〇第一話 Dancing Fairy
崩れ行く足元。その少女は、逆巻く暴風をその身に纏っていた。
荒れ狂う暴風は、しかし少女を傷つけず、寄り添うように循環している。
まるで少女そのものが風と一体化したような、不思議な光景がそこにある。
「―それじゃ、行ってくるわ。」
少女は駆け出し、飛び上がる。それは意志を持つ暴風の、反撃の始まりであった。
-1-
―事の起こりは、今から二日前ほど。
石造りの廊下を足早に歩く一人の少女の姿がある。
背丈は140cmほど、群青色のセミロングで覆われた頭の上には、同じ毛色の犬のような耳が生えている。
パンツスーツに包まれたその身は均整がとれており無駄がなく、子供のようだが子供には見えない。
何より、左腰に佩いた一振りの剣と、右腰のホルスターに収められた銃が、彼女を只者ではないと実感させる。
彼女はやがて「長官室」の表札がある扉の前にやってくると、扉を軽くノックした。
「長官、ルシエです。」
「入りなさい。」
名乗ってすぐ中から男性の声。呼ばれた彼女が扉を開けると、そこにはいかにも身分が高そうで、しかし無駄な装飾はない調度品が設えられた部屋があり、黒髪の初老の男性が待っていた。
「急に呼び出して済まないな。」
「いえ、いつものことですから。」
長官と呼ばれた男性は、歳は老齢に差し掛かるころであろうに髪はまだ若黒く、スーツに包まれた体つきはがっしりしている。
棚に飾られたいくつもの楯や賞状が、彼もまた只人ではないことを伺わせている。
「それで、今回は何の任務ですか?」
彼女―ルシエが長官に尋ねると、彼は一つうなづき椅子に腰を掛けた。
「今回君に頼みたいのは、国内に潜伏している誘拐グループに攫われた子供達の救出だ。最近、南部から誘拐グループが来ている事は知っているな?」
「はい。主に希少種、子供を狙っているとか。」
ルシエの言葉に、長官はまたも一つうなづく。
この世界には人間のほかに、十種を超える亜人種が存在している。
その中には希少種と呼ばれ、世界全体でも数が少ない亜人種が存在する。
彼らはしばしば色々な理由で狙われ、話にあったような誘拐事件がしばしば発生し、各国が頭を悩ませている。
かくいうルシエも希少な亜人種―獣人族の特徴と、小人族の特徴を併せ持つ"レプラコーン"―である。
「それで間違いない。スワンプリムで最初の被害が報告され、フォレリアでも数件の被害報告が入っている。彼らは早くとも二週間ほど前には我が国に入っているとみられる。」
長官はなおも続ける。
「その誘拐グループが、マンテリア方面へ向かっているとの報告があった。それも北東すれすれ、鉄尖峡谷の方面へ向かっているらしい。」
「ブラックルートを使う気ですか。」
「おそらくはな。そこに入られてしまっては、わが国では手が出せん。我が国の領域外であることに加え、あの領域はマンテリアでも迂闊に手が出せないことは知っているだろう。」
長官の言葉にルシエはうなづく。
「危急の理由はわかりました。警察は間に合わないんですよね?私が呼ばれるくらいですし。」
「うむ。証拠はあるのだがな。相手方は武装しているという報告もある。太刀打ちできる程度の規模を編成して向かう頃には、彼らは既にブラックロードに入っていることだろう。」
そう言うと、長官は机の中から紙を一つ取り出し、ルシエに手渡した。
「今回の指令書だ。移動には課で預かっている車を使うように。ある程度なら、弄っても構わん。」
「一応共用物でしょう、弄りませんよ。私、乗り物は専門外ですし。」
「魔機の扱いは君が一番優れていると思っていたがね。」
「私は武器が専門ですから。シャルロットなら、喜んで改造するでしょうけど。」
言いつつ、ルシエはカバンに指令書をしまった。
その後、その他諸々の確認のやり取りがなされ、あらかた確認が済むと
「それでは、少し準備したら行ってきます。」
「うむ、任せる。君に限ってのこととは思うが、油断はするなよ。」
長官の送りの言葉と共に、ルシエは長官室を後にしたのだった。
そんなことがあってから、はや二日ほど。
ルシエはここ"風の国"ウィンデリアと"山の国"マンテリアの国境にほど近い丘で、望遠鏡で山の麓を覗いていた。
彼女の出で立ちは、街で任務を受けた時とそう違いはない。
この丘の遠くには、この場所からでも見上げるほどの雄大な山々が続いている。
麓に目をやると、大きさは負けるもののいくつもの山々が連なっており、望遠鏡で覗いていたその山々の山裾に何やら工場のようなものが建っている。
門らしき場所の先には広間になっており、門を背にして左手側に奥行きの長い二階建てほどと思われる建物。
入口正面にひときわ大きな、三階建てほどはありそうな建物。
そしてその大きな建物の右側に二階の面積が一階の半分ほどの広さしかない、二階建ての建物。
そして門の右側に広い平屋のような建物と、合計で四棟の建物が建っている。
この工場の奥にある山々の先はもうマンテリア領であり、ウィンデリアの力は及ばない領域になる。
(潜伏してるならあの工場跡かしらね。周辺の町でも、見慣れないやつらが数日前に来ていた、というし。)
ルシエは軽食を取りつつ、望遠鏡で工場を覗くが、外に人がいるかなどはここからではわからない。
(もう少し近づかないとだめか…。)
ルシエは望遠鏡をおろし、持ち手に合ったスイッチを押す。すると望遠鏡は瞬く間にこぶし大の大きさの黒い塊となった。それをカバンにしまうと、近くに止めてあったオフロード仕様の四輪車に乗り込み、工場跡へ向かって発進した。
-2-
