〇第八話 潮騒の夜に浸みる影・後編
―かつて、ウィンデリア首都を震撼させた二つの裏組織があった。
"闇を辷る黒"と"紫紺の渦"。
これら二つの裏組織は今はなく、その実力者だった二人は今、様々な理由で公僕として働いている。
しかし、時が経てども影は時の渦に融けることなく。
消えたかに見えた影が、再びその色を濃くしてゆく―
-1-
日はまだ高い午後。ナッシュは町の青果市場に来ていた。
この町で主にやりとりされるのはスワンプリムで採れた沼魚だが、気温が高く湿潤な気候で生まれる特有の野菜、果物も多く運ばれ市場を賑わしている。
「バナナー!バナナが安いよー!」
「日の光をたっぷり浴びて真っ赤に実ったアセロラ!今が食べごろですよー!」
「ほらお客さん見てってよ!この大きなパイナップルをさあ!」
市場には所せましと果物、野菜が並び、青果店の主人や売り子が大声で客を呼び込んでいる。
そんな中をナッシュは特にあてもなくうろついていた。
目的は勿論市場の声を拾うためである。
…最近は早く来ないと、野菜が売り切れてることもあるのよね。
…スワンプリムやフォレリアからの買い付け量を増やさないと。今ならあるだけ売れるぞ。
(魚屋と同じ、ここも大層儲かってンなァ。)
噂を聞きつつ果物などを見ていると、気になる話を耳に挟んだ。
「全くあいつらときたら…!仕事がなくなってもいいのか…!」
「ともかく、急いで船を移動させなければ、本当に仕事が…。」
話をしているのは二人の船乗りだ。壮年の男性と眼鏡をかけた女性。
二人ともセーラー服を纏い、双方とも太陽に焼かれた小麦色の肌がまぶしい。
ナッシュは物陰に隠れ、ほくそ笑む。
(アレならいい話が聞けるかもなァ。)
意識を集中し始める。彼の体が紫色に一瞬輝く。
『恐れを捨てよ。汝は友。心の緊を解き、胸襟を開け。』
『―【警戒解除】。』
詠唱が終わり、先の二人の船乗りが一瞬淡い光で包まれた。
彼らはそれに気づく由もなく、変わらず話を続けている。
そんな彼らに、ナッシュは気さくに話しかけた。
「よォ、お二人さン。」
「あら、いかがいたしましたか?」
「エラい景気の悪そうな話をしてたじゃねェか。ちょっとその辺詳しく話を聞かせてくれやしねェか?」
「おお、聞いてくれますか、わが社の悩みを。なんか悪いですなあ。」
「いいンだよ、オレとアンタらの仲じゃねェか。もしかしたら、何か力になれるかもしれねェぜ?」
二人とナッシュは確かに初対面であるのだが、まるで腹を割って話せる友のように話し出す。
普通ならば警戒心が前面に出るはずが、微塵も感じない。
「いやあ、それがねえ。あたしらはスワンプリムとここを行き来して、主に果物を運んでいるんですがね、最近雇った水夫が月一~二のペースでこぞって休むもんで困っとるんです。」
「ここ最近のジャスピリの内需拡大は凄まじく、いつもの運搬量では首都への出荷に影響が出始めているほどなんです。だから、少しでも埋め合わせるために回数を増やしたいのですが、水夫がまとめて休まれると船が出せず…。」
「おゥおゥ、それはメンドくせェことになってンなァ。」
壮年の男性が、ふーっと息を吐く。
「全く困ったもんですよ。何をしているのか、と聞いても答えようとしませんし。揃いも揃って同じものだから、かえって不気味なくらいですよ。」
「能力はとても優秀なので安易にクビにもできず…。せめてもう少し融通を効かせてくれると助かるのですが…。」
「困ったモンだなァ。そいつらは決まった日に休むンかい?決まってるなら、それに合わせて航行スケジュールを組みゃいいと思うが。」
眼鏡の女性がかぶりを振る。
「決まっていないので困るのです。航行中に急に休むということはしないのですが、町に帰ってきて次の航行予定は―と話すと、あ、その日程は用事があるので出られません、と急に。」
「せめて前もって話しておいてくれればこちらも合わせられるんですが、あやつらは急に言い出すんです。次からは前もって言っておくようにと言っても、町に着いてからでなければわかりません、ばかりで。」
困ったもんです、と小さく憤慨する壮年の男性。眼鏡の女性も、先ほどからため息が止まらない。
「苦労してんねェ。肝心な時に動かねェ部下をもつと大変だわな。ちなみにそいつらは、次いつ休むって行ったんだい?」
「明日です。外せない用事があるからと、いつもの調子ですよ。」
「なンだい、明日だけダメなら、明後日とかにすりゃいいンじゃねェのか?」
