〇第六話 幻想氷原
白い巨人が、大地を揺るがす。眼前には、十を超える巨人の軍勢がある。
燃え盛る炎の天使が、天を覆う。眼前には、数百を超える天使の軍勢がある。
荒れ狂う猛吹雪の最中。採決の時は―始まろうとしていた。
-1-
「お願い、ルシエちゃん!ケイン君貸して!」
ぱん!と両手を合わせ、懇願してくる白衣を着たフェレメルの少女―メイシー。
ピンク色のロングヘアを、自身の体とともにふよふよ浮かせながら懇願してくる彼女を、ルシエは
「―出てけっ。」
「あぅー!」
とりあえずつまみ出すことにした。メイシーはじたばた抵抗する。
「待って、話聞いて!今回のホットスポットの調査、あたし一人じゃ無理なの!」
「だからホットスポットに一般人を連れまわすんじゃないってーの!」
「あの…すいません。」
玄関先の喧騒の中、ケインがおずおずと尋ねてくる。両手にはルシエとメイシーの分のお茶が用意されている。
「その、ホットスポットって、なんですか?」
「なになに、ケイン君、ホットスポット興味ある!?」
「あっこらっちょっ!」
ばひゅん!と、ルシエの魔の手から逃れケインのもとに飛びよるメイシー。
「いいよいいよ、教えてあげよう!ホットスポットっていうのはね―」
―ホットスポットとは、大気中のマナ濃度が200%を超える高濃度マナ領域を指す俗称である。
この世界におけるマナとは、生物や人体の体内に蓄積されている有限のリソースではなく、大気中に空気と同じように漂っている、事実上無限の無味無臭のリソースである。
これを体内に取り入れ詠唱と共にマナを変化させて引き起こす現象等を「魔法」といい、「魔機」は使用者が一定量のマナを取り込み魔機に流し込むか、付属されるマナ電池(マナをため込む道具)のマナを使用して様々な変化や能力を発揮する。
マナは一定の濃度で存在しているものではなく、場所場所によってその濃度にばらつきが存在する。
このマナ濃度は、低くても魔法の使用や魔機の起動に影響が出るだけで、特定の種族を除き生命の維持には影響しない。
逆にマナ濃度が高すぎる場合、居続けると高山病のような体調不良を発症し、ひどい時には昏倒してしまうなど、生命の維持に悪影響を及ぼす。
この悪影響を及ぼすマナ濃度は200%以上の濃度で起きると言われ、これが起きるほどの領域をホットスポットと呼び、大抵の場合近づいてはいけない場所として、世界各国様々な方法で周知されている。
しかし、その高濃度マナの影響を受けずに、ホットスポット内で自由に行動できる例外が主に二つある。
ひとつは持って生まれた種族の特性により、どんなに高濃度マナの環境でも行動が可能な「マナの寵児」であるフェレメル。
そしてもうひとつは「適性NN」である。
ホットスポットはおおよその国で人跡未踏の領域であるが、ウィンデリアをはじめとした一部の国では彼らを用いた調査が進められている。
現状のところ進捗は芳しくないのだが。
「へえ~、世界にはそんなところがあるんですね~。」
「そうそう、世界にはまだ不思議がいっぱいあるのだ。」
メイシーはすっかりルシエ宅に転がり込み、お茶を頂戴している。
ケインはもとより、ルシエも行っていた作業を中断し席についている。
作業をしながらでは、メイシーにケインを攫われかねない。
「でもどうしてそんなところがあるんでしょう?」
「詳しくはわかってないね~。世界にマナを供給してるところって説があって、実際いくつかはマナの噴出口があったところもあるけど、そうじゃないのもあるみたいだし。」
「へえ~…。でもなんでその調査に、僕が必要なんですか?ただマナが濃い場所なら、危険はなさそうですけど。」
ケインの問いにルシエが茶を飲みつつ答える。
「ホットスポットは濃すぎるマナのせいで環境が変質してるの。森の中に急に砂漠があったり、冷たい炎が流れてる川があったり、一切水が動かない泉があったり…。」
「それだけでなくて、その環境に適応した狂暴な魔獣がいたりするんだよ~。かよわいあたしじゃ魔獣の相手なんてできなくて…あいたっ!」
かよわい乙女を演出しようとするメイシーに、ルシエは手にしたコップで容赦なくツッこんだ。
「国一の黒魔術師がか弱いとか、寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ。」
「うぅ~。でも、今回のとこは魔法だけじゃ無理なんだってば~。」
「あはは…それで、そのホットスポットはどういう場所なんですか?」
