇に特化した有名な先生が赴任し顧問となった。その時、私の脚本でやることが決まっており、演劇の顧問の先生は私の脚本を受け取ると見る前から嫌な顔をして拒絶していた。いやいやとページをめくり、次から次へと読んでいき読み終わった後に一言こう言った。『これでいこう。』と。その時に部員の私に対する評価がかわった。

部員にとって私はあくまでも『平凡』な脚本家であり、『普通』の人が、顧問に認められたことにより『評価』がかわった。この時、『気持ち悪さ』をかんじた。


ああ、人間ってこんな簡単に手のひら返すんだ。

私の脚本をなんも思ってない人が、いきなり賞賛しだす気持ち悪さ。そんな言葉なんて望んでいない。


認められないものは認めなくていいじゃないか。

それが本当の『好きなもの』に対する自分への正当な評価じゃないか!!顧問に認められたら、その評価はかわるのか?

それは間違いだ。嫌いなものは嫌いでいいんだよ。


演劇脚本というものは、やりたいからこそやりたい役を脚本を吟味するんじゃないか!!


だから、私は銀河鉄道の夜だけは主役を譲らなかった!!大好きな作品だからこそ主人公は譲れない。大好きな脚本だからこそ、諦めないで部員を説得して銀河鉄道の夜をやれることになった。この喜びは、自分で書いた作品より大切なものだ。


主人公ができてたまらなく嬉しい。最高の瞬間だった。

そのかわり部員が恋愛ものをやりたいんだ。と言った時恋愛ものに興味がない私は演者を、拒否し一転して裏方になり照明役をした。


演劇部で譲らない銀河鉄道の夜の主人公を演じながらも、一方では裏方に平気でまわれる。そんな人物だった。

やりたくないものはやらない人だった。


うちの高校はかけもちがOKなので、私は演劇部と漫研と美術部にはいってた。美術部は油絵とか先輩が残したものがあるので、ぐちゃぐちゃに描いて遊んでた。絵の才能はなかった。

私はパースがかけないので、精密なものは表現できない。

そして精密なものに興味がなかった。

専門学校で初めてデッサンをしり、ミリ単位のものを描くことを知った。ミリ単位でデッサンって描くものなのか!!と驚愕した。ロゴも実物を模写したように描かねばならない。高校の美術では何故教えてくれなかったのだろう?謎である。

しかしデッサンのおかげで私は物の描き方を学べた。それから絵の描き方も。あー、専門学校になると、将来技術がいかに早く低コストでできるかが将来の仕事に繋がるため、好きな絵をいかに効率よくはやく出来るかが、必要なんだなと学んだ。

3Dだと半分しか作成せず残りの半分は反転してつかうから、片側だけ出来てればいいの。両方律儀に作らなくていいの。イラストも片側しか書かないそれで左右対称の真正面のイラストが出来るから。両方律儀にかかない。


専門学校は、はっきり言って先生より生徒の方が優秀で、プログラマーとか、イラストレーターとか3Dとか、専門学校にはいってから学ぶ人は専門就職は難しい。もうみんな、プロ並みの化け物が集まってるわけで、素人が専門学校で学びたいと言ってる奴は甘い。生徒たちは好きだからこそ既にその道のプロフェッショナルとなっていて、先生が答えられないものに生徒がかわりに答えることも多かった。ちなみに私の行った専門学校は名前を聞けば誰もが知ってるところである。専門学校の名誉のために名前ださないけど、学校の先生より生徒のレベルが高いのが現状であり生徒より出来ないのが先生ね。

あっ?これどーやんの?って質問しても答えられないんだから。技術の世界って難しいよね( ̄▽ ̄;)


専門学校では、当然なんだけど、作品を作るために『コンセプト』が求められた。私はここで初めて壁にぶちあたった。

『コンセプト』など、自分の作品にはないからだ。


私の人生は『コンセプト』などなく、当たり前に自分の中にある価値観で書いたものが評価されてきた。

『コンセプト』というものがなくても、『評価』されてきた。


私は『コンセプト』というものに、深い抵抗感を覚えた。私の性格を察して欲しい。やりたくないものはやらないで生きてきた。それは作品名につけるほど『拒否』した。


例えばロゴを作る時もミリ単位で何故この単位にしたのか、何故このカラーにしたのか、全てに意味を求められた。


『意味』などない。だけど全てに『意味』を求められる。美しいロゴに意味なんかいるか?コーヒーで売ってるスタバのロゴは『海の怪物』だよ。コーヒーと関係ない緑色だよ海の怪物のロゴをみんな持ってオシャレにスタバの飲み物をInstagramにあげてんだよ。LAWSONのロゴは牛乳だよ。コンビニじゃん。(始まりが牛乳屋さんだから)意味いる?