「それができないので苦労しているのです。今ジャスピリは空前の海運ブームで、寄港する船の量が倍以上に増えていて、事前に停泊しておく日程を役所に届けなければいけない決まりになっています。違反すると割高な停泊料と、反則点数が加算されてしまうんです。」
「反則点数は三か月ごとにゼロになるんですが、ウチはもう次で四回目になります。次違反すると、船を取り上げられちまうんですよ。」
「オイオイオイ、そりゃア穏やかじゃねェな。そいつらはそれを承知で休むなンて言ってンのかィ?ふざけた野郎だなァ。」
ナッシュも二人と一緒になって怒っている。
「全くですよ。『仕事がなくなるなら次の仕事を探しますので。』とまで言うのが出る始末で。」
「幸い、全員ではなく半数ほどは残っていますが、それでも用事を取り下げることはできないと…。」
「困ったモンだねェ。そいつらは今どこにいるんだい?」
「西側のクリウハイムという集合住宅ですよ。最近雇ったウチの水夫は、皆そこに部屋を借りてます。」
「クリウハイムだなァ。わかった、ありがとよォ。」
「何をされるおつもりなんですか?」
「なァに、ここで会ったのもなンかの縁だ。ちょいとおたくらの力になれりゃアと思ってよ。そいつらが休む理由がわかりゃ、今後スケジュールで悩むこたァなくなるだろ?」
「それは確かに。もしわかるようであれば、お願いします。」
船乗り二人に見送られ、ナッシュはひらひらと手で彼らの見送りに答えつつ、その場を後にした。
―彼ら二人が今後もこのやり取りに疑問を抱くことはない。
自身に対する警戒心を簡単に解いてしまい、自分の意思で何でも話してしまうのが【警戒解除】の恐ろしいところである。
ところ変わって、ナッシュはクリウハイム前に来ていた。
見た目はいたって普通の二階建てアパートで、一階には合計九部屋、二階には合計十部屋ある。
建物の真ん中を共用廊下が貫いているタイプの様式だ。
ナッシュは一〇六号室という部屋札と、クリフと表札が下がった部屋の前に来ていた。
事前に外からこの部屋の様子を探り、中に住人がおり、セーラー服が干されていることを確認している。
「すいませーン、クリフさーン、お届けものでェーす。中身を確認して頂きたいンですがァー。」
部屋の中から「ああ、配達?何か頼んでたかな…。」という声と共に、玄関に向かってくる足音が聞こえる。
その音を聞くや否や、ナッシュは静かに意識を集中し、詠唱を始めた。体が紫色に光る。
『汝の眼前の脅威を見よ。恐れよ、息を止めよ。声を上げれば、その喉笛が飛ぶだろう。』
「何も頼んでないと思うんですけどー…人違いじゃ…!?」
家人が不用意にも扉を開けてしまう。出てきたのは茶髪に健康的な肌焼けが眩しい、二十代前半と思われる青年だ。
ナッシュと目があった次の瞬間。
『―【失声】。』
「…!? !?!?!?」
声を奪う魔法によって、驚くも声が出ず、更にパニックになる青年。
ナッシュはその様子に目もくれず、慣れた様子で音も立てずにそのまま一〇六号室へと押し入った。
「さァて、安心しな。暴れたり大声上げたりしなけりゃ、命までは取らねェよ。ま、十分くらいは声も出せねェだろうがなァ。」
ナッシュは青年を奥の部屋に連れ込み、手足と足首だけを縛って部屋の奥に転がし、そのまま青年の頭を片手で掴む。
「このまま部屋を探ってもいいんだが、まァまずは手っ取り早く情報を頂いちまうのが先だ。ってわけで、アンタの頭ン中、ちィとばかし覗かせてもらうぜェ。」
ナッシュはその体勢のまま、意識を集中し詠唱を始める。
『暴け、晒せ、秘密の蔵。鍵はここにあり。我に秘する事敵わず。我に黙する事敵わず。晒せ、暴け、開け放て。そこに最早扉は無い。』
『―【開け、記憶の蔵】。』
詠唱が完了すると同時に、ナッシュは青年の記憶に潜り込み、記憶捜査を始めた。
「―!? !!!!!!!!!! !?!?!?!?」
記憶の捜査が始まると同時に、青年の顔が苦痛と恐怖、不快感に歪む。
…「…休むだと!?お前、明日には出航しなければならないんだぞ!?」
…「…船長、怒ってたな。」「まあ当然だろうな。だが、俺達もその日を外すわけにはいかないだろう?」
…「ああ、明日は決起の日だからな。フリクェル様がおっしゃっていた。」
…「北からも同士が集まってきているらしい。合わせて攻めれば、首都ウィンデリアだってひとたまりもないはずだ。」
…「俺達は日の目を浴びない者達の怒りだ。今のウィンデリア政府を倒し、真の自由の国を。」
…「夜に浸みる影は消えない。」
(へっへェ。つい最近の記憶だけでも、お宝の山じゃねェか。こりゃ楽でイイ。)
首都の襲撃予定、北からも敵が来ている事、夜に浸みる影というワードを拾い、ナッシュは記憶捜査を取りやめた。