「うん、幻想氷原って呼ばれてる場所なんだけどね―」
ウィンデリア首都から南西方面、デザークレイとの国境地帯にまたがるように存在するホットスポットがヒルスタリア氷原丘陵―通称"幻想氷原"である。
面積にしておよそ12㎢、外縁部マナ濃度185%、中心領域は推定マナ濃度230%以上とされ、領域の半分が砂漠の領域にありながら年中解ける事のない氷で覆われたその場所は、紛うことなきホットスポットである。
中心領域には旧時代の遺跡が眠っているとされ、過去にも外縁部から遺跡が見えたとの報告が上がっている。
しかしその中心領域は強烈な吹雪が吹いており、分け入ろうとしてもいつの間にか外縁に戻ってしまうことから幻ではないかとも言われ、この通称がついた。
「―でさ、その吹雪ってのが、どうにも魔法の幻影っぽいんだよね~。」
「何でわかるのよ?」
「一回行ったもん。」
メイシーが言うには、中心の4㎢ほどを囲むように吹雪が吹いている領域があり、吹雪が吹く領域と吹かない領域ではマナの性質に違いを感じられた。
そのため、中心部には中へ立ち入らせない魔法がかかっているのではないか、と推測したとのことである。
「あたし達の感覚みたいなもんだからはっきり言えって言われても無理だけどね、でもたぶん、あれは魔法だよ。それも自然発生した魔法的な効果じゃなくて人為的な。」
「まさかアンタ、それの調査と解除のためにケインを一人で行かせようってんじゃないでしょうね?」
メイシーははっきり首を横に振って否定する。
「そんな真似一般人にさせられるわけないじゃん。ケイン君は大事にしろーって、長官からも言われてるし。」
「じゃあ何で。」
「ルシエちゃん知らない?NNは、手を握った相手にもマナ無効の効果が現れるんだよ。」
「えっそうなの?」
「えっそうなんですか?」
ほぼ同じリアクションを返してきた二人を見て、メイシーは吹き出してしまう。
「あっはは!うん、そう。勿論握ってる間は魔法は使えないし、魔機も使えないけどね。あたし達がやってるマナ呼吸は影響を受けないから、あたしが握っても大丈夫。ほら!」
言ってメイシーはケインの手を握る。
しかし特に何か起きるわけでもない。せいぜいケインが少し照れているくらいだ。
「見せられてもわかんないわよ。マナ呼吸ができなくなったからって、即死するわけじゃないんだし…。」
「えっ!メイシーさん、マナが吸えなくなったら死んじゃうんですか!?」
ケインはぱっと手を離す。その様子を見てルシエとメイシーはまた笑いだしてしまう。
「あははは!確かにあたし達フェレメルはマナが薄すぎると衰弱して死んじゃうけど、ルシエちゃんの言う通り即死するわけじゃないから大丈夫だよ!」
「第一コイツから手を握ってきたんだし、あんたが気にすることじゃないわよ。」
「うぅ~、仕方ないじゃないですか。故郷でも見たことはありますけど、フェレメルの人自体は良く知らないんですから…。」
フェレメルにはほかの種族には見られない様々な特徴がある。
中でも代表的なのは"マナ呼吸"と"マナ欠乏症"という特徴的な病だろう。
マナの寵児たるフェレメルは、マナを己の生命活動の維持のため、常時一定量を吸い込み消費している。
このマナの呼吸は、マナ濃度が一定以下だと正常に機能しなくなる。
この状態になったフェレメルは徐々に衰弱していき、そのままその環境にいると死んでしまう。これがマナ欠乏症である。
仮にこの症状が現れた時は、一定濃度以上のマナ濃度がある空間に移動してやる必要がある。
「まあつまり、その魔法を破るのにケインの力を借りたいというわけね。」
「そうなんだよ~。ね、貸してくんない?ルシエちゃんもついてきていいからさ~。」
「ついてくって…私じゃホットスポットの中には入れないんだけど。」
「うん、普通ならそうなんだけどね。今日来たのはルシエちゃんにこれを試してもらいたいってのもあって。」
メイシーが取り出したのは、人間の手のひらサイズの、金色に光る金属製の護符だ。
「護符の…魔機?これが、何?」
「魔機工房と魔法研究所が合同で研究開発中の魔機だよ。簡単に言うと、ホットスポットに入れるようになる魔機。」
「はい?中和剤じゃなくて?」
中和剤とは、ホットスポットの悪影響を低減するための薬品である。
ホットスポットに入るための、例外の3である。
低減は出来るが無効化はできず、高価なため使用者は少ない。
「うん。魔蒐金が使われててね、周囲のマナを吸引することでマナ濃度を下げて、影響を回避しようっていう代物。ちょうど試作品ができてさ。」