人がスタバのように、意味もなくおしゃれだと思って手にとれるものが最高の作品じゃないか。そこにコンセプトがあったら作品の幅がせばまるよね!!


私は第1線で活躍する人たちのロゴの本を買いまくった。そこには、ただただ、美しく思わず手に取りたくなるような作品しかなかった。コンセプト?カラー?そんなものにとらわれず、思わず人が美しいと思えるものしかなかった。


その作品集は本当に素敵だった。

先生のいうコンセプトが陳腐で、馬鹿みたいな作品しかできない。例えば私の言う好きなロゴと言えば、赤文字4文字のユニクロ、日清カップヌードルの赤いロゴ。どちらも、逞しく愛嬌があって無駄がない。


致命的だったのは、先生との相性がめちゃくちゃ悪かったことである。その先生はユニクロのロゴやカップヌードルのロゴが好きではなく、可愛い子には採点が甘く口上手な人だとおkする、いわゆる差別する先生で有名だった。これは先輩からも忠告されていたけど、私ともあわなかった。


ほかの先生に思い悩んで作品とコンセプトを説明するとOKを貰えるのにその先生だと否定される。謎だよね!!


そして、好きでもない色でロゴを作らされることになる。好きでもない色でどうやれと?!指定された色は緑だった。緑のスープ屋さん。あっ?もう無理。みんな。緑のロゴみたら木しかうかばないよね。スーモしかうかばないよね。スープで緑って何?難易度高くない?第一線で売れてるスープストックなんてスープ屋さんだけどロゴの色黒だよ。何十作品つくって全部否定されるからね。先生の実力ためすために、わざと売れてるものをそっくりコピーして見せた一流作品も否定してたから、あっ、この人無理ってなった。プロの先生より遥かに上にいる第1線で活躍している人のを先生の感性を知るために、あえて、何も言わず見せたのよ。それも全否定してたから、先生の感性、先生の気に入るものを作るためにいるんだなって、もう無理じゃん。だって感性があわないんだもん。その癖お気に入りの子はコンセプトが曖昧でも『えー、先生これでOKしてよぉー』の一言で『コンセプトが曖昧でもOK』と言う。嫌いな生徒には採点が厳しく点数を低くつける先生だったけど嫌いな生徒の方が実力上で一流企業に就職したわ。点数低いんだよ。先生の感性にあわないから。それでも、点数の低いその子は先生がいた企業より有名な一流企業に就職した。そもそも、先生が嫌った生徒のほとんどが一流企業に就職した。そんで賞もとってるわけよ。スカイツリーの絵葉書になったりね。先生が否定した子達が今の世の中に必要とされてるわけ。

学校名ださないよ!!だから、自我を、貫くことも大切だよー。私は一方の先生とは相性がよく、この先生とはあわなかった。生徒達が認めてくれて一流企業に就職した実力ある先輩達からもおkもらっても、その先生からは永遠にロゴのおkがおりず、最終的に皆でなんでおk貰えないの?っていろんな人をまきこんで首をかしげることとなった。


むしろ、なんで『駄目』なのか先生1人とクラスメイト達、ほかの先生、先輩達多数から認められるものが、たった1人に否定されると先生の感性がおかしいんだ。ってなるよね。


実際におかしかったんだけど。

(先生が否定した生徒は全員一流企業に内定もらった。先生にボロクソに言われた生徒がコンペで優勝。)


否定された私は優秀だったのかと言えば優秀じゃないよ。

でもね、世の中もういろんなプロがかいた作品集があって、感銘をうけた作品が溢れるほどあって、一流の人たちに影響をうけて作ったものが駄目なら、何を参考にしろと?