記憶捜査は対象にも強烈な精神負担を強いる。
並みの人間なら三分、以下に強靭な精神力の持ち主でも五分続けて受け続けると記憶と意識が悉く断絶されてしまい、廃人になってしまう。
(オレとしちゃ、コイツが廃人になろうが知ったこっちゃねェが。アイツが許さねェだろうし、コイツには無事に明日の集会に出てもらわなきゃいけねェからなァ。)
ナッシュは青年の頭から手を離す。
青年は何が起きたのかわからないといった、恐怖いっぱいの目でナッシュを見ている。
「イイ顔するねェ兄ちゃン。だが一応この国じゃア、国に刃向かったら重罪なンだぜ?悪ィことすンなら、罰を受けるくらいは覚悟しねェとなァ?」
「だが、オレは少しばかり優しいんでねェ。特別に、兄ちゃンが今感じてる恐怖ってヤツを忘れさせてやるよ。オレに会った記憶もひっくるめてよォ。」
そう言うと、ナッシュは青年に手をかざし、再び意識を集中し詠唱を開始する。
『眠れ、汝が見たものは幻。逃げよ、眼前の恐怖から。汝を咎めるものはなし。艱難を退け、安寧の夢に身を委ねよ。忘却の彼方に其を投げ入れるは、生者の証。』
『―【斃れた兵に、一時の夢を】。』
詠唱完了と同時に青年が紫の光に包まれる。
光が消えた時、それまで恐怖に引きつり泡を吹きかけていた青年は、糸が切れたようにぱたりとその場に倒れ込んでしまった。
【斃れた兵に、一時の夢を】。
強烈な恐怖を植え付け、精神的防衛反応によってショック性の気絶、および限局的な記憶喪失を引き起こす魔法である。
およそ十分前後の時間の記憶を失くすため、この青年が目覚めた時にはナッシュに声を奪われ、記憶を垣間見られたことは覚えていない。
ナッシュは青年の手首と足首の縛を解くと
「さァて、一応物証も抑えておかねェとな。そンな大きくねェ部屋だし、探しゃアひとつくらいは…。」
部屋の中を物色するナッシュ。すると、衣服を仕舞う箱の中から小さな紙きれを見つけた。
そこには小さく「〇〇日(現時点での翌日)に収集あり。」とだけ書かれており、裏面には月と歩く人型の判が押されている。
「こりゃア、"夜浸みる影"の意匠かァ?一応盗っておくかァ。」
そういって紙きれを仕舞い捜索跡を元に戻すと、ナッシュは何事もなかったかのように青年の部屋を後にした。
-2-
一方その頃。ルシエは崖の上にあるジャスピリ町長の邸宅までやってきていた。
敷地は3mほどの石塀と鉄柵で覆われているようで、正面入り口と思しき豪奢な造りの門がある。
門は大きめの車が通れるほどの大きさがあり、門衛は配されていない。
(まずは中の様子を見ないとね。)
ルシエは意識を集中し体を透明化させると、塀と柵を器用によじのぼっていく。そして柵の上に飛び乗り、敷地の内側を見渡す。
門を抜けて以降は広い前庭があり、植え込みや花壇、人工と思われる池などがゆったりとしていて、それでいて整然と配置されている。
それらは全て綺麗に整えられており、庭師と思しき人間や、メイド服を着た女性、執事服を着た男性などが数名それらの世話をしている様子がうかがえる。
前庭には樹も植えられており、勿論綺麗に整えられている。
この樹が圧迫感を感じさせず、かつ門からでは絶妙に邸宅が見えづらい感覚で配置されており、鉄柵の上から様子を見ようとしても邸宅の様子がわからない。
(絶妙だわ、この庭を設計した人は大したものね。もう少し中に入るか。)
音を立てないように庭へ飛び下り、音を立てないように、かつ前庭にいる使用人達の視界に入らないように動きつつ、更に中へと動いていく。
消えているのですぐに見つかる心配はないのだが、光の屈折を操作していることで稀に常人の視界でも違和感を感じさせてしまうことがあるためだ。
何事も用心が肝心である。
樹々を抜けると一気に視界が開け、町長の邸宅が見えてきた。
まず正面から見えるのは玄関のある横長の建物。三階建てと思われ、奥行きもそこそこある。
次いで左手に同じく三階建ての大きな建物。奥行きも幅もかなりある。
また、それらの建物の左奥の敷地には、二階建てと思われる離れがある。
建物のつくりはジャスピリの様式に則っており、壁は白無垢で凹凸が少ないように見える。屋根の色は、見える範囲では赤色に統一されているようだ。
そして玄関扉の前には、頭に小さな王冠らしきものを乗せた、ずんぐりむっくりした体で嘴をもつ、鳥のような何かが直立した石像が左右に配されている。
(…何アレ、ペンギン?)
寒冷地に生息する、飛べずに泳ぐことができる鳥類である。スノンベールで生息が確認されている。
当然だがジャスピリにはいない。町長がペンギン趣味なのだろうか?