「へー…。って、ちょっと。人を実験台にしないでほしいんだけど。」
「それは悪いと思ってるけど、頼める人がいないんだよ。ホットスポットの調査自体やる人がいないんだから。」
「そりゃ普通は入れないからね。」
言いつつ、ルシエは護符を眺める。今は起動していないのか、特に変わったところはない。
「でも、それにマナ濃度を下げる力があるのは確かだよ。一回起動した時、120%あったマナ濃度が70%まで下がったもん。」
「効果はある、ってことね。…ふむ…。」
ルシエは言って護符を眺める。メイシーはしめしめとほくそ笑んでいる。
魔機職人の娘である彼女は、珍しい魔機を見るとつい興味を惹かれてしまうのだ。
「ね?もしこれの効果が実証されれば、行動範囲が広げられるよ?魔蒐金はバニーゲンでしか採れないけど、ルシエちゃん達のおかげで今後は少し手に入りやすくなりそうだし。」
「知ってたのね、バニーゲンとウィンデリアが友好関係を結んだの。」
「そりゃもう、ウチ始まって以来の大快挙じゃん。研究所や工房もバニーゲンやスノンベールの素材や技術を集めまくるぞーって、今無茶苦茶テンション高いし。」
ひとしきり説明し、メイシーは改めて手を合わせてお願いしてきた。
「お願い、この通りだよ!魔法と技術発展のためと思って、手伝ってくれないかな?」
ルシエはちょっと思案した後、ケインに尋ねた。
「ケイン。あんたはどうしたい?」
「僕、ですか?うーん…。」
眼を閉じ、悩む。少しして。
「…僕の体質がお役に立つなら、協力したいです。ウィンデリアの方には、お世話になりっぱなしですから。」
「そう。まあ、あんたならそう言うと思ったけど。…いいわ、やりましょう。私もこの護符に少し興味あるしね。」
二人の返事を聞いて、メイシーは飛び上がるように喜んだ。
「やったあ!ありがとう、二人とも!無理はしないつもりだから、よろしくね!…あ、そうだ。ケイン君にはあたしの自己紹介、まだしてなかったよね。」
メイシーは改めてケインに向き直る。
「初めまして!あたし、ルシエちゃんと同じ、特務一課のメイシー。ファミリーネームはないよ。魔機はからきしだけど、黒魔法の腕は国一の自信あるから、どーんと頼ってね!」
「はいっ!よろしくお願いします!」
どん、と自分の胸をたたくメイシー。ケインにとって、初めての冒険が幕を開けようとしていた。
-2-
―出発が決まってから三日後。ウィンデリア南西部、ヒルスタリア氷原丘陵。
すぐそこに草原と砂漠が見えているのに、その一帯は雪景色という異常な光景がそこには広がっている。
一同は防寒仕様でこの場に臨んでいる。ルシエは鎧を装着し、その上に防寒着と例の金色の護符を装備している。
「…マナ濃度135%。凄いわ、確かに下がってる…。」
護符を起動し、測定器の値を見て改めて驚くルシエ。
今のところ、起動している鎧が解除される様子もない。
この様子なら、魔法の使用などにも影響はなさそうだ。
「すごい…!本当に草原の真ん中に、雪が積もってます!僕、雪初めて見ました!」
「スワンプリムだと降らないもんねー。」
生まれて初めて見る雪にはしゃぐケイン。それをルシエがたしなめる。
「はしゃいでどっか行くんじゃないわよ。冬景色ってのは厳しいものなんだから。」
「あっ…はい、すいません。大丈夫です、来た意味は忘れてないですから。」
そんな二人を微笑ましく見つつ、メイシーが先導を始める。
「さ、あんまりゆっくりもしてられないし行こう、行こう。1㎞も進めば途端に景色が変わるはずだから。」
「ええ、わかったわ。」
「はい、わかりました。」
進むこと十数分。
「急に風が強くなってきたわね…。それに雪も。前が見えないくらいの吹雪なんて、何時ぶりかしら。」
「え、そうですか?確かに風は強くなってきたみたいですけど、前は見えますよ?」
言って、互いの顔を見る二人。しかしお互い嘘を言っているようには見えなかった。
そのままお互い首を捻る。不思議な空気を切り裂いたのはメイシーだ。
「入ったみたいだね、幻想氷原に。ルシエちゃん、計測器見てみて。」
「…マナ濃度185%。本当だわ、上がってる。てことは、これが幻?」
メイシーが頷く。
「あたしの計測器だと、235%って出てるよ。ばっちり高濃度マナ領域だね。ケイン君、あたし達には前も見えないくらいの吹雪の中にいるんだけど、ケイン君はそうじゃないんだよね?」
「はい、見えます。風は強いですけど、遠くに塔みたいなのがそびえているのも、はっきりと。」