数分後。ルシエは近場の崖に車を隠し、工場跡の近くに来ていた。
入口には二人の男性が、長銃を手に番をしている。それらを入口から少し離れた木の上から眺め、様子を観察している。
(こんなに警備がいるなら、ここに何かあるって言ってるようなものだけど。さて、工場の方は…と。)
懐から望遠鏡であった黒い球体を取り出し、ごく小さな声でつぶやく。
「【双眼鏡。】」
すると先ほど望遠鏡だったものが、今度は黒光りの双眼鏡に変形した。
これは魔機と呼ばれる、マナの力で変形し様々な性能を発揮する、この世界に広く普及する魔法の道具である。
魔機はいたるところに使われており、先ほど乗っていた車も、彼女が扱う剣や銃、そして見張りが持っている長銃も魔機であったりする。
ルシエは双眼鏡で工場の様子をうかがう。
工場は望遠鏡で見た通り、建物が四棟。見た目は小規模な廃工場で、壁や扉のいたるところに錆が見られ、窓は木枠で封がされている。
入口から程離れた茂みに、大型のトラックが二台停められている。周辺の町で事前に聞いていた情報と一致している。
(間違いないわね。)
なおも工場の様子をうかがう。
外をぶらぶらしている人影はいないが、建物のうちの一棟、一階の屋根上が屋上になっているタイプの建物には人影があった。同じ建物は広間になっている方に入口があるが、そこにも二人一組の番がいるのが見て取れる。相当に警備が固い。
(侵入者の警戒か、それとも…攫った子達の中に翼人族がいるのかしら。)
この世界の亜人には、いくつか種類がある。
外見的特徴が人間とあまり変わらない亜人族。
体のどこかに獣の特徴が表れる獣人族。
最大でも身長が人間の子供くらいまでしか成長しない小人族、逆に巨体に成長する巨人族。
主に背中から羽根が生え、空を飛ぶことができる翼人族。
そして、体に魚類の特徴をもつ魚人族である。
このうち翼人族はその羽根を使って飛行することができる。
飛ぶことができる距離などは種族によって違いまた個体差もあるが、おおむね二階から飛んで地上に降りることくらいは造作もない。
そのため誘拐グループが翼人族を攫った場合飛んで逃げられることが考えるため、翼を切り落とすか、今のように屋上等にも目を向けておくのが普通である。
ともかく、侵入者を警戒しているにせよ、翼人族がいるにせよ、屋上の見張りが例の一棟だけとは考えづらい。
こちらからでは角度の問題で見えないが、広場左手の建物二階の屋上にもいると考えるのが自然だろう。
三階建ての方は構造的に屋上へ上がる手段がなさそうだが、警戒しておくに越したことはない。
迂闊に身をさらせば、先制攻撃を受けることは明らかだった。
(…消えていった方が楽か。)
そう思ったルシエは双眼鏡を元の球体に戻し、しまい込んだ後地上に降り立ち、そのまま意識を集中し始めた。
すると、ほどなくしてルシエの体が、身に着けている武器や道具、スーツなどの衣服ごと透明になっていく。
「透明化」―光の屈折を操作し、周囲から完全に透明になることができる、レプラコーン特有の能力である。
衣服なども含めて完全透明になれるほか、息が上がるほどの激しい運動をするか、魔法や魔機を使うなどしない限りは解除されず、最大で一時間透明状態を維持できる。
ただし、一度使用すると朝の通勤ラッシュを乗り越えて会社に出勤する程度には疲れるため、あまり使いたがらない者が多い。
また、立てる音を消すことはできず、壁の通り抜けなどもできない。
あくまで光の屈折を操作しているだけであるため、光以外で認知する方法を使用されれば見破られる。
しかしながら、うまく使えば非常に強力な能力である。ルシエは透明化が完了した後、そのまま足音をほとんど立てずに堂々と番のいる入口から工場の敷地内へと侵入した。
工場の敷地に侵入した後、ルシエはまず真っ直ぐに見張りが見えた建物に近づいていく。
勿論足音は極力立てずに、しかしゆっくりという速度ではない速さで。
やがて建物につくと、正面の入り口は無視して、透明のまま周囲を手早く、しかし注意深く探っていく。
(裏口なんかがあったりすると楽なのだけど…。)
そう期待しつつ周囲を探索するが、目的の建物に裏口はなかった。正確に言えば、脇に扉はあるが壊れており使い物にならなかった。
ただ、奥側に長い煙突のようなものが三本並んで空へ向かって伸びており、それらは壁と接続されている。
二階の部屋があるだろう場所からも煙突への接続口があり、二階の天井も抜けて大空に口を開けている。
そして、その煙突に挟まれるように少し小さめの窓が二つ付いている。
窓には木枠がはめられておらず、ひび割れている。近づけば、中の様子が探れそうだ。
(飛んだ方が早そうだけど…中にいるのが誘拐された子供達とは限らないし、消えたまま様子をみよう。)
ルシエはそのまま窓に近い煙突を軽やかによじのぼっていく。
やがて窓に近づき体を伸ばして中の様子を見ると、車座に座った五人の子供達がいた。
(当たりね。どれどれ…。)
のぞき込んだ体制のまま、中の様子をうかがう。子供達は皆一様に俯いている。
よく見れば、一様に手枷と足枷を嵌められているのがわかる。
一人。ホワイトブロンドのセミショートと純白の鳥の羽が天使を思わせる少年。翼をもつ翼人族のひとつ、ハーピィだ。
一人。真っ赤なツーサイドアップがまぶしい、闊達そうな少女。一見人間のようだが、体つきがいくらか筋肉質であることから、ドワーフの可能性が高い。
一人。普通の子供の更に半分くらいの身長しかなく、薄緑色のロングヘアと虫の翅が妖精を思わせる少女。
翼人族でありかつ小人族に属し、とりわけ希少な妖精の末裔ともいわれるフェレメルだ。