(まあ気にしても仕方ないわね。まずは様子を探りましょう。)
ルシエはまず敷地内を歩き、邸宅のつくりを確認するところから始めた。
玄関のある建物は三階建ててあり、一階に窓がなく、二階と三階には窓がある。
二階の窓は閉じられ、三階にはバルコニーがあり、窓は向かって左側の部屋のものが空いていた。おそらく居住スペースだろう。
玄関の建物の向かって左の建物も、居住スペース兼リビングであると思われる。
こちらは広さ、奥行きともにかなりあり、一階と三階に窓がある。一階の窓は外側の中央付近に、三階の窓は外側の左右両方にあり、こちらもバルコニーが設えられている。
(…話し声?)
開け放たれた窓から人の話し声が聞こえてくる。男性と女性が話しているようだ。
ルシエは消えたまま窓の傍に張り付き、中の様子を探る。恰幅のいい男性と品のよさそうな壮年の女性、そして噴水公園で見たハーピィの女性が談笑している。
(町長のクロゥレル氏と…あれはご子息かしら。)
「式の準備は順調かね。」
「はい、おかげさまで。海が見える神殿で挙式だなんて、一生の思い出になりそうですわ。」
「ええ、あの神殿はいいわよ。私もこの人と結婚した時は―」
(会話の内容自体はただの世間話ね。この家そのものが黒幕か、操られてるという線はないかしら…。)
ルシエはちょっとだけ窓をのぞき込み、少し意識を集中してみた。
モニカが以前やったように、対象が紫魔法の影響下にある場合、習熟があれば意識を集中することでその魔法の看破が可能である。だが
(…ダメか、わかんないわ。モニカか、ナッシュならわかるのかもしれないけど。)
ルシエは紫魔法をほぼ修めていないので、よくわからないという結果となった。
(この窓から入るという手もあるけど、感づかれる可能性があるからダメね。別な場所を探しましょう。)
ルシエはこの窓から入ることは諦め、邸宅を時計回りに回ってみる事にした。
結果、玄関のある建物の奥には一階が浴場、二階に使用人達の部屋と思しき二階建ての建物が、玄関のある建物の右手奥側にはキッチンとダイニングルームと思われる一階建ての建物があった。
一階はすべての建物が廊下でつながっているが、二階は食堂以外の建物が廊下で繋がっており、三階は最初の二棟だけ廊下で繋がっている、という感じだ。
今、ルシエはダイニングルームのある建物に来ている。こちらも同じく一階の窓がいくらか空いている。
キッチンスペースと思われる場所からは煙突が伸びており、煙突から煙が吐き出されているため、使用人が料理をしている可能性が高い。
(ここが空いてなかったら使用人達の目を盗んで玄関から入るしかないけど…。)
ルシエは慎重に開かれた窓から中の様子を探る。ダイニングルームには見たところ人がいる気配がしない。
右手側のキッチンスペースから調理の音がかすかに聞こえるが、すぐにこちらに来る気配は感じない。
(これなら入れるかな…よいしょっと。)
ルシエは靴を脱ぎ、窓から邸宅の中に侵入した。
ダイニングルームには豪奢で広々としたテーブルが陣取り、全部で十人分の椅子が収められている。
右手はキッチンになっており、壁には綺麗な食器や額に飾られた絵画がかけられている。
ダイニングルームは木製の衝立で一部を遮られており、そのまま左手と右手の廊下に繋がっている。
そして入ってきた窓と反対側の壁にはガラス製の扉があり、中庭が見えている。
(中にもお庭があるとは豪勢なこと。―玄関の方と、右手の廊下に人の気配か。中庭の扉は…開いてるわね。)
ルシエは靴についた草や砂を払い手に持ったまま、一旦衝立の傍で人の気配の様子を探る。
(左手の人影は…多分掃除中ね。右手は…何やら話しているみたい。どれどれ…。)
ルシエは話し声のする方の衝立に移動し、耳をそばだてて話を聞いてみる事にした。
「フリクェル様がこの間夜に中庭に向かってるのをみたんだけど、あなたも見た?」
「ええ、見たことあるわ。何されてるんですか?って聞いても、笑って誤魔化すだけで教えてくれなかったけれど。」
「アイネなんてこの間、中庭にいたフリクェル様が、目を離した隙にいなくなってたって言ってたわ。」
「坊ちゃまの婚約相手だし、こういう噂は良くないってわかってるけど、怪しいわよね…。」
(なるほど…中庭に何かあるのね。あの洞窟の出口が、そこに繋がってるとかかしら。ちょっと調べてみましょう。)
ルシエは両方の人の気配がこちらには向いていないことを感じ取り、素早く中庭へ侵入した。
中庭には花壇と植木鉢の植物が周囲を飾っており、中央には石床が敷かれ、大きなペンギンの石像が鎮座している。
石床の四方には木製のベンチが置かれている。
(きっと町長か奥方がペンギン趣味なのね。)
ルシエはペンギンの石像に適当に納得すると、最小限の音で石床の様子を確認していく。