メイシーはその言葉を聞くとケインの傍へ飛びより、ルシエ側と反対のケインの手を握った。
すると、メイシーの視界を覆っていた白い世界がみるみるうちに晴れていった。
「…凄いや、これがNNの視界…。ルシエちゃん、ケイン君の手握ってみて。」
促され、ルシエもケインの手を取る。同じように、白い世界がみるみる晴れていく。
「…これは驚いたわ。マナの影響を受けないってだけで、こうも見る世界が変わるのね。」
「え、えと…それで、次はどうすればいいんでしょう?」
一課二人はふと我に返り、間に立った少年を見やる。
唯一の男である彼は、両方から手を握られて少し赤面している。
「純真だねえ~。ケイン君顔はいいし優しいから、故郷だとモテたんじゃな~い?」
「そ、そんなことないです。故郷じゃ父さんの仕事の手伝いと、家の世話ばかりで、女の子に会う時間なんて。」
「それ、"会う時間があればモテてました"って言ってるようなもんだけど、自覚あんの?」
「あ、いや、そんなつもりじゃ!?」
年上の女性二人からからかわれ、あたふたするケイン。
二人はそれを見てまた笑う。
「あっはは、ケイン君可愛いね~。とりあえず、魔法の範囲外に出たらわかるから、そこまでエスコートしてくれるかな?」
「えす…はいっ、わかりました!」
「頑張んなさいよー。両手に花なんて機会、そうそうないんだから。」
「か、からかわないでくださいー!」
ケインは恥ずかしさのあまり、ぶんぶん腕を振る。女性二人はそれを見てまた笑う。
「ごめんごめん。さ、そろそろ行きましょう。あんまりのんびりしてられる場所じゃないんだし。」
「そうだね~。ケイン君、頼んだよ。からかっちゃところ悪いけど、君の力が必要なのは本当だから。」
「うぅ~。わかりました、歩くのが早かったら、言ってくださいね。」
更にそこから十分ほど歩いただろうか。メイシーがぴくり、と動いた。
周囲の風雪は、いつの間にやらすっかり晴れている。台風の目にいるような感覚だった。
「―うん、ケイン君、もう大丈夫だよ。魔法の効果範囲からは抜けたみたい。」
言われて、ケインは二人から手を離す。ケイン以外の二人の視界が急に雪に覆われることもなかった。
今一行は中規模の雪の丘にいる。
目の前に広がるのは、白く彩られた木々や丘。そして
「あれです。―塔、ですよね?」
「…そうね。」
「そうみたいだね。」
小さな丘の向こうに見える、白色に輝く塔だった。
更に周囲をよく見ると、いくつか瓦礫のようなものが転がっている。
「幻想氷原の中心には遺跡がある、って話は知ってたけど、本当にあったとはねー。」
「珍しいことなんですか?」
ケインの問いにメイシーは少し悩みながら答えた。
「…珍しくはない、かな。人が住んでた痕跡があるホットスポットっていうのはいくらかあるんだ。場所によってはあたし達フェレメルが住んでることもある。」
「アンタもフォレリアのホットスポットの出だもんね。」
メイシーは頷く。
「でも…こんな大がかりなのは見たことないかな。これは住居とかいうより"施設"だよ。」
「いったい誰が、何のために…。」
「それは入ってみないとわかんないかな~…ん?」
ずしん ずしん ずしん
ルシエ達の背後から雪を踏み固めるような重量のある足音が響く。
一行が振り向くと、そこには体長4mはあろうかという何かが立っていた。
ふくらはぎから下、二の腕から先が異様に太いそれは、手のひらと足以外を(顔も含めて)真っ白な毛でおおわれている。
ゴリラのようで、熊のようで、しかしそれらの何物でもない顔は、瞳が赤く燃え滾っている。
大人一人分が横にすっぽり収まりそうな口は歯並びが悪く、歯の間から湯気が立つ唾液をぼたぼたと垂らしている。
「グゥフ…グゥフフフフ…!!」
「「…サスカッチ…!!」」
―雪の巨人、サスカッチ。伝承に残る、古き巨人族の原種。
その伝承だけの存在が、今目の前にいる。
「ケイン!こいつと反対の方向に飛びなさい!」
「は、はい!」
ケインに逃げる方向を指示しつつ、ルシエはサスカッチに向かって突進する。
「グゥフフフ……グゥファファファファァァアアア!!!」
それと同時に、サスカッチも一行に向かって、鈍重で緩慢そうな見た目からは想像できないほどの素早さで突っ込んでくる。
巨体は地を揺らし、その巨体と大きすぎる拳から繰り出される攻撃は、まるで大きな岩石が意思をもって向かってくるかのような威圧感を与えてくる。
「グゥファウァアアア!!!」
「―ほっ!」
ズシィィイイン…!
