〇第二話 天使のような少年
「どう?メイシー。」
「うん、ルシエちゃんの睨んだ通りで間違いないね。」
ふわふわ宙に浮く、白衣を着た身長100cmほどのフェレメルの少女―メイシーは、コンソールに表示された数々の検査結果とケインを見て断言した。
「この子のマナ適性はNN。"マナ不感性"だね。」
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―その個体がどれだけ魔法の元素たるマナをうまく扱うことができるか。それを「マナ適性」と呼ぶ。
一般的にはD~Sでランク分けされており、ランクが高いほどマナを効率よく扱うことができ、適性が高い者ほどより強力な魔法を使用することができる。
魔法が普遍的に使用されているこの世界においてマナ適性は絶対的なステータスとなっており、適性が低い者はしばしば迫害の対象となったりもする。
ただ、一つ例外が存在する。それが「マナ適性:NN」―通称"マナ不感性"である。
突然変異でしか生まれないと言われているこの適性個体は、マナ電池に蓄えられたマナ以外の一切を使用できない代わりに、一切のマナの影響を受けないという性質をもつ。
その性質上、一切の魔法、および一部の魔機に対して完全な耐性をもつため、魔法使いなどからは興味であったり脅威の対象として見られる事が非常に多い。
「アンタ、これ知ってたの?」
「…はい。いえ、検査を受けたことはありません。ただ、僕には母や姉の白魔法が効かないので、マナの影響を受けない体なんだと、母から聞いています。」
マナ適性の検査を行っている国は少なく、大半は彼のように身内の魔法使いからの間接的な発覚により知ることが多い。
身内にマナ不感性の子供ができた時は、大抵迫害に会い、人攫いに売られる事が多い。
彼もまたそういった事情で国を後にすることになったのだろう…と、いくばくかの同情を抱くルシエとメイシーであったが
「ただ、それでも母や父、兄妹達が協力して、僕の体質のことを隠してくれていたんです。だから、こうして攫われて、しっかりとした検査を受けるまで、家族以外に知られたことはありません。」
ほう、と彼女たちは唸った。どうやら相当恵まれた家庭に生まれたらしい。
「で?どうするのルシエちゃん、この子。ほっといたら秒でまだ攫われちゃうよ。ただでさえ珍しい男性のハーピィなんだし。任せてくれるなら、ウチでけんきゅ…いやいや、じっけ…もとい、保護したげるけど。」
「そんな本音駄々洩れのマッドサイエンティストに預けるわけないでしょ。」
「えー、いいじゃーん。せめて助手として雇わせてよー。ホットスポットのソロ調査はキツイんだってばー。」
「一般人をホットスポットに連れまわすんじゃないっての。長官に判断を仰いでくるわ。」
ぶーぶー、と口を尖らせて抗議するメイシーを後目に、ルシエはケインを連れ、研究室を後にした。
「あの人とは、仲がいいんですか?」
「…メイシーのこと?」
ケインはうなづく。
「別に。ただ同僚で、何度か一緒に任務にあたったことがあるだけよ。」
「え?でも、あの人は魔法研究所の職員さんですよね?ルシエさんは、その職員さんには見えませんけど…。」
「ええ、違うわ。私が行った同僚ってのは―"ココ"のことよ。」
彼女はそう言って、「外務省省庁」とかかれた表札を指さす。
「外務省…え、ルシエさんとあの人は、外交官なんですか?ルシエさんはてっきり、軍の方かと。」
「まあ、そういうことよ。っても、私もメイシーも軍籍は置いてるし、普通の外交官じゃないけどね。」
「それってどういう…。」
「あとで話すわ。」
扉を開け、通路を進んでいく。途中、何人かの外交官と思しき人間達とすれ違い、会釈を交わす。
当然と言えば当然であるが、彼らはルシエのように武装はしていない。
ルシエもパンツスーツスタイルであるが、会った時と同様、左腰に刀を佩き、右腰にはホルスターを下げていた。