石床は一枚あたり1.5mほどとかなり大きい。もし隠し通路があるならここが一番わかりやすい。そして、その読みは正しかった。
(…この石床は何度か動かされた跡があるわね。それに…うん、明らかに先に空間がある。)
帰ってくる音の反響であたりをつけていく。実際に石床を外してみたいが
(…今はダメね。)
巨大ペンギン像に身を隠しつつ、中庭の造りを見て諦める。
この庭は町長の自慢らしく、浴場などがある建物以外からは全てガラス扉、或いは窓で中庭の様子を見る事ができるようになっている。
玄関側にはメイドが掃除に精を出しているし、リビングの方は未だ町長と夫人、ハーピィが談笑中だ。
こちらに意識が向いている気配を感じないとは言え、不用意に石床を動かせば感づかれる可能性がある。
(ここは最悪捨ておきましょう。一階の調査も…今は難しいわね。先に二階三階の調査をしたいところだけど、上への階段は…。)
そのまま、見える範囲で一階の様子を探る。
リビングのガラス扉は空いていないが、中庭側のガラス扉は全て普通のガラスで、こちらからも中の様子が見える。
(リビングの両脇に階段があるわね。意識が向いてなさそうだし、行けなくもないかもだけど…。)
ちらりと玄関側のガラス扉を見る。玄関側のガラス扉は開いているが、メイドが三人ほど掃除している。
あれだけいると、例え透明であったとしても感づかれる可能性があり、玄関から行くことはできない。
(…二階のこちら側に使用人用らしき部屋があって、一階がお風呂、その隣がキッチンなら…使用人の部屋側にも階段がないと不便じゃないかしら?)
ある程度の予想を立て、ルシエは再びダイニング側のガラス扉から中の様子を伺う。
すると先ほど聞こえていた話し声が、より奥の方…キッチンから聞こえてきていることがわかった。
念のため、中に入る前に顔だけ中に入れ、様子を探る。
(…やり。この構造なら消えてなくてもいけるわ。)
ダイニングから伸びていた廊下は、途中でキッチンに繋がる方向と、浴場に繋がる方向に分かれている。
声はキッチンから聞こえてきており、浴場方面にもわずかに人の気配を感じる。
ルシエは手早く、慎重に靴を脱ぎ草を落とすと、足音を立てずに素早く中へ入り、そのまま浴場の方向へと廊下を進んでいく。
通路の先にあったのはトイレ、脱衣所、そしてその奥の浴場であった。
浴場はただいま清掃中のようであり、中庭から感じた人の気配はこれだろう。
真面目に掃除しているようで、今のところ出てくる気配はない。そして
(やっぱり。ここにも階段があるわよね。)
二階へとつながる階段があった。この階段を上っていけば使用人達の部屋がある区画だろう。
リビングからも死角になっており、感づかれる心配はない。
ルシエは二階に人の気配がないことを確かめると靴を素体に戻し、そのまま足早に二階へ向けて進んでいった。
二階にあったのは使用人達の部屋と、客人用と思われる部屋だけだった。
念のため軽く探索はしたが、"夜浸みる影"と繋がりのある情報は得られなかった。
リビングのある建物にあった上階への階段で、ルシエは情報を求め更に上に上がっていく。
階段の先は廊下になっており、左右に扉がある。廊下は奥で右に折れるようになっており、玄関の建物の方角へ続いているものと思われる。
(さて…どこがあの女の部屋かしら…?)
向かって右側の部屋を開ける。無論、気配があるかなどの確認は事前に済ませている。
右側の部屋は書斎のようだ。壁の一面を本棚が覆っており、机などの家具も豪華さを感じさせる。
(はずれね、次。)
次いで左側の部屋を開ける。こちらは町長夫妻の寝室のようだ。ふかふかのダブルベッドが鎮座し、部屋の奥には衝立がある。
衝立の先は豪華な化粧台とクローゼットがある。
だがこの部屋で目を引くのは何といってもベッドの傍らに、そして化粧台の上にでんと居座っている大きなペンギンのぬいぐるみだろう。
(夫人がペンギン趣味なのね…。ともかく、ここでもないか。)
ルシエは部屋を後にし、廊下を進んで奥へと進んでいく。
奥へ進むと途中で左に曲がり、更に先へ進むと右手の手前側、奥側に一つずつ扉が現れた。
外から中の様子を探る限り、手前側の部屋には人の気配がせず、奥側にはある。
(リビングにご子息のような姿は見えなかったし…。ということは、こちらがあの女が使ってる部屋かしら。)
ルシエは音を立てないように、慎重に人の気配がしない方の部屋の扉を開ける。
やはり部屋の中に人はおらず、天蓋・レースカーテン付きの豪華なベッドと机や化粧台、クローゼットなどが静かに迎えるだけだった。
窓は開け放たれており、初夏の風が部屋に吹き込んできている。
(ご子息が女装趣味とかでもない限りは、多分あの女が使ってる部屋ね。どれどれ、何か残ってるかな…?)