ミリ単位まで、計算したロゴの何に不満が?どんだけロゴの勉強を、自分でしたと思ってんねん。ってなるよね。最終的に期限に間に合わなくて先生がつくったものになったね。

うん。もうコンセプトとかわかんないよ。

わかんないから、発表会でしんだ。コンセプト説明出来なくて。


なんかね、勉強は大好きだし学校はめちゃくちゃ楽しかった。クラスメイトはみんな3ヶ国語喋れるくらい優秀だしグローバルだし、天才がうようよいて、その中にいれたことはもう人生でめちゃくちゃ良い勉強になった。最高の時間だった。


でも、この道はむいてないってわかったから、進むことはしなかった。世の中全てのものが『情報』なんだよね。駅の看板も標識も至る所に貼ってあるポスターも本も。


全てが情報だから、それを見て毎日観察してた。あの余白は何センチ、色はこの色にしたのか。本のCMのしかた。


世の中、全部が計算でできてるとおもうと、それもまた『気持ち悪くて』私は意味のないものに、執着することになる。


意味のないものは存在してはいけないのか?




意味は作り手ではなく、見た人がきめる。

それがその『作品』にとっての意味。



これが、私のだした答えです。


ロゴというものは、侮れなくてロゴで企業の売上がかわるため、ユニクロの初期のロゴ見てみ?ださいから。今のロゴ最高だよ。スタバもロゴを少しずつ時代にあわせてかえてる。


つまり、ロゴは変化しててってるの。

売れない企業ほど、ロゴをかえまくってる。モスバーガーもかえてるし、ほとんどの企業は時代にあわせてかえてるんだよ。


それほど、ロゴの威力はすごいんだよ。ユニクロって文字だよ。文字がロゴなんだよ。すごいよね。あの文字になんのコンセプトがあんの?教えてくれよ。文字じゃん。でも、めちゃくちゃ素敵なロゴだよね!


売れるためのロゴを作るのが仕事じゃん。実績じゃん。


コンセプトがあるのは強みだ。それは説得力だ。だが、ロゴに説得力は要らない。オシャレだからだ。


人が思わず手に取りたくなるような作品でなければ意味がない。

スタバのようにコーヒーに意味のないロゴでも人がオシャレだと思えるものを価値を感じるものを作るのがプロだろ。


これは、ロゴの世界であって、これが小説とか、企業理念とかになったら話は違うよ!


イラストで小説の売上が変わるように見た目で売れるものを作るのが仕事。


そこに鬱陶しい基準とかいらないんだわ。


大概、先生なんてもう、感性がおくれている人達なんだから。

有名な専門学校にいったけど、ガチで先生に否定されている子が一流企業で全員内定もらってるからね。


専門学校はあまり意味が無いと思う。ガチのエリート達は先生に教わらなくても出来るのよ。

先生と感性があわないから、先生の評価はクソ悪いけど企業にとっては期待の新人なんだよね。

専門学校はいるなら、先生に教わらなくてもできるレベルの人じゃないとキツいね。


後、生徒の受賞歴を見てみて。有名でも受賞歴がないとこあるんよ。受賞歴がある学校は桁違いに受賞しているから先生のレベルが高い。


コンテストで1位をとった人の発言。

「制作時間はどうでしたか?ここまで作るのは大変だと思ったのですが。」

生徒

「いや、とても適当につくったので制作時間短いですね。特に苦労してないです。」

つえええてええええええ!!!


ちなみに、同級生は在学中に有名なユニクロのコンテストに受賞しており普通に売られている。

よく、街中でもテックトックでも、ライバーさんが友達のつくったデザインを着ていると不思議な気分になる。


その子も「適当につくったら受かった!」

程度である。


また、東京スカイツリーのポストカードのコンテストで製品化した友人のコメント。

「なんでこれが受賞した?」


つええええええええ。


勿論、全員、先生にあー、こんなんじゃダメだよ。評価を受けていた子達が軒並みに受賞である。


これ、先生のセンスだと、企業に受からんやん!!ってなるよね。


専門学校はマジで要領だよ。

先生はなにかと、コンセプトを、求めてくるけどシカトして自分の好きを極めた方が強い。


後、受賞歴は絶対に確認した方がいい。


先生のレベルがわかるから。

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[良い点] 芸大、美大には変わった人が多いですが、「どういう尖り方をしたら」変わってると言われる様になるのか、その一端をしれた気がします。 演劇のくだりで出てきた、「嫌いなものはしない」という我は、…
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