一人。黒髪のセミロングに猫の耳の少年。耳の外側に着けたピアスが素行の悪さを伺わせる。獣人族のひとつ、ケットシーだ。
一人。スカイブルーのロングヘアと、肩から肘にかけて掘られた蛇の刺青が神秘さを醸し出す、腰から下が魚の尾となっている少女。
亜人族の中でも二種しか存在しない魚人族で、人魚とも呼ばれるネレイドだ。
(ふーむ。)
ルシエは一旦窓から顔を引き、窓枠と煙突を足でつっかえさせ、片手で煙突をつかみつつ考えだした。
被害者は確認した。あとは救出すれば任務は完了だが、どうやって救出するか。
まず警備が厚い。自分だけであればともかく、子供達を全員警備の目からくらませるのはかなり無理がある。
次に、被害者の中にネレイドがいる。
ネレイドは水中最速と称される驚異的な遊泳速度を誇るが、その分地上の活動に大きな制約があり、何か移動用の魔機でもなければ這って移動することしかできない。
特に腕の筋肉が発達しているわけでもないため、ネレイドの地上での移動速度は人間の赤ん坊のハイハイのそれとあまり変わらないと言われている。
つまり、隠密行動の心得などなさそうな子供を五人、しかも一人は赤ん坊と変わらない速さでしか歩けない集団を、見つからずに逃がさなければいけない。
(むりね。)
ルシエはすぱっとあきらめた。できないものはできない。
それでいて子供達を安全に逃がすにはどうすればよいか。答えは明白だった。
(殺すしかないわね。最低でも、外で見張りをしている奴らは全員。門のは…まあ、そこを使わなければいいかもしれないけど。)
最低でも動きは止めなければならず、連絡用の魔機で増援を呼ばれることまで考えると口も封じなければならない。ならばいっそ、息の根を止めてしまう方がやりやすい。
ただそれはそれで一つ問題があった。敵の戦力がわからない。
流石に見張りで全員とは考えづらいが、この誘拐グループが総勢何名かは、ウィンデリアにも正確な情報が入っていない。
十名以上とは目されているが、報告がまちまちで確証がなかった。
戦うことを決めた以上戦力を明確にしなければ、いざ多数を相手にした時、死に目にあうのはこちらである。
(あの子達と接触しましょう。誘拐された当事者なら、戦力は把握してるはず。)
行動指針を決め、透明化を解除する。そして再び窓に近づき今度は窓を開けていく。幸い、少々つっかかる程度で開くこと自体はできた。
「えっ何?」
「窓が。」
中の子供達にどよめきが走る。開くはずのない窓が開いたのだから無理もない。
更に、そこから見知らぬ少女が頭から体を滑り込ませて部屋へと入ってくる。子供達は悲鳴を上げる寸前だった。
「しっ。静かに。助けに来たから、大人しくして頂戴。」
ルシエは優しく、かつ静かな声で子供達を制した。
助けに、という言葉を聞いて、子供達はぽかんとする。やはり無理もない。
その瞬時に、ルシエは聞き耳を立て部屋の外が静かであることを確認した。どうやら、部屋の外に見張りはいないようだ。
この部屋の広さと外から見た広さから考えても、外へ通じる扉には距離がある。大きな声をあげなければ、一旦は外へバレることはないだろう。
「…助けに、というのは、本当ですか?」
ハーピィの少年がおそるおそる口を開く。その群青の瞳は怯えに染まっているが、奥底で純真さが光っているように見えた。
「【短剣】。ええ、本当よ。っても、さあみんなで今すぐここから出ましょう、とはいかないけど。」
佩いていた刀を短剣に変化させつつ、ルシエは改めて子供達に向き合い、懐からバッジを取り出す。
逆巻く風に狐の横像。ウィデリア正規軍の軍章である。
「私はルシエ・テリオバール。ウィンデリアの命において、あなた達を助けに来たわ。」
静かに、今度は力強く宣言する。それと同時に、子供達に嵌められていた手枷と足枷を斬り落としていく。
久しぶりの手足の自由に、子供達の顔に希望と歓喜の色が浮かぶ。
「それ、ウィンデリア軍のマークよね?あなた軍人さんなの?」
「まあ、似たようなもんよ。」
ドワーフの少女の問いに、歯切れの悪い答えを返す。
「それで、助けるためにあなた達に聞きたいことがあるの。この誘拐グループ、全部で何人いるかわかる?」
ルシエの問いに答えたのは、ネレイドの少女。
「全部で十二人いらっしゃいます。ほとんどは人間の方ですが、一人だけオーガの方がいらっしゃいます。」
「…そのオーガ、ボスだったりする?」
ルシエの問いに、ネレイドの少女はこくりと頷く。その頷きに、思わずため息をついてしまう。
オーガは身長300cmを超える、巨人族の一種である。
見た目通りのパワーと頑丈さをもち、巨体に似たわず素早く、高い耐毒性と耐火性だけでなく再生能力まで持つという、まさに戦士になるために生まれてきた種族である。
更に熱暗視という特徴的な暗視能力があり、レプラコーンの能力を無効化してくるため、レプラコーンにとっては―レプラコーンという種族に非力なものが多いこともあり―まさに天敵といってよい種族である。
(あいつらの熱暗視は無機物を透視できないから、バレてる心配はしなくていいとしても…マジかあ。楽な任務だと思ってたんだけどなあ。)
「…その。」
軽く頭を抱えるルシエに、ハーピィの少年が尋ねる。
「どうかした?」
「その、助けて頂けると聞きながらこういうのも申し訳ないんですが…急いだほうがいいかもしれません。」
ハーピィの少年の心配そうな目を、ルシエはみつめる。
「のんびりするつもりはないけど、なんで?」
「…一応確認ですが、今日は6月13日でしょうか。」