そのまま静かに探索を始める。するとまず、机の引き出しの中、アクセサリが小さな仕切りで区切られた整理ボックスの中に牛の顔、孔雀の羽が意匠化されたバッジが入っていた。
(…忘れもしない…これはアインガリアの軍章…!…盗っていくのはダメね。写真を撮っておきましょう。)
ルシエは懐から携帯電話を取り出し、アインガリアの軍章を撮影する。
この電話も魔機だが、内臓のマナ電池を使用するため透明化は解除されない。
(さて、いつ彼女が戻ってくるかわからないし、手早く調査したらお暇しましょう。)
ルシエは外の様子に気を払いつつ、更に部屋を物色する。
が、漁っても特にめぼしい情報は見当たらない。
(早々証拠は残してないか…。仕方ない、軍章が見つかっただけでもよしとしましょう。)
探索跡を丁寧に元に戻し、まずは廊下の様子を探る。近づいてくる足音も、隣の部屋の住人が気付いた様子もない。
次いでバルコニーへ出て、外の様子を探る。入ってきたときと様子に大差はなく、この調子なら飛んで逃げても問題はなさそうだった。
(いつ見つかるかもわからないし、早く逃げるとしますか。―【飛行】。』
ルシエは小声で魔法をつぶやき、そのままバルコニーから町へ向かって飛び去っていった。
―その日の夜。
「―そう、その人の記憶にはそうあったのね?」
「あァ。挟撃作戦たァ、手の込んだことをしやがるよなァ。」
二人は互いの成果を報告し合っていた。
「今回の成果としては、悔しいけどアンタの方が一つ上等ね。やっぱり他人から直接情報を盗れるのはずるいわ。」
「へっへっへ。もし望むなら教えてやってもいいンだぜェ?」
「冗談、いらないわよ。」
へらへら笑うナッシュを軽くあしらう。
ともかく、これでこの町に"夜浸みる影"が潜伏している事、かのハーピィがその先導者でアインガリアと繋がりがある事、そして首都を襲撃する計画があることがわかった。
北からの部隊もある、という事は既にセルゲイに報告済みであり、首都では防衛作戦が練られていることだろう。
「ともかく、ますます"夜浸みる影"をそのままにしておくわけにはいかなくなったわね。明日の夜、彼らの集会に行って潰しましょう。」
「おお、怖ェ怖ェ。アイツらも気の毒なこったなァ。」
「仕方ないでしょう。テロリストを放置するなんて道は、少なくとも国にはないのだから。」
夜も更け、影が闇に交じる頃。
国を脅かす影と、その影を脅かす影が互いに交ろうとしていた。
-3-
翌日の夜。二人は再び崖下の砂浜まで来ていた。
ナッシュの姿は旅行者のままだが、ルシエはもしもの時に備え刀を佩き、鎧を着ている。スカートスタイルはそのままであるが。
あと十数mで海蝕洞に着く頃
『眠…ち…識…底…れ。沈…夢…底…』
「…聞こえてるし、見えてるわよ。」
岩陰に隠れ、こちらに魔法を使おうとしている人影があった。
ルシエはその人影―ローブを着た男性―に気づき、瞬時に距離を詰め片手で首を掴み上げる。
「がッ…グッ…!」
「もっとうまく隠れることね。さて…どうしようかしら、これ。ひと思いに殺してもよいのだけど。」
さらりと殺すと言い放ったルシエを見て男の顔が青ざめていく。
声をあげようにも首が絞められているため声も出せない。
「おォ怖ェ怖ェ。だがオレならこうするねェ。」
ナッシュはへらへら笑いながら意識を集中し始める。
『眠れ。堕ちよ、深き意識の水底へ。眠れ。沈め、深き夢の奥底へ。流れ落ちる滝の如く、現実から手を離してしまえ。』
『―【昏倒】。』
詠唱される魔法を聞いて何をされるか分かった男性は、次の瞬間まるで死んだように意識をなくし、眠り始めた。
「なるほど、意趣返しってところかしら。アンタにしては優しいんじゃない?」
「へっへっへ。まァ、殺しちまうよりも面白ェことはできるってこったなァ。」
昏倒した男を適当に砂浜に捨て、二人は海蝕洞に着き、中へ入っていく。
百数十m進んだ先には以前無かった灯りがついており、数にして30人ほどの人間が一様に同じ方向を向き、何かに聞き入っている。
それらの人々の視線の先には人々からフリクェルと呼ばれていた、あのハーピィの姿があった。
「―先日、各地の同志の頂点に立つエル様より、決起せよとの檄が発せられました。皆さん、遂に時が来たのです。各々の心に携えた自由の剣を抜き放ち、現体制を討ち倒す時が来たのです!」
おおおおおーーーーーーーー!!!と、フリクェルの演説に声を上げる"夜浸みる影"のメンバー達。
自由の国を!みんなが笑って暮らせる国を!と、口々に理想を声高に語り合っている。
「…思った以上にテロリズムしてるわね…。」
「へっへっへ、そうだなァ。よく今まで見つからなかったモンだ。」
距離にして三十mほど離れた位置から様子を伺う二人。
ルシエは予め用意していたビデオカメラ(もちろん魔機)で彼らの様子を録画している。
「さァて…ここはオレに任せてもらうぜ、ルシエさんよォ。」
「何をするつもり?みんなまとめて眠らせるとか?」
「それじゃアイツらは五体満足なままだろうが。かっつって、あの数を一気に相手すンのはオメェもちとキツいンじゃねェか?」
ルシエはメンバー達を見つつ