やがて一つの扉の前につく。「長官室」と書かれた表札だ。
「えっと…ここは外務省の長官がいらっしゃる部屋だと思いますが…。僕なんかが会っていいんでしょうか?」
「長官に会わせるのが目的だからいいのよ。―長官、ルシエです。例の子をお連れしました。」
「うむ、待っていたぞ。入りなさい。」
奥から男性の声がした。
「やあ。君がケイン君、かな?」
「あっ、はい。ケイン・ウィルィーズといいます。」
「うむ、よく来た。私はセルゲイ・アズウェルト。君を助けたルシエ君の上官にあたるものだ。」
長官―セルゲイは、穏やかな表情でケインを出迎えた。
相変わらず鍛えられた体からは威圧感を感じるが、表情と声色がいくらかそれを和らげている。
「長官、昨日提出した報告書には目を通しておられましたか?」
「うむ。2~3聞きたいこともあるのだ。まずは座りたまえ。」
促されるまま、ケインとルシエは席につく。セルゲイも反対側の席につく。
「さて…まず一つ目だが、被害者の中にクリスフルルの神官がいたというのは本当かね?」
「ええ、事実です。エミリアと名乗ったネレイドの少女がリヴァイアサンの神官でしたので。」
「神官であるという証拠は?」
「これを。」
ルシエは写真を取り出す。エミリアが映っている写真だ。
親許へ帰す前に証拠として、被害者の子供を一人ずつ撮影していたものである。
写真を見て、セルゲイはふむと頷く。
「両腕に蛇の刺青か。間違いないな。陸に上がっている最中に捕まりでもしたか。」
「…いいえ、違います。エミリアさんは、海中にいる時に捕まったと言っていました。」
「うそ…。」
「バカな、あり得ん。どうやって"水中にいる"ネレイドを捕まえたというのかね?」
ケインの発言に、ルシエとセルゲイは驚いた。
ネレイドは水中に限れば全種族、いや、全生物中最速の移動速度を誇る種族である。
地上にいる時ならまだしも、水中にいる時の彼女らが他種族に捕まるという事はあり得ない。
「彼女から聞いただけの話ですが…魔法で操られて、抵抗の術なく捕まったそうです。」
「紫魔法か。だが、それでは新たな疑問が生まれてしまう。…ルシエ君、報告の中にはネレイドもポセイドンもいないとあるが、間違いはないかね?」
「ええ、間違いありません。オーガ一体以外は、皆人間でした。」
ネレイド、ポセイドン。どちらもこの世界に二種しか存在しない魚人族の種族名である。
このうち、ポセイドンは魚人と呼ばれ、直立歩行を行うことができる種族で、ひれなどに魚の名残が見られる。
この二種族には共通した特徴がある。それは「水中適性」および「水中発声」である。
この世界の魔法は、発動に際し起動語を発声する必要がある。
つまり、何等かの手段で発声が封じられている場合、魔法を使用することはできないのだが、ほとんどの生き物は水中で発声することができない。
唯一、それを可能にするのが上記の二種族である。つまり、エミリアが水中で魔法の力で捕まったという事は、同じ魚人族に犯人がいるということになる。
「どういうことだ…?途中でメンバーの入れ替えでもあったというのか?」
「…どうなの?ケイン。」
ルシエの問いに、ケインはかぶりをふるばかりだった。
「すいません、そこまでは…。僕らの集落が襲われた時には、人間の方しか見ていなかったので…。」
「ふむ…。そのネレイドの少女は、誰に魔法をかけられたかは覚えていなかったかね?」
「いいえ…覚えていないのか、見ていないのかはわかりませんが、知らないそうです。」
セルゲイは顎に手を当て、考え込む。
最初の誘拐の後人員の入れ替えがあったか、もしくはクリスフルルに手引きをしたものがいるのか…。
もしくは…、と考えるが、いずれも推測ばかりで答えにはたどり着きそうになかった。
「ルシエ君、そのネレイドの少女は今どこに?」
「イルニーリャ自然公園の湖に。舟守のポセイドンに管理を預けています。」