「そうだけど。」
日付を確認したハーピィの少年はネレイドの少女を見て、互いに頷きあった。ネレイドの少女が続ける。
「誘拐グループの方々は、明日早朝にもここを発ち、アインガリアに向かう予定だそうです。それで、その迎えに今晩にもアインガリアから増援が来るそうです。」
「…そう。」
すっかり難しい顔になってしまったルシエに、ハーピィの少年が申し訳なさそうに謝る。
「すいません、こんな話をしてしまって。」
「いいえ、すごく重要な情報よ、ありがとう。…まあ、できれば聞きたくはなかったけど。」
礼をいいつつ、手元の時計を見る。時刻は16時を回ろうとしていた。
日没まではあと二時間ほどはあろうが、今晩というのが何時を指すかわからない以上、猶予はあまり残されていないと見た方がよい。
ルシエは立ち上がると、まず首から下げていたペンダントを握りしめた。すると、瞬く間に形を白色のブレストアーマーに変化させ、そのままルシエの体に装着された。続けて
「【刀】。」
短剣に変化させていた刀を元の刀の形に戻す。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。騒がしくなると思うけど、迎えに来るまで大人しくしてるのよ。」
「わかりました。…ルシエさん、でしたっけ。あなたはどうするのですか?」
ルシエは来た窓に足をかけつつ答える。
「殺してくるわ。誘拐犯を、全員。」
ルシエの言葉に、子供達は凍り付く。それを後目に、ルシエは靴の魔法を起動する。
「【飛行】。」
ルシエは窓枠を蹴って外へと飛び出し、そのまま屋上へ向かって飛び上がった。
-3-
「せぇいっ!」
「なっ、だ…!?」
頭上からの奇襲に見張りが気付いて銃を向けるより数刻早く、ルシエは飛行時の加速と重力に任せて相手の喉笛を一刀のもとに斬り裂いた。見張りは斬り裂かれた喉元と口から血しぶきを吹かせ、そのまま倒れる。
その太刀筋は鋭く美しく、肉はおろか首の骨も綺麗に両断されている。かろうじて首の皮一枚でつながっているが、この場合ギリギリ助かった、とは呼ぶまい。
「何だ!?」
「どうした!?」
「上から聞こえたぞ!」
地上の建物入口の方から二人の男の声がする。
(耳がいいわね。でも―!)
ルシエは着地すると、そのまま二階の扉を開けて屋内に戻る。
この位置は入口からは死角になっており、下にいるものは上の様子を見ることができない。
必然、様子を知ろうとするなら建物の中に入る必要がある。事実、入口の扉が開いた音が一瞬聞こえた。
屋内に入り、そのまま階下に下る階段を跳ぶように降りていく。下りながら階下を見ると、こちらに向かって走ってくる人影が二つ。
「誰だてめえは!!」
「どっから入ってきやがった!」
男二人の怒号が響く。構えられた長銃の銃口は既にルシエに向けられている。
「侵入者だ!ガキがいるとこの屋上から来やがった!」
「おい止まれ!!蜂の巣になりてえか!!」
男が叫ぶのを意に介さず、ルシエは跳ぶように階段を駆け下りていく。途中数発銃撃を受けるが、高速で駆け降りる彼女をとらえるべくもなく金属製の床や手すりにあたるのみだ。
(増援を呼ばれてるわね。まあ、それは想定内。)
子供達のいる場所にさえ行かせなければあまり大きな問題ではない。最初に感づかれた時点でこうなることはわかっていた。
ルシエは一階に降り立つと、そのまま低い姿勢で猛然と男たちめがけて駆けていく。彼我の距離10mとそこそこ。彼女にとっては造作もない距離である。
「止まれってんだろォ!」
「クッソ、速え!当たらねえ!」
一発。二発。飛来する迎撃弾を掠めるように難なく躱す。三発目が撃たれる頃、既に彼女の刀は男たちをとらえていた。
「はぁっ!」
「がっ!」
男二人のうち、一人の喉笛を諸手左下段からの斬り上げ一閃。その動きのままに体を右回転させつつ刀を順手に持ち直し、回転力のままにもう一人の男の両腕を斬り飛ばす。
「たぁっ!」
「んぐああああああああっっ!!俺の、俺の腕がああああああああ!!!」
男の一人は両腕を斬り落とされた激痛から絶叫しのたうちまわる。
喉笛を斬り裂かれた男は血走った眼で何かを言おうとしているが、斬れ裂かれたところからゴボッ、ゴボボッと血の泡を立てるのみ。
「【両・短銃】。」
刀をいったん納め、銃を抜き起動語を唱える。銃は二丁の拳銃へと姿を変え、それをそれぞれの男の頭部に向ける。
「ガタガタうるさい。」
タァン、タァン…と、渇いた銃声が二つ。残響が消える頃には、男二人はただの死体となっていた。
二人を始末すると、外が騒がしくなり始めた。怒鳴り声とともに、この建物に向かう足音が複数聞こえる。
(もう増援がきたみたいね。まあ、そんな広くないし当然と言えば当然か。)
やがて正面の扉から男二人の怒号が聞こえる。
「オラァ!出てこい!!そこにいるのはわかってンだぜ!!」
「出てこねえと建物ごと吹っ飛ばすぞ!」
怒鳴りつけているのは二人だけのようだが、足音は少なくとも三~四人は聞こえた。
遠くからも駆けつけている可能性があるが、ひとまず男が三~四人、ご丁寧にも入口で待ち構えているらしい。
(そんなに吹き飛びたいなら、吹っ飛ばしてあげるわ。)
ルシエは身を隠しつつ、正面扉の先に意識を集中し魔法の詠唱を始める。
詠唱と共に、ルシエの体の周りが黒く輝き始めた。
『大気よ爆ぜろ。空を割り、汝を縛る傲慢を吹き飛ばせ。』
『―【大気爆発】!』
ルシエの魔法の詠唱が完了する。同時に、扉の先の空気が風の吹く音と共に急激に圧縮され、次の瞬間
ズドォォォォォォォォォーーーーーム…!