サスカッチの右腕が豪快に振り下ろされ、大地を揺らす。
それをルシエはすれ違うように躱し、そのままサスカッチの足元へ向かって駆けてゆく。
「ルシエさん、危ない!」
「―やあっ!」
「グゥファァアア!?」
足元へ向かってくるルシエを見てか見ずしてか、左足を振り上げ踏みつぶそうとするサスカッチ。
そこをルシエは逃さず、肌がむき出しの足の指を斬り裂く。切断には至らないが傷口からは赤黒い血がしたたり、雪を汚す。
思わぬ攻撃を受けたサスカッチは、そのままちょっとの間バランスを崩した。
「いやー、足の指斬られるなんていったそー。」
メイシーはいつの間にかケインと同じような高さまで飛び上がっている。
そしてそのまま意識を集中し、体が一瞬黒く輝く。
『【火弾・四連】!』
そしてそのまま自身の周囲に直径50㎝ほどの火炎弾を4つ生成すると、サスカッチの顔面向かって投射した。
ボン!ボン!ボゴン!ボゴォォオン!!
「グゥワァァアアア!?!?」
突然の顔面大やけどに慌てふためくサスカッチ。すかさずそこへ
「【飛行】!―たぁっ!」
「グゥブェエエエ…!グベ、グブェエ…!!」
ルシエが飛び上がり、サスカッチの大きな口を斬り裂いた。
「グゥヴァアアア!!!」
怒り狂ったサスカッチは左腕を振り回しルシエを殴り飛ばそうとする。
しかしそれも空振りに終わり、更に
「―たっ!」
「グゥブァアアア…!!」
むき出しのもう片方の足の指も斬り裂く。
巨体に見合う体力でまだまだ膝をつきそうにないが、両足を斬られたことに加え顔面を集中的に攻撃されたことで、その動きは完全に止まっていた。
そのサスカッチの足元に、赤く輝く魔法陣が現れる。
ふとみると、両手を真横に広げ、黒く輝きながら意識を集中し魔法の詠唱をしているメイシーがいた。
『爆炎よ焼け、爆ぜよ、焦がせ、燃やせ。怒り猛る烈火の如く、その悉くを灼き尽くせ。』
「!?ちょっ、あぶなっ!」
サスカッチの足元の魔法陣が、徐々に赤黒く燃える炎に変わっていく。
ルシエが危険を察知し飛び退く、その一刻後。
『―【焼殺】!』
ゴォオオオオ………ゥゥウウォ……ォォォオン……!!
詠唱完了と同時に、魔法陣から瞬時に夥しい爆炎が立ち上る。
あまりにも膨大な爆炎は、しかし煙や煤を一切出さず、サスカッチの巨体を残さず包み込み、焼き尽くす。
爆炎が収まった時、そこにはサスカッチだった黒焦げの何かがあるだけだった。
「ちょっとメイシー!いきなり【焼殺】なんて、私を焼き殺すつもりなの!?」
「いやあ、ごめんごめん。いい感じに足止めしてくれてたから。…でもルシエちゃん、今ので終わりじゃないみたいだよ。」
「え?どういう…。」
ルシエの質問は、ケインの悲鳴が代わりに答えることになった。
「ルシエさん、大変です!その白いのが、僕達の周りに、いっぱい!いっぱいいます!!」
「は…?」
同じ高さで飛び上がり、見渡していたメイシーは冷や汗を垂らしながら続けた。
「…10…15…20…25は、いないか。…こりゃ完全に、囲まれたね。」
メイシーとケインの視界に映っているもの、それは。
―自分達がいる丘を囲むように押し寄せてくる、サスカッチの群れだった。
-3-
ずしん ずしん ずしん ずしん
四方から、雪を踏み固める足音がする。
ずしん(ずしん)ずしん(ずしん)ずしん(ずしん)ずしん(ずしん)
八方から、重い足音が近づいてくる。遠くから、更に足音がやってくる。
やがて前方から、後方から、右から、左から、下から。
サスカッチが一体、二体とその巨体を覗かせはじめる。
「逃げてる暇は…なさそうね。」
「だねー。かといって、この数じゃ圧し潰されそう。それに…。」
更に危機的状況を煽るかのように、またしても風と雪が強くなり始める。
「マナの、この感じ…。ケイン君、君には今、周りが猛吹雪に見える?」
「…いえ、雪がちらついていますが、吹雪というほどではないと思います。」
やっぱり、とメイシー。この吹雪は幻覚だ。
しかし同じ幻覚でも、この状況で見せられる幻覚はたまったものではない。
このままでは皆サスカッチの夕食になってしまう。
「ルシエちゃん、1分ばかり時間を稼いで、なるべくサスカッチを多く丘の中に引きつけといてくれない?アレをやるよ。」
「ちょっと、正気なの?アレ使ったらアンタ倒れちゃうじゃない。」