「ああ、そうか。君は彼らに伝手があるのだったな。彼女からも詳しく話を聞きたい。取り次いでもらえるかね?」
「わかりました。」
セルゲイはうむ、と頷く。話題は次の話に移った。
「さて、次だ。というかこれが本題だ。ルシエ君、彼のマナ適性の検査結果は?」
「はい。報告した仮定に違わず、適性アンチ。マナ不感性という結果でした。」
不安そうな表情を浮かべるケインを見て、セルゲイは優しく微笑む。
「不安にさせてしまったならすまないね。何も君を拘束したり、取って食おうという話じゃないんだ。」
「いえ、こちらこそすいません。」
「君が謝ることではない。ただ、適性アンチはそれだけで多数から狙われる危険な存在であることは、君も理解している事と思う。」
「はい。」
不安の色が隠せないながらも、ケインはその若い群青の瞳でセルゲイを見つめている。
芯の強い子だ、と感心した。
「我が国としても、出来る事なら君を家族の元へ返してやりたい。だが、先ほどの話を聞いて、君を国へ返すわけにはいかなくなってしまった。」
「さっきの話と、関係があるんですか?」
「あくまで推測の域を出ない話だがね。君もスワンプリムの民なら"土竜の国"の話は聞いたことがあるだろう?」
「え、森と沼の地下に広がる地下王国の噂ですか?あれは噂なんじゃ…。」
「…あるのよ。まあ、国ではないけれど。」
―土竜の国の噂とは、元々"森の国"フォレリアと"沼の国"スワンプリムで囁かれていた、広大な地下王国の話である。
ならず者の国と呼ばれ様々な犯罪が蔓延る地獄であると伝えられ、現地では子供を諫める慣用句として「もぐらにつれていかれるぞ。」という文句が定着している。
が、実際には国はなく、超広大な地下空洞があるだけである。
その面積ゆえ全域の解明には至っていないが、少なくともクリスフルルとアインガリアを繋いでいると目されている。
「…そうなんですか。本当にあったんだ…。」
ケインは驚きをもってセルゲイを見ている。その顔には純粋な好奇心が隠されていない。
「我々は当初、誘拐グループはフォレリアかスワンプリムで誕生したものだと予測していた。だが、最初の被害がクリスフルルで発生していたというなら、彼らがもとよりアインガリア出自の誘拐グループである可能性が出てくる。
「アインガリアって、森の国のもっと北にあるっていう国ですよね。どうしてそう言えるんですか?」
「かの国は一度、その土竜の国…フォルクリング大地底を通ってクリスフルルに侵攻したことがあってね。アインガリア出身者なら、あの地底路の存在を知っていても不思議ではない。」
「それに、あの工場で教えてくれたでしょ?工場にいたあいつらは、アインガリアからの迎えを待ってるって。つまり、本丸がアインガリアにある可能性があるの。そいつらがまだ叩けてないってことは…。」
「…今後も同じ誘拐事件が起きて、また家族が襲われるかもしれない、ということですね…。」
うむ、とセルゲイはうなづく。傍らを見れば、ルシエも同じように頷いている。
「理解が早くて助かる。アインガリア側にも、君の能力は知れていると見た方がいい。それであれば、祖国よりも我が国で保護した方が危険が少ないだろう。」
「はい、助かります。そういった事情なら、僕は家に帰らない方がいいでしょうし。」
ケインは悲しみの色を押し殺し、つとめて笑顔で返答した。
「勿論、ご実家と連絡は自由にとって構わない。して、当面の預かり先だが…。」
セルゲイはしばし思案し
「ルシエ君、君の元で保護してもらえないかね?」
「…へっ?私ですか?」
突然の提案に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするルシエであった。
「いやいや、なんで私が?軍預かりの施設とかじゃダメなんですか?」
「彼がアンチであることが軍にバレたらどうするのかね?一人二人ならば口止めはできるが、多数となるとそうはいかん。」
「うぐ。」