「「「「うわあああああああっ!!!」」」」
大気が勢いよく膨張し、名前の通り爆発した。扉の前にいたであろう四人の男は天高く吹き飛ばされ、ついでに正面の扉と壁の一部も吹き飛んだ。
(…あっぶな。いまいち黒魔法の制御は苦手なのよね…。)
吹き飛んできた瓦礫をよけ、外へ出る。
「何やってんだテメェ!!」
「ただで済むと思ってんじゃねえぞォ!!」
(あと…四人と一体、か。)
男二人が長銃を乱射しながら走り寄ってくる。風貌的にも、門番をしていた二人だろう。
あまり狙いもつけられていない乱射である。躱すのは簡単だ。
(こいつら除いて、あと二人と一体…そのうち一人は…いた。)
遠目に、門から一番近い場所にある建物の屋上を見る。一瞬だが反射光が見えた。長銃のスコープとみていいだろう。
(オーガだけじゃなくて、人間の中にもデキる奴がいるわね。あと一人は…ダメか、探してる暇がないわ。)
思案しつつも、走り寄ってくる男二人へと距離を詰める。
ちらり、と一番大きな建物の方を見ると、建物の影から巨体が現れてくるのが見えた。
(来たわね…。)
「ぐああっ!」
「んぐあっ!クソッ!!」
警戒を払いつつ、跳ぶようなステップで即座に男二人の背後へ回り、防護の薄い背中を薙ぎ払う。
(止まっちゃいけない、奥の奴に撃たれる。先にあいつをやりたいけど、同線上にオーガがいる。手が出せない!)
斬った男はそれなりの深手だが、命を落とすほどではなかった。痛みに悶えながらもルシエを撃とうと体の向きを合わせてくる。
(まずはこいつらの動きを止めないと。こいつらの影に隠れれば、撃ちにくいはず…!)
男二人の周囲を舞うように跳びながら移動しつつ、体を回転させながら刀を振るい、まずは一人の首を横薙ぎに斬りつける。
「やぁぁっ!」
「うぐああっ!」
男が体をよじったせいで、いささか刃の入りが悪い。それでも喉元は斬り裂かれ、傷口から血があふれ出してくる。
(あともう一人…っ!?―【飛行】!」
『【土尖裂槍】!』
グググ・・・ズドン!
もう一人を同様に斬りつけようとしたところを寸手で止め、靴の魔法を起動し瞬時に飛び上がる。
次の瞬間、ルシエ達がいた場所を隆起した複数の大地の槍が貫いていた。
眼下には、全身を黒光りの鎧で身を固めたオーガが立っている。先ほどの魔法は彼のものだ。
ルシエが斬った男、斬るはずだった男は大地の槍に貫かれ、声をあげる間もなく絶命していた。
(こいつ、仲間ごと…それに…!)
飛び上がりつつ奥の建物に目をやると、屋上に今度は遠目ながらも長銃でルシエを狙う男の姿が見えた。
(回避を、いや、間に合わない!なら…!)
ルシエは空中で意識を集中する。一瞬、彼女の姿がまた黒い光に輝く。
タァン…
屋上の長銃が発射される音。放たれた弾がルシエに到達する、ほんの一刻前
『―【突風】!』
「…チッ。」
ルシエが放った突風が弾丸をそらすのと、銃手が舌打ちするのがほぼ同時だった。
(このまま一気にあいつを…いや、ダメか。)
【飛行】でそのまま銃手との距離をつめようとしたが、オーガが間に割り込もうとしていたため思いとどまる。
彼らの巨体をもってすれば、低空飛行は簡単に捕まえられてしまう。
高空飛行をすればよいのだが、魔機に搭載した魔法は予め使用できるマナ残量に限りがあり乱発できず、生詠唱の【飛行】は制御が難しいという弱点があった。
この状況では、先にオーガの相手をするほかない。ルシエは魔法を解き、地上に降り立つ。
「ずいぶんと派手に暴れてくれる。目的は何だ?誰の差し金だ?」
地に響くような重低音の、オーガの声。心なしか、周りの空気も震えているように感じる。
「アンタに言うわけないでしょ。」
「フン、生意気なガキだ。」
一言、二言。言葉が行きかう間、二人は互いの距離を測り合っている。
オーガは武器をもっていない。だが、その腕と拳に嵌められた籠手は、防具とするにはあまりにも攻撃的なつくりをしている。
一方ルシエは刀身60cmほどの刀を構えている。リーチ自体はオーガの腕の方が長いが、彼女が驚異的な瞬発力で一気に間合いを詰めてくることを、オーガは先ほどの戦いを見て理解している。
「まあ、大方ウィンデリアから、盗んだガキを取り返してこいって言われてんだろう?」
「さあね。でも子供を攫ったんなら、早く返してあげればいいんじゃない?」
「そうはいかねえな。あいつらは大事な商品だ。取引相手が来るまでに、無事に保護しておかねえとなあ。」
「最低ね。大体、人身売買はどこの国でも違法よ。知らないの?」
「フン。知ってるさ。」
更に一言。二言。間合いを測り合い、オーガがルシエの問いを鼻で笑った、その直後。
「だから―儲かるんじゃねえかァ!」
「くっ…!」
オーガは右手を振りかぶり、驚異的な踏み込みで突進をかけてきた。
人間であれば二~三歩いるはずの踏み込みが、このオーガならばたった一足。
巨人族故の歩幅の広さと、巨体に似合わぬ瞬発力が可能とした踏み込みだ。
ルシエは手前に退くのでは間に合わないと直感し、瞬時に左に跳んで避ける。
即座に二歩飛び退くが、オーガとの距離は突進を受ける前よりも縮まっている。
(巨人族の相手はこれだから嫌なのよ…いくらやっても間合いが開きやしない。それに…!)