「普通の場所ならね。ここはホットスポットのど真ん中だから、たぶんへーきへーき。」
「…まあ、アンタがそういうならやってやるわ。でも、ちゃんと狙えるの?」
「あたしだけじゃ無理かなー。」
と言ってメイシーはケインを見やる。
「だから、ケイン君の力を借りることにするよ。」
「はっえっ?僕ですか?」
「うん、この窮地を乗り切るには、君の力なしでは無理そうだから。」
メイシーはいつもの調子でこくりと頷く。
「あたしとルシエちゃんは、今吹雪の幻覚の中にいる。どこまでが丘で、どこにサスカッチがいるか、もうあんまりよく見えてない。だから、幻覚の影響を受けてない君にナビを任せたいんだ。」
「ひとつ。あたしが魔法の準備に入ったら、うっすら丘に赤い魔法陣が見えると思う。それが丘からはみ出てたら、君が見える位置からでいいから、どっちにずれてるって教えてほしい。」
「もうひとつ。ルシエちゃんが丘から出そうになったら、ルシエちゃんから見てどっちの方に戻るようにって指示をしてあげて。彼女は雪に慣れてるけど、それでもないよりずっといい。」
「みっつ。サスカッチの群れが全部丘に入ったら、合図して。そしたら、あたしがこいつらを全部吹っ飛ばしてあげる。」
「最後に。…そう遠くない距離で、こいつらを呼んで、この幻覚を見せてるやつがいるはずだ。なんかおかしいな、と思うのがいたら、教えて。」
ひとつずつ指示を説明した後、メイシーが確認する。
眼下では、ルシエが吹雪の中精神を集中し、体が青色に輝いているのが見える。
―暴風の加護の魔法だ。
「大変だと思うけど、任せられるのは君しかいない。お願いできるかな?」
「メイシーさん…はい、わかりました!任せてください!」
メイシーは満足そうな顔をして頷き、両手を真横に広げ、詠唱が終盤に入ったルシエに声をかける。
「本当にいい子だね。―それじゃ、ルシエちゃん!」
『【風の獣よ、嵐を呑め】!―ええ、やるわよ!」
一人を除き、荒れ狂う猛吹雪の中。押し寄せる白毛の巨人を討ち倒す戦いが始まった。
「―はぁっ!―たっ!」
「グゥファアア!」「グゥフフファァアアア!!」
眼下でルシエが増えゆくサスカッチ相手に大立ち回りを演じている中、メイシーは魔法の準備を始めていた。
両手を真横に広げ目を閉じ、精神を統一する。体が少し黒く輝き始めた時、丘に大きな赤い魔法陣が、うっすらと浮かび上がった。
「―どうかな。」
「…前の方に、ずらしてください。後ろ側の陣の外縁が丘からはみ出ています。」
「おっけー。わかりやすいね。」
メイシーはその体制のまま、魔法陣の位置を調整していく。
地点指定型の魔法では、このように魔法陣の位置で発動位置を調整することが多い。
「―どう?」
「はい、丘に入ったと思います。あとは…あ、ルシエさん!それ以上進むと出てしまいます!」
「おっと、陣の中心はどっち?」
「うーん…後ろに時計の長い針が30分くらいだと思います!」
「オッケー!何よ、なかなか頼りになるんじゃない!」
ルシエはケインの指示に従い、あくまで丘の中でサスカッチを引き連れていく。
現時点で、サスカッチの半分は丘に侵入してきている。
「…じゃあ、詠唱に入るよ。あたしが少し燃えて見えるかもしれないけど、気にしないでね。」
「えっ、それは、どういう…。」
ケインの疑問は間に合わず、メイシーの体が黒く、黒く輝いていく。
『―紅き炎の女神よ。蒼き氷の女神よ。白き雷の女神よ。若き風の女神よ。裁きの時は来たれり。全てを裁く四神の力を、今ここに顕し給え。』
「あと、もう五つ…四つ…。ルシエさん!もうちょっと前の方にひきつけられますか!?」
「無茶言うわねえ…やってやるわよ!―【大気爆発】!』
「グゥヴァアァア!!」「グゥフフ!グゥフフファアアァァアア!!」
ルシエが飛び、跳ね、時には刀で、時には魔法で、サスカッチを攻撃しつつ魔法陣の中へと引きつけていく。
全てが入るまで、残り四つ。
「三つ…!?メイシーさん、体が…!」
『我が望むは、絶対なる業火の裁き。我が願うは、貫徹なる神火の裁き。長なる女神よ、我が願いを聞き届け給え。連なる三の女神よ。我が願いのため、力を貸し与え給え。』
精神を統一し、魔法の詠唱に集中しているメイシーの体のいたるところから、苛むように赤い炎が上がっている。
彼女はそれに動じることなく、否、それが当然であるかのように目を瞑ったまま、魔法の詠唱を続けている。