言葉に詰まる。不特定多数の他人と接触する機会が多くなる施設では、彼の秘密を秘匿し続けることは難しい。
「長官のお宅じゃダメなんですか。」
「私では彼を守り切ることはできんよ。不在にすることも多いのでな。君ならば、課以外の任務の時はおおむね手が空いているだろう?」
「…そりゃあ、そうですけど…。でも、それを言うなら、私が任務の時は。」
「その時はウチでも面倒を見ようじゃないか。」
「うぐぐ。」
どんどん言い逃れができなくなっていく。
「それに、君ならば魔機の造詣も深い。アンチの子でも使える武器の使い方や、護身術を教えることもできるだろう。」
「…魔機はともかく、護身術なら長官でもいいのでは?あの賞状と楯は飾りですか。」
「ハッハッハ、過去の栄光というやつさ。今を生きる若者にはかなわないとも。」
セルゲイはわざとらしく笑う。数十年前の日付ではあるが、数々の武術による賞状や楯が、過去の栄光を語るかのように煌めいている。
「……それに…私の部屋は…。」
口ごもるルシエに、セルゲイはピンと閃いた顔をして、ケインに尋ねた。
「ケイン君、君家事は得意かね?」
「ふえっ?えっ、あ、はい。忙しい親や兄弟の代わりに、下の兄弟達の面倒を見ていましたので。」
「ふむ。決まりだな。ルシエ君、彼に君の私生活の世話をしてもらうといい。彼がいれば、きっと君のあの足の踏み」
セルゲイの言葉を遮るように、ルシエが飛び乗って詰め寄る。
「それ以上は言わないでください!私にだってメンツってものがですね!!あとそんなに汚くありません!」
首を絞めかねない勢いで詰め寄るルシエ、お互いをみておろおろするケイン、そしてわざとらしく笑うセルゲイ。
静かな公僕の聖域である省庁に、不釣り合いな騒ぎが起こっていたのであった。
-2-
「ふわあ~~~~。ウィンデリアの街は大きいですね…!」
すっかりおのぼりさんになっているケイン。ルシエが住む住まいにいくついでに、街の案内をしている最中である。
「ざっくり言って南側に商店街、東側に魔法や魔機関連の工房や研究所があるわ。あとは議会や省庁のある北区画以外は、だいたい住宅街。」
「はい。あっ、研究所はさっき行った場所ですよね。」
地図を開きつつ説明していくルシエ。ケインは興味津々にのぞき込んでいる。
「アンタ、地図は読める?」
「ううん、正直あんまり自信はないです。故郷でも住んでいたのは沼地の集落で、森にある町も、ここよりは大きくなかったですから。」
でも頑張ってなれてみせます!と意気込むケイン。
「まあ、首都は他と比べれば治安は良い方だから、アンタが一人で出歩いてもすぐ捕まる、ってことはないと思うけど…一応二つ注意しておいたほうが良いことを教えておくわ。」
「注意、ですか?」
「一つ。町の中では無暗に飛ばない事。飛行は禁止されてないけど、この町でも翼人族は珍しい方だから、目立たないに越したことはないわ。」
「二つ。南東区画にはあまり近寄らない方がいいわ。地価が安いのと色街が近いのがあって、あのあたりは治安があんまりよくないから。」
いわゆる、半スラム化している区画であるらしい。
「はい、わかりました。目立っちゃいけないんですよね…羽も仕舞った方がいいんでしょうか。」
「そうねえ…アンタの場合、特に珍しい男性ハーピィだし、隠せるなら隠した方がより安全かもしれないわね。」
言いつつ、二人は北東区画の住宅街に入っていく。アパートメントやマンションが立ち並ぶ、ちょっと瀟洒な街並びを進む中、ケインが案内されたのは一軒の平屋だった。
「ここがルシエさんのお家ですか?すごいじゃないですか!一軒家ですよ!」
「アンタの国じゃ大して珍しくもないでしょうが。それにここ、軍が借り上げてる家なの。私のもんじゃないわ。」
「あ、そうなんですか。でも、軍人さんて、寮みたいな集合住宅に住んでるイメージが。」
「…私の仕事は、一応課外流出厳禁の秘密重視の仕事なの。秘密性を重視するために、同僚はみんな一軒家を借りて暮らしてるわ。」