反射的に前へ跳ぶ。それと同時に、銃弾がルシエの居た場所を撃ち抜く。
「あ~~~もう!うざったいわねえ!」
「ならさっさとくたばりなァ!」
前へ跳んできたルシエを、オーガの右手が狙う。またも寸手で、ルシエは右に跳び攻撃を躱す。
先ほど空をきった拳は、今度は轟音と共に地面を穿つ。
「アンタなんかにやられるわけには…いかないのよ!―【十字槍】!」
「なっ…!?」
ルシエは勢いそのままにオーガの懐に飛び込んだかと思うと、持っていた刀を瞬時に十字槍に変化させる。
そしてそのままの勢いで、オーガの首を薙ぎ払う。
刀ならば跳ばねばならず、オーガに捕まる恐れがあったが、穂身が刀の倍以上ある槍ならばそのまま刃を届かせられる。が。
(…チッ、あんまり入ってないわねこれ。なんて皮の厚さなの…!)
刃自体は確かに届いた。だがしかし、全亜人中随一の堅牢さを誇るオーガは生身の防御力もすさまじく、人間のように一振りで頸動脈を切断する、とはならず、表皮を斬り裂いたのみにとどまっている。
「ルシエさん、危ない!」
「…!?」
オーガは諸手を組み、ルシエに叩きつけんと振り下ろしてきていた。
それ自体は感づいており、難なく躱すことができたが、ルシエは自分が名を呼ばれたことに耳を疑った。
即座に子供達がいた建物の屋上を見る。そこには、心配そうな目でこちらを見つめるハーピィの少年の姿があった。
「バカ!なんで出てきてるの!」
危ないから早く戻りなさい!と叫ぶルシエの視界の外で、オーガが不適に笑う。
「やれ、ゲイル!殺すんじゃねえぞ!」
「了解。」
オーガの発言と、彼の胸元にあったボタンのような魔機に気づいたルシエは、即座に一番大きな建物の屋上の方を見る。
一瞬だが、何かが光った気がした。即座に悟る。最後の一人は―上にいる!
「屋上!狙われてる!下がりなさい!」
タァン…
ルシエが叫ぶのと、屋上から弾丸が放たれたのが、ほぼ同時。無慈悲な弾丸は、少年の肩を撃ち抜いた―
―はずだった。
「……!」
ハーピィの少年は銃撃を受けた後、自分を撃ってきた方向をキッ!とにらんだ。
そして、純白の羽をはためかせ、相手に向かって突進した。
「うわああああああっ!!」
「なっ、なん…っ!?」
完全に虚を突かれた銃手は、ハーピィの少年に成すすべなく組み敷かれてしまった。
一方。
「は…!?」
「え…!?」
先ほど起こったことに一瞬目を奪われたのは、オーガとルシエも同じだった。
弾は確かに、ハーピィの肩に命中した。いいや、正確に言えば命中するはずだった。
―弾は、少年の肩にあたる直前、発光とともに掻き消えたのである。
(…あのハーピィの子…まさか…!いえ、それよりもこれはチャンス!)
『―【飛行】!』
ルシエは同じく虚を突かれているオーガよりも一瞬早く反応し、飛行の生詠唱で空へ飛び上がる。向かうは少年がいる、三階建ての建物の屋上。
(あのままやってたら、確実にこっちが体力負けする。アレを使うには隙が足りない。でも、この子が作ってくれた隙さえあれば…!)
屋上に着くと、ルシエは銃手を組み敷いているハーピィの少年に声をかけた。
「全く、大人しくしてなさいって言ったのに、なんで出てきたのよ。」
「ごめんなさい。でも、聞こえてくる音で、あなたが危険な目にあってるのはわかりました。そしたら、いてもたってもいられなくて…。」
「…とんだお人よしね、アンタ。…名前は?」
「ケインです。ケイン・ウィルィーズです。」
「そう、ケインね。…その、助かったわ。アンタが気を引いてくれなかったら、あのままじりじりやられてたところだったから。」
ルシエの礼の言葉に、ケインはぱぁっと表情を輝かせる。
「…で、でも、あまり状況は変わらないんじゃ。」
「いえ、一旦離れることができればもう…っ!?」
「う、うわわわわっ!?」
ガシャン!ガシャアアアン!!
轟音と共に、ルシエの建物が揺れる。いや、崩れていく。
「オラァァア!!逃げてるんじゃねえぞ、ガキィ!!」
オーガが階下で、力任せに腕を振るい、建物を破壊し始めたのだ。
「…ったく!ケイン、その男はどっかに落として、退いてなさい。私は大丈夫だから。」
「えっ、でも落としたら死んじゃいますよ!?それに、どうするっていうんですか!?」
「三階から落ちた程度じゃ人は死なないから大丈夫よ。こっちにも、まだ手はあるから。―【刀】。」
ルシエは崩れが酷くなってきた場所から飛び退き、武器を刀に変化させ、刀身に手を当て集中し始めた。ほどなくして、ルシエの体の周りが今度は青色に輝きだす。
「…青魔法?」
―この世界の魔法には禁止されている系統を含めて四種類の魔法があり、それぞれ使用する際の光の色によって区分けがされている。
現象や物体を一時的に現出させ、攻撃などに使用する黒魔法。
傷や病気を癒す白魔法。肉体や武器などを強化する青魔法。
そして、相手の精神に作用する、一般的に使用を禁じられている紫魔法。
このうち、青魔法は他系統と比べて地味であること、および強力な魔機が誕生したことから使い手が減少しつつある魔法だ。
だが、ルシエにとってはこの青魔法こそが切り札である。精神を研ぎ澄まし、周囲のマナを巻き込んで更に青い輝きを増していく。
『草のそよぎ、木々のさざめき、大空を翔ける全ての風に宿りしものよ。今こそ顕れ、我が身に宿り給え。』
『貴方を縛るものは何もなく。貴方を遮るものは何もなく。駆け抜けよう。あるがまま、我が身と共に、雷鳴渦巻く嵐の中でさえ。』