この時、ケインは気づいていない。
―魔法陣を取り囲むように中空に集まる、数多の天使の群れを。彼女らの体もまた、赤い炎を上げている。
「!!…三つ、二つ…!」
「ちょっと!まだなの!?もう飛んで逃げるのも限界が近いんだけど!―ぅわっと、危ないわね!!」
ルシエは矢継ぎ早に襲い来るサスカッチの攻撃を、ぎりぎりのところでさばききっていた。
しかし、いかんせん一人で相手にするには数が多すぎる。もう20体以上を、たった一人で捌いているのだ。
「あと…一つ…!…!!メイシーさん、ルシエさん!」
『全てを焼き焦がす、業火の女神よ。今ここに、汝の災禍を願う。全てを灼き滅ぼす、神火の女神よ。今ここに、汝の裁可を願う。我が眼前を這う、地上の愚かなる者どもに、汝の業火の限り以て、等しく滅びを与えんことを―!』
「入りました!全部、丘の中に入りました!」
「―やっとね!」
ケインの報告を聞いて、ルシエは真上に飛び上がる。目線の高さは、ケイン達と同じ。
それと、メイシーの詠唱が完了するのが、ほぼ同時だった。
―丘をぐるり取り囲む、数百を超える燃える天使の軍勢。手にした槍が、構えられる。
『―【蹂躙せよ、神の兵。灼き滅ぼせ、神の炎】!』
それは、女神による号令だった。天使の槍が、丘のサスカッチめがけ無慈悲に投擲される。
ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド……!!!
炎を纏った槍は、着弾と同時に燃え盛る炎の柱となった。
丘を全て覆いつくさんとする天使の槍は、丘を全て焼き尽くさんとする神の炎となって、集ったサスカッチを容赦なく蹂躙する。
「グゥヴゥァァァアアアアアアアアア!!!」
「グゥブブブァァアアアア………!!!」
「グゥアアアアアァァァ…グゥヴァアアアア!!!!」
ゴォォオオオオオオ……!!! ゴォォオオオオオオ……!!!
逃げ場なく、もがき苦しみながら焼かれていくサスカッチ。
容赦なき神の炎は、あたりを覆っていた幻想の雪すらも灼いていく。
その姿を、遠くから見つめる別の何かがあった。
「!ルシエさん、あれ!」
ケインが指さした場所にいたのは…狐だ。全身が透き通るような白で覆われており、尾が九つある。
普通の狐より二回りほど大きいその狐は、ルシエ達に真っ直ぐに視線を向けている。
ここからでは遠く小さくて見えないのに、何故か真っ直ぐみられていることはわかる。
「白い…狐?あれが、幻の雪を見せてた元凶…?」
「わからないですけど、何か不思議な空気が…っと、わわっ!メイシーさん!?」
ふらふらと、倒れこむように落ちそうになったメイシーを、ケインが支えた。
その様子に気づいたルシエは、やれやれという顔をしている。
「…まったく、無茶するんだから。絞り出すくらいマナ使うのは変わんないじゃない。」
「あ、はは…。まあ、ここなら回復は早いから、だいじょうぶ、だいじょうぶ…。」
ケインに抱き支えられ、メイシーは力なく笑う。
「これだけすごい魔法、ですもんね。」
「フォレリアに伝わる最大火炎魔法だそうよ。以前これを使った時は、ぶっ倒れて一日目を覚まさなかったんだけど。」
はたと気づき、ルシエが再び狐の方角へ目を向けた時、すでに狐は消えていた。
同時に、幻の吹雪もやんでいた。
「…逃がしたか…。ともかく、下に降りましょう。メイシーの回復を待たない事には始まらないわ。」
「そうですね、わかりました。」
「ごめんね~。平気かと思ったけど、一時間くらいは動けそうにないかも。」
眼下で神の炎が燃える中。一行は一時の休息のため、地上へ降りて移動を始めた。
-4-
「高いですね…てっぺんが見えません。」
「飛んで行っても無駄だろうね~。」
休息の後。一行は氷原の中心にそびえる塔に来ていた。
メイシーはすっかり回復している。高濃度のマナはフェレメルの疲れを癒す絶好の薬だった。
塔は氷原のくぼ地にそびえていた。一見して氷の塔のように見えたが、実のところ白く磨かれた石造の塔であることが判明した。
この塔には入口らしき入口が見当たらない。飛んで調べても、結果は同じだった。
「ここが中心っぽいし、中から強烈なマナを感じるから、ここがホットスポットの源泉だと思うんだけど…。入れないんじゃなー。」
「入口を造らないくらい厳重なら、中には相当見つかったら困るものがあるのよ。そっとしといたら?」