あのメイシーもよ、と付け加えつつ、ルシエは玄関の扉を開ける。
扉を開ければ土間があり、フローリングの廊下の左右には部屋がひとつずつ、突き当りはリビングになっている。更にリビングの右手にも空間が見える。
「左手の部屋は寝室。右手の部屋はトイレとバスルーム。奥のリビングの隣はキッチンがあるから。」
さらりと説明していくが、ケインは屋内の光景に別な意味で驚いていた。
「ルシエさん。」
「何。」
意を決してケインが言う。
「汚いです。」
「うぐっ。」
年下の少年からのダメ出しに精神的ダメージを受けるルシエ。
廊下にまでゴミが散乱していたり、足の踏み場がないほどというほどではない。
ただ、奥に見えるキッチンの方には空になったインスタント食品の殻がそのまま放置されていたり、左手の部屋から廊下にゴミが転がってきていたり。
右手から薄暗く見えるバスルームは、マットはぼそぼそでけば立っており、あまつさえ下着が放置されていたりする。
はっきり言って汚部屋である。
「…そっ、そりゃあ、私だって片付けなきゃ、とは思うのよ。でも…。」
ルシエはもじもじしている。
「でも、何ですか?」
「でも…その…。なんとなく…。」
「面倒くさいんですね?」
「ふぐう。」
またもダメージを追うルシエ。不摂生を子に叱られる親のようである。
「いいですか?ルシエさん。」
「…な、何よ。」
「お掃除は、始めるまでが一番面倒くさく感じるんです。やり始めてしまえばあっという間に終わるんですよ。」
「そうはいっても…それができれば…。」
どんどん縮まっていくルシエ。これでもこの少年の保護者のはずだが、最早見る影もない。
歳不相応に情けない姿になっていくルシエを見て、ケインは決意を新たにする。
「…うん。決めました。」
「何をよぅ。」
「ルシエさんの私生活の面倒は僕が見ます。元々保護して頂いている身、何かお返しをしなければいけませんし。」
ケインは縮こまるルシエにパッと両腕を開き、朗らかに言った。
「炊事、洗濯、掃除。家事なら一通りのことは得意です。故郷にいた時から外国の料理には興味があって、ウィンデリアやフォレリア、クリスフルルの料理なら作れますよ。どうです?」
昼下がり。玄関から差す太陽の光に照らされた、悪意0%の天使のような少年の笑みに、ルシエは
「…お願い…します…。」
恐縮してすべてを任せるほかないのであった。
まずはお掃除しましょう!ということで始まったルシエ宅清掃事業は、驚くべきスピードで進められていった。
寝室は外から見るよりもだいぶ散らかっていたが、数時間と経たずにほぼ清掃が完了されていた。
赤の他人の女性のものである下着を何の臆面もなく掻っ攫い、手際よく洗濯していく様は驚いたが。
「…恥ずかしくないの?」
「うちは母に姉に、妹が二人います。女性物の下着は慣れてますよ。それに。」
「…な、何よ。」
「この場合、恥ずかしいのはルシエさんでは?」
「ひぐう。」
そんなやり取りでルシエがダメージを負いつつ。寝室、バスルームとトイレ(ついでに洗濯)の掃除が終わり、ケインはリビングとキッチンの掃除にとりかかっていた。
ルシエはというと、スーツ姿のままリビングに設置している大きなパソコンの前に座り、眼鏡をかけ、何やら難しい画面を見ながらキーボードやマウスを操作している。
見れば、佩いていた刀や銃を、専用と思しき台座にセッティングしてある。
「何してるんですか?」
「術式のチェックよ。」
「術式?」
「魔機を動かすためのプログラムのようなものよ。」
はえー、という顔でパソコンの画面を見るケイン。彼にとっては、パソコンを見るのは初めてである。
魔機は素体では主に黒色の金属製の球体でしかなく、それだけでは何の力も持たない。
専用の機械、ツールを使用して内部に術式をプログラムし、それにマナを流すことで自在に形を変え、様々な力を発揮することができるようになるのである。