いつの間にか、ルシエの周りには逆巻く風がまとわりついている。
それは彼女を襲うでなく、まるでともに進む友であるかのように。
『顕現せよ。―【風の獣よ、嵐を呑め】!』
「…すごい…!」
ケインの目に映っているもの。それは、全身に暴風をまとったルシエの姿だった。
轟音が鳴り響くほどの強風なのに、その風はどこか優しい。
「―それじゃ、行ってくるわ。」
そういうと、ルシエは何の魔法もなしに飛び上がり、階下にいるであろうオーガへ向けて急降下を開始した。
-4-
「人のモン壊しちゃ―ダメでしょ!!」
「うおおッ!?」
大気を斬り裂く音と共に、急降下からの斬り落としを敢行するルシエ。
オーガは間一髪飛び退き、斬り落としを躱す。オーガの着地の衝撃と、ルシエの斬撃の衝撃波で周辺に砂塵が舞い上がる。
その砂塵を突き抜けて、ルシエは再度文字通り飛ぶようにしてオーガに突撃を敢行する。
「たぁぁぁぁあああっ!!」
「ぐっ!」
金切り音が鳴るほどの速度を乗せたままでの、右袈裟一閃。オーガは武器でもあり防具でもある籠手でルシエの斬撃を受け止める。
が、刀に纏った暴風の加護が、オーガの鎧の上から肉体を切り刻んでいく。
先ほどまでとは別人といってよい変わりようを遂げた相手に、オーガは驚きを隠さなかった。
「てめェ、上で何してやがった!?」
「アンタに教えるわけ、ないでしょ!」
刀と籠手で、しばし鍔迫り合いが起こる。
暴風の加護によって刀に風の刃が纏われ、また筋力がいくらか上昇しているといっても、オーガの筋力を超えるには至らず。
押し切れないと判断したルシエはそのまま後ろに飛びすさび、超高速でステップを踏んでオーガの後ろに回り込んだ。
「ベンナ、何やってやがる!撃てェ!」
「…無理だ、ヘンケン。」
オーガ―ヘンケンは、奥にいるもう一人の銃手に撃つよう、魔機越しに命令するが、魔機越しに銃手はかぶりを振った。
「そいつが纏ってる風のせいで、弾がそれている。既に三発は撃ち込んだが、全て逸れた。お前に当たらなかっただけ幸運だと思ってくれ。」
「なんだと…!!」
銃手の言う通り、これまで既にルシエは三発銃撃を受けていた。だが、纏う暴風の加護がそれらを全て弾き逸らしていた。
自分だけではひっくり返っても勝てず、ヘンケンに委ねるしかない彼にとって、自分が彼を傷つける可能性がある行為をこれ以上行うことはできなかった。
「せぇいっ!」
「ぐっ…!クソがァッ!!」
裏手に回ったルシエの切上を、またも籠手で受けるヘンケン。
風の刃の傷はさほどでもないが、受け続ければ再生が間に合わず消耗していく。
何より、先ほどと打って変わって防戦一方に回らされていることに、彼は苛立ちを覚えていた。
「ふざけんじゃ…ねェぞォ!!」
「!?…チッ!」
受けた斬撃を叩き落とそうとするが、ルシエは即座に後ろに飛び退く。
が、それを予見していたのか、それともただの勘か、ヘンケンは即座にそれに突進を合わせてきた。
察知と同時に上方に飛び上がり突進は回避できたが、ルシエも内心舌を巻いていた。
(【一速】になら合わせてくるっていうの!?どこまで動けるのよ、この筋肉ダルマは!…って、ヤバッ!)
突進だけで終わるかと思いきや、ヘンケンはそのまま飛び上がり右手でルシエの体を掴み上げた。
「何すんのよっ!離しなさい、このすけべ!」
「グハハハ!ぶっ潰れろォ!!」
そして、その勢いのまま、ルシエを地面に叩きつける。主にヘンケンの重量のせいで、細身のルシエからはあり得ない衝撃音が響く。
「がっ…は…!」
「グッハハハハハ!もう一丁!!」
鎧を纏ってこそいるものの、耐えきれないほどの衝撃がルシエを襲う。あまりの衝撃に一瞬息が止まる。
ヘンケンはルシエを捕まえたまま持ち上げ、再度地面に叩きつけようとしている。しかし
『―【烈風障壁】!』
「ぐぉおおっ!?」
ルシエは自分の周囲に烈風の結界を作り上げ、ヘンケンの腕を烈風の刃で切り刻む。
刃の鋭さは暴風の加護による刃の比ではなく、ヘンケンの右腕に確かなダメージを負わせる。
たまらず手放されたルシエは、即座に飛び退き距離をとる。
お互い息が上がっているが、ダメージとしてはまだルシエの方が大きい。
「がっ…はぁ…はぁ…!ナメんじゃ、ないわよ…!」
「ぐっ…ハァ…クソッ。だが、その速さももう見切ったぜ…!」
刹那の膠着。ヘンケンの言う通り、暴風の加護をもってしてもヘンケンは追いついてきている。
このままいけば勝てる。ヘンケンは不敵な笑みを浮かべた。だが、それはルシエも同じだった。
「…私の速さが、これで終わりだと思ってたの?」
「何っ…!?」
ルシエは瞬時に精神を集中する。
『―【二速】!』
詠唱と同時に、ルシエが纏う暴風の勢いが更に増す。先ほどよりも大量の砂塵が宙を舞う。
「さて…これに追いついてこれるかしら?」
「ヘッ、ナメんじゃ…何っ!?」
迎え撃って捕まえてやる。そう思っていたヘンケンは、次の瞬間度肝を抜かれることになった。
先ずは直進。来るところに右腕を合わせ、そのまま掴み上げる…そのつもりが、手がルシエの居たところに届いた頃には、ルシエは既に後ろに回っていたのである。
「せぇいっ!」
「ぐっはァァァ!!」
そしてそのまま斬り上げ一閃。この戦闘において、初めてヘンケンがまともに攻撃を食らった瞬間だった。
「…すごい…!」