「う~~~~~ん。諦めるしかないけど、もやっとするな~~~。」
残念そうにため息をつくメイシー。と、そこへ。
『…。』
「あ、あれは…。」
塔の前に、狐がいた。白毛で普通の狐より二回りほど大きく、尾が九つある。
その瞳は深い深い蒼をたたえている。見ていると、引き込まれそうだった。
狐は、一行をじっと見つめている。
「僕達に、何か用なんでしょうか…?」
「捕まえたいけど、こう見つめられると、動けないね~。」
「何だってのよ、一体…。」
一行は狐に見竦められたように動かない。というよりは、動く気が起きない。
そのままじーっと狐とにらめっこをしていると、全員の脳裏にとある光景がフラッシュバックした。
―氷のように白い、巨大な狼。
―黒い炎を吐く、赤い巨龍。
―そして、輝く剣。
「い、今のは、一体…。」
「…ルシエちゃん…見た?今の。」
「ええ…。なんでコイツが…。」
全員が知ったはずのない光景だった。しかし、それが意味するものを一課の二人は知っているようだった。
唯一、まったくわからないケインは二人に尋ねる。
「大きな狼と赤い龍、そして剣が見えました。これは、一体…?」
「ケイン君も見たんだ。たぶんだけど…赤い龍の方はバニーゲンにいる"邪龍"ファヴニールだと思う。」
「え…!?伝説の、世界を七日間焼き尽くしたっていう、あの龍ですか!?」
「知ってるんだ。うん、たぶんそうだよ。」
「じゃあ、あの狼は…?」
ケインの問いに、メイシーはルシエと顔を見合わせ、お互い頷き
「…あれはたぶん、フェンリル様よ。」
「フェンリル様?」
「北にある"雪の国"スノンベールにいると言われてる神様―幻獣だよ。"氷狼"フェンリル。」
「…ひょっとして、僕の国のアル=ラーヤン様と同じ…?」
ケインの問いに、メイシーは頷く。
この世界には、国ごとにそこを守る守り神と呼ばれる幻獣がいる、或いはいたと伝えられている。
その中にはファヴニールのように、現在まで実在を確認されている存在もあるが、おおよそは言い伝えの中でのみ残っており、実在を確認された例は少ない。
これらの幻獣はしばしば強力な魔法のモチーフにされている。
例えばルシエの"暴風の加護"は風の国の幻獣、"風狐"スレイプニルを模したものであるし、メイシーが呼び出した炎の軍勢は、フォレリアに伝わる四柱の戦女神のうちの一人"ブリュンヒルデ"の力を模したものである。
アル=ラーヤンも沼の国に伝わる幻獣である。
「じゃあ、あの剣は…?」
ケインの続けての問いに、一課二人は首を捻る。
光り輝く、神話に出てきそうな武器だが、しかし二人とも見たことはなかった。
「そればっかりはわかんないわね…。ていうか戦争は回避したのに、なんでファヴニールとフェンリル様が戦ってる図が…?」
「暗喩、ってやつかもね。実際にその二柱が戦うわけじゃないけど、近い状況は起きるんじゃないかな。」
「暗喩…。あれは、何かを表しているモノ…?」
「…ルシエちゃん?」
メイシーはルシエをのぞき込む。
当のルシエは、メイシーの言葉を聞いて黙り込んでしまった。
そうこうしているうちに、狐はいつの間にか姿を消していた。
「あれっ?い、いなくなってます。」
「幻覚か…いや、ケイン君が見えてたから、そうじゃないか…。何だったんだろうね。」
このやりとりがある間も、ルシエは黙り込んでいる。メイシーは再びルシエをのぞき込み
「ルシエちゃん!」
「んふぇっ!?えっ、何?」
急に声をかけられたルシエは、面白い声を上げて答えた。メイシーが笑っている。
「あはは、そんな今考えてもわかんないって。とにかく、帰ろう。中には入れなかったけど、ここにこれがあるってわかっただけでも収穫だからさ。」
「え、ええ、そうね。行きましょう、ケイン。」
「あっ、はい、わかりました。」
そうして、一行は帰路についた。
(…どうして、あの狐が?あれがフェンリル様本体じゃないなら、あれは…。)
どことなく上の空な、ルシエを伴って。
―ほぼ、時を同じくして、ウィンデリア首都。夜闇に、けたたましいサイレンが鳴り響く。
周囲を、警官の怒号が飛び交う。
サイレンと警官から逃げるように夜闇を掛ける三つの影。その手の中にはいくつかの本が握られている。
姿を隠すフードから、赤い毛がかすかに見えた。
―運命の歯車は、静かに動き始めていた。
第七話は4月26日投稿予定です。