もっとも、一般には素体で使用、購入されることはなく、特定の形状に変化されており、特定の機能を持った魔機として市場に流通している。
「でもそれって魔機職人の人にお願いしたりとかできないんですか?」
「魔機職人の連中にここまで複雑な術式は書けないわよ。ていうか、この術式は私が書いたものだから、私にしか弄れないし。」
「えっ!?ルシエさんて、設計者だったんですか!?」
驚きの眼差しでルシエを見つめるケイン。ルシエの自尊心が回復していく。
魔機にかかわる仕事には、大別して三つの種類がある。
魔機の素材を決め、魔機の素体を作り上げる者を魔機職人。
魔機の形状変化後の見た目を決め、デザインする者を装飾屋。
そして、魔機にどのような変化を与え、どのような能力を与えるかの術式をプログラムする者を設計者と呼ぶ。
設計者は自分が使う魔機の術式を書いたり、メンテナンスを行うことはある。
だが、自身の扱う武器の術式を書くような変わり者は、ウィンデリア中探してもルシエだけである。
「私は仕事柄、ソロで動くことが多いの。既製品だと限界があるから、名のある魔機職人に一点物の素体を造ってもらって、一から書いたのよ。」
「すごいです!自分のための武器なんて、伝説の武器みたいです!」
「そうでしょうそうでしょう。」
ルシエの自尊心が回復していく。ケインは尊敬の眼差しを向けつつ、キッチンの掃除を進めていく。
幸い彼女があまり料理をしないからなのか、水汚れや油汚れなどの特有の汚れは少なかった。
それは同時に、料理をするための食材などもない、ということになるのだが。
「でも、そんな危険な仕事をする外交官さんなんて聞いたことがないです。軍人さんでも、あまり一人で動き回らないですよね。」
キッチンの掃除もほぼ終え、ケインは一息つく。洗い立てのコップに、水を注いでルシエにも渡していく。
お茶などの気の利いたものはこの家にはなかった。
「昼間にも言ってましたよね。ルシエさんとメイシーさんは、普通の外交官じゃないって。一体、何をしている方々なんですか?」
「…そうね。アンタには知る権利があるものね。…今からする話は他所はもちろん、家族にも話しちゃダメよ。」
日が暮れかかった部屋の中、ルシエは静かに話し始めた。
-3-
「まあ、まずは身分証を見せた方がいいでしょう。はい、これ。」
ルシエは一枚のプラスチックのカードを取り出し、テーブルに置く。
運転免許証とおおよそのつくりが同じなそれには「外務省特例特殊任務係一課 ルシエ・テリオバール」と印字されている。
「とくれい、とくしゅにんむがかり、いちか・・・?」
「そ。通称"特務一課"。これが私…そして、メイシーとセルゲイ長官が所属してる組織の名前。」
「外務省、ってあるってことは、外交官さんではあるんですよね?」
「まあそうね。他国との折衝、調整をすることもあるわ。でも、主な仕事はそれじゃない。」
「主な仕事?」
ルシエは姿勢を崩し、水を一口飲む。
「特務一課の主な任務は主に三つ。ひとつ、表立って行うことができない他国への調査…というか、諜報活動。」
「スパイ…!」
ケインは目を輝かせる。スパイの伝記は、いつだって少年の心をとらえて離さないものだ。
「…あんまり褒められた仕事じゃないんだけどねえ。ふたつ、警察として、ウィンデリアの法で裁けない事件や事故の調査。みっつ、軍隊を動員できない、ごく少数或いは単騎での軍事作戦行動。」
「警察で裁けない、軍隊を呼べない…もしかして、僕達を助けてくれたのも?」
「そ。あの場所は遠すぎて、警察では間に合わなかった。軍隊に犯罪者をとらえる権限はないから動けない。だから私の出番だったってワケ。」
「確かに、ギリギリでしたもんね…。」
もし間に合ってなかったら。そんな怖い想像をして、ケインは身震いする。
「そんな感じで、とにかく機動力と、個の戦闘力が求められるの。まあ、同僚の中には戦闘力がないのもいるんだけど。」