ケインは、言われた通り組み敷いていた銃手を地面に落とし、自らが捕まっていた建物の屋上から戦闘の風景を眺めていた。と、そこに。
「…みんな。」
「ケイン、大人しくしてなさいって言われてたじゃない。」
現れたのは、同じく捕まっていた子供達だった。ドワーフの少女が、ちょっと羨ましそうな声で叱ってくる。
「はは、ごめん。…でも見て、僕達、本当に助かるかもしれない。」
そういって指さした先にあるのは―目にもとまらぬ速さで敵を翻弄し、確実に一撃ずつ与えていく自分達の救世主の姿だった。
「…すっげェ…!」ケットシーの少年の瞳は、興奮と好奇心で輝いている。
「…かっこいい…!」ドワーフの少女は、それ以外目に入らないかのように釘付けになっている。
「全く見えませんね~。」フェレメルの少女はその小さな体躯を乗り出し、興味津々に眺めている。
「素敵ですね…。血風飛び交う死地であるはずなのに、まるで妖精が踊っているかのよう…。」
ネレイドの少女は、まるで舞台を見ているかのように、そうつぶやいた。
「がっ…ハァ…ハァ…!ク、クソがァッ…!!」
ヘンケンは怒りと怯えの光がともる双眸で、ルシエを睨んだ。
【二速】―暴風の加護の段階を一段階上げ、更にスピ―ドと鋭さを増したルシエの攻撃に、彼は全くついていけなくなっていた。
鎧の一部は斬り飛ばされ、生身の箇所からは夥しい量の血が流れ落ちている。
周囲に飛び散った血痕も、すべて彼のもの。当初圧倒的優位に見えていたその力量差は、今や決定的なまでに逆転していた。
「…もう終りね。降参して、軍が来るまで大人しくしてくれるっていうなら、命までは取らないけど?」
「…フッザ、けんな…!この俺が、テメェみたいなガキに、負けるなんざ…!」
ヘンケンは、最期の力を振り絞り、一か八かの突撃を仕掛けた。
「あって、たまるかァァァァァアアッ!!!」
満身創痍とは思えない、加速のついた超重量の突進。
だが当の対象はまるで子犬が向かってくるかのように軽くあしらい、彼の上を取っていた。
「そう、残念ね。―じゃ、死になさい。」
「…クッッッッソがァァァァアア!!!」
そう吠えたのが、最期。ルシエの刀は、彼の首を文字通り斬り飛ばした。
-5-
―全てが終わって、十数分後。
「…はい、終わりました。構成員は十二名、うち十一名は殺してあります。一名は投降してきましたので、拘束してひとまずトラックに放り込んであります。」
「はい、被害者は全員無事です。…ええ、はい。詳しい報告は課に戻ってから。明後日には伺えると思います。」
ルシエは携帯電話で、上官と連絡をとっていた。
連絡を取りつつ、ルシエはちらりとわき目をみる。そこには、夕日に照らされた子供達の姿があった。
ネレイドの少女は、ケインに抱きかかえられている。
皆疲労はしているが怯えはなく、希望に満ちた顔をしていた。ルシエもつられてふっ、と顔を綻ばせる。
「なあ、ルシエさん。俺達、これからどうなるんだ?」
「元の国に帰れるんでしょうか~?」
連絡が終わったルシエに、子供達が疑問を投げかける。
ルシエは連絡までの間に、子供達の名前や出身地を把握していた。
結果、ドワーフの少女以外は、皆ウィンデリア以外の出身者であることがわかっている。
「そこは、私に決定権はないの。勿論返せるなら返してあげたいけど、特にケインとエミリアは、ウィンデリアからは遠いのよね…。」
ケインと、ネレイドの少女―エミリアを見る。
彼らはそれぞれ、ウィンデリアから南東に位置する"沼の国"スワンプリムと、"崖の国"クリスフルルの出身者だった。
特にクリスフルルは南東の辺境国であり、車を使用しても着くまでに一週間はかかる上、湿原を通る必要があり並みの車では移送すらできない。
こいつらが使ってたトラックが水陸両用だったのは驚いたけど…使うには取り回しが悪いのよね、とはルシエの弁である。
「だから一旦軍が身柄を預かることになると思うけど、近い子は帰れると思ってもいいと思うわ。アイシャはガジャッスの町の子だし、シャーリーは隣の国だしね。」
それぞれドワーフの少女、フェレメルの少女の名前だった。帰れるとあって、彼女たちの顔はより一層輝いた。
「なあ、俺は?」
「アンタは軍で預かり。どうせ帰ったところで追い出されるだけでしょ?"砂狐"のジャックさん。」
「う…。」
ケットシーの少年―ジャックがばつの悪そうな顔をする。
彼はウィンデリアの西、"砂の国"デザークレイの出身者だが…国で盗みを繰り返し、国外追放を受けている身であった。
「…ああ、そうそう。ケイン、あなたも軍で身柄を預かるわ。理由は、たぶん言わなくてもわかると思うけど。」
「…はい、心得ています。僕としても、帰っても家族に迷惑がかかるかもしれないし、ウィンデリアの方にお世話になるのに吝かではありません。」
聡い子だ、とルシエは思った。彼自身の能力を彼が理解していたのであれば、あの時の行動も説明できる。
「さて、と。少し歩くわよ。ここから十分くらい離れたところの崖下に車を隠してあるから、それでまずはマルドリンの町まで行って一泊。翌朝出発して首都ウィンデリアに行くわ。何か質問ある?」
「ありません。」「ないです。」「ないですー。」「あいよ。」「かしこまりました。」
子供達は口々に答える。それを確認すると、ルシエは子供達を先導し、工場を後にした。
背後に臨むマンテリアの山々に、星が輝き始めた時だった。
次話は4/6~7頃に投稿予定です。