「まあ…そうね。斬りかかれば暴徒と化しそうだし、逃げ場もほとんどないから、思わぬ苦戦を強いられるかも。」
「だろォ?だから、オメェには手を出させねェで、オレがアイツらを戦力的に無効化してやるって言ってンだ。」
「だからそれをどうやって…。」
「へっへっへ、まァ見てなァ。」
ナッシュはそう言うと、フリクェルの視界に入らないよう物陰に隠れつつ、"夜浸みる影"のメンバー達に向かって意識を集中し始めた。
『進め、進め、戸惑うな。汝の正義は汝の手にあり。征け、征け、立ち止まるな。汝の正義こそ絶対の正義。』
『絶対を冒すものは悪也。正義を冒涜する悪逆也。進め、征け、打ち進め。汝は正義の信徒也。』
『―【英雄よ、剣を摂れ】。』
ナッシュの詠唱が終わる。一見、彼らの様子は変わらず熱狂しているように見えた。
が、その様子が変わるのに一分もいらなかった。
「…おい!それよりも〇〇をやるほうが先だろ!」
「はぁ!?何言ってんの!?どう考えても〇〇を優先するべきでしょう!」
「違えだろ!!まず最初に〇〇をやるって話じゃねえのか!?」
突如として仲間割れが始まった。フリクェルは静止しようとするが止まらない。
「…何、あれ。何が起きたの…?アンタ、何したのよ?」
「へっへっへ、オレァちっとばかし、アイツらの背中を押してやっただけだぜ、ルシエさんよォ。」
ナッシュはニヤついたまま、暴徒と化しつつある彼らを見て続けた。
「人間誰でも、コミュニティに属する以上はある程度テメェの正義、やりてェことを自制しなきゃアならねェ。我ァ通しちまったら、爪弾きにされちまうからなァ。」
「…背中を押すって、つまり。」
「あァそうさ。抑え込ンだ正義をデッカくして、解放してやったのさ。人間、テメェが世界で一番正しいって思った時が、一番えげつねェことをするモンだからなァ。」
ルシエは彼らを憐憫がこもった目で見つめた。
一糸まとわぬ熱狂を見せていた彼らは今、互いを罵り、互いに殴り合う暴徒と化し始めている。
ほかならぬ、彼らの中の正義によって。
「さァ、行こうぜ。もうアイツらにオレらの姿は見えねェよ。」
-4-
「やめなさい!一体何をしているのです!」
フリクェルが半ば悲鳴のような声をあげメンバーを制止しようとする。
しかしその声が彼らに届くことはなかった。
彼らは互いに罵り、殴り合い、果ては武器まで手に取り、血みどろの殴り合い―否、最早殺し合いと言っても大差はあるまい―をしている。
そんな彼らの脇を堂々と通り、フリクェルに接近する二人。
彼らに気を取られていた彼女は、数mという位置に接近されようやく二人に気づく。
「…誰ですか、貴方がたは!?」
「おォおォ、声が震えてンぜ?折角の歌姫クラスの声が台無しだなァ。」
へらへら笑うナッシュと、対照的に真剣な表情のまま歩み寄ってくるルシエ。
「フリクェル、とか言ったかしら。ウィンデリア国軍の者よ。貴女をテロ準備と扇動の容疑で首都へ連行します。これだけ大仰な演説を述べていたのだもの、今更シラを切るなんて間抜けな真似はしないわよね?」
ルシエは先ほどまで録画していた動画をフリクェルの目の前で再生する。
言い逃れができそうにないと悟った彼女は逃げ出そうとするが、ルシエが瞬時に距離を詰め、後ろ手に彼女を拘束する。
「おっと。逃がしはしないわ。悪党なら悪党らしく、お縄に着くときは神妙にすることね。」
「くっ…誰が悪党だと!現体制の犬め、お前達の方がよっぽど―!」
「悪党だろォが、それもとンだ極悪だぜ。テメェらだけの覚悟だけでテロを起こすってンならまだ誉めてやったが、他所の国の思惑のために半端な覚悟しかねェヤツらを扇動するなンざ、並みの悪党じゃできねェよ。」
「他所の国?何の事かしら。私はこの国を愛する愛国者よ。それを―」
ルシエは携帯電話で撮影した画像―アインガリアの軍章―をフリクェルに見せつける。
「貴女がいる屋敷の部屋で撮ってきたものだけど、これアインガリアの軍章よね?なんでウィンデリアの国の者が、アインガリアの軍章を持っているのかしら?」
「…!いつの間に…!」
「へっへっへ、否定はしねェンだなァ?その忠義だけは誉めてやらァ。そンじゃちょっくら、頭ン中を覗かせてもらうぜェ、お嬢さン。」
ナッシュはフリクェルの頭を片手で掴み意識を集中し【開け、記憶の蔵】の詠唱を開始した。
詠唱が終わると同時に彼女の記憶に潜り込み、捜査を開始する。
(…へっ、とンだヤツだぜコイツァ。最近の記憶が、ほとンど虚飾に塗れてやがる。)
町長や夫人、アズウェルと談笑した日々。
町民と公園で仲良く遊び、歌を歌い、穏やかに過ごしていた日々。
そして"夜浸みる影"のメンバーを夜な夜な扇動した日々。
彼女の中では、これらはすべて味気ない、嘘で塗り固められた記憶だった。
無様、つまらない、滑稽、気持ち悪い、くだらない…記憶の端々に、彼らを蔑む言葉が躍る。
「ああああああああああああああ!!!あたまのなかに、なにか、なに、ああああああああ!!!」
フリクェルは苦痛と恐怖、不快感でその端正な顔を歪め、絶叫しながらのたうちまわる。
既にナッシュが捜査を開始してから一分以上が経過している。あと数分もすれば廃人になってしまうだろう。
(…コイツァ…!?)