「軍隊や、警察の代わりをするんですもんね。え、じゃあ、その方は一体何をしているんですか?」
「そいつは外交官としての仕事も多いけど…一課の中での仕事は"調停"ね。」
「調停?」
首をかしげるケインに、ルシエは向き直る。
「私がアンタ達を助けた時、ほぼ一人残らず殺していたでしょう?」
「はい。でも、まるで踊ってるみたいに、綺麗で美しかったです。」
「ありがと。でも、殺しを綺麗とか言っちゃダメよ。ウィンデリアでも殺しは重罪だし。」
この世界―少なくとも、ウィンデリアはきちんとした法に則って動いている法治国家である。
その中で殺人罪は当然重罪であり、重い罰を与えられることとなる。
ルシエはさらに続ける。
「まあ、無暗に殺しをしない限りは、任務中の殺しが罪に問われることはないのだけど。でも、私達は仕事柄、他国の人間を殺さなきゃいけないこともあるの。」
「えっ!?それって外交問題になったりしないんですか!?」
「勿論、普通はなるわ。それを外交問題に発展しないように他国と調整、折衝するのが"調停"の役目なの。」
特務一課では、任務上致し方ないと現場で判断された場合、"所属の国を問わず"対象を殺害することが許可されている。
ただしその査定は厳しく、そのままでは周囲や人名に甚大な被害を被ると判断されない限り、原則殺人が許されることはない。
これはあくまでウィンデリア国内に限った話であり、外国に対してこの行使を行った場合はその国の法が適用され、通常は他国からの攻撃行為として外交問題に発展する。
その上で、"あくまでウィンデリア内の判断で"その殺人がやむを得ないものであると判断される、或いは殺人に発展すると予測された場合に限り、調停役と呼ばれる専門の外交官が該当国との交渉、折衝、調整を行い、外交問題に発展することを食い止めるのである。
「それって、すっごい責任重大じゃないですか…?」
「ええ、そうね。ミスったらウィンデリアの信用を失墜させかねない。だから、他国で殺しを行う場合は慎重な判断が必要になるし、それをやってくれる調停役には頭が上がらないのよ。」
幸いにも、調停役が必要となったことは一課が設立されて以降、片手に余る程度しか発生していない。
「大変な仕事をされている、というのはとてもよくわかりました。その…ルシエさんは辛くないんですか?」
「何が?」
「自分が死ぬかもしれない危ない場所へ行って、時には人を殺す決断をしなきゃいけないんですよね?しかも、それが原因で自分が捕まる立場になるかもしれない。」
「まあ、そうね。」
「それって、とても苦しくて、とても辛いことだと思うんです。ルシエさんは…辛くないんですか?」
「……。」
ケインは真剣なまなざしでルシエを見つめている。
咎めるでなく、憐れむでなく。この天使のような少年は、命を懸けた綱渡りをしている少女の身を、本気で案じている。
(…本当、底抜けのお人好しね、この子は…。)
「バーカ。子供が余計な気を回すんじゃないっての。」
ルシエはケインの額をツンとつつく。
「あいたっ。で、でも…。」
「いいのよ、そういう仕事なんだから。アンタは気にしなくていいの。」
言葉の裏に、微笑みを隠しつつ。ルシエは立ち上がった。
「さ、掃除は終わったんでしょ?こっちもひと段落したし、商店街へ行きましょう。街案内の続きがてら、何か奢ってあげるわ。」
「ルシエさん…。」
アンタの寝具も買わないといけないしねー、と言いつつ、ルシエは着替えるために寝室に入っていく。
これは照れ隠しか、それとも彼女なりの不器用な優しさであろうか。ケインは扉向こうのルシエに向かって話す。
「…その、ルシエさん。」
「なーにー?」
「ありがとうございます。辛い中、僕を…僕達を、助けてくれて。」
「…はいはい、どういたしまして。」
―扉を挟んで、お互いの顔は見えない。
でも。
今この瞬間、お互いは笑っているに違いないと、そう思うのであった。
次話は4月第3週中に投稿予定です。