ナッシュが記憶捜査を進めていくと、先ほどまでと違い色鮮やかな記憶にあたる。
今より一か月ほど前、誰かと出会っている記憶だ。
「いよいよ来月なんですね。」
「ああ、その予定だよ。本当はもっと時間をかけるつもりだったんだけど、この国の奴があたしらの計画を邪魔してくれたからねえ。」
話しているのはくすんだ赤色の髪と同じ毛色の犬のような耳を持つ、レプラコーンの女性。
「まあそいつがちょっと油断してくれたおかげで、残ってる奴から攫おうとした子供の一つが今回の計画に必要なヤツってのがわかったんだけど。」
「ともかく、もうすでに国から色々なルートでこの国に軍は送り込み始めてる。一か月もあれば、三個中隊忍ばせるくらいわけはないだろうさ。」
「この国は外国からの流入には甘いですからね。おかげで私もこうして潜伏して駒を増やすことができてるわけですけど。」
赤色のレプラコーンはくつくつと笑う。
「アンタの実績はライネックも誉めてたよ。今回のコトが成功すれば、念願の傍仕えも叶うかもねえ。」
「そ、それは…すごくうれしいです!ライネック様が、私のことを…!」
「随分と入れ込んでたみたいだからねえ、よかったじゃないか。もしそうなったら、あたしとはライバルだねえ。」
「そ、そんな!エリス様とライバルだなんて、恐れ多い…!」
ここまでの記憶を覗き、ナッシュは衝撃のあまり手を離してしまう。
急に様子が変わった彼を見て、ルシエが声をかけた。
「…どうしたの?アンタが他人の頭の中覗き込んで狼狽するなんて光景、初めて見たけど。」
「…エリス…ライネック…!」
「は…?」
ナッシュは興奮とも戦慄ともとれる様子で話し出す。
「アンタも覚えてるだろ!?エリスとライネックが、今回のヤマを裏で糸引いてやがったンだ!」
「…それは本当なの?」
「こンな嘘ついてどうするってンだよォ!コイツはエリスと会ってやがった!あのくすんだ赤毛のレプラコーン、忘れたくても忘れられねえよ!」
「…そう。生きていたのね、エリス。」
ルシエはナッシュの報告を聞いて動揺を隠せなかった。
だがそれでもつとめて冷静に話を聞き、目を閉じてゆっくり息を吐きだすと
「…行くわよ。時間が惜しい。応援を要請してコイツを途中の町で警察に預けたら、そのまま超特急で首都まで戻るわ。」
「あァ!正直国が襲われようがオレにゃ知ったこっちゃねェが、アイツらの好き勝手にされるのだけは、まっぴらごめんだからなァ!」
ルシエ達は殴り合いを繰り広げている"夜浸みる影"のメンバー達をそのまま置き去りにし、フリクェルだけを連れて真夜中のジャスピリの町を駆け抜け、夜闇の中首都へ向けて走り出した。
(ナッシュが見た記憶の通りなら…アインガリア軍とテロリストは、まるまるブラフ…!)
真夜中の街道を、ルシエ達の車が疾走する。その車中、ハンドルを握りながらルシエは歯噛みしていた。
(あの時、応援が来るまでの間の数分の間に接触されていたなんて…!おかげで、アイツらにあの子の…ケインの体質のことがバレてしまった…!)
(…ケイン、無事で居て…!)
真夜中の風の国。
穏やかな風が吹くこの国を、この夜の帳のごとく大きな闇が覆いつくそうとしていた。
第九話は5月4日投稿